医学界新聞

ベスイスラエル病院での臨床研修(下)

アメリカで考えたこと

能登 洋 ベスイスラエル病院(アメリカ)内科レジデント


 私はニューヨークにあるベスイスラエル病院内科の3年目のレジデントです。前回(第2203号)の記事では具体的な研修生活を紹介しました。今回はレジデントの立場から見たアメリカ医療の総括的な特徴と私の留学の感想,日本の医学界への提言を書こうと思います。

アメリカ医療の特徴

 前回紹介したように,研修・教育に関しては時間,設備,スタッフすべての面でアメリカは優れています。ただし医療全体のシステムとなると優劣をつけるのは難しいと思います。それは医療は文化であり,背景の文化や常識が異なる以上,医師の任務役割や患者から求められているものが違うからです。以下にアメリカ医療の日本と大きく異なる特徴を説明しましょう。

卒後研修
1)明確な到達目標

 アメリカのレジデンシーが魅力的である点の1つに,非常に教育熱心で外国人でも快く引き受けて教育してくれる態勢があります。日本の研修が個人の知識・技術の伝授に頼り個人差がかなり出るのに比べ,研修医全体を同レベルで段階ごとに発展させるシステムをとっています。そのため各段階ごとに到達目標が定められていますし,専門課程などの資格は数年ごとに再受験して更新します。さらに厳しいことに毎月ローテーションの終了時にはインターン,レジデント,アテンディングの成績評価が提出されます。知識,意欲,人間関係など細かく評価されます。この評価は上から下への評価だけではなく,下から上への評価もあり,アテンディングにもフィードバックがある客観的でフェアな厳しいものです。このようにして医師は一定の最低ラインを確保していきます。

2)思考過程を重視
 専業化・細分化の進んだシステムの中での研修では積極的なプレゼンテーションやディスカッションが必要とされ,多数の意見を交換して客観的な判断を下していきます。その際信頼できる出典や数値をよりどころにした思考過程が重視されます。数学や物理で式を書くように,step by stepに理論的に思考と推論を進めなければならず,単なる知識の詰め込みではなかなか通用しません。検査をオーダーする際にもなぜその検査が必要なのか,次のどの検査をオーダーするべきなのか常に「考える」ことが要求されます。
 また自分が発言する際にはたとえ知らないことでも堂々と自己アピールすることが大切です。この点アメリカ人は幼少時から訓練されているのですが,知っているのに謙遜のつもりで黙っていると,逆に能力不足か英語力不足と見なされてしまいます。どの社会でも,まず発言しないと認めてもらえないのです。その一方で医療はチームワークである以上協調性も当然重視されます。この両者のバランスがうまくとれなければ当然評価は下がります。

リスクマネージメント,タイムマネージメント

 現実は絶えず移り変わり,いつどんなことが起こるか予測がつきません。そのため長期的な方針よりは,risk vs benefitも考慮した臨機応変な解決策を重視するのがアメリカ文化と社会のポリシーです。実際の病棟ではリスクマネージメント,タイムマネージメントが重視されます。アメリカ社会は目標社会で,その根底にあるのは真の民主主義,実力主義,競争精神であり,甘えはまったく通用しません。アメリカの研修で乗り越えなければならない障壁の1つです。この厳しさは旅行や語学留学ではわからず,実社会に入って初めて感じるものです。

全国レベルのガイドラインとその維持

 アメリカの医学界の特徴の1つに全国レベルの共通のガイドラインがあります。個々のガイドラインはclinical mass studyに基づいて作成されていますが,それは病院間の活発な交流によって初めて可能になるものです。ACLS(心肺蘇生)アルゴリズム,抗生剤選択,降圧剤使用ガイドラインなど,どの病院でもガイドライン,プロトコールに基づいて検査や治療が行なわれ,画一的な医療が保障されています。しかもガイドラインは絶えず更新され,最新の治療ができるようになっています。
 一方で,ガイドラインに基づいた治療を維持し不適切な投薬や抗生剤の乱用を防止するために,様々な監視システムがあります。例えば,抗生剤使用時には投与開始後24時間以内に感染症部のフェローに電話で症例をプレゼンテーションし,抗生剤の種類,投与量,頻度について承認をもらう必要があります。また,ある程度のリスクを伴う手技の場合,毎回同意書を得て手技記載をしなければなりませんし,必要回数に達するまでレジデントの監督なしでは1人でできません。カルテ記載にも頻回にチェックが入りますし,退院サマリーをためるとブラックリストが貼り出されます。国民性,人種構造,分業体制上こういった監視が必要であるというものの,まったく監視や記録のないところで治療が行なわれる危険性がない点で,見習うべきでしょう。

患者の権利・立場

 アメリカでは医師と患者は対等の立場にあり,医師が患者を診るのも患者が医師に診てもらうのも動詞はseeの能動態です。ソーシャルワーカー,往診ナース等,多くのコメディカルスタッフがいるからこそ実現可能なのでしょう。医師にすべて委任する患者も少なくありませんが,患者の権利は広く認められており,インフォームド・コンセントが徹底しています。
 また,ターミナルケアやホスピスも発展しており,患者のliving willやquality of lifeも重視されています。アメリカは告知先進国で何でも告知するかのようなイメージがありますが,何も面と向かって告げるわけではありません。不安でパニックに陥っている患者もいれば,知りたくないという人もいますので,そういう場合には家族に先に告げたり,時間をかけて遠回しに告げたりすることもあります。いずれにしても精神科のフォロー,宗教者,ソーシャルワーカーなど,コメディカルスタッフも整って始めて告知可能です。では,はたして告知したほうがよいのでしょうか。これは文化,宗教,家族,医療スタッフが大きな役割を占めるので,一概には答えが出せないと思います。社会全体で解決する必要があるでしょう。

針事故防止・院内感染対策

 医原性事故の防止策,対策はアメリカのほうが日本よりはるかに進んでいます。例えば採血後の針にはリキャップは決してせずにそのままベッドサイドの壁に備え付けてある針捨て専用のごみ箱に捨てます。また,点滴ラインは基本的には10cm程度のミニヘパロックにして抜き差しの回数を減らし,ナースはプラスチックのアダプターを付けたラインを接続するだけでよいようになっています。留置針は透明のテープで固定し,いつでも刺入部をチェックできるようにしています。凝固したり感染したりしない限り,点滴ナースが3日おきに別の部位にラインを取り直してくれます。確かに感染や出血の危険性は若干増えますが,このミニヘパロックは針事故の防止と緊急時のライン取りに役立ちます。
 一方,院内感染対策としては各病室に箱詰のゴム手袋とマスクが備えてあり,いつでもすぐに使えるようになっています。また前述のように抗生剤使用時には感染症科の承認が必要とされ,乱用による耐性菌の出現を防いでいます。こういったシステムの視察に日本からも多くの医師や看護婦が来ています。

 このようにアメリカの医療で優れている点は多いものの,医療システムが異なる以上単なる医療の直輸入では役立たないでしょう。しかし自国の医療の一層の発展のために日本が見習うべき点は多いのではないでしょうか。またアメリカの医療の欠点も他山の石として役立つと思います。

留学の動機

 アメリカの医学がリアルタイムで日本に入ってくる現在,私が臨床留学を志したのは主に2つ理由があります。日本の医療の見直しと国際交流促進への貢献です。学生時代に短期間ではありますがアメリカでの実験や病院実習をした際に,その2点の重要性を感じたのがきっかけでした。

日本の医療・医学の見直し

 現代の日本の医療は非常に発展し,リサーチのみならず臨床の面でも世界的な偉業をなしとげています。例えば内視鏡技術は世界一ですし,病棟のエコー普及率の高さは医療の融通性・便利さにつながっています。また日本は医療費の低さと新生児死亡率の低さ,平均寿命の高さを誇っていますが,ここで気をつけなければならないことがあります。
 第1に,医療費の低さは高水準の医療の結果ではなくて,最初からGNPの伸び以下に予算が抑制されているからです。日本の業績の基盤となっている教育・設備・労働条件が貧しいことは周知の事実で,そのしわ寄せが研修医にふりかかっています。アルバイトをしなければならない研修生活は本来の目的にそぐわないでしょう。
 次に,日本の新生児死亡率が低いのは事実ですが,平均寿命とは0歳時の平均余命であって老人の平均余命ではありません。日本の老人の平均余命は欧米の老人よりも短いのが現実で,老人医療の質が低いことを認識すべきでしょう。これは老人医療改革以来,供給体制が追いつかなかったままになっているのが一因です。
 ここで大切なのは予算額とか教育体制とかの具体的な問題ではなく,日本の教育・施設・医療の現実を直視していないか,気づいていても慣れてしまっている自分たちの姿を正面から見直すことではないでしょうか。日米で大きく違うのは変革への社会的・政治的意志です。また,医療は医学と違って文化やアートの側面もあり,しかもそれは医師と患者の双方向の交流であることも忘れてはならないでしょう。留学により別の角度から見て,あらためて自分たちを客観的に見直すことができました。

日本の医学界の国際交流促進

 近年,国際関係は緊張から対話へと移行してきましたが,医学においても地球的視野に立った国際関係を確立することが必須となりました。しかし現状では日本の医学界が国際的に開かれているとはまだまだ言い切れないと思います。せっかく日本の医学が進んでいても,早期胃癌など国際的に十分に評価されていないことがたくさんありますが,それは医学の国際交流の乏しさが一因だと思います。
 確かに日本にいても世界最高水準の技術は習得できますが,自己満足に終るのではなく欠点を見直して改善していく姿勢が大切ですし,逆に優れている点を伝授していくことも大切だと思います。これからは外国の真似をするのではなくリーダーシップをとる必要性があります。日本人は一般に内向的・閉鎖的でコミュニケーションがうまくないために多くの誤解を生んでしまいがちです。相互理解に必要とされるのは積極的な交流です。
 ここで私が大切だと思っているのは国際交流であって「国際化/Americanization」ではありません。必ずしもアメリカの尺度に照らして医学を発展させればいいというものではありませんし,そもそもそれは不可能です。双方の積極的な交流によって両者が歩み寄り,両者の長所を生かし合えば,医学はより一層発展するでしょう。
 それでは実際に国際交流を促進するにはどうしたらいいでしょうか。海外への留学を奨励し,外国からの留学生を受け入れることも大切ですがまずは国内での交流を促進し,全国レベルのガイドラインなど世界に通用する医療体系を確立することが必須だと思います。
 この点はアメリカの医療を見習い,他流試合を促進して切磋琢磨するべきでしょう。多数の意見を交換して初めて叡知が生まれ,そこから前進するのです。「10年以上も前から日本の院内感染対策視察団が私たちの病院に来ていますが,日本国内ではその問題は一向に改善していないようですね」と感染症科のアテンディングがいみじくも言っていました。
 私は医療を媒体として自分からも積極的に知識,経験の交換を促進し,国際交流に貢献したいと考えています。もちろんこれは個人的レベルではありますが,国際交流は個人と個人の間の深い理解があってこそ成功するものであり,自分の経験を次世代に生かせるように努力をしたいと思っています。

留学に際して

 先に述べたように日本の医学は優れているものの,まだまだ改善の余地があります。では留学すれば解決へつながるかというと,これはひとえにその人の目標と意志にかかっています。習得することが多い反面,文化,社会のいくつもの大きな障壁を乗り越えなければならないのです。実際に留学を考える際には以下の現実を認識しておく必要があります。

アメリカの社会問題,地域性

 ニューヨークなど大都市では様々な人種が集まり,その分どうしても犯罪やドラッグなどの問題が増えます。医療も危険が増します。一般人もキリキリしている人が多く緊張した生活になります。当然,精神的疲労,カルチャーショックも大きく,つまずきの原因になりまねません。留学の際には地域性,治安,衛生も十分考慮する必要があります。

外国人医師の受け入れ削減

 現在アメリカは膨大な医療費に悩まされており,その解決策の1つとして,保険制度の改革と外国人医師受け入れ削減が進んでいます。USMLEのテストも口頭試問が追加されて厳しくなるようです。年々留学が難しくなりつつあることも忘れてはなりません。

英会話力

 英会話力は必要不可欠です。語彙力だけではなく,会話力も必要とされます。特に日本人は後者が不得手なので留学に際しては十分訓練しておく必要性を感じます。アメリカでは大きな声で発言しなければ認められてもらえないのです。

一番大切なのは目標を持つこと

 臨床留学は観光や語学留学ではありません。医師としての責任がかかってきます。自分が何を学びたいのか,研修後何をしたいのか目標を持っていないと厳しい現実についていけません。遊び心や甘えは通用しません。もしアメリカの専門医療を効率よく学びたいのなら,実社会に入って苦労してインターンからやり直す必要はなく,クリニカルフェローという方法もあります。またエクスターンとして見学・実習するのもよいでしょう。
 以上,2回にわたってアメリカの卒後研修・医療システムの特徴を紹介し,留学の感想を書いてきました。私個人としては自分のためのみならず,今後留学を志す方々や国際医学に目を向けようとする方々の助けになればと思っています。
 最後に,貴重な留学に際してお世話して下さった株式会社東京海上メディカルサービスの西元慶治先生にお礼を申し上げたいと思います。