医学界新聞

遺伝子診療研究会第3回学術集会開催


  ADA(アデノシンデアミナーゼ)欠損症児に対して,わが国初の遺伝子治療が行なわれてからはや1年が経過した。社会的にも大きな脚光を浴び,新しい治療法への期待と不安が交錯したこの1年だが,その間にもエイズ(熊本大学),腎臓癌(東大医科研),肺癌(岡山大学)に対する遺伝子治療が,学内ないし国の審査の段階に入って注目を集めている。このような折りに,遺伝子診療研究会第3回学術集会が,村松正實会長(埼玉医大教授)のもとで,さる8月8-9日,東京のシェーンバッハ・サボーにおいて開催された。  集会では,前記の遺伝子治療の総括責任者である崎山幸雄氏(北大)による招待講演「アデノシンデアミナーゼ欠損症遺伝子治療の経験」の他,教育講演 I「遺伝子診断の現状と将来」,II「遺伝子治療とは何か」,III「ヒトゲノム計画と医学へのインパクト」,シンポジウム I「転写調節から疾患治療へ」,II「神経疾患の遺伝子診断と臨床的意義」,III「遺伝子診療の指針と倫理」,および遺伝子構造とその異常など5つの一般口演が企画された。


“遺伝子診断”と“遺伝子治療”

遺伝子診療研究会がめざす3つの研究内容

 冒頭の開会の辞で村松会長は,基礎医学はもとより,臨床医学においても遺伝子の問題が頻出している近年の動向に触れ,「顕著な発展を見せている分子生物学・遺伝子工学の成果の医学への導入は,医療そのものの質や効率に大きな変革をもたらし,文字どおり革命を起こしつつあると言っても過言ではない。このような時期に,臨床医・基礎医学者およびコメディカルスタッフを含め,欧米の進歩をも凌駕する診療の発展をめざしてできたのがこの研究会である」と述べ,研究の内容を,(1)遺伝子と疾患の関係・遺伝子病のメカニズム,(2)遺伝子診断とその開発・応用,(3)遺伝子治療の実際などが含まれることをあらためて確認するとともに,明年から「日本遺伝子診療学会」となることが報告された。 

遺伝子診断の現状と将来:その要件と新しい「健康医学」まで

 続いて教育講演 I「遺伝子診断の現状と将来」では,上田國寛氏(京大)が遺伝子診断の基礎を概説。さらに遺伝子診断推進のための要件を整理しながら,遺伝子診断の現状を概括し,その将来を展望した。
 その中で上田氏は,日常的遺伝子検査にに求められる要件は,臨床検査一般に共通する有用性,感度,簡便性,精度保証などの他に,情報に関する特別の解析・保存・利用システムが必要であり,これらの要件が近年急速に満たされるようになった技術的側面として,非放射性プルーブ標識法,PCRによるDNA増幅法,情報処理のソフト(遺伝子データベース)とハード(コンピュータ技術)の発達をあげた。
 そして,現在多くの病院で診療のために検査されている遺伝子は,いわゆる外因性病因の,それも限られた種類の細菌やウイルスのDNA/RNAであって,「内因性病因や細胞(個体)識別の遺伝子が基礎医学だけでなく臨床医学でも盛んに研究され,知見が集積されているにもかかわらず,日常検査としてそれらがほとんど調べられないのは,“研究としての解析”と“診療としての検査”の間に保険医療・対費用効果という超えがたい障碍が存在するためである。さらに,遺伝子検査の現場に,検体管理,精度管理,情報管理などの面で改善すべき技術的,体制的問題が少なからず残っていることも事実である。また,最近つぎつぎと発見されてきたトリプレットリピート病やDNA修復欠損症などの新しい分子病に対しても,自信をもって確率診断するにはわれわれの知識とデータベースは不足している」と問題点を指摘。
 また将来を展望して,「遺伝子診断が本来持つ能力をフルに活用し,診療に役立てるためには,遺伝医学的研究のさらなる蓄積と技術革新および体制改善が必要である」と述べるとともに,当面の目標である病態・病因診断のみならず,遺伝子情報に基づいた予防医学や健康管理システム,さらには積極的に健康を創出する“健康医学”への期待を語って講演を締めくくった。 

遺伝子治療とは何か:その展望と問題点

 先ごろ,腎臓癌患者に対する遺伝子治療が東大医科学研究所の学内の審査委員会で承認され,厚生・文部両省に実施計画を申請したことが話題になったが,教育講演IIではその治療責任者である浅野茂隆氏(東大医科研)が「遺伝子治療とは何か-その展望と問題点」を講演した。
 まず浅野氏は,遺伝子治療(DNAを薬剤として用いる,いわゆる“体細胞遺伝子治療法”)を概説して,「正常遺伝子付加法」「正常遺伝子補充法」「異常遺伝子修復法」に大別。また,遺伝子導入法を「ウイルスベクター法」および「非ウイルスベクター法」に,さらにその導入法の特徴によって,in vitro法とin vivo法,またintegration法とnon-integration法に分類し,「どの方法を選択すべきかは,対象となる疾患とその治療目標をどこにおくかによって自ずから異なるが,治療の成否は,要求される程度は異なっても,標的とすべき細胞に必要とされるDNAをいかに正確に導入し,かつ適切に発現できるか否かによって決まることに変わりはない」と述べた。また,最も理想的には,必要なDNAを本来あるべきゲノムの位置に導入するか,また,必要なDNAを含む染色体そのものをその細胞に導入することによって達成されるが,「これを可能にする相同組換え法や人工染色体導入法の確立には,まだ多くの基礎的研究が必要であり,現状ではとても臨床で展開できるまでには到っていない」とレビューした。
 しかし,乗り越えるべきハードルはまだ多い遺伝子治療ではあるが,実際には限られた技術を用いて様々な角度から研究が進められている。浅野氏は,「現在最も重要とされる遺伝子治療研究は,対象の適応を癌,エイズ,重症先天性疾患などの致死的疾患に限定した上で,細胞標的,遺伝子発現効率,発現調節の向上も考慮したベクターの開発である」と指摘。そして,「いずれにしろ,実験医療である遺伝子治療を行なう医療スタッフには,絶えず“なぜDNAなのか”を自問し,それが患者にもたらす生物学的影響を基礎医学者と密接に連携しながら,できる限り詳細に分析し,他の治療法の発展や将来の医学倫理の変化も視野に入れた新しい発展を求める姿勢がきびしく求められる」と強調した。

“神経疾患の遺伝子診断と臨床的意義”

 一方,シンポジウム「神経疾患の遺伝子診断と臨床的意義(司会=東大 金澤一郎氏,新潟大 辻省次氏)」では,HD(ハンチントン病),脊髄小脳変性症,筋ジストロフィー,FALS(家族性筋萎縮性側索硬化症)が取り上げられた。

ハンチントン病について

 金澤氏はまず,常染色体優性遺伝形式をとり,特徴的な舞踏運動を呈するHDの遺伝子診断とその臨床的意義に言及。
 1983年にDNAマーカーを用いた遺伝子連鎖解析から,異常遺伝子座が第4染色体短腕先端部に局在していることが判明したHDは,その10年後に責任遺伝子IT15が同定された。IT15はその翻訳領域の5'末端近くにCAGの繰り返し配列を含み,HD疾患染色体上では正常染色体でも存在するCAGリピート数が正常の範囲(10~34)を越えて40以上に伸長しており,いわゆるCAGリピート病の1つに数えられることになった。また,HDの遺伝子診断は,臨床的には小脳症状があり,DRPLA(歯状核赤核・淡蒼球ルイ体萎縮症)が疑われたが遺伝子診断でHDであることが確定した症例,高齢発病で精神障害や痴呆はないが遺伝子診断でわずかなCAGリピートの伸長を認められた症例など,臨床的に非典型的なところのある症例の確定診断に利用される。しかしその一方で金澤氏は,HDが神経変性疾患であり,現時点ではその発病を予防できないにもかかわらず,将来発病する可能性を秘めた,いわゆるat riskの人々からの発病前遺伝子診断や,例数は少ないが出生前診断の要請がある現実に触れ,「発病前の診断を行なった後に,その人にどのようなメリットが生じるのかと考えた時に誠に暗澹たる気持ちにならざる得ない」と述懐した。
 この後,脊髄小脳変性症(辻氏),筋ジストロフィー(帝京大 砂田芳秀氏)に続いて,阿部康二氏(東北大)が,ALS(筋萎縮性側索硬化症)発症者の5~10%に見られる「FALS」について検討した。  

FALSについて

   “ルー・ゲーリック病”の俗称を持つALSは,上位および下位運動ニューロンが選択的に変性する疾患で,今日までその原因や発病メカニズムが十分には解明されていないため,有効な治療法がいまだ確立されていない。しかし,1993年以来孤発性ALSやFALSの一部に,その原因遺伝子としてCu/ZnSOD(superoxide dismutase)遺伝子の点突然変異が相次いで報告された。
 日本人FALS家系で同じ点突然変異を見い出し,この変異をgenomicDNAレベルでASO(allele specific oligonucleotide)ハイブリダゼーション法やPCR-RFLP法によって確認した阿部氏は,「遺伝子変異が明らかになった家系については,ASOやPCR-RFLPによって遺伝子診断が可能となり,場合によってはこのような難病の発症前診断すら可能である」と示唆するとともに,金澤氏と同様にその倫理的問題に対して課題を提起した。