医学界新聞

看護婦も労働婦人である

田中壽美子(労働省婦人局婦人労働課事務官)


 ここに掲載する論文は,「看護学雑誌」6巻3号(1949年9月号)の再掲(抜粋)である。 約50年前の文章ながら,現在の看護界に共通するもの,また現在もなお看護界の問題となっていることの基本が記されている。なお,田中氏はすでに故人であるが,肩書きは当時のままとし,また掲載にあたっては原文を尊重し,旧字,旧かなづかいおよび明らかな誤字,脱字以外は原文のままとした。


看護婦という仕事

 本誌第2号で羽仁説子氏は,「たしかに看護婦さんの仕事は美しい仕事である」と,看護婦の仕事の近代的な美しさをたたえたのち,「ところが実際はどうであるか?」と,疑問を投げ,現実の看護婦の生活が,映画や物語でみる理想の看護婦と遠いものであることを説いていられる。
 たしかに,看護婦という仕事は,仕事そのものに使命感を必要とする「博愛」の仕事である。この点,純粋に収入を目的とした職業とは異なるのであって,誰でもかまわずなれるものではない。それは,肉体的に,したがって大抵精神的にも,むしばまれた人たちの看護を仕事とするのであるから,女性の中にある母性的な,やさしい心づかいをうちこまなくては,到底完全にすぐれた看護婦であることはできない。また,看護婦自身もその仕事に意義を感じるのでなければ,仕事をしていても非常に不幸である。だから,現在看護婦である人たちの中には,「博愛」の仕事としての使命感が,看護婦となる動機であったという人も相当ある。また,生涯を看護婦として過ごしている人たちは,多かれ少なかれこの仕事の使命感に生きている人たちである。
 しかしながら,今日の社会は大量の看護婦を必要としている。この社会が要求する優れた看護婦を大量に供給して国民の保健のために奉仕してもらうには,看護婦の使命感のみを強調したのでは片手落ちである。彼女らの作業環境や労働条件を無視することは決してできない。また看護婦になる婦人の側からいえば,この奉仕的な仕事につきたいという意欲とともに看護婦の技能によって,経済的独立をはかることを目的としているのであって,この経済的な面の保障があって,はじめて看護という仕事の使命に打ちこむことができるのである。であるから,私は,看護婦も職業婦人である,-広義の労働婦人であるということを強調したいのである。

職業としての変遷

 (略)特に,こんどの大戦中の「白衣の天使」の活躍は一般の人々の目には美しいものとして映り,若い乙女たちのあこがれとさえなり,看護婦を普通の職業婦人とは違った存在としてクローズアップしたのである。しかし,敗戦とともに「白衣の天使」への熱も一時に冷め,臨時に看護助手として養成された人たちも家庭に帰り,看護婦の志願者もぐっと減って急に増えた病人のために看護婦はいたるところで不足がなげかれている。
 そこで,なぜ,婦人が,平時にもっとこの婦人にふさわしい看護婦の仕事に進出してゆかないのだろうか?という疑問がおこる。私たちは美しい「博愛」の仕事をする看護婦たちが現実におかれている状態をここに分析してみなければならない。そうすることこそ,婦人が看護婦の仕事にすすんでゆくことを妨げているものが何であるかを解明し,看護婦の職業としての地位を高めるための参考となるだろう。
 前にも述べたように,看護婦もまた労働婦人である。広義で労働婦人といえば,医師,教師,新聞記者などの専門的職業から,工場労働婦人,雑役婦あるいは家事使用人までもふくめた,およそ働いて報酬を得るすべての婦人を意味する。この意味で看護婦も労働婦人である。看護婦がもし労働婦人と呼ばれることをいやしめられたと感じるなら時代錯誤である。看護婦はその仕事の使命を自覚すると同時に,また働く婦人としての当然の権利を自覚すべきである。

看護婦の婦人の職業中に占める位置

 (略)ところがこの数的に優勢な看護婦の職業としての地位はどうであろうか? 社会はこれまで看護婦を専門的職業として高く評価してこなかった。その一番の原因は,聖ルカ専門学校や赤十字病院看護婦養成所を出た一部の看護婦をのぞいて,教育程度が低く,その数が多かったことにある。町医者の家に見習に住みこんで1年くらい仕事の余暇に講習に通い,受験して資格をとるといった低い看護婦が多かった。したがって雑役婦のましなもの位の印象をあたえるものも少なかった。また,極度に営利を目的とした派出看護婦会の発達により,無免許の看護婦(準看護婦)などもさかんに派遣され,女中まがいの仕事をするものもあったので,一方に非常に高い少数の看護婦があったが,他方には質の悪い多くの看護婦が名声をおとしていたのである。そんなわけで,一般には,看護婦といえばあまり高尚な仕事でないような観念が植えつけられてしまい,看護婦が婦人の適職として婦人の職業の中に当時占めるべき地位にいなかった。そして今日もなお,その地位が完全に認められるに至っていない。(略)

結婚後仕事がつづけにくいこと

 最後に,看護婦の職業のハンディキャップは,結婚以後つづけにくいことである。看護婦は夜間勤務,深夜作業などがある関係で,大抵病院附属の寄宿舎に生活することが条件となっているので,結婚後も仕事をつづけることが困難である。しかしながら結婚してなお,仕事のつづけられるのは,工場看護婦,学校看護婦,保健婦,派出看護婦などの一部で,通勤できるものだけであって,病院看護婦の場合はむつかしい。ふつう,看護婦の大部分は養成所を出て看護婦になってから3年以内で結婚するから,独身を条件としていたり,寄宿舎生活を強要されることは,専門職として,婦人は看護婦を選ばないだろう。
 現在,看護婦免許状所有者が約18万あるうち,実際に働いているものが8万~10万ぐらいと推定されているが,実働者でない婦人の中にも,もし家庭生活と両立させることができるなら,働きたいというものもあることと思う。そこで,看護婦の通勤制を要望したいのである。養成所や学校で訓練中の看護婦生徒は寄宿舎制度によるほうがよいが,一人前の看護婦になったら寄宿舎の集団生活を強要されないですむものであれば,看護婦は婦人の職業としてもっと恒久性をもつだろう。それには,看護婦数が充分あって,交代制が確立されねばならない。理想を言えば,4交代制が確立され労働時間もずっと短くなるなら,病院看護婦の通勤制も普及できるだろう。そうすれば家庭にある看護婦も職場に出るだろうし,また今後専門看護婦の教育を受けた高級な看護婦たちが結婚してなお,その生涯を「博愛」の仕事にささげることができる。
 結婚してもなおつづけることができる  それは,婦人の専門的職業に欠くことのできない条件である。結婚生活を営んで,自分自身の子どもをはぐくみ育てつつ,母性として成長した婦人がよき看護婦として成長するのである。新しい看護婦制度は専門看護婦の年齢を必然的に高めるであろうから,仕事と結婚とを両立させる方法を講じておかなければ,看護婦志願者は社会の需要を充すようにたくさん出てこないだろう。もう1つ通勤制とともに考えてよいのはパートタイム制だと思う。米国では戦時中不足した看護婦の需要を充すのに,パートタイム制を採用して,家庭にひっこんでいる看護婦免許状所有者を,広く引き出した。中には相当高齢の婦人たちまでパートタイムの看護にしたがったのである。労働力の不足を補う必要から,家庭婦人のパートタイム勤務を奨励した例は,日本にもたくさんある。(略)

看護婦の労働条件を保障せよ

 現在看護婦の全国的組織としては,日本助産婦保健婦看護婦協会がある。この協会は昭和21年11月設立され現在会員約2万余であるが,その目的とするところは主として助産婦,保健婦,看護婦の特性,専門的知識や技能の向上および会員相互の親睦を図ることにある。設立後間もないので多くを望むのは無理かもしれないが,参加会員の自主的活動がほとんどみられない。これはもっともっと民主的な団体に発展すべきであると思うし,技能の向上や親睦だけを目的とするのでなく,看護婦等の労働条件や職業的地位の向上のために活動してよいと思う。看護婦はそれぞれ,ばらばらに大中小無数の病院や診療所に勤めているのであるから。唯一の横の組織である看護婦協会は,看護婦たちの声を集め,その代弁者となってはじめて,すべての看護婦の信頼する団体として発展するだろう。(略)
 看護婦の仕事は「博愛」の仕事であり,奉仕の仕事である。だから,看護婦1人ひとりの幸福は,国民一般の幸福につながっている。それ故に,看護婦が公正な労働条件を得て,よき看護をすることは,国民の保健のために必要である。また全人口に対して何人の看護婦が必要であるかも,国家的見地から考えられねばならない。私たち国民は,看護婦の問題を今までよりももっともっと,社会的な関心をもって見なおさねばならないのである。そして看護婦が社会に奉仕する美しい仕事であればあるほど,彼女らに公正な労働条件を保障せねばならない,と思うのである。