医学界新聞

 連載 イギリスの医療はいま

 第8回 女性による女性のための出産

 岡 喜美子 イギリス在住(千葉大学看護学部看護学研究科修了)


 いろいろな不平不満の聞かれるイギリスのNHS(国民医療制度)の中で,唯一よい評判を勝ちとっているのが出産である。食事がまずい,眠れないなどといった入院環境に対する批判はあるが,妊娠中の検診,検査,出産準備教室,入院,出産,授乳指導,産後の家庭訪問,家族計画まで,非常に高い水準で,しかも無料で提供されるのだから,少々病院食がまずかろうが,一晩くらい不眠になろうが,99%の英国女性がNHSで出産するのは当然である。
 イギリスの周産期医療は統計的に見ても水準が高いが(例えば妊産婦死亡率は日本の半分以下),それ以上に評価できることや学ぶべきことが多々ある。できればすべてをお伝えしたいが,紙数に限りもあるので,特に日本と比べて違いの大きい以下の2点についてレポートしたい。

妊産婦の権利の保障

 数少ない例外を除くと,日本での出産は常に医療者側が主体となって行なわれているように思われる。必要もないのに陣痛誘発剤や促進剤を使ったり,夫の立会い出産を禁じたり,詳しい説明をせず,投薬,ガス麻酔など一方的に事を進め,母乳育児を希望しているのに安易にミルクや糖水を与える。もしイギリスでこんなことをしたら妊産婦の権利の侵害であると訴訟になってしまう。
 イギリスで妊産婦の権利としてあげられているのは,助産婦,産科医,小児科医に会う権利,自分のカルテを見る・所持する権利,検査や治療に関して説明を受ける権利,妊娠中の生活についてアドバイスを受ける権利,その他病院での待ち時間から出産のスタイル,新生児のケアに至るまで,多くの権利を定めた条項がある。これらの権利は女性たちが自分と子どもを守るために1つひとつ勝ちとってきたものである。
 そしてこれらの権利を保障するために,医療関係者は妊産婦に対し徹底的に説明や話し合いをする。そして最後に決定を下すのは妊産婦自身である。イギリスで出産した日本人は,このような医療関係者の態度に感激し,「日本と違って人間として扱われている感じがする」と一様に述べている。

助産婦主体の周産期医療

 日本では出産というと医療との関わりが深く,産科医の管理のもとで行なわれることが多いが,イギリスでは妊娠出産をもっと自然で日常的なこととして取り扱っている。そこで周産期医療に関わるのは,妊娠中の検診から出産介助,産後の家庭訪問に至るまで,ほとんど助産婦が主体である。出産の介助をとってみても日本では97%が医師によるものであるが,イギリスではわずか24%である。
 そこで私個人の経験を持ち出すと,高年初産,34週目で破水,その後10日間自然放置した上で陣痛誘発剤を使って出産に臨むという,決して正常分娩とは言えないケースであったが,助産婦が中心となって最初から最後までつきっきりで援助してくれ,無事に出産することができた。医師が分娩室に入ってきたのは無痛分娩のための硬膜外麻酔注射(麻酔医)と心音が乱れた時(小児科医),会陰縫合の時(産科医)だけであり,医師を呼ぶのも助産婦の判断である。
 健康な妊婦で正常分娩だった場合,一度も産科医に会わなかったという人も多い。早い人は出産後3時間で退院することができるが,退院後は産後10日目まで地域助産婦や保健婦が家庭訪問してくれるので心強い。
 さらに開業助産婦も少数ながら活躍している。普通のNHSでの出産は,産前産後に関わる医師や助産婦が毎回違う場合が多い。しかし開業助産婦の場合は妊娠から出産,産後まで1人の助産婦が一貫してケアをする。そして彼女たちは妊婦の希望する場所(自宅,バースセンター,私立・公立病院)で,希望する出産スタイル(水中出産,無痛分娩など)で出産ができるように援助する。これは究極のプライマリナーシングケアであり,きめ細かなサービスを提供してくれるので好評ではあるが,開業助産婦にはNHSが適用されないので有料となる。私立産院ほどではないにしても,一般庶民には手が届かないのが残念である。
 ともあれ,助産婦が出産のイニシアティブをとっているのは大変よいと思う。妊産婦の意思を尊重し,なるべく薬や外科的手法を使わず,自然に逆らわず,忍耐強くお産を進めていくためには助産婦の関与が不可欠である。妊産婦を対象にした調査でも,正常分娩の場合,産科医よりも助産婦のほうがよいとほとんどの人が現在の出産方法を支持している。専門職としての自信に満ちた助産婦の姿に頼りがいを感じるのは私だけではなさそうである。