医学界新聞

オランダにおけるプライマリ・ケアの教育

卒前教育に対する家庭医の関わりを中心に

伴 信太郎 川崎医科大学助教授・総合臨床医学教室


 今年はシーボルト生誕200年にあたる年である。だがそれ故に「オランダにおけるプライマリ・ケアの教育」について書こうとしているわけではない。
 オランダは,イギリスと並んで家庭医(general practicioner:GP)の養成システムが世界で最も充実している国の1つである。しかし,世界の家庭医について紹介した本1)にもその記述はなく,私の知る限りでは山田の紹介文2)がその一端を伝えているだけである。ましてや教育へのGPの関わりについて述べたものは皆無である。
 先般オランダで開かれた国際学会の際,学会が行なわれたリムバーグ大学のDepartment of General Practiceおよび以前からの知り合いのSpringer教授が主宰するライデン大学Department of Family Medicineを訪れる機会があり,オランダのGPが医師の卒前・卒後教育に大きな役割を果たしていることに大変感銘を受けた。本稿ではオランダにおけるプライマリ・ケアの教育について,主に卒前教育におけるGPの関わりを中心に紹介してみたい。今回の主な情報は,リムバーグ大学とライデン大学の2校に関するものである。
 日本が江戸の時代にシーボルトから学ぶところが多かったのに劣らず,現在のオランダのプライマリ・ケア教育には学ぶべき点が多い。

オランダの医療システム

 オランダの人口は約1450万人で,8つの医科大学があり,毎年の卒業生は1500人余りである。医科大学はすべて国立で,補助金等でのいわゆる大学較差はない。医師数は約2万人で,そのうち約6000人がGPである。
 オランダの医療システムにおいて,GPは“gate-keeper”(門番)役を果たしている。すなわち,住民は必ず1人のGPに登録され(GPは平均約2500人ほどの登録患者を持っている),何らかの健康問題が生じた場合には,住民はまずGPを訪れる。どのGPを選ぶかは住民の自由で,通常1つの家庭のメンバーは同一のGPをかかりつけにする。
 もしGPが,自分の守備範囲を越えると判断した場合には,2次医療レベルのgeneral specialist(一般外科医,一般内科医等)へ紹介する。さらに2次医療レベルの後方には3次医療レベルのsuper specialist(胸部外科医,内分泌内科医等)が控えている。しかし,住民はGPの紹介なしに“general specialist”や“super specialist”を受診することはできない(厳密に言えばできないわけではないが,そういう受診の仕方をすると保険がきかないのでほとんどの住民はまずGPを受診する)。
 このようにGPは医療現場で大きな役割を演じているが,卒前・卒後の医学教育でも重要な役割を果たしている。本稿では,このうち主にGPの卒前教育への関わりについて述べる。

卒前教育に対するGPの関わり

 リムバーグ大学では,Department of General Practice(以下DGP)が全カリキュラムの11.1%に関与している。オランダの医科大学は6年制で,最後の2年間はクリニカル・クラークシップ(医療チームの一員として患者診療に加わる臨床実習の方法)である。この大学では,最初の4年間(preclinical period)は小グループによるproblem-based learning(PBL)が行なわれている。DGPのスタッフは,このすべての過程に関わっている。
 一方ライデン大学では,最初の4年間はPBLではなくブロック講義の伝統的なスタイルを踏襲しているが,各ブロックにDGPが関与して,それぞれの領域でのプライマリ・ケアにおける症候の現れかた,疫学的な頻度,それぞれの場面で求められる家庭医の対応等の講義を担当している。
 このように,革新的カリキュラムか伝統的カリキュラムかの差はあるが,いずれの大学においてもpreclinicalの段階からGPが卒前教育に深く関わっている。この背景には,臨床医学教育は住民のニーズや疾病構造に応じたものでなければならないという方針がある。大学における医学教育で,プライマリ・ケアの内容にも,プライマリ・ケア医の姿にもほとんど接する機会のない日本とは大きな違いがある。以下にリムバーグ大学の卒前教育カリキュラムに対するGPの関わりについてもう少し詳しく紹介をしてみたい。

リムバーグ大学におけるGPの卒前教育への関わり

表 リムバーグ大学におけるGPの卒前教育
  への関わり
1)PBLのテューター
2)選択科目の担当
3)Skills Laboratoryにおける教育
4)GPへのアーリー・エクスポージャー
5)Adoption Programme
6)クリニカル・クラークシップ
 リムバーグ大学におけるGPの卒前教育カリキュラムへの関わりのうち主なものを表に示した。
1)PBLのテューター
 DGPの費やす時間のうち,約16%がPBLのテューターとしての貢献であるが,プライマリ・ケア教育に関する直接の貢献とは少し意味合いが異なると思われるので,ここでは詳述しない。
2)選択科目の担当
 リムバーグ大学のカリキュラムの約17%が選択になっている。これはこの大学の1つの特徴となっているが,DGPの費やす時間のうち約8%が選択科目の教育にあてられている。
3)Skills Laboratory(Skillslab)3)
 リムバーグ大学には,医療面接,身体診察,基本的な検査手技(静脈穿刺,末血標本の作成と検鏡等)を系統的に教育するSkillslabと呼ばれる施設がある。このような施設がある背景には,「医師は本物の患者さんに触れる前に,十分な技量を身につけているべきである(患者さんを実験台にしてはならない)」という臨床医学教育に対する姿勢がある。そのためには,5年目からのクリニカル・クラークシップまでに基本的な臨床技能のトレーニングをしておく必要があるというわけである。
 そのためのステップとして,
(1)まずモデル(模型)でやってみる。
(2)次に学生同士でやってみる。
(3)さらにはSP(simulated patient, standardized patient:標準模擬患者)を相手にやってみる。
(4)最後に実際の患者さんを相手にやってみる。
という4段階のうち,第3段階までをこのSkillslabで行なっている。
 GPのSkillslabへの関わりについてみてみると,例えばここで行なわれる医療面接の症例には主にGPの診療所での症例が使われている。また,トレーニングには各科から教員が参加しているが,DGPは全体の約15%の教官を提供している。
4)GPへのアーリー・エクスポージャー4)
 1年目の学生に対する5日間のプログラムである。学生は,2日間をGPとともに過ごし,さらには保健婦,ソーシャルワーカー,ヘルパーともそれぞれ1日ずつ過ごす。それぞれの職種の仕事の概要を知ることが,このプログラムの目標である。
5)Adoption Programme
 このプログラムは,1年次のアーリー・エクスポージャーから6年次のクリニカル・クラークシップまでの時間的なギャップを埋めるために設けられている。この間にも上述したようにDGPは各ブロックの教育に何等かの形で関わってはいるが,GPの現場との関わりは途切れてしまうので,その間にもGPとの接触の機会を持ち続けることができるように意図されている。2~4年次までの3年間に計8回,それぞれまる1日をGPとともに過ごす。1日の具体的な研修内容は以下の通りである。
(1)GPの診療見学
 インタビュー,身体診察,診断仮説の立て方などを中心に診療を見学する。
(2)実習
 診療見学で診療現場に関するオリエンテーションが済むと,今度は学生が数人の患者さんのインタビューないし身体診察を行なう。
(3)在宅訪問
 在宅医療を受けている家庭を訪問して,病(やまい)が患者・家族にどのような影響を与えていて,それぞれがどのような思いでどのように対応しているのかをつぶさに見る。
(4)診療の評価
 例えば,どのような患者がどのような目的のために精神安定剤の投与を受けているかについてなど,日常診療でよく遭遇するテーマについて簡単な調査・研究をしてみる。
(5)GPとともに1日をふりかえる
 毎回1日の締めくくりとして,GPとその日の実習をふりかえって1時間ディスカッションをする。
6)クリニカル・クラークシップ4)
 6年目には10週間のGPのクリニカル・クラークシップが必修となっている。DGPで費やす時間のうち約35%があてられている。この目標は,それまで各科のクリニカル・クラークシップで学んできた知識,技能,態度の集大成的な役割に加えて,プライマリ・ケアならではの目標として,(1)プライマリ・ケアの場における臨床疫学的な特徴(症候の特徴・頻度,病因の特徴・頻度など)を知る,(2)身体・心理・社会的な角度から全人的なアプローチをする,(3)プライマリ・ケアの場では,様々な訴えや問題に対してどのような対応がなされるのかを知る,などの目標が掲げられている。
 このクリニカル・クラークシップの特徴は,次の6つに要約される。
(1)1人のGPに1人の学生がつく。
(2)1週間に少なくとも15人の患者の診療をする。
(3)その日診た患者のカルテをもとに各症例について検討を行なう(毎日)。
(4)毎日の診療の中から自習課題を見つける。
(5)週に1日は大学に戻って小グループ学習を行なう。
(6)大学の教員と学生を受け持つGPは,密接な連絡を保つ。
 こうして見てくるとわかるように,現場のGPたちが教育に大幅にタッチしており,DGPはその教育のオーガナイザーの役割をしている。そして現場のGP教師は,教育にかける熱意を基準に選ばれ,加えて教官としてのトレーニングを受ける。
 あるGP教師は「たしかに学生が診療所に来ている時はうんざりする時もあるのだけれども,いなくなると次の学生が待ち遠しくなるんだ」と語っていた。彼らは,自分の仕事に誇りを持ち,その仕事を若い人たちに教えることを楽しんでいるようであった。

おわりに

 プライマリ・ケアの場では,高次医療の場におけるものとは極めて異なった症状,徴候,患者・家族の解釈モデル等に遭遇する。そこで求められる知識,情報収集能力,技能,態度,総合的判断力(これらを総称して“臨床能力”と呼ぶ)は,必然的に高次医療の場で求められるそれらとは著しく異なる。しかるに,今日の日本の医学部においてこれらのプライマリ・ケアについて学習する機会はほとんどなく,またプライマリ・ケア医の役割モデルに接する機会もほとんどない。
 川崎医科大学においては,6年生の総合診療部の臨床実習の期間に,必修としてこうしたプライマリ・ケアに接する機会を1995年から設けている(本紙2206号)。まだ2泊3日の短期間ではあるが,そこでは学生は「個人・家族・地域を視野にいれたアプローチ──生活の場における医療」に新鮮な感激をもって接している5)。オランダは,今後こうしたカリキュラムを充実させて行く上で大変参考になるお手本を提供してくれている。


参考文献
1)紀伊國献三,濃沼信夫,北井暁子(監訳):世界の家庭医,日本医事新報社,1986.
2)山田隆司:Primary Care, spring, p3, 1995.
3)Dalen, J. van.: Skillslab, a center for training of skills, In Vleuten, C.P.M. van der, Wijnen, W.(eds):Problem based learning: Perspective from the Maastricht experience, Amsterdam, Thesis, 1990.
4)Crebolder, H.F.J.M. and Metsemakers, J.F.M.: General practice, medical education and community-based teaching: The Maastricht experience, Annals of Community-Oriented Education, 7, 121-129, 1994.
5)伴信太郎:統合教育の形態とその相互関係:実習-プライマリ・ケア院外実習,医学教育,27, 285, 1996.