医学界新聞

 Nurse's Essay

 貴女のほんとうの専門は? 久保成子


 1996年も余すところわずかになった。今年も,看護学校,看護関係研修会,そして市民講座などの講師をお引き受けして,多くのことを学ばさせていただいた。 そうした中で,話をする対象を越えて,1つの共通する問題が浮かび上がったことは興味深い。
 結論から言うと「看護婦さんの,ほんとうの専門は?」という市民講座での質問に集約されるところのもの。
 「臨床実習で出会った先輩(看護婦)が,すごく変わってしまっていてショックだった。まるで医師の助手的仕事師に見えた。私たちも卒業後,あんなふうになってしまうのでしょうか?どうしてそうなるのか教えて欲しい」と学生の澄んだ瞳が潤む。
 「どうがんばっても,1人ひとりの患者さんを見据えたケアができない。現在の総合病院の多忙の中では…」と研修生。
 疑問や悩みはこの数年来投げかけられてきたもので新しい問題ではない。ただ医療・看護・福祉といった三者概念が社会的な見方になってきていることを市民講座で感じられたことは新鮮だった。
 疑問,質問は対象によって私の考えを提示するその仕方は異なるにしろ,共通していることは,欧米諸国との比較において,看護婦の数が極端に少ないこと,看護婦も人並みの休息,ゆとりのある生活が保障されねばならないことである。 看護の役割はその大半が医療の場で果たされており,看護料は医療費の中に算入されている。そして,現在の日本では医療費削減計画が進みつつある。しかし医療費削減と欧米並みの看護婦数とは矛盾しない。
 例えば,医療費削減の一端としての欧米並みの入院日数短縮を行なう場合,欧米並みの看護婦数があって初めて可能となることである。入院日数短縮には,看護婦の行き届いたケアリングが必要であるからだ。このところを一番理解してくださったのが市民,学生であったことは心強かった。
 この課題は是非果たしていかねばと考えている。どうか皆様,よいお年をお迎え下さい。