医学界新聞

 連載 イギリスの医療はいま

 第10回 イギリス式老い方

 岡 喜美子 イギリス在住(千葉大学看護学部看護学研究科修了)


 イギリスの医療や福祉の面で今いちばん問題になっているのは,やはり高齢者人口の増大と長期介護の問題であろう。これらの問題にどう取り組んでいるかを紹介したいと思ったが,老人施設やケアの方法を紹介したところであまり有用とも思えない。そこで今回は,少し横道にそれるがイギリスの「老人たちのメンタリティ」と長期介護問題に深く関わるところの「老後の住まい」について述べてみたい。

パワーのある老人たち

 イギリスに来たばかりの日本人は皆,口をそろえて「イギリスは老人の多い国ですね」と言う。5人に1人が60歳以上である現状は日本と同様なのだが,たしかに町(ロンドンは別として)には老人があふれている。これはイギリスの老人が日本のそれに比べて大変活動的で,どんどん外出するからであると思う。
 日本では「これから高齢者が増えて,大変な負担増である」と大騒ぎし,老人たちは「やっかいもの,ムダ飯食い」とばかりに引け目を感じている。個人の尊厳などないがしろにされ,ひたすらお迎えを待つばかりといった消極的な老後を送る人も多い。
 それに比べてイギリスの老人はその存在と個人の権利を声高に主張する。日本人は定年退職するとぼけたようになってしまうというが,イギリス人にとってはこれからが待ちに待った第2の人生である。旅行や文化活動を楽しんだり,新しい趣味を始めたり,地域社会に奉仕したりとそれは忙しく暮らしており,ぼけている暇はなさそうである。彼らは政治的にも力を持ち,そのグレイパワーは時には政治を動かしてしまう。
 このような強いパワーに裏打ちされた老人たちは当然のことながら,老後を子どもたちにみてもらおうという意識を持っていない。イギリスの2世帯同居率は1割に満たない。75歳以上でも自宅暮らしをしている男性の30%,女性の50%がひとり暮らしである。たとえ肉親でも同居すれば彼らの自由やプライバシーは脅かされる。そんなことは個人主義の強いイギリス人には耐えられない。彼らは自治体の医療福祉サービスの世話になりながら,なんとしても自宅で暮らすことに固執する。
 このメンタリティがコミュニティケアの発達を促したのであり,これまではそれを支える医療福祉予算も十分にあった。

老後の住まい

 一般的なイギリス人家庭では,子どもが巣立ち,夫婦あるいはひとり暮らしになると,高齢者が住みやすいように設計されたアパートに転居する人が多い(家の売買は日本に比べると簡単で,イギリス人は一生に何度も引っ越しをする)。
 それらはshelterd housingと呼ばれる集合住宅で,アラームや24時間体制の管理人を常備している。なかには共通の食堂や集会場,ジムなどを備えたところもある。町の中心部や商店街に近く,交通至便なところを選んで建てられているのは,社会と密接なつながりを保とうというねらいからである。
 病気や老衰でいよいよ独居が難しくなってくると,residential care homeやnursing homeといった老人ホームや老人病院に移ることになる。これらは私立や公立,あるいは慈善団体によるものなど多種多様であり,費用も無料から大変な高額までいろいろである。また老人病院といっても医師が常駐せず,看護スタッフだけで運営されていることが日本と大きく異なっている(これらについては機会があればもっと詳しくレポートしたい)。
 かつてはこういった施設での介護費用もNHS(国民医療制度)により無料であった。しかし高齢者人口の増大により生涯福祉制度の見直しを迫られた政府は,老人の長期介護費用を自己負担させる方針に切り替えた。すなわち老人に,持ち家を売ってそのお金でこういったホームの入居費を支払う方法を勧めているのである。ただし貯蓄が8000ポンド(約150万円)以下の人は介護費を全面免除され,1万6000ポンド以上ある人は全額自己負担である。
 それでも年金と利回りのよい(年利7~8%)預金のおかげで今はなんとかやっているが,近い将来は年金制度が破綻する危機的状況が来る。そこで政府は国民年金からプライベートの年金に切り替えることを勧め始めた。少ない給料の中で真面目に年金の積み立てをしてきた人々にはまったくの当てはずれである。このような弱者切り捨ての福祉政策について老人たちの怒りは高まっている。
 つい最近も現政権への支持撤回を武器に,家庭用光熱費の課税率引き上げを阻止したのはこのグレイパワーであった。今こそイギリスの老人たちの面目躍如の時である。思わず「頑張れ!」と外野席からではあるが声援を送ってしまう今日このごろである。