医学界新聞

座談会
21世紀に向けての医師の養成
卒後臨床研修を中 心に

水島 裕〈司会〉 橋本信也
聖マリアンナ医科大学教授,
参議院議員
東京慈恵会医科大学教授
・日本医学教育学会副会長
畑尾正彦 木曾 功
日本赤十字武蔵野
女子短期大学教授
文部省医学教育課長

卒後臨床研修の現状と問題点

 水島 本日は3人の方にお集まりいただき,医学教育の現状と問題点,さらに21世紀にどの ような医師が必要であるかということをお話しいただきたいと思います。まずいま非常に関心を集めてい る卒後の臨床研修について,大枠を橋本先生からお話しいただけますか。

臨床研修をいかに充実させていくか

 橋本 臨床研修の改善は,かねてから論議されてきました。現在,医科大学卒業生の約8割 が臨床研修をしていますが,あとの2割は研修をしていません。また研修をしている人の8割が大学病院で 研修をしています。
 大学病院での研修内容はいままでストレート研修が多数を占めていました。しかし,国民の医療 をまず担うプライマリケアを学ぶには,ローテイト研修をすることが必要です。また研修医の給料の問題 や待遇の問題など,大変問題が多かったわけです。そこでもう少し臨床研修を実のあるものにしようとい うことが,関係者から繰り返し叫ばれ,改善についてもいろいろなところから提言されてきました。しか し改善がなかなか実現しないのは,いろいろな障害があったからだと思います。
 それがここにきて機が熟したのでしょうか,臨床研修を必修化しようという動きが出てきました。 しかし,臨床研修を必修化する場合には,諸条件が整わなければ,昔のインターン制と同じようになって しまうということで,いま議論されているのだと思います。
 水島 必修化について,厚生省,文部省,大学,一般臨床研修指定病院でそれぞれ意見 が違うと思いますが,皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
 木曾 必修化が非常にホットな話題になっていますが,現在の卒後研修をもっとよいも のにしていく必要があるという方向性においては,まったく議論は一致しています。つまり研修プログラ ム,また給与等の問題も含めた研修医の処遇などをよりよいものにできないかと考えている点では一致し ているわけです。
 必修化という手法でそれを実現していこうという厚生省の考え方がありますが,それも選択肢の 1つだと思っています。給与を確保するためには,必修というかたちをとったほうがよいということだろ うと思います。
 ただ残念ながら,現在のところ大学サイドは,必修化という問題についてはかなりネガティブに 考えているのが実状です。これは文部省もネガティブだということです。その理由としては,いろいろな 意味で議論が尽くされていないという手続き論が1つあります。そしてもっと深刻な問題は,厚生省が提 言している考え方は,実は別の政策目的を考えているのではないかということです。大学が現在行なって いる卒後研修をよりよいものにするためには財源が必要だという表の議論が言われているわけですが,そ の裏に実は別の意図があるのではないかという疑念があるのです。
 昨年夏の「メディファックス」という業界誌の記事は,大学関係者に非常に大きなインパクトを 与えました。それは厚生省の某審議官が,「臨床研修はもはや大学病院に任せておけないというのが厚生 省の考え方」ということを明言され,将来的には,臨床研修施設を制度的に全国に配置して,そこで厚生 省が考える理想的な研修を行なうと話されたというものです。現在,大学病院が教育病院として卒後研修 をやっているわけですが,それをよくしようということではなくて,その機能を大学の外に出したいとの 考えがあるのではないかという危惧があるのです。
 水島 文部省やかなりの大学の意見としては,よい医師を養成するための研修はよいけ れど,財政的な問題や方法論を含めて,まだ議論が十分でなかったということですね。そのようなことが 問題になっていることは事実だと思います。
 では,今度は研修病院の立場からお願いします。

臨床研修指定病院の現状

 畑尾 医師免許取得後2年間は,大学病院または厚生大臣の指定する臨床研修指定病院で研 修に努めるものとされています。一昨年から,研修プログラムをきちんとした形でまとめて,公にしなさ いということになって,臨床研修指定病院はすでにそういうかたちで動きだしています。それが必修にな るならないということは,当面はあまり大きな問題ではありません。必修になったら困るという理由は病 院側にはないだろうと思っています。
 ただ,いままでの研修指定病院の多くは,大学病院の医局や診療科との連携で人のやりくりをし ています。そのような習慣化されたシステムに法的な枠がかかった場合に,大学とうまくやっていけるの だろうかという点が,十分に見えていない部分ではないかと思います。
 水島 厚生省の指定ということですが,これは厚生省が指定するのか,その指定が正し くいくかどうか,そういうことも問題になると考えてよいわけですね。

評価のなかった臨床研修制度

 橋本 厚生省も,大学・文部省も,国民の医療をよりよくする,よい医師をつくるという目 標は同じです。そのために臨床研修をもっと充実・改善しようという考えになってくるのだと思います。
 いままで臨床研修には問題がたくさんありました。その背景を浮き彫りにしてみると,1つには 任意制という問題がありました。つまり,臨床研修を受けても受けなくてもよかったわけです。しかも受 けた人に対して,修了時のきちんとした評価がないのです。ですからいい加減でもよいということになっ てしまっていました。アルバイトをすることも大目にみられ,十分な研修ができなかった。だから,研修 を充実させるための方法として,カリキュラムに基づいた必修化という構想が起こってきたと思うのです。
 しかし,必修にするためには,研修医の給与や身分を保障しなくてはなりません。指導医の待遇, 資格ということもあります。お金の問題がからんでくると,別の政策的意図があるのではないかという心 配が出てきます。そこに医療保険をからませるというような意見が起こってくると,やはり大問題だと思 います。
 ですから,純粋によき医師の養成という教育的な意味での研修必修化には賛成ですが,それ以外 の諸条件が出てくるとすれば,あらためて論議し直さねばならなくなるわけです。

必要な研修財源の保障

 水島 やはり財源も,制度ができてから決めるのではなくて,制度と同時に決めなくてはい けないということですね。
 橋本 そうでないと,これから研修する人たちが不安でしょうがないわけですね。
 木曾 確かに,義務化はしたけれど何も手当てをしないのでは,まさにインターン制度 の二の舞になってしまいますので,そこはセットでスタートしないと動きがとれないと思います。
 義務化ということになれば,当然手当てが必要になる。我々と厚生省のあいだの議論では,きち んとした研修をするためには1000億くらいの財源が必要であるということなのです。1000億という財源は 人件費ですから毎年かかります。その財源を誰が負担するかは,いろいろな意味で大な議論です。税金で 負担するのか,それとも健康保険から捻出するのか。いずれにしても誰かが負担しなければいけない。結 局は国民が負担するのですから,そこはオープンな議論がなされるべきだと思います。ただ残念なことに, 必修化という言葉は出てきますが,財源問題については何も議論されていません。
 畑尾 予算がないから必修化の話が出せないというのではなくて,予算を出すことを前 提に論議したいですね。
 橋本 財源はもちろんいちばん大事です。ですが,それ以外の条件も整わないとインター ン制度の二の舞になってしまう。

どのようなローテイトがよいか

 水島 問題点がかなり出たと思いますが,その他に,卒後教育をやっている者としては,研 修医の問題と同時に教育者の問題もあると思います。
 橋本 研修指導医の教育が必要だということについては,畑尾先生が前から盛んに指摘 しています。それから,研修のかたちとしてはローテイトが望ましいのですが,厚生省が言うようなスー パーローテイトに対しては,よく吟味する必要があります。我々が主幹科目と言っている内科,外科,小 児科,産婦人科は少なくとも廻るとして,その他プライマリケアにかかわるいろいろな科目,たとえば精 神科,耳鼻咽喉科,皮膚科,眼科,救急医療といった科目を選択的に廻るようなカリキュラムを十分充実 させなければいけないと思います。
 畑尾 ローテイションは臨床研修の目的ではないんですね。2年間でどんなことを身に つけなければならないかが問題です。プライマリケアに必要な知識や技術を習得するとしたら,1つの科 だけでは無理でしょう。ローテイトは目的ではなく方法です。
 水島 プライマリケアと,やはり救急救命の知識が必要ですね。最近は一般の人にも蘇 生術などを覚えてほしいと言っているのですから,ましてや医師ができなかったら大変なことです。これ ができるようになるためのローテイトも考えたいですね。
 橋本 2年間の臨床研修が終わったときの到達目標は,いろいろな組織から立派なもの が発表されています。しかし現実に今のわが国で,それに到達できる研修医が何人いるかということが, やはり問題なのです。

専門医教育とプライマリケア教育

 水島 それでは,必修化の問題はこのくらいにして,次に大学病院についてお聞きしたいと 思います。大学病院は特定機能病院化してきており,研究指向でどうしても専門的になっています。はた していまの大学病院あるいは大病院で,いわゆるゼネラリストが養成できるかどうか,またプライマリケ ア教育ができるかどうか,このへんはどうでしょうか。
 橋本 特定機能病院の役割は高度な医療の提供ですから,大学病院において国民の一次 医療を担うプライマリケア医の育成をどうしたらよいかという問題とのジレンマが出てきているわけです。
 昨年の日本医学教育学会で,「特定機能病院とプライマリケア教育」と題するシンポジウムが開 かれました。そのときに,厚生省の方が「大学でプライマリケア教育を行なうのは無理だ」というような 発言をされて,大学の先生からものすごい反対を受けていました。
 特定機能病院での専門医養成は当然ですが,やはり大学でプライマリケア教育をしっかり行ない, ゼネラリストを作らなければならないのです。このことに関しては,一方で専門家を作りなさいと言い, また一方では,プライマリケアも必要だと言う,それぞれの狭間に立って,大学に籍を置く者としていろ いろ試行しているのが実情です。

大学病院の機能の改革を

 木曾 私も,将来大学病院をどういうかたちに発展させていけるかについて考えています。 大学病院は卒前・卒後の研修における教育病院としての機能,また研究病院としての機能などいろいろな 機能を持っていますね。また高度医療ということを考えてみたとき,大学病院が相当な部分を担っていか ざるを得ないだろうという気がします。
 そうすると,いまは特定機能病院という面が主力で,教育病院というメインの機能が抜け落ちて いるのではないかというのが,私の考えなのです。
 大学病院が教育病院としての機能を有していなくてはいけないのですが,現実を見ると,症例が 偏ってきています。一般的な風邪とか虫垂炎とかのケースが非常に少なくなってきている。ですから,大 学病院だけを教育病院として機能させようとしても無理がきていることは認めざるを得ません。だからと いって大学病院は高度医療に限定して,教育の機能を薄めていったらどうかということについては,私は 反対なのです。
 ですから,大学病院のあり方を改革していかなくてはいけません。例ば大学外の医師にクリニカ ルプロフェッサーのような教授の肩書きを出していくことも考えてよい時期にきているのではないかとい うのが,私の実感なのです。
 水島 国立病院にはプライマリケアの必要な患者さんがたくさんいます。そこに大学の スタッフも出ていって,クリニカルプロフェッサーとしてでも,ティーチングプロフェッサーとしてでも, 患者さんを診ながら医学教育もやる,そのくらい大きな考えでいかなくてはいけません。結局,医学教育 あるいは医学研究のために,文部省と厚生省が協調してやっていただくことが最も大切だということです ね。

関連学会との協力も

 畑尾 日本プライマリ・ケア学会では現場にいる開業医の先生方も取り込んで,大学がコー ディネートするかたちでの卒前・卒後のプライマリケア教育にかかわっていこうという動きを始めていま す。
 水島 プライマリ・ケア学会や医学教育学会など,今日お話していることに役に立って いただけそうな学会がありますので,そういう学会に協力していただくべきかもしれません。
 橋本 私どもの大学では,かなり以前から開業医の先生に,プライマリケアや家庭医の 実習を夏休みと春休みにお願いしています。学生たちは,大学病院の臨床実習では学ぶことのできないよ うな地域医療をそこで実際に見ることができたと大変感動して帰ってくるんです。実地医家のための会や, プライマリ・ケア学会の先生方にお手伝いいただいています。
 水島 私は聖マリアンナ医大でカリキュラム委員長を務めて,卒前卒後の教育もやって います。そういうことを知っている国会議員も少ないと思いますので,厚生省,文部省,あるいは各関連 学会と協力していろいろ検討できたらと思っています。

卒後教育の責任主体はどこにあるか

 木曾 1人のよい医師を育てるというシステムを誰かが責任を持って考えていかなくてはな りません。卒前教育の部分は大学に任せて,卒業すると途端に2年だけ切り離して研修を考えるというの は,かなり無理があると思います。卒後研修は誰の責任で,誰の仕事なのかということについては,実は あやふやなんです。大学の先生方は,自分の大学の卒業生がそこで研修を受けていますから,自分の仕事 だと思っていた節はあります。ただ,やはりリサーチオリエンテッドですし,お金もいろいろな意味で十 分ではなかった。ある意味で文部省は,医学教育課は自分の仕事だと思っていなかった部分があるのです。
 卒前教育は学部教育ですから文部省の仕事です。しかしそのあとの教育については,生涯教育的 な部分だと思うのですが,現に大学附属病院でそれがなされていたにもかかわらず自分の本当の仕事だと いう認識が非常に薄かった。これは,我々の反省ですね。厚生省は,免許を取った医師の話だから厚生省 の仕事だという思いはあったけれども,現に研修をやっているメインの場所が大学なものですから,いろ いろな意味でコミュニケーションがうまくいかない。厚生省サイドにも非常なフラストレーションがあっ たのではないかと思います。
 今回厚生省から研修の義務化という構想がドンと提言されたときに,文部省の考えは,卒後研修 を大学教育から切り離すことは,大学にとっても長い目でみて大きなダメージになるし,それ以上に日本 の医療の水準という意味でも非常に問題であろうということです。両者の関係を再度考えて,再構築する 必要があるというのがいまのスタンスなんです。ただ,これは文部省だけの問題ではないことも確かです。
 ですから大学を所管する文部省と,医師免許を所管する厚生省と,まさに2つの省の行政が完全 にクロスしているところなのです。感情的なことでなくて,もっと建設的な方向で一緒に考えていかない とよいものになりません。
 なお文部省では,将来に向けて医学教育がこれでよいのかどうか,卒前教育や卒後教育,さらに 研究も含めて検討する「21世紀医学・医療懇談会」を昨年の11月に設けました。そこでは大学院の改革や, 大学病院のあり方について改革の政策提言を出していただくため,いま議論が始まったことをご紹介して おきます。


学位制度と専門医

 水島 ところで皆さんが関心を持っているのが,学位制度と臨床医の関係ですね。まったく 臨床と関係ないことで学位をとった人がいかにもよい臨床家みたいに見られるというのも問題です。これ はいかがですか。

学位の有効性と必要性

 畑尾 私どもの時代から,なぜ学位を取るのかはっきりしないが取っておこうという人が多 かったわけです。一方,最近は認定・専門医制度が盛んになり,認定・専門医制度を持っていない学会は ほとんどないくらいです。臨床家としては,認定・専門医であるかどうかということのほうが重要になっ ています。しかし認定・専門医であり,かつ学位もあったほうがよいという現実はあると思います。ただ, 学位が以前ほど注目されなくなってきているのではないでしょうか。
 水島 私は結論的には,研究であれば業績で判断し,診療であれば優れた臨床家になる ための研究によって臨床博士のようなものを作ってはどうかと思います。それが認定・専門医制度ともつ ながるのでしょう。
 畑尾 認定・専門医も,ただ手先が動く専門医というだけでなく,リサーチマインドが 必要ですね。
 橋本 いま専門医が非常に多くなりつつあります。しかしアメリカでは何年か前に専門 医が多くなりすぎて,昨年でしたか,クリントン大統領が全臨床医の50%はゼネラリストでなくては困る というようなことを言っています。いま日本でも専門医,専門医と,若い人たちは皆専門医をめざしてい ますが,今後アメリカのようなことが起こりはしないかと思います。つまり国民の一次医療を担う医師が 今後どうなるのかということです。このあたりを行政面ではどうお考えになっていますか。

まず医療政策を考えるべき

 木曾 家庭医も専門医も当然必要なのですが,そのシェアが崩れてしまうことが問題です。 私が言っているのは医療政策の世界です。教育の問題を論議する以前に医療政策の問題ではないかという ことですね。
 若い人が家庭医や一般医をめざすような医療政策をまず考える必要があると考えています。それ を教育でコントロールしようというのは,本末転倒になっているのではないかという気がします。いま一 般医をなぜ若い人がめざさないのか。それは専門医になりたいというモチベーションがはたらいているか らで,その裏にはいろいろなファクターがあるはずなのですね。
 橋本 患者の大病院指向とか,専門医は給料がよいとかいう問題ですね。
 木曾 それは診療報酬など,医療政策の世界でしか解決できない問題なのです。教育で 解決できるものではない。例ば全員がスーパーローテイトで卒後研修を行なって一般医中心の教育をして も,かなりの人がその後専門医の方向にいくとすれば,医療経済の目から見ると膨大なロスです。
 ですから,必要な医師に必要なトレーニングを与えると考えれば,医療政策の世界での大きな改 革が必要だというのが,私の考えです。


卒前教育の現状と問題点

 水島 私は3~4年前に大学でカリキュラム委員長をしましたが,いくつか問題がありました。 1つは,せっかく医大に入ったのに最初の1~2年はまったく臨床的な授業がないこと。臨床医学の講義に 入ったころには学生が嫌になってしまうということがありました。
 それから,基礎医学が昔と同じような科目になっていたのです。例ばステロイドホルモンを例に とると,生理学でも生化学でも薬理学でも出てきます。基礎医学をもっと機能別に分けられないだろうか という問題です。また臨床と基礎についても同じことが言えて,解剖学だけを教わるより画像診断や外科 と一緒に行なったほうがずっとよいということで,いくつか改革をしました。その点はいかがですか。

進んできたカリキュラムの改革

 橋本 医学部に入学してきても最初の2年間は医学に触れることなく,場合によっては高校 の授業の繰り返しで,学生のやる気をなくしてしまうということは前から言われていました。特にキャン パスが違っている大学では,教養課程の先生方が別の大学のような感じで教えていて,そこを卒業して専 門課程に送り込むというようなことをやっていました。それがよくなかったのだと思います。
 それが1991(平成3)年の大学設置基準の一部改正によって,6年一貫教育にカリキュラムが大き く変りました。アーリークリニカルエクスポージャーということが考えられ,かなりよくなってきたと思 います。また一般教養と基礎医学,基礎と臨床の統合カリキュラムもかなり進んできました。
 それから基礎・臨床に限らず,講義偏重の教育という問題がありました。大講堂で講義を聴くと いう受身の教育から,問題解決型のスモールグループ学習になってきていますので,カリキュラムの改善 は確実に進みつつあるのではないかと思います。
 水島 これらの問題は,医学教育学会をはじめいろいろなところで検討されていますが, それを文部省や厚生省の委員会への答申に反映させるようにするといいですね。
 木曾 文部省ではワーキンググループを作って,カリキュラムの問題も議論しようと思っ ています。アーリーエクスポージャーというかたちでは,かなりよくはなってきているのですが,まだま だやらなければならないことはたくさんあります。
 カリキュラムの改革を考える場合,いまの仕組みを少し変えていく必要があると思います。特に 国立大学の場合,カリキュラム委員会に,学部内でのかなり強力な調整権限を与えないといけません。講 座という非常に固い組織の力関係で決まってしまう,あるいは既得権がそのままストレートにカリキュラ ムになってしまうようでは,改革にならないからです。
 水島 そうですね。それに文部省が関わるわけにはいかないのですか。
 木曾 大学の自治との関係がありますので,最終的に大学の先生方の内部的な力に頼る しかありません。ただ,それをサポートする政策はとれるわけで,そこは行・財政上のいろいろな取り組 みが考えられます。ともかく内部からの改革の努力をサポートするようなシステムだけは作っていきたい と思います。

時代に即した医学教育を

 水島 私はいま日本臨床薬理学会長を務めていますので,その立場で最近特に重要な,薬に 関する行政や教育を考えていますが,教育について重要なのは大学の臨床薬理学講座ですね。ところが日 本の大学には正規には4つしかできていません。それではいかにも時代に合っていないということで,文 部省の高等教育局長に臨床薬理学講座を増やすよう要望書を出しました。
 木曾 文部省の21世紀医学・医療懇談会では,かなり幅広い問題について議論をしてい ただいています。もちろんそれを強制するわけにはいきませんが,1つの方向として真剣に考えてほしい という提言は,いろいろな分野でしたいと思っています。
 水島 それから,学生が実際に病棟で行なえる行為の範囲については,アメリカではか なり進んでいますし,日本でもそれぞれの大学で医行為を決めているわけですが,そのあたりはいかがで しょうか。
 橋本 クニカルクラークシップ制による臨床実習が,かなりの大学で進められるように なってきました。いままでわが国の臨床実習は見学中心でした。その背景には,学生が医行為をしたとき に医師法違反になるかならないかを問われると,だれも答えられなかったことがあって,そのために曖昧 になっていたのだろうと思います。
 1991年5月,臨床実習改善検討委員会が,「医学生が指導医のもとで医行為をする場合には違法 でない」ということを明確にしました。これによって教える側としてもクリアになりました。指導医のも とで学生が自ら医療に参加することが可能になったわけです。クニカルクラークシップが各大学にかなり 徹底してきていますから,今後は卒後の臨床研修にもスムーズに移れるのではないかと期待されます。

一般病院での実習も大学教育の一環

 畑尾 臨床実習検討委員会の最終報告でも,そこに踏み込んだ記述があります。大学病院で の実習だけで不十分ならば,関連の一般病院で実習するということです。これは大学の教育の一環という ことで,責任の所在ははっきりさせています。病院としても,どこに責任の所在があるか明確でなかった ら医行為はおそらくさせないのではないでしょうか。
 水島 大学には臨床教室,基礎教室,病院があり,関連病院もある。また看護職の仕事 にも,医学教育としては非常に学ぶことがあるわけです。いろいろなことをうまく利用するのが,これか ら大切になってくるのではないかと思います。
 木曾 医師免許が学部卒業の段階で与えられるといういまのシステムを前提に考えた場 合,卒前教育で基礎的・実務的な部分のトレーニングをきっちり受けることは,非常に重要だと思ってい ますし,卒後研修とリンクしてくる問題だと思います。ただ大学だけでなくもっと実習の場を広げたほう がよいものができるとは考えています。
 水島 文部省から見て,学生が大学の外に行っていろいろなことを教わってくることに は問題はないわけですか。
 木曾 問題ありません。
 橋本 最近は単位互換性ということが出てきて,他で学んできても単位を認めてもらえ ればよいわけですね。
 木曾 ただ,制度として文部省が大学の外に教育機能を持たせることはあまりなかった のですね。しかし真剣に考える必要があると思います。外のほうがよい研修ができる分野も当然あるわけ ですから。そうなると,外に出す部分についてどう考えどう整理していくのかを,制度的に考えてみる必 要があるというのがいまの私の思いです。
 水島 卒前教育については前向きに動いているようなので,どんどん実行していただき, 文部省もそれを強力にサポートしていただきたいと思います。
 橋本 大学を卒業するとすぐ医師国家試験を受け医師になります。国家試験に合格すれ ば医師として医療の第一線に出て,基本的な診療を行なうことが認められています。では,はたしていま の医科大学を卒業した段階で医師になって,すぐ医療の一線に出られるかどうか。ここがやはりいちばん の問題だと思います。
 よく航空機の操縦士の教育と,医師の教育とが比較されます。パイロットの場合,操縦訓練学校 を出ても,機長の隣に座って何時間か飛ばなければ,実際にお客を乗せては飛べません。しかし医師の場 合には,卒業して医師になって,すぐにお客さんを乗せて飛んでもよいわけです。国家試験合格後に実践 に臨むことを考えると,卒前の医学教育をもう少し充実させなければいけないのではないかと思います。
 水島 2年の研修必修化ができればどうですか。
 橋本 臨床研修必修化で副操縦士のような訓練期間にしようということですね。
 水島 卒後に補うか,卒前でもっと臨床的なことを学ぶか,どちらかですね。
 橋本 そうですね。卒前ならクリニカルクラークシップ制をもっと充実させなければい けないと思います。

知識以外の能力判定も必要

 畑尾 いまの医師国家試験は,知識の測定だけしかやっていないわけです。知識だけで医師 の仕事ができるわけではありません。国家試験の中に,知識以外の能力を測定するような仕組みをどう取 り込むのかということが,実は去年の4月の医師国家試験改善検討委員会報告の中で,今後検討すべき課 題として述べられています。
 知識以外の能力を測定する方法はいくつかあるわけですが,いかに適正に能力を測定するか,信 頼性の高い評価ができるかという研究をいま進めています。ただ全国一斉の国家試験にそれを導入するこ とは技術的にまだ先になると思います。ですから国家試験に代わるものとして,各大学で医師を社会に送 り出す責任として,技術や態度などを判定するシステムをぜひ持ってほしいものです。
 木曾 国家試験については文部省としても,国民の要望との乖離が広がっているという 問題意識は持っており,「21世紀医学・医療懇談会」でも論議されると思います。


21世紀に向けての医学教育

 水島 最後に21世紀に向けて医学教育の将来はこうあるべきということをお聞かせ下さい。

患者中心の医療を原点に

 木曾 医学・医療の目指すものは「患者中心の医療」にあると思うのです。これはまさに医 学教育の原点ですけれども,その原点をもとにしてシステムが動いているか,あるいは問題はないかとい うことを総点検してみる必要があると考えています。
 もう1つは文部省として,21世紀に向けて,医学だけではなく理学,工学など学際的な分野に関 わってくる生命科学を中心とした戦略的な学術研究を確立していきたいということです。これは非常にお 金もかかりますし,文部省だけの問題ではなく,政府として,医学関係のリサーチに財政的な支援をして, 研究成果が期待できるようなシステムを今後作れるかという問題もあります。大学院制度についても,相 当な改革を考えていかなければならないと思いますし,学位制度についても検討していく必要があります。
 学位制度は日本の場合,伝統的にPh・Dというアカデミックディグリーの世界できています。こ れは研究ということを考えた場合は非常に重要なのですが,臨床医の能力を求められる世界ではありませ ん。ですから,学位規則の世界でも,やはりもう一度研究と患者中心の医療という2つの大きな目標に向 けて,それぞれを両立させる新しい枠組みを考えていく必要があるのではないかと思います。
 水島 ライフサイエンスの研究についてですが,日本は欧米に比べると基礎的な研究が かなり弱いんですね。政府もそれを認識して力を入れようとしています。
 私も大部分のライフサイエンスの研究は患者オリエンテッド,疾患オリエンテッドでなければと 考えています。これを基本に大学病院を中心に,病院のそばに教室や研究システムを作って,しかも基礎 的なことも研究し,それに政府も助成するという方向が必ずできると思います。患者中心の医療も研究活 動も,両方がのびのびやっていけるようなシステムを作ることに私も努力したいと思っています。

国民が医療の方向の判断を

 畑尾 臨床研修必修化にはお金がかかります。それはなんらかのかたちで国民が負担するん だとすれば,必修化するしないは,国民が決めたらよいと思います。つまり,医療と医学教育の責任は国 民が持つということです。先ほど卒後教育は厚生省で,卒前教育が文部省だという話が出ましたが,全部 ひっくるめて国民が責任を持つというのはどうでしょうか。すばらしい芸術家が育つには,すばらしい批 評家が必要です。すばらしい医療,すばらしい医学になるためには,すばらしいセンスを持った批評家が 国民の中にたくさん出てくることが必要だと思います。
 水島 日本は医学・医療に関する国民への情報が少ないと思います。もちろん専門的な 知識を求めることは無理ですが,医学・医療というのは国民全部に関わっているものですね。文学や音楽 など以上に国民に判断していただくということですね。
 先日,医学・医療のことが全部分かるディズニーランドのようなメディカルランドを日本に作っ て,国民の医学的知識のレベルアップを図ったらどうかということを申し上げたのですが,大賛成を得ら れました。
 橋本 医療をどうするか,医学教育をどうするかという議論には,国民にももっと参加 してもらいたい。アメリカでは市民が参加して,今後の医療をどうすべきかということを考え,それが医 学教育の改善に役立ったという例があるようです。
 わが国でもぜひ市民が参加して,これからの医療をどうしていくかを論議したらよいと思います。 よい医療を受けたい,そのために臨床研修を必修化するのだと言えば,それが最も大きな力になるのでは ないでしょうか。そうすれば文部・厚生行政の狭間などという問題はなくなって,皆んなのコンセンサス を得たよい医療ができるのではないかと思います。
 水島 それにはマスコミなど,いろいろな方々に協力していただかないとね。
 橋本 最近,わが国でも国民の医療に対する関心は深くなってきていると思いますね。 特に長寿社会を迎えて,健康関係の雑誌は飛ぶように売れているそうですから。もう少し正しい知識を普 及させていくことも必要ではないかと思います。

医学・医療への適性ある人材を

 水島 どんな職業でもそうですが,その職業にその人が適性であるかということが大切だと 思います。もちろん研究者もそうですが,医師には人命を扱う適性がなくてはいけない。いまは18歳で大 学に入るときに進路を決めてしまい,そのままずるずる行く。またその進路の決め方も,「たまたま偏差 値が高かったからもったいないから医学部へ」ということで,決まることもある。私は,いまの医学教育 の道筋というのをどこかでもう一度考えてもよいのではないかと思うのですが,いかがですか。
 橋本 患者中心の医療ということを考えたとき,それを行なう医師を育成する上で,い ま何がネックになっているのかを見きわめる必要があると思います。いろいろなことが問題になっていて, それをいま解決するのはなかなか大変ですが,組織・機構を見直すことも大切なことだと思うのです。
 例えば,いまは大学入学後6年で医師になっています。大学の入学試験は18歳です。水島先生が ご指摘のように,親や先生が,高校の成績がいいからと勧めて,偏差値偏重で医学部に入ってしまう人も 実際にいます。そういう人は入学してからモチベーションがだんだんなくなっていきます。こういうこと に対しては,4年でカレッジを卒業し,そこで将来の進路をゆっくり考えるようにしてはどうか,そこで 医学部志望を考えてみたらどうかという意見があります。そうすると本当に医師になりたいという人だけ が来るのではないかと思います。
 また21世紀に向けての機構の改革という点では,大学院大学という機関を明確にし充実させて, 現在の学部ではまず臨床での診療能力のある医師を育て,さらに高度の研究や高度医療については大学院 大学で,ということも考えられます。
 水島 そうですね。そういうことも含めてもう一度医学教育全般にわたって見直す時期 にきているかもしれないということでまとめたいと思います。本日はどうもありがとうございました。