連載 イギリスの医療はいま
第11回 医師-看護婦関係
岡 喜美子 イギリス在住(千葉大学看護学部看護学研究科修了)
私が最初にイギリスの医療に触れて一番感心したのが,医師が1人で診察していることだった。病院でも,私立の個人開業医でも,診察を介助する看護婦が見あたらない。医師が自ら体重,血圧,視力などを測定し,衣服の着脱が困難な患者には手を貸す。子どもが泣けば,秘蔵のおもちゃを取り出し,あやしながら診察する。大学病院の回診でも医師同士で病棟を回り,看護婦がお供をして診察がスムーズに進むように介助することはない。
独立したパートナーシップ
効率至上主義の観点から見ると,介助の看護婦がいたほうが診察も早く済み,患者の待ち時間も短縮されるのにと思うが,イギリスの看護婦に言わせれば,「1人でできることをなぜ手伝わないといけないのか。看護婦は医師の使用人ではない」ということになる。このような意見を裏打ちするように,外から見たかぎりでは医師と看護婦は独立したパートナーシップで働いており,上下関係はまったく感じられない。
もちろんイギリスでも,昔は看護婦は医師に付き従い,診察を介助するという図式があった。また男性優位の社会の中で,女性が圧倒的多数を占める看護婦の立場が弱いのも当然であった。ナイチンゲールが医師と同等の立場で発言していたのは,あくまでも彼女が特別な階層の出身であったがゆえである。
しかしながら時代の流れとともに性や職業に対する差別は(表面的には)なくなり,病院の中では,院長もお掃除のおばさんも皆ファーストネームで呼び合うような関係である。医師自身も白衣は権威主義的に見えるからと着用しない人が多いし,日本のように医師が看護婦を教育したり,看護婦の雇用主となることもない。また看護婦の大学教育が盛んになるにつれ,医学生と看護学生が机を並べて同じ講義を聴く時代になり,教育による格差も少なくなってきた。
このような理由から,医師や看護婦の関係はあくまでも同等であり,お互いに敬意は払うが遠慮はしないという間柄になっている。このような関係が最近の看護職の役割拡大に対して追い風になっているのは見逃せない事実である。
拡大する看護職の役割

多くの患者が病院から地域社会に流入したため,まずGPの絶対数が足りず,往診などに支障をきたすはめになった。
そこで政府は試験的に知識や経験のある看護職(clinical nurse specialist, nurse practitioner)に対し,医療行為の拡大を認めた。彼らは訪問看護のついでに投薬,注射,薬物の処方を引き受けたり,他の専門家を紹介したりする業務を行なうようになった。
これまでは訪問看護中の看護婦が患者に吸入の必要ありと判断しても,結局はその場ではどうしようもなく,後からGPに報告して往診を待たなければならなかった。長い順番待ちの後,やっとGPが往診に来た時は手遅れの状態ということもよくあった。それゆえ,この試験的事業は患者や家族のニーズに合致し好評を博したので,次々と新しい役割拡大プロジェクトが行なわれるようになった。
たとえば,地域診療所での看護専門外来や,入院前クリニック,心臓病のデイケアセンターの開業,また精神疾患患者の救急時の初期診断や長期療養施設での入退院の決定をしたり,ペインクリニックや救急外来での投薬,治療,さらに訪問看護時の医療行為などを行なうようになってきた。1996年の政府白書では,薬物(限られた範囲)の処方も1998年までには地域の看護職全員に許可したいという方針を打ち出している。
看護職たちは決してミニドクターになりたいわけではない。彼らが行なえる医療行為が拡大することで,地域や家庭でケアができる患者の範囲が広がり,ケアを提供していく上での時間的,物理的なロスも減って,primary nursing careがよりスムーズに進んでいくことをめざしている。
これに対する医師たちの反応はたいへん肯定的である。自分たちの仕事量が減るという理由ももちろんあるのだろうが,それよりも看護職の役割が拡大することにより,一番恩恵をこうむるのが患者とその家族であるということを現場にいる医師たちが痛感しているからであろう。
医師,看護職,コメディカルワーカーが協力して,「患者のため」にベストを尽くす-これがイギリスの医療者の望むところである。