医学界新聞

連 載 ― American Hospital of Paris

パリ・アメリカ病院便り 第8回 ユニークな医師たち

木戸友幸 木戸医院(大阪)副院長,パリ・アメリカ病院(フランス)


 1996年の3月末でフランス滞在が1年になった。早いものである。それにちょうど合わせて,待望の筆者専用のフルタイム稼働の外来診察室が完成し,4月1日から使用できるようになった。
 さて今回は,1年間にこの病院で知り合った何人かの医師のプロフィルを紹介したい。どの医師も,おそらく日本ではお目にかかることのないタイプである。日本人には国際的だと思われているアメリカも,本当は案外閉鎖的な国なので,こういうタイプは少ないようだ。彼らはきわめてヨーロッパ的というか,コスモポリタンなのである。

C医師が描く国際戦略

 まずは外来のC医師から。C医師に手術してもらった患者が一番面食らうのは,彼が病室に入ってきたときの日本語の滑らかさだ。「私はCと申します。これからあなたと手術のことについて話し合いましょう」といったことを,それこそ立て板に水のごとく言ってのけるのだ。しかし本当のところは,彼はそれほど込み入ったことを日本語で話せるわけではない。要するに外国語に対する勘がよいのである。母国語のフランス語以外に,英語,ドイツ語それにロシア語はほぼ完璧に話せる。日本語のように日常困らない程度に話せるのが,イタリア語とスペイン語だそうである。
 彼は現在60代半ばであるが,これまでにフランス政府からの派遣で様々な国に外科の顧問医として赴いている。その時,彼の語学の才能が役に立ったことは間違いないが,彼自身もこれらの人脈を利用して様々な国の要人との関係づくりに努めた。したがって,国際的なこのアメリカ病院にあっても,C医師は飛び抜けた国際人である。
 その彼が描くアメリカ病院の国際戦略は,モスクワと北イタリアにサテライトクリニックをつくって,金回りのよい患者を誘致するというものである。ロシアではソ連崩壊後,ヌーボーリッシュと呼ばれる怪しげな成り金が幅をきかせ,ヨーロッパのリゾート地でも目立つ存在になってきている。また北イタリアは,もともと南イタリアとは国が違うと言われるほど経済的に豊かである。そしてそのどちらの金持ちも,外国で少々金がかかっても最良の医療を欲している。

パリ日本人社会での有名人

 パリで長く勤務している日系の企業マンはほとんどがL医師の名を知っている。それもそのはずで,アメリカ病院での日系企業の健診を初めて手がけたのがL医師なのである。したがって彼はパリに関係ある日本の著名人にも知己が多い。数年前には,日本人社会に多大に貢献したという理由で日本政府から勲章をもらっているくらいだ。彼には有名人好みの気があるようで,フランス人の患者にも名の知られた俳優や画家が多い。また彼もC医師に負けず劣らず国際的で,さるアラブの国の顧問医をしていてその国の大統領をはじめとする要人の健康管理を一手に引き受けている。
 彼が好んで日本人に披露するエピソードにこんなものもある。まだバブル経済華やかなりし頃,日本のやくざの大親分がアメリカ病院に入院して彼の世話になった。退院するときに,日本を訪ねることがあればぜひ連絡してくれと電話番号を教えてくれた。L医師はしょっちゅう日本を訪れるので,その数か月後の訪日時に軽い気持ちで連絡すると,空港に若い衆がずらっと並びキャデラックのリムジンで出迎えられ,それこそ下にも置かないもてなしを受けたそうである。

フランス的権威主義に批判的なフランス人医師

 R医師は,国籍はフランスであるが,教育はすべてアメリカで受けている完全なバイリンガルである。1960年代にニューヨークのコロンビア大学医学部を卒業し,レジデンシーは一般外科から始めたのだが,最終的には一般外科,胸部外科それに心臓外科の3つのボード資格をとった頑張り屋である。さすがに10年近くのレジデント生活はきつかったようで,近々行なわれるファミリープラクティスのボードの再試験の話を筆者がすると,「僕は最後のボード試験が終わったときに,これから一生の間,試験というものは絶対受けないことに決めた」と言っていた。
 彼はベトナム戦争に軍医として従軍した経験がある。そのことも彼の現在の性格にかなり影響を与えているように思える。よく言えば豪放磊落な典型的な外科医的性格なのだが,些細なことで激しやすい性格でもあるようで,それはパーティーの席で筆者も目撃している。彼自身,自分は文化的にはヨーロッパ的だと見なしているが,医師としてはフランス的な権威主義にかなり反感を示している。
 例えば,アメリカ病院の医師は診察時間中の外部からの連絡にはすべて秘書にメッセージを受けさせることが多い。彼はこのやり方をかなり批判しており,患者からの連絡には,それが医学的に緊急であろうとなかろうと主治医が生の声で答えるのが医師の義務だと主張して譲らない。筆者も彼の意見にまったく賛成で,国立大阪病院時代もずっとそうしていたので,意気投合してしまった。

 さて,当院のユニークな医師は枚挙に暇がないので,これ以上はまた別の機会に譲ることにする。海外で仕事をすることの1つの大きなメリットは,こういう人たちとの出会いによって自分のこれからの人生を考える材料が新たに増えることではなかろうか,などと考えている在仏2年目の今日この頃である。