医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(5)

品質改善運動

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


 市場原理の荒波に揺れるアメリカの医療界にあっては,病院にしても保険会社にしても「うちは大丈夫」と安心できる企業体は存在しない。筆者が勤めるマサチューセッツ総合病院(MGH)でも,生き残るために必死の経営努力が続けられている。その1つが,品質管理改善運動で,管理部門でそのための専門部署が設けられている。
 品質管理改善(quality control/improvement:QCI)システムというのは,本来アメリカで開発されながらあまり普及せず,日本の製造業で大いに活用され,日本企業の競争力向上に多大な貢献をした。その後,皮肉にも「日本式経営法」の1つとして,アメリカでも競って導入されるようになったことは,読者もよくご存じであろう。
 このQCIが,MGHの経営努力の中にも取り入れられ,定期的に病院内でQCIの報告セミナーが開催されている。今回は7月に行なわれたセミナーの内容を紹介しよう。

患者の満足度調査

 セミナーのテーマは「MGHにおける患者の満足度調査」というものであり,1994年4月から行なっている入院患者アンケート調査の結果を,病院運営改善部部長のモルト医師が報告した。
 アンケートでは,医師,看護婦,日常のケアなどの項目別に,その品質(quality)を「非常に優れている」「よい」「まあまあ」「劣っている」の4段階で評価してもらい,さらに,患者の満足度を判定するために,「自分がまた入院する必要が生じたら,MGHに戻ってきたいか」「家族が入院するときにMGHを勧めるか」という質問をしている。
 さて,その結果であるが,MGHに入院した患者の満足度は非常に高く,70%以上の患者が「また戻ってきたい」し,「家族にも勧めたい」と回答している。ところが奇妙なことに,医療サービスの品質に対する患者の評価はそれほど高くはなく,例えば,MGHのトータルでの医療サービスの質を「非常に優れている」と答えた患者は40%に過ぎない。つまり,MGHの入院患者はサービスの品質に対しては平均的にしか評価していないのに,その満足度は著しく高いのである。おそらくは高名なMGHに対する患者のイメージ・先入観が,高い満足度の背景にあるのではないか,とモルト部長は説明した。
 次に,医療サービスの項目別の品質評価と患者の満足度の関連であるが,「日々のケア」「看護婦」「親身なケア」といった項目を高く評価した患者に満足度が高く,「医師」については,その品質評価と満足度との間の相関はこれらの項目よりは低いものであった。言い換えると,患者の満足度にとっては,「医師」の品質よりも「日々のケア」「看護婦」「親身なケア」がより重要なのである。

満足度と医療の質は相関するか

 患者の満足度評価は,病院だけでなく,保険会社も積極的に行なっている。医療サービスの改善に役立てるというのがその大義名分であるが,この調査の結果が営業部門(marketing department)でも利用されるのは,MGHでも例外ではない。問題は,患者の満足度と,医療の質そのものとが相関するかということであるが,モルト部長は次のような興味深い例をあげていた。
 関節リウマチ,糖尿病などの慢性疾患で,医師の指示に素直に従う受け身型の患者と,自分から積極的に治療方針の決定に参加する能動型の患者とを比較した場合,受け身型の患者の予後は劣るが,その満足度は高い。逆に能動型の患者は,予後はよいのに満足度は低い。つまり,「よくなっているのに感謝しない」か「よくなっていないのに感謝している」かは,患者のパーソナリティが多分に影響するのである。
 このような落とし穴はあるにせよ,医療の質を評価する代表的な指標の1つとして,今後ますます「患者の満足度」が活用されていくことは疑いがない。
 セミナーのゲストとして,ハーバード大学公衆衛生学部のカプラン博士が講演したが,彼女は講演の最後に,医師の満足度が最近急激に低下している事実を紹介した。コスト節減・管理医療のストレスが医師の満足度を損なっているのだが,医療サービスを提供する側の満足度の低下が,いずれ患者の側の満足度を下げることになるだろうと警告した。
 セミナーの最後に,高齢の医師が訥々とした口調で質問をした。「いい医者でも患者に人気があるとは限らないし,腕がよくないのに患者には人気がある医者もいる。患者の満足度調査で何がわかる」と。カプラン博士は次のように答えた。 「技術的ケア(technical care)の品質を理解することについては患者は優れた判定者とはなりえません。けれども,親身なケア(interpersonal care)の品質を評価することにかけては,患者ほど優れた判定者はいません 」と。
 博士ははっきりそうとは言わなかったが,「医療というのは技術的ケアだけではないでしょう」と切り返したのである。