医学界新聞

1・9・9・7
新春随想

23年目の変身-殺戮者から保母へ

赤塚祝子(横浜市立市民病院)


 血液内科を専攻してから,あっという間に23年が過ぎた。
 23年前は,急性白血病は不治の病とされ,5年生存できる成人の患者さんがほとんどいなかったせいか,血液内科はネクラでマイナーなイメージが強く,研修医の間ではまったく人気がない部門だった。華やかな循環器や消化器内科を選んだ同級生は何人もいたのだが,血液に進んだのは私1人で,皆から変人扱いされたものである。もともとノーテンキで楽天家の性格から,「いつか必ず,急性白血病は治る日が来る。それまで,頑張ろう」と心に誓って,始めたのだった。250通以上の死亡診断書を出す生活が待っていようとは,その当時は思ってもみなかった。
 夥しい「死」を見取る一方で,何人かの治癒したと思える患者さんが出始めたのは,10年位経った頃だろうか。以来,年ごとにその数は増え続けている。ただ,非常に残念ながら,どんなに治療法を工夫してみても,寛解に導入できず,酷い副作用に苦しんで,亡くなってしまう人が多いのも事実である。
 これまでに行なわれてきた急性白血病の治療法は,スキッパーらの提唱した「total kill cell」という言葉通り,すべての白血病細胞をできる限り早く殱滅させるというものであった。たった1個でも生き延びれば,いずれ再発して,結局は治療抵抗性となり,患者さんは死を免れ得ない。
 20年以上の間,全世界の血液専門医はいくつもの抗白血病剤を組み合わせ,より早くより強い治療法を編み出すことに専念してきた。クリーン・ベッドの導入や血小板輸血の確保などの支持療法の進歩が,過激な治療を可能にし,私自身何も疑問を抱かずに,細胞の殺戮を図っていたのである。
 去年の6月,私は1人の急性骨髄性白血病患者さんに対する次の治療をどうしようかと,迷いに迷っていた。44歳の女性で,とても我慢強く,過酷な治療に果敢に耐えてはいたが,クリーン・ベッドでの生活が4か月にもなるというのに,白血病細胞が全然減らないのだった。
 一緒にやっていたドクターが辞めた後,6月から勤務に就いた亀田ドクターが,「分化誘導療法をやってみませんか?」と言う。彼は前の病院で,高齢の患者さん数人に,この治療法を行なって,数か月ではあるけれども,一応外来診療が可能となったのだそうだ。この治療は,少量のキロサイドという抗癌剤とG-CSF(白血球を増加させる薬)を2~3週間位投与し,白血病細胞を分化させて,自滅するのを待つやり方である。平たく言えば,不良を早く大人にして,自殺させちゃえという方法だろうか。つまり,殺戮を止めて,保母さんのように,悪い細胞が育つのを見守っていれば,やがてヤツラは姿を消して行き,病気が治るというわけだ。
 私は心の中で「そんなにうまく行くはずがない」と思ったが,亀田ドクターの自信満々の様子に押され,ともかく患者さんに話してみることにした。病名は告知していたので,彼女はいともあっさりと「分化誘導療法」を受けたいと希望した。治らないのなら,どうせ死ぬのなら,これ以上の強い治療で苦しむのはもう嫌だと言う。
 分化誘導療法を始めて数日後,以前の化学療法に因る酷い口内炎は,みるみる綺麗になった。大人の白血球がどんどん出てきたからだった。彼女はクリーン・ベッドから解放され,6月末には退院することができたのである。もちろん,骨髄にはまだ少し悪い細胞が残っていたため,外来での治療を続ける必要があったが。その後,もう1人の患者さんにも,同じ治療を行なって寛解が得られた時,半信半疑だった分化誘導療法の効果を,私ははっきりと認識した。「患者さんに苦痛を与えず,楽に治る,こんな治療法もあるのだ」。
 23年間慣れ親しんだ殺戮者から,保母への変身はぎこちなく始まった。新しい年を迎えて,急性白血病の治療がさらに進化するよう,心から祈りたい。

(付)分化誘導療法を私に紹介した亀田ドクターは,11月1日に急逝された。ご冥福をお祈りする。