医学界新聞

アメリカで医学教育を受けて-

スタンフォード大学内科レジデント

赤津晴子氏インタビュー



 赤津晴子氏は,日本で哲学・生物科学を学び,その後渡米してアイビーリーグの1つブラウン大医学部に入学。卒業後,現在はスタンフォード大の内科レジデントとして臨床に携わっている。
 さきごろ,赤津氏が同大医学部での学生生活を綴った『アメリカの医学教育―アイビーリーグ医学部日記』(日本評論社)が出版された。この本は,医学書院発行雑誌「medicina」に赤津氏が1994年から連載した「アメリカ・ブラウン大学医学部在学日記」がもとになっている。本紙では,出版にあたって一時帰国した赤津氏に,医学部での学生生活の印象,今後の予定などをうかがった。

ブラウン大医学部での学生生活

 -先生は日本の大学で哲学を,大学院で生物科学を専攻し,その後渡米して医学部に入学した経歴をお持ちですね。アメリカでは4年制の大学を卒業後に医学部に進学しますが,それについてどのように思われますか。
赤津 18歳の時点で将来の目標がはっきりしている方もいるでしょうし,私のように何をやりたいのかが漠然としている人間もいると思います。学部の4年間を経て,考えが成熟してから医師になりたいかどうかを決定するアメリカの制度も,とてもよいものだと思います。
 -ブラウン大のクラスメイトには,医師になりたいという気持ちの固い方が多かったのですか。
赤津 クラスメイトは皆非常に熱意にあふれていました。医学部入学以前の学部での専攻も多様ですし,学部卒業後社会に出てから入ってくる方もいます。そういう意味で本当に様々な経緯を持つ人が,最終的には医師になるという強い熱意を持って集まってきているという印象を受けました。
 -先生は日本にいるとき,例えば大学受験の時に,医学部に進もうと考えたことはありましたか。
赤津 まったく考えなかったわけではないのですが,その時点では,それを具体化するべく活動したり,もう少し詰めて考えたりすることはありませんでした。
 -お祖父様が医師でいらしたそうですが,医師という職業への親しみはお持ちだったのでしょうか。
赤津 ええ。医師になった友人もたくさんいましたし。自分は医学部の外にいながら比較的医学部の友人が多かったほうかもしれません。
 そもそも「medicina」に連載させていただいたのは,ブラウン大にいたときに,医師になった友人や厚生省の方から「アメリカの医学教育はどうなっているのか」という質問を度々受けて,案外知られていないんだなあという感想を持ち,じゃあ少し書いてみようかと思ったからなのです。
 -日本で医学教育を受けて,研修医や研究者としてアメリカに行く人のレポートはありますが,学生主導型グループ学習法の導入など,1980年代から変わりつつあるアメリカの医学教育を直接体験した方の話を伝えるものはあまりないようです。
赤津 そうですね。アメリカの医学部は,外国人に対して非常に門戸を閉ざしていますから。それは日本人に限らず,外国人一般の受け入れが少ないということです。見回してみると,世界各地に,またありとあらゆる分野で日本人留学生を見かける昨今ですが,ことアメリカの医学部に関しては,いま言った理由で少ないようです。

学ぶことの面白さ

 -では4年間ブラウン大学で医学教育を受けた印象をお聞かせ下さい。先生の著書を拝見して,学生の生活は非常にハードだけれども,カリキュラムやサポート体制といった面で,ぜいたくなくらい充実しているという印象を受けたのですが。
赤津 非常に密度の濃い4年間でした。いろいろな意味で本当に学ぶことが多く,このような貴重な体験ができたことを大変ありがたく思っています。
 -医学部の4年間は,かなりハードなスケジュールですね。特に最初の2年間では,後半2年間の病院実習に必要な知識を身につけなければいけない。
赤津 ええ。ものすごい学習量でした。しかし,一度医学部に入ると,その後は学校側が必死で面倒をみてくれます。家庭教師を斡旋してくれたり,きめ細かに指導をしてくれ,留年はさせても切り捨てることはしません。
 -4年間を通じて,先生ご自身がつらい思いをされたのはどのようなときですか。
赤津 若くなかったので(笑),体力的にきつかったです。万年睡眠不足になってしまって。でも,それを超えてもやはり本当に面白い毎日でした。学んでいることの面白さとエキサイトメントが常にあったので,やめたいという気持ちになったことはありません。面白いことをやっているときは多少つらくても忘れるでしょう。
 また,教官やレジデントの方が非常に熱心に教えて下さると,こっちもそれに応えたいという気持ちがあります。
 -学生からの評価はどのようになされるのですか。
赤津 厳密なエバリュエーション・シートというものがあって,授業でも臨床実習でも,何か終わるたびに必ず教官とコースの評価をします。それも,あの先生はよかったですかというような抽象的なものではなく,具体的に「不平等な評価をしなかったか」などの事細かな質問があって,それを10段階くらいで評価します。
 それ以外に記述方式で,「この教官の一番の強みは何か」,「一番改良すべき点は何か」,「もう一度この先生につく機会があるとしたら希望するか」などの項目があり,これらのアンケートは全部コンピュータで処理されます。その結果は成績が出るまでは教官にはいきませんし無記名ですから,自分の成績に影響することはありません。結果は学生課で公開もされます。
 -教官は,研究の成果と教育の成果を同じぐらいの比重で尊重しているのですか。
赤津 比重に関しては,一概に同じとは言いにくいかもしれません。部署によっても大学によっても違いますし。一般的に教育の比重は研究よりは少ないと思います。ただ,教育の占める割合が少なくても,それがあるレベル以上の質を維持していなければ駄目です。

すべてが蓄積になっている

スタンフォードでの毎日

 -医学部卒業後の就職先決定システム(マッチング:第三者機関を通して研修先を決める)は,日本にないことですね。
赤津 研修先決定に関しては,競争率は高いけれども非常にフェアだと思います。そのためにコンピュータを用いたこのマッチングシステムが存在します。
 -現在先生は内科レジデントとしてスタンフォード大の学生の指導もなさっているのですね。レジデントの生活もハードなものですか。
赤津 そうですね。また,当然ながら責任が重くなりました。患者さんに対する責任のみならず,医学生をきちんと指導する責任も重いのです。医学生を毎日スーパーバイズして教えなくてはいけないので,いままで教わっていた時間が教える時間に代わりました。しかも教えるためには準備と自分の勉強がとても大切です。
 学生のときには,レジデントはすごく上の存在に見えました。いまその立場に立ってみると,教えるのが好きなこともあってとても楽しいですし,非常に勉強になります。それもわれわれのトレーニングの一環なのですが,教えることを通してどれだけ勉強していくかは,いまの生活で非常に大きな要素の1つです。

プライマリケアの魅力

 -今後のことですが,内科の中で専門を絞ることはお考えですか。
赤津 私はプライマリケアをやりたいので,できるだけジェネラリストでいたいと思います。いま医学の知識は非常に膨大で,拡張していますから,1つの分野に絞っても理解しきれない面があります。したがって,優秀で有能なジェネラリストであるということはとても大変なことですが。
 幸いに,いまはよい環境にいて,先輩にも同僚にも後輩にも,尊敬できる医師がたくさんいます。確かにスタンフォード大は専門色の強い病院ですが,「本当によいジェネラリストになるためには,各専門科がきちんとしている病院でトレーニングを受ける必要がある」と内科レジデントプログラムのディレクターであるケソー・スケフ先生がおっしゃるように,20名ほどの同期の内科レジデントの中でも,プライマリケアに進もうとしている人がずいぶん多いです。それはここ最近の傾向かもしれません。いま,プライマリケア医は非常に必要とされていますから。
 -プライマリケアの魅力はどういうところですか。
赤津 患者さんを臓器に分けて見るのではなく,全人格的に見られるということが私にとっては一番魅力です。人間をトータルに見た場合,1人ひとり同じケースはありません。その人の社会的背景なども含めて,いろいろな意味での絆に敏感である必要があり,非常に面白いと思います。

教育,患者の人権への関心

 -レジデントはあと1年ですね。将来のご予定は。
赤津 将来は,有能なプライマリケア医になりたいと思っています。そのためには常に勉強し向上できる環境,また他の人と切磋琢磨していける場にいられればいいなと思います。
 今後,教育に携わっていきたいという気持ちもすごくあります。教育に携わることによって,常に自分が勉強するモチベーションになりますので。
 -プライマリケア以外にも興味をお持ちの分野はおありですか。
赤津 WHOの仕事などにもとても興味があります。また患者の権利やインフォームドコンセントの問題には以前から関心を持ってきましたので,今後も関わっていきたいと思います。

「生命とは何か」を追う

 -先生のご経歴をうかがうと,いくつもの関門をさらりとクリアしているような感じがするのですが。
赤津 そんなことはありません。文科系からいきなり理科系に進んだのも,ずいぶん無茶だといわれました。ただ,昔からどちらかというと理科系のほうが好きでした。「生命とは何か」というようなことを小学校低学年のころから漠然と考えていて。
 哲学を専攻したのも医学部に進んだのも,もとになるものは同じだったのかもしれません。すごく回り道をしてしまいましたけれども,生命に対する興味はずっと変わらずにありました。ただ,回り道とはいっても,無駄だったとは思っていません。振り返って見たときに,日本でいろいろな先生が教えてくださったこと,あるいは自分が経験できたこと,友人から学んだことなど,誰の人生でもそうなのでしょうが,すべてが蓄積になっていると思います。
 -医学を学んだことによって生命観に変化はありましたか。
赤津 人間の死亡率は100%だということが,最近は実感として自分の生命観に含まれています。死というのは,忘れたころに事故のように訪れるものではなくて,はじめから組み込まれたものである  あたりまえのことかもしれませんが。医師として命を救うことは第一だけれども,最後にそれができなくなったら死を許容できる。それを謙虚に認めた上で医療行為をしなくてはいけないのではないかということを最近感じます。
 -では最後に,日本の医学生・研修医に向けてメッセージをお願いします。
赤津 これまでの自分の歩みをふり返る時,どれほど多くの方々に助けられ,支えられてきたかを実感します。限られた一生の間にどのような人に出会えるかによって,その一生はずいぶん違ってくるのかもしれません。
 医師という職業柄,日々多くの方々に接する毎日ですが,その1つひとつの出会いの中で,何かよい影響をまわりに与えられるような生き方が,自分もできるようになりたいと思います。
 -どうもありがとうございました。