医学界新聞

医学生・研修医版[5]1996. JUL

インタビュー

“テュートリアルシステム”の現在


神津忠彦氏(東京女子医科大学教授・医学教育学) に聞く


“テュートリアルシステム”とは何か?

“少人数学習”と“個別指導”

 - 4年ほど前,東京女子医科大学で問題解決型学習法の1つとして「テュートリアルシステム」という非常にユニークな教授方法を導入されたとお聞きして,先生からお話をうかがいしましたが,ここ数年このシステムは医学教育学会などでも注目され,その後新たにいくつかの施設で試行されています。そこで今日は,この4年間にこのシステムがどう変容し,成熟してきたのか,またどのような状況にあるのかについてお聞かせいただければと思います。
 つきましては読者のためにも,最初にこのシステムとはどういうものかを簡単にご説明頂けますか。
 神津 テュートリアルにもいろいろありますが,最近世界的な規模で医学教育に導入されているテュートリアルは,少人数グループによる問題解決型学習法です。学生は,テュータから与えられた事例を手掛かりに,グループ討論をしながら,既習の学識を整理統合し,さらに自分が学ぶ項目を探し出していきます。次のテュートリアルでは,自己学習した結果を持ち寄り,さらに討論を重ねながら学識を深めていきます。つまり,テュートリアルは「学び方を学び」ながら,その中で学習目標を達成していく学習方法です。
 テュータはもともとは家庭教師あるいは個人教師という意味ですが,医学教育におけるテュートリアルでは,「少人数グループの学習を援助しながら,1人ひとりの学生に目を向けて,必要に応じて個別にも対応する教員」を指します。テュータの重要な役割は「facilitator」になることで,自己学習を容易にするための存在です。テュータは学生の自己学習を見守りながら,必要に応じて助言し,学習のプロセスと学習の結果を評価して,学習方法に問題のある学生には個別に助言や指導を行ないます。
 以上述べたものが最近の医学教育における典型的なテュートリアルですが,個々の大学におけるテュートリアルシステムの方式や内容は,必ずしも一様である必要はありませんし,むしろそれぞれの大学の教育目的やテュートリアルを導入する理由に応じて変化すべきものだと思います。「少人数学習」と「個別指導」という一般的な特徴だけからみれば,従来の「演習(セミナー)」もこの一種だと言えます。

注目をあびてきた背景

 - ところで,近年どうして医学教育にこのシステムが必要になってきたのでしょうか。
 神津 まず第1には,医学の領域の情報量があまりにも膨大になってしまったことがあります。これに生命科学に関する知識の爆発的な増加という面もありますし,テクノロジーの急速な進歩という面もあります。この膨大は情報を伝授して記憶させるという,従来の“一斉講義”のみで対応しようとしても,そこには限界があります。
 逆に,全部の学生にすべてを等しく教える必要はないのかもしません。学生の中には,将来研究者になろうとする者もいれば,個人開業を希望する者もいるでしょう。勤務医をしたり,医療行政に携わろうという者もいるでしょう。そうなると,個々の学生の卒業後の進路に応じた学習があってもよいのではないでしょうか。自分に必要なものを選択して自ら学ぶ「自学自習」は,それを可能にする教育手段の1つだと思います。一方,一度蓄えた知識も,時の流れの中で次々と書き換えられてしまうことが少なくありません。医師が絶えず進歩する医学とともに歩み,社会構造の変化に適応していくためには,生涯にわたって必要なものを学び続ける「生涯学習」ができなければなりません。単に知識を得ることだけでなく,自学自習能力を養う教育が重要になります。

McMaster方式のテュートリアル

 - 歴史的な背景についてはいかがでしょうか。
 神津 1952年にアメリカのWestern Reserve大(後のCase Western Reserve大)のJoseph T. Wearn医学部長が,まず基礎医学と臨床医学を統合して,臓器別のカリキュラムを編成しました。その後,1968年と1982年に改善し,グループ討論による問題解決型学習を導入して自己開発の学習能力の育成を図り,1年生から臨床実習を導入しました。いわゆる「early clinical exposure」です。自己学習のための「unscheduled time」(自由学習時間)も設定されました。この先駆的な試みの中に,現在世界が模索している新しい教育形式の原型があるのではないかと思います
 この臓器別・機能別のカリキュラムというのは,特定の専門領域に偏らない学際的(interdisciplinary)で,かつ統合的(integrated)なものでした。関連する分野を学問領域の枠を超えて学ばせようというわけです。この時点で既に,現在の医学教育で強調されている,「医師となるものすべてに共通して必要な基本的職業教育(general professional education)という視点が取り入れられているわけです。
 一方,1969年に有名なMcMaster方式のテュートリアルが誕生しました。これは問題解決型学習(problem‐solving)を,具体的な事例に基づいて(case‐based)行なわせ,討論型グループ学習(small group discussionの中で,学生自身が学習を方向づけ(self‐directed),それをテュータが援助する(tutor‐assisted)という形式のものです。学生の自己評価(self‐assessment)を導入し,対人技能や集団行動(interpersonal skill)の修得もめざしています。


“テュートリアルシステム”の現在

導入後の変遷:“ユニット”から“ブロック”へ

 - 導入後の様子はどうでしょうか。
 神津 導入に際して最初に考えるべきことは,どういう人間を育てようかという教育目標をはっきりさせることです。医科大学の教育目標は必ずしも同じではありません。医学研究者を養成することをめざす大学院大学もありますし,良医,よい医師を育てることに重点を置く大学もあると思います。東京女子医科大学では,医学教育改革の第一段階として,まず後者の立場をとりました。そして,(1)自学自習能力の育成,(2)統合的な学習,(3)対人技能の修得,(4)個別的指導などを目的としてテュートリアルを導入しました。
 1990年にスタートした時には,各器官・機能系を「ユニット」と表現していました。その後,大学設置基準の大綱化を受けて,1年生から医学教育を始める6年間一貫した完全統合カリキュラムに改訂し,その中で系の単位を1994年度から「ブロック」という表現に変えました。基礎科学と基礎医学を統合して「人間生物学」としましたので,数字が1つずつ減って,かつてのユニット3が,ブロック2になったわけです。それ以外の基本構築は1990年バージョンとほとんど変わりません。それとともに4年間のユニット体制のあり方を再検討して,さらに改善を加えたものが1994年バージョンのブロック体制です(表1)。


 それから,前回は新カリキュラムがまだ途中までしか実施されておらず,上級学年に関する詳しい内容のお話ができませんでしたが,今年の3月に卒業生を送り出すことができたので,今回は6年間のカリキュラムを全部提示することができます。
 ブロック1は先ほど触れた「人間生物学」で,ヒトの正常な構造と機能を学びます。そして,ブロック2からブロック5までは器官系・機能系別の学習です。ブロック6は,「人の一生」を受胎から始まって老化・死に至るまで辿りながら学習します。
 ブロック6を終了すると,総合試験があります。これはブロック2からブロック6までの臨床医学の内容を本当に身につけたかどうかをチェックするもので,次に始まる臨床実習で,患者さんに接することの前提となる学力があるかどうかを見るものです。これは,アメリカのNBME(National Board of Medical Examination)のパート1,パート2,パート3に相当するものといえるかも知れません。アメリカでは4年間の卒前医学教育が行なわれますが,最初の2年間が終了して,臨床に入る前に1回試験があります。それがパート1です。そして,卒業時にパート2。1年の研修,インターンに相当するものが終わったところでパート3があります。
 病院実習は1年3カ月組まれていますが,それが終了した後,今度は医学を12の領域に構築し直して,最も大事な基本的な領域を,1週間単位で総まとめをします。1つの領域は火曜日から始まって月曜日で終わり,最後の日の午前中に試験をします。これが,それぞれの領域の卒業試験に相当するわけです。
 この12の領域は,火曜から金曜までの午前中だけ,必要に応じてまとめの講義を組みます。そして,それらの午後と土・日はすべて自己学習して,各領域を自分なりに納得いくまで勉強させます。その後で月曜の午前に卒業試験を行ない,午後はもう1度,試験でわからなかったところなどを確認するという形をとりながら,1週間単位で12週間を過ごします。

国家試験への対応は?

 神津 東京女子医科大学では,いわゆる国家試験のための教育はほとんどしていません。大学としてやる模擬試験もありますが,これは6学年の病院実習が終了した時点で2日間,国家試験と同じ形式で行ないます。以前に国家試験に出題された問題を使い,結果は本人だけに知らされます。その一方で,各領域の責任者には,その領域に関連した問題に関する,学生全体の正解率を教えます。ただし1人ひとりの学生の成績は示されません。例えば,胃癌の問題を出したら学生は半分しかできなかったとしますと,最後のまとめの12の領域の1週間の授業は,消化器系では何を追加すればよいかがわかるわけです。
 また学生は,模擬試験で何ができなかったかを認識し,夏休みに自己学習をしたり,12月までに卒業試験は終わりますから,1月から3月前半まで,自分で勉強してまとめ直すという形になっています。

“実習”と“テュートリアル”と“講義”が一体化して

 神津 その中で - これは先ほどの続きになりますが,講義と実習とテュートリアルは1つになっているわけです。
 学生たちは全体の日程表を6年分渡されていますから,1年生でも6年生が何をやっているか知っています。例えば,どこのブロックにも解剖学がその度に入ってきます。つまり昔のように解剖学を1度勉強すれば,2度と解剖学の授業がなくなるのではなく,その後も解剖学の教授がその領域をタッチしていくわけです。そこで,臨床医学も基礎医学も社会医学も,みな一緒になって教育に携わります。テュートリアルのテーマについても同様です。この講義と実習とテュートリアルは,同じ領域について,ただ学習形態が違うだけなのです。テュートリアルにおける統合的学習の意義はそこにあるのではないかと思います。
 テュートリアルの実際の進め方については,以前とあまり変わりません。ただ,週に2回のテュートリアルを組みますが,スタートした時点では中1日しか間隔がなかったために,学生の勉強時間がなくなると指摘されまして,その後必ず2日の間を置くようにしました。テュートリアルが午前の2時限にありますと,その日の午後のすべてを自己学習のための自由時間として,夜までどこでどのように勉強していてもよいということになっております。

導入の要件

 - 導入の要件についてはいかがでしょうか。
 神津 それについては,いくつかのことを考える必要があります。まずテュートリアルの位置づけです。到達目標を設定することも重要です。統合的学習,自己学習,対人技能など,テュートリアルの狙いにはいろいろあります。そういうものをきちんと整理して決めておく必要があります。
 次に,テュータを確保しなければいけません。私たちはできるだけ負担が少ないようにと,テュータの担当期間を3か月前後にしていますが,逆に言いますと,人数が多くなって,4学年で年間に200人のテュータを委嘱する必要になります。しかし年間を通して担当すれば,その3分の1ですみますし,1学年だけに導入すれば,わずか16人のテュータがいればよいことになります。その大学の事情に合わせて考えるのがよいのではないでしょうか。  
 また,テュータを支援する体制が必要です。テュータになる教員が必ずしもベテランとは限りません。むしろ若い先生がなることが多いので,そのためにテュータ養成のプログラムを作っています。またテュータ連絡会議がありまして,1つの事例を扱っている間に1回ずつ昼食をかねて全テュータと教育委員会委員が会合をして,テュータから自分のグループの動きを報告し,問題があればそこで相談します。また,その事例の扱い方について課題作成者が説明し,テュータの質問に答えています。これがとても役に立っているように思います。それから,テュータガイドを作ることも重要です。テュータガイドは,簡明な教科書風にその事例に関連する領域を扱う上で必要な知識を提示したり,テュートリアルの進め方を解説したりしています。
 その他に,導入にあたって小さい教室が多少必要になります。私どもは1グループ6~7人ですので,100人だと16グループ。ですから1学年が部屋を16,同じ時間帯に2学年ずつが使っていますので,32の部屋が必要になってきますので,あちこち,会議室の隅にコーナーを作ったり,応接間やカンファランスルームを使ったり,いろいろ工夫しながら教室を確保しています。
 またテュートリアルに必要な備品もあります。書きながらお互いにディスカッションをするための白板,参考図書が入るためのキャビネット,その中に必要な教材や模型や医学辞典が置いてあります。それから,自己学習が中心ですので,そのための施設,例えば図書館は自己学習に向いた形になってないといけませんし,図書も揃えておかなければなりません。
 そして,最も重要なことは,テュートリアルにおける評価システムの整備です。テュートリアルを通して,学生にフィードバックするための(形成的)評価と,正規の授業としての成績(総括的)評価を工夫する必要があります。

導入後の課題

 - 導入後の課題についてはいかがでしょうか。
 神津 導入後の課題としては,まず学年進行に応じた到達目標を明確に示すことが必要です。到達目標に,学び方を学ぶという「到達目標」と,もう1つ,本当に必要なものをきちんと身につけるという「目標の達成」があります。低学年では,「学び方を学ぶ」ことがまず優先しますが,次第に学び方をマスターしたはずの上級学年では,むしろ何をどこまで学んだかという「目標到達度」が優先してきます。この両者のバランスについて,学生にもテュータにも理解してもらうことが大切です。この点はさらに改善を加えていくつもりです。
 もう1つは評価システムです。さきほども申しましたが,評価には2種類あります。 総括的評価は成績として出す評価。形成的評価はフィードバックのための評価です。この形成的評価formative evaluationには,よくできたという賞賛も含まれますし,この点が足りないようだという,さらなる向上への示唆もあります。この2つの評価をテュートリアルの中でどう組み合わせていくかを工夫し続ける必要があります。
 学生グループの中の個人差に対してどのように対応するかも考えておく必要があります。能力の低いあるいは基礎的学識の不足した学生は,グループ学習の中でともすればおいてきぼりにされる可能性があります。一方,能力の高い学生あるいはその領域をすでにかなり学んだことのある学生は,シラケたり怠けたりすることがないとは限りません。このような学力差・能力差がある場合に,しばしば学生が先生役と生徒役に分かれてしまうこともあります。
 しかし,これはこのシステムの意義と役割を本当に理解すれば克服できるはずです。テュートリアルは単なるグループ学習ではなく,この形をとりながらも,その根幹は個人学習なのです。従って,学生が本当に自己学習をしようとすれば,どのレベルの学生であっても選択的・個別的に,自分に必要な学習目標を設定し,身につけていくことができるはずです。
 その他に学生側の問題点として,1つはテュートリアル形式の学習方法になじめない,向かない学生もいることです。学年成績の上位にいる学生の中にも,グループ学習が苦手が学生もいます。将来研究者を志望しているのであれば,あるいはそれでもよいのかもしれません。また受け身の形で教えられたことはよく覚えているのですが,自己開発方の学習は苦手な学生もいます。こういう学生は,各大学が特色ある教育をめざして自己点検している現在,あまりに適応しにくければ考えなおす必要もあるかもしれません。しかし,若いので自己開発への努力をすれば,うまく適応できるのではないかと思います。その点からも,医科大学は入学志望者に対して,「教育目標」をはっきりと示すことが大切でしょう。
 テュータの教授方法もさらに育成する必要があります。テュートリアルでテュータに求められるいろいろな技法があります。発言の少ない学生に対しては,上手に問いかける。問いかける時にはできるだけ多様な答え方ができる「開かれた」質問をすることも1つの工夫です。
 集団学習と個人学習とのバランスも工夫が必要です。全員に必要な基礎的・基本的な到達目標と,個人ごとに異なる自由な到達目標があるとよいと思います。テュートリアルの学習は,そのブロック全体の学習にうまく噛み合っていることが望ましい。あるときはこれから行なわれる講義に対する動機づけの役割を果たしたり,ある時は最近学んだことの復習であったりするとよいと思います。個人レベルで学識を再構築することが肝要です。

“テュータ”について

 神津 テュータ養成も重要です。先ほども申しましたが,どのように必要なテュータを確保できるかを考えなければなりません。私でもはテュータ養成プログラムを年に3回実施しています。1回に50人位ずつテュータになるための訓練をします。
 その場合,教育者としての資質と能力が,本当にどこまで身につくのか,という問題が出てきます。大学のスタッフの中には,さまざまな人がいます。初めから教師になろうとして入ってきているのではないわけで,教育者としての素養を積んだ人はほとんどいません。そして,これまでの大学教育においては,基本的な教育技法や資格を持たなくとも,教育に携わることができました。今後,この点が改善されなければならないと思います。
 私どものテュートリアルでは,テュータの担当領域は必ずしも専門領域である必要はありません。また,そうでないとテュータを確保できません。その代わり,専門テュータでなくともテュータができるようにテュータガイドを整備しています。その得失については,いろいろ研究が報告されています。テュータについては専門領域の問題よりも,臨床系では診療や研究・教育とのかねあいがむしろ問題になります。


“テュートリアルシステム”の将来

諸外国の現状

 - 諸外国の現状についてはいかがでしょうか。
 神津 先ほど話が出たMcMaster大学は,授業全体をテュートリアル中心に構築し,講義は最小限にして,特別講演が少し組まれているだけのようです。
 Harvard医学校は,1時限は全部講義になっています。このように講義とテュートリアルを組み合わせることを,hybridと呼ぶことがあります。Harvard医学校のNew Pathwayは対照群をおいた実験教育をしてその利点を確認した上で,全面的に実施されました。
 同じボストンのTufts大学も導入しています。ここのテュートリアルは私どものテュートリアルとほとんどそっくりでした。確かにMcMaster大学の流れを組んでいますが,全く独立にシステムを開発してきた中での類似性に驚きました。
 また,Jefferson医科大学では,カレッジでテュートリアルをやってきた学生たちを対象に,テュートリアル方式で医学教育をするという実験グループを作っています。オランダのLimburg大学は,新しい構想の下に開学された医学部ですが,McMaster大学方式によく似たテュートリアを行なっています。
 オーストラリアのNewcastle大学医学部も,同じようにMcMaster大学方式です。ただ,McMasterは一応カレッジ卒業者が入りますが,Newcastleは高校卒業者が入学していますので,日本の医学教育改革にとっては参考になることが多いと思います。
 このように,世界のあちこちでそれぞれの医科大学が,教育目標に添った形で独自のテュートリアルを組んでいますが,最初に申し上げたことが大事だと思います。つまり,テュートリアルをなぜ導入しようとするのか。どのように位置づけていくのか。それらを明確にしないで,テュートリアルを何か流行のように取り入れることはあまり意味がないと思います。あくまでも,教育目標が先にあって,その手段として妥当であればテュートリアルを取り入れるということになるのだと思います。

現状と将来

 - テュートリアルシステムの現状と将来の見通しについておうかがいしたいのですが。
 神津 テュートリアルの現状と将来を考える前に,まず,日本において医学部がどのような状況におかれているかを考える必要があります。日本では18歳人口が急激に減少しようとしています。1972年に205万人いた18歳人口が,2000年以降には150万人程度になります。今年1歳児が100万人前後ですから,17,8年後の18歳人口は100万任になるわけです。
 この急激な18歳人口の減少に対して,大学がどう対応しなければならないかということです。「少子高齢化社会」の中でのだいがく教育の問題です。大学全入の時代がきて,大学の定員が確保できない時代を予見すれば,いかにして大学が生き延びていくかを模索しなければなりません。
 この教育を始めた頃,これまでの教育でどうして悪いのだろうかという意見がしきりに出されました。例えば,「われわれは昔の教育を受けながらここまできちんと学問をしてきた。どうしてこれを変える必要があるのか」と言う人が少なからずいたものでした。しかし,現在だけでなくもっと大きな問題を抱えることになる将来に対して,どう考え,どう対処するかが重要です。私たち大学人は,10年後,20年後を見通してそれに対応しなければいけないわけです。
 先に待ち構えているもう1つの問題は,そういう状況の中で学生の個人差が一層大きくなってくるだろうということです。確かに本当に優れた学生は,教育システムにそれほど依存しないで,自分で勉強して道を開いていく能力を持っているかもしれません。しかし,平均的な学生は,そして適応困難な学生は一層,教育システムに依存することでしょう。

単なる模倣ではなく

 神津 テュートリアルを導入する上では,その大学の背景となる基盤的なものが重要な要素だと思います。テュートリアルの原型は,やはりカナダでの教育のあり方,ものの考え方に依存している点があるようです。例えば,学生が教師を評価する,学生がカリキュラムを評価する,学生がお互いにお互いを評価し合う,というようなことは,北米大陸では極めて自然なことかもしてませんが,日本ではあまり馴染まないことではないでしょうか。
 - なかなか難しいでしょうね。
 神津 そうですね。そうしますと,そういうシステムを取り入れるためには,自分たちの生来のあり方というものと突き合わせをしながら組み込んでいかないと,うまくいかないのではないでしょうかね。そこで,システムをただ形で真似るのではなくて,その中で自分たちから生み出していくものをいかに付け加えるかというのが大事だと思います。ですから私は海外であちこちの大学を視察する時には,いつも自分のところのやり方と突き合わせて,共通点と相違点とを見ながら,自分たちにとってどちらがよいのかを考えるようにしています。こういう問題は,常にそういう視点がないと,もの真似に終わってしまう可能性がありますね。もの真似に終わらせないためには何をしたらいいか。ここが大事なのではないでしょうか。日本人はそれがとても得意なのではありませんか。アレンジするのがうまいのですから,おそらくどこの大学でもその力をお持ちと思います。全体が組織的に組み込まれるのも,あるいは1つの学科でしかできなくともよいでしょう。テュートリアルにはいろいろな形がありえると思います。

国家試験への対応が目的ではない

 神津 そしてもう1つ,これはよく国家試験が問題だと皆さんがおっしゃいますが,決して国家試験を目的に,試験勉強させたくてやっているわけではないのです。本当の狙いは生涯にわたって役立つ学習能力をどのように培っていくかという問題なのです。新しいカリキュラムを始めた時には,国家試験がどうなるかとずいぶん心配した人がいました。教えなければならないことがたくさんあるのに,このような方法ではなにも教えられない。5年生になってもまだ,あの学年はわからないではないかと言われ続けていたのです。
 しかし私は,学生が1人になった時にそのやり方が生きてくれればいいんだと思っていました。マル暗記が必要なのではなくて,自己開発能力があれば最後の半年にいろいろなことができるのではないかっていう気がしていました。それが本当にうまくいったかどうかわかりませんが,少なくとも今回この新しいカリキュラムによる卒業生が初めて受けた医師国家試験の合格率は96.7%でした。以前と比べて決して悪くはない結果だと思います。これで改革を止めようという声は少なくなるだろうと思って喜んでいるのですが。
 - 去年の医学教育学会では,金沢医科大学が導入する際に,東京女子医科大学を参考にしたとお聞きしましたが,これからまた新しく導入されてくる施設が増えてきますと,先導的・リーダー的な立場になることが頻繁に出てくるのではないかと思うのですが。
 神津 それはあると思います。私どもにとってもそれは幸いなことですし,東京女子医科大学も外国からいろいろ教わりながらこのテュートリアルを開発してきたわけですから,これから開発なさろうとする方々のお手伝いをするのは義務であると思います。私自身も,いくつかの大学で私どもの経験をお話してきましたが,いつも逆にテュートリアルに対する新しいものの見方も教えて頂いております。
 模索の中で進歩が生まれると思います。私どもの学内でも,学長や多くの先生方と問題を突き合わせながら,次第に東京女子医科大学らしいテュートリアルの形が生まれてきたのだと思います。今後も他の大学の先生方と一緒に,新しい教育方法を模索したいと思います。