医学界新聞

1・9・9・7
新春随想(3)

一看護職副院長の夢

青木孝子
(公立富岡総合病院副院長)


 「週刊医学界新聞」の新春随想に,看護職副院長が担うものというテーマでの執筆を依頼された。このこと自体,看護職副院長がまだ物珍しく,何をしているのだろう,何を考えているのだろうと,興味ある目で見られていることに他ならない。

学歴社会と看護職副院長

 日本の社会は学歴社会であり,それが全てのモノを計る習慣となっているように思う。そのような社会の中で,全国に働く国家資格を持つ80万人の看護婦は日本の医療の一翼を担っているわけだが,大学卒業者の「%」の低さは他の職種に類をみないのではあるまいか。
 つまり,今まで看護職は学歴とは無縁に「名もなく,貧しく,美しく」といった言葉がぴったりするような労働環境の下で,学歴が囲む社会のことなど深く考えもせず,ただひたすら病める人々の力になろうと努力してきた集団であると言っても過言ではないと思っている。しかし,この大卒者の少なさが,副院長誕生を遅らせていた原因でもあったのではないだろうか。
 ここ数年来,病院の質や経済性が取り沙汰されるようになり,その中にあって病院職員の最大集団である看護職の動向が,それらを左右するだろうと議論され,また注目をされるようになってきた。
 元来,病院という場はそこに働く人の80%を女性が占めてきた。そしてその中で数が最も多い看護職なくしては病院経営もままならず,かつて看護婦不足の時代には病院,病棟閉鎖を余儀なくされたこともあった。看護婦不足ゆえに起こった様々な社会現象は,そう遠い過去のことではない。そんな時でさえ「看護職副院長」ということは聞かれなかったわけであるが……。
 ここに来て,看護職副院長が急増している。単に「流行り」とだけでは言い切れない大きなウェーブはどうして起こってきたのだろうか。

「全国看護職副院長会議」が発足

 昨年6月に,岐阜市において「第1回看護サミット'96」が開催されたが,その中でシンポジウム「看護職副院長のインパクト」が開かれた。全国から5名の看護職副院長が集まり討論を交わしたが,この時からの懸案であった「全国看護職副院長会議」が,11月に発足した。その第1回会議では,各々の就任に至る経過や,現在抱えている問題等が出され,今後の会議のあり方についても話し合われた。
 病院の設置主体も規模も異なり,抱える問題もまちまちではあったが,「何かをしなければならない」という意気込みは,単に看護部長である者との大きな差を感じた。看護職副院長は,1987年以降,88,90,92年に各1名,93年8名,94~96年には毎年各3名と増え続け現在21名を把握しているが,まだ増加中のようである。
 全国で最初に就任された方は,看護専門分野での造詣の深さはもちろんのこと,その他の多くの面での力量もすばらしいものがある。パイオニアとしてのご苦労もかなりのものであったろうと推察されるが,他からの期待に十二分に応えられ,成るべくしてなった副院長であるとの感が強い。
 それに引き替え私は,前述した医療の流れの中で,95年に病院看護職の推薦と,それまでの看護職としての活動が評価されたということで副院長職に就いた。それでも諸先輩の苦労を無駄にせず,これからの看護界のあり方,看護職副院長のあり方などを確立していかねばならないとの責任を感じている。また一時的な「流行り」ではなく,この職を定着させる,つまり院長=医師であることが当たり前のように,副院長=看護職となるために,今何をどうしたらよいのかと悩んでいる最中でもある。
 看護界においては,看護系大学がたくさん開学し,唯一の看護専門職の職能団体である日本看護協会でも専門看護師を誕生させ,認定看護師の養成開始をするなど,看護職のレベルアップは間違いなく進んでいることは確かである。しかし,だからといって看護職副院長の定着につながるわけでもないだろう。

新春の夢

 今,日本中の働く看護職が,自分は何をするべきかの認識に立ち,自らの標を高く掲げる努力を惜しんではならない。とは思うものの,毎日目が回るほど忙しく頑張っている看護職に,もっと何かをしてほしいと望むには,管理職としてはどうしたらよいのだろうか……。
 私の新春の夢は,公立富岡総合病院として,各々のナースが学問,技術,接遇等,何でもよいから「これだけは」と他の人には負けないものを身につけた時,何らかの認定証を出したい,ことである。
 例えば,医師に負けない診断力の達人,排痰の達人,食事介助の達人,トラブル解消の達人等々。グッズ流行りの中,可愛くて収集したくなるようなバッヂを渡し,白衣の飾りにする。また,リーダーはその認定の試験官となるために,さらなる力量アップをめざし互いに切磋琢磨し合う。
 春秋に行なわれている叙勲ではないが,可愛らしいバッヂを集めながら自らの力をつけられるようになれば,他職種からも認められようになり,個人としてもまた看護集団としても楽しく働ける環境となるのではないだろうか。そんな夢を見ている。