医学界新聞

寄稿
マレーシアのFamily Practice

発展しつつある家庭医療

板東 浩
日本プライマリ・ケア学会常任理事,同国際交流委員会委員長,徳島大学第1内科


 家庭医療(Family Practice)は,家庭医(family doctor, general practitioner, primary care physician)によって,その国や地域の状況に応じた診療形態で,世界各国で実践されている。米国では,医学の専門分化が進みすぎた反省もあり,1960年代からFamily Practice Residency Program(FPRP)が開始され,多くの医師が家庭医療を専攻している。著者は以前にECFMG資格を取得し,米国のFPRPで臨床研修をさせていただく機会があった。その際には,その教育システムの素晴らしさとその国の医療で家庭医が果たす大きな役割に感銘を受けた。
 現在,各国の家庭医はその国の家庭医療学会に入会し,それぞれの学会は国際的な学会である国際家庭医療学会(WONCA)の会員となっている。本邦からは日本プライマリ・ケア学会が,アジア・太平洋地域の指導的立場でFPの発展に貢献している。今回,WONCAが開催する「家庭医療学における研究手法のワークショップ」が1996年3月にマレーシアで開かれた。筆者はこれに参加するとともに,厚生省,大学病院,地域の病院,診療所などを視察する機会を得たので報告する。本稿では,(1)マレーシアの家庭医療の歴史,(2)厚生省,(3)大学病院,(4)地域の病院,(5)ヘルスセンター,(6)クリニック・デサ,(7)個人診療,(8)労働環境について報告する。

マレーシアの家庭医療の歴史

 関西空港からシンガポール経由でクアラルンプールに到着。マレーシアには3つの公立の医学校があり,その1つであるマラヤ(Malaya)大学家庭医療科を訪問し,Krishnan教授とOmar助教授およびTeng助手から,同国の家庭医療や医療の現状などを詳細にご教示いただいた。
 マレーシアでは,家庭医療の研修はgeneral practitionerによって始められ,1973年に協会が設立された。その後,資格認定試験も開始され,多くの医師が献身的努力を続けてきたことにより,家庭医療が発展してきた。家庭医療には大学の講座としての基盤が必要であるが,1987年に同国で初めてマラヤ大学に家庭医療学講座が設置された。卒後教育は4年で,その研修目標は,(1)病院およびプライマリ・ケア医学実践のための診療所の両者における臨床経験,(2)管理能力の研修,(3)公衆衛生的知識の習得,(4)研究である。「マレーシアでは,家庭医療は予防医学と治療医学の架け橋となる」とのことである。

厚生省

 厚生省を訪問し,担当のHJH.Safurah BT.HJ.Jaafar氏から同国の医療制度や家庭医療の現状をうかがった。Jaafar氏は医師であると同時に,米国ハーバード大学で公衆衛生学を修め,さらにMBA資格まで取ったというマレーシアきっての才媛である。日本プライマリ・ケア学会からの訪問者があるとのことで,わざわざOHPの資料を20数枚作成してくださり,1時間のレクチャーをしていただいた。
 厚生省には,下記の5つの部門がある。(1)疾病の管理(寄生虫性疾患,AIDSおよびSTD,感染性疾患,非感染性疾患),(2)食物の質の管理(基準の設定および施行),(3)健康教育(プログラムの作成と実行),(4)歯科サービス(予防的および治療的歯科の健康),(5)プライマリ・ケア医学および家族計画(家族の健康,栄養学,家庭医療学)。
 本邦と大きく異なる点は,特に(2)の食物の質の管理である。すなわち,マレーシアの都市部の医療と生活は日本に近いものがあるが,農村部では現在でも,衛生的な水と電気が十分供給できていない ところがある1)。 その場合には,食物の質の管理と,地域住民への保健衛生教育活動が,必要で必須なものとなる。
 なお,(1)の疾病の管理では寄生虫疾患がまだ多いのが特徴で,AIDS/STDに関する知識の普及もまだ十分とはいえないのが現状である。(3)の健康教育については,本邦の保健所で行なっている肥満,糖尿病,高血圧,妊婦教室などの教育活動は,マレーシアでは将来その必要性が増すものと思われた。(4)の歯科サービスについては,まだ十分な歯科医師がなく設備も不足しているところがあるという。
 現在力を注いでいるのが(5)のプライマリ・ケアおよび家族計画である。特に,(1)家族の健康として,妊婦の管理と乳幼児のチェックおよび学童の予防接種,(2)栄養学として,妊娠出産に関する母子の栄養学,教育活動とそのPR,(3)家庭医療学としては,家庭医療学講座とその教育カリキュラムの発展と支持,および農村地域におけるサービスの質の向上,などが現在重点と考えられている項目である。

大学病院

 マラヤ大学病院の玄関ロビーは,多くの患者であふれていた。家庭医療学講座の外来は,9時から12時45分に約15人の診察医が300人ほどを診察している。診察室は8畳くらいの部屋に,机と診察台と血圧計が設置されている。午後の14-16時にも予約外来がある。
 経費は,大学病院を受診するたびに,3リンギット(日本円で120円,1リンギットは約40円),2週間の投薬料は一律5リンギット,4週間では10リンギットと一律であるのが,興味ある医療制度である。検査については,本邦ほどは多く行なわれていないが,血液の検査はすべて無料であり,これは医師の臨床研修の目的もあるからだという。その内容は,末梢血,血液生化学が主であり,本邦のように大学の検査室や外注のラボ会社で行なうような詳細な検査までは行なわれていない。それに比べて,X線検査は15リンギット,ECGは20リンギットと割高であり,これは患者が負担しなければならない。家庭医療学講座は入院ベッドを持っていないので,入院が必要な場合には専門の科に紹介する。
 マラヤ大学附属病院は約800床で,内科,外科,産婦人科,小児科など各病棟がある。病棟の部屋は,本邦に比べてやや大きく,6-12人ほどの相部屋が多い。気候の関係もあり,入り口にドアがなく,廊下からそのまま部屋になるところもある。常に天井の扇風機が回っており,かけ布団はなく,患者は寝具ではなく通常の服を着用している場合も多い。
 Krishnan教授は,救急部の仕事も兼務しており,救急部門も詳細に視察した。救急室は大学病院の出入口のすぐ横にある。放射線部や血液検査室も廊下ですぐ近い距離にあり,緊急時の検査を考慮した設計である。広いフロアに5床のベッドがあり,骨折や心不全,喘息重積発作などの救急患者が治療を受けていた。治療で病状がおちつけば,すぐ横の回復室(約20床)で様子をみるが,ベッドサイドには家族がつき添っている。
 最近マレーシアでは,車社会の到来とともに交通事故が増加し,大きな問題となっている。マレーシアにおける外傷に関する白書は,厚生省,医師会および警察疔により共同でまとめられたが,Krishnan教授はその編集委員長である。1992年には11万8554件の交通事故で4557人が死亡し,1万634人が中等度から高度の障害,2万1071人が軽症の外傷を受けた。また,マレーシアの5歳から39歳までの死亡原因の第1位は交通事故である。
 また,興味深いことに,救急室の壁には,Disaster Planの大きな図が掲げられている。これは,大災害時に大学病院がなすべき行動のマニュアルを示したもので, stage I 'standby', stage II 'full emergency', stage III 'disaster'と分類され, 医療チームの編成と行動の指針が示されている。大学医師の多くは,1995年2月の日本の阪神大震災の ニュースをよく周知しており,多くの質問に私は答えることとなった。

地域の病院

 大学病院の下部に相当する病院は,都市部の総合病院(general hospital)と地域の病院(district hospital)とがある。
 クアラルンプール総合病院(Kuala Lumpur General Hospital:KLGH)は,公称2000床の公立病院である。広い敷地内に各specialtyの建物が別々に立ち並び,それぞれのビルが1つのspecialtyのための建物であり,巨大な病院群といえる。ここは,必要な症例はすべて入院させるため,実際の入院患者数は相当になる。私が訪れた病棟は広いフロアに公称86床のベッドがあったが,夜7時ごろから入院患者が増えはじめ,真夜中には130-160名の患者が床および廊下を占領するというような超多忙な病棟である。
 地域の病院(district hospital)は,規模は様々であるがいくつかの科がありポリクリニックと呼ばれる。私が訪れた病院では,医学生が1か月単位で研修に来て,いくつかのグループに分かれて教育を受けていた。ある外来の部屋では,マラヤ大学家庭医療科の医師がパートで来て,医学生6人のグループに,実際に外来患者を診察しながら指導していた。
 医学生はすでに,様々な医療行為を上級医の監督下で行なっている。その理由は,医学生は卒業後,すぐに実働部隊として農村や村などで活躍しなくてはならないので,予防接種,血管内注射や基本的な検査などは,医学生のレベルで実際的にできなければならないのである。

ヘルスセンター

 私が訪れたKlangのヘルスセンターでは一般内科外来が行なわれており,常勤は医師1名,ナース3名,臨床検査技師1名,薬剤師1名である。すなわち,本邦で言えば,内科開業医に相当すると思われる。待合い室は15-20名の患者であふれており,子供から老人まで年齢,性別,健康問題を問わず診察している。
 予約はなくwalk in clinicである。ただ本邦と異なるのは,ヘルスセンターでは医師が診察するが,時にはmedical assistantとして看護婦が診察したり,保健衛生活動として患者教育を行なうことが多い点である。歯科の診察室もあり,パートで歯科医師が診療している。必要な場合は患者はgeneral hospitalなど上部医療機関に送られる。

クリニック・デサ

 ヘルスセンターが管轄する,その下部医療機関に,クリニック・デサ(Klinik Desa=community clinic)がある。クリニック・デサは,まさに村の中にある小さな診療所である。医師は決まった時間帯に,ヘルスセンターから来る。
 ここには特別な医療設備はないが,村民に何か健康問題が出たときにまずここを訪れると,常在する看護婦が相談に応じる。急ぐときはすぐにヘルスセンターへ連れていく。いわば,ヘルスセンターの出張所もしくはサテライト診療所にあたるものである。またさらに僻地には,通常月に1回飛行機で巡回してくる「フライング・ドクター」のサービスもある。

個人診療

 マレーシアの医療はほとんど公立であるが,一部に個人診療がある。私が視察した個人診療は,16名の医師からなるグループ診療を行なっている。クアラルンプール中心部の一等地のビルの地下,1階,2階など立地条件のよい所に6箇所のオフィスがある。
 その中の1人のTengku Zurina氏の案内で,クアラルンプールの旧市街にある最も古いオフィスを訪れた。受付は1つで,診察室が6つあり,臨床検査室,薬局,検査室,X線室などは共通である。このオフィスだけは毎日夜間診療があり,17-21時の診療は医師が交替で務めている。グループ診療は,お互いにカバーしあえるのが長所で,どの医師も無理をせずに仕事をこなしているとのことであった。
 待合い室は患者があふれており,有料である個人診療にわざわざ来る理由は,すぐ近くに大きな工場地帯があり,そこで働く多くの労働者が受診しているからとのことである。そこで,工場およびその労働状況を視察することになった。

労働環境

 クアラルンプールは19世紀中頃までは小さな町にすぎなかったが,スズ鉱山の発見後,めざましい発展を遂げた。クアラルンプールのある一角を車で走ると,大規模な工場が集まっている工業地帯がある。その中で,電気ケーブルを生産する工場を訪ねた。溶鉱炉のすぐ横で働く労働者がおり3交替で24時間休みなく稼動している。彼らは耐熱マントを着用しているが,1000度以上の熱源から数m以内での労働環境は大変厳しい。火傷などの皮膚の問題の他,脱水症など種々の問題があるという2)
 この大工場には小さな診察室があり,Tengku氏をはじめグループ診療の医師が担当している。その診察室のカルテには,全労働者の資料がそろっており驚かされた。従業員は長年勤務しているため,ほとんどの労働者の20-30年前からの病歴がすべて記録されているとのことである。
 工場の診療所で長期間診てもらっている医師は,彼らにとってまさに家庭医あるいはかかりつけ医なのである。したがって,精密検査が必要な場合は,かかりつけ医が属しているグループ診療所を訪れて,受診しているのである。すなわち,長い年月をかけて育まれた患者と医師の信頼関係により,健康問題をうまく解決できている,との話をうかがった。

おわりに

 マレーシアは,ASEAN諸国の中でシンガポールに次いで経済発展しており,医療制度や医療の質についても,諸外国の状況を参考にしながら発展しつつある。問題点としては,生活環境や医療・保健・衛生の状況が,現在,都市部と農村部で大きな差があるように見受けられたことがあげられる。しかし,状況に応じた診療形態で,人々の健康の維持増進と疾病の予防・治療を行なっている家庭医療が大きく貢献している。今後のさらなる発展を期待したい。

文献
1)Krishna Gopal Rampal:労働の科学,49(1):14―17,1994.
2)Yutaka Kojima, Tadashi Niioka:J.Nor.Occ.Health, 40:51―54,1995.