医学界新聞

1・9・9・7
新春随想

常識としての日本の医療

池上直己(慶応義塾大学教授・医療政策・管理学)


 医学部の6年間にわたって自然科学としての医学について,消化不良をおこすほど多くを学ぶ。しかし卒業してからは,医学を社会で実践するためには医療の仕組みについていやがおうでも学ぶ必要がある。その理由は,医療保険制度があって初めて医療があり,毎日の診療はその制約下で行なわなければならないからである。
 ところが,一般に医師は保険を煩わしい存在としてしか認識せず,それがどのような構造を呈しているかはあまり疑問を持たない。また,毎日働いている病院や大学医局が,どのようにして現在のような姿になったかについても関心がうすい。そして,医療について語る際には,自分が接した患者や保険の矛盾に留まる傾向がある。
 ところが,こうした主観的な体験から離れて,客観的に医療問題を捉えようとすると,2つの山が立ちはだかっている。1つは法制度の山であり,もう1つは統計の山である。
 前者についていえば,医療には無数の法律や規則があり,さらにそれらが実際にどのように運用されているかを理解する必要がある。一方,後者についていえば,医療の統計はたちまちにして電話帳大の厚さになってしまう。たとえば,ある病院の実態を知ろうとすると,内科や外科の診療科別に患者数を見るだけでは不十分で,性,年齢,病気についても把握する必要がある。そして,これらのデータに医療費を合わせると膨大な集計表が作成されてくる。
 こうした2つの山を乗り越えるための道しるべとして,『日本の医療:統制とバランス感覚』(中公新書)を昨年の8月に出した。日本の医療の全体像をできるかぎり読みやすい形で解説するように心掛け,歴史的な経緯を踏まえて,なぜ現状のような姿になったかを解き明かすことに重点をおいた。そして,全体を貫くテーマとして,だれしもが関心がある「医療費」とした。
 共著者はアメリカ人の政治学者であるキャンベル教授であり,初校は2人で分担して英語で書き,それを互いに何回も読み合わせ修正を重ねた。そして,出来上がった英語の原文を日本人向きに書き直したのが前述の書である。実は,英語で当初書かれたことが多少でも読みやすくできた一因であると自負している。というのは,日本語であれば医療界にしか通じないような用語を知らず知らず使ってしまい,読者が理解しにくくなるからである。
 このような企画を思い立ったのは,アメリカが医療改革を行なう上で日本を1つのモデルとして提示したかったからである。日本の医療は国内では評判がよくないようであるが,国際的にみれば決して悪い成績ではない。まず,日本では高騰していると信じられている医療費は,主要先進諸国のなかでは英国に次いで低く,また平均余命などは世界最高の水準である。これに反して,アメリカの「医学」は最高であるが,アメリカの「医療」は医療費の高さの点からも(日本の2倍),国民の6人に1人は保険に加入できない状況からしても最低かも知れない。
 もちろん,日本の医療にも質の問題や不十分な情報の開示を始め,多くの問題を抱えている。これらについては率直に言及し,その改革案も提示したが,日本の医療制度の骨格は今後とも維持する必要があると考えている。現在,規制緩和が広く叫ばれているが,医療は国民の権利として基本的には平等なサービスが約束されるべきであり,そのための担保がとられて初めて効率化するための方策をとるべきである。
 ともあれ,日本の医療についての医師や医学生の理解を高めていただくことが本書の最大のねらいであり,超高齢社会に直面したわが国において,新しい医療政策を展開する上での1つの指針になれば幸いである。