医学界新聞

 Nurse's Essay

 「食を考える」 八谷量子


 現代はグルメの時代といわれている。行列のできるレストランの前で,皆辛抱強く待ち続けるのは,空腹を満たすことよりも,好奇心を満たすためである。戦後の食糧難を少しだけ体験した世代としては,まったく夢のような話である。しかし,本当に美味しいものが食べられるようになったかというと,いささか疑問である。
 確かに巷には,食料品が満ちあふれている。日本にいながらにして,世界中の料理を味わうこともできる。その一方で,中華料理から浅漬けの素まで,ありとあらゆる料理のインスタント化が進んでいる。
 「家庭でも手軽にできるプロの味」などと称し,テレビのCMは幻想を煽り立てる。でも,よく考えてみると,本当に美味しいものが,そんなに簡単に作れるはずがない。手軽さを求めるあまり,己れの手抜き料理を正当化しているだけのことだと,大半の人たちは内心感じていることだろう。
 けれどもやめられない,そこが問題だ。一番怖いのは,食材本来の持つ微妙な味がわからなくなることである。化学調味料たっぷりの画一的な味に舌が慣らされ,それが旨味だと思いこんでしまう危険性があるからだ。
 子育てをする場合,この問題を親が真剣に考えるかどうかによって子どもの味覚が決定する。知り合いに数人,子どもたちには自然の素材中心の,手作りのものしか与えないという母親たちがいる。食品の安全性と家族の健康を考えると,自然にそうなったのだと言う。そこに特別の気負いはない。現代人のグルメ嗜好が本物ならば,これからはこんな若い親たちが少しは増えていくかもしれない。
 手間ひまかけた料理を作り続けることは,それほど大変なことではない。本当に美味しいものが食べたい,食べさせたい,という情熱さえあれば,少々の失敗も苦にはならない。手軽さや便利さと引き替えに,自分自身の舌を失うような愚は避けたいものである。