医学界新聞

「心疾患診断訓練用シミュレータ」による聴診訓練研修
 How to Listen the Heart


 高階經和氏(社団法人臨床心臓病学教育研究会:ジェックス会長)が,アメ リカ心臓病学士院(ACC:American College of Cardiology)の「ハート・ハウス」に範をとり 「21世紀の適塾」をめざした「ハート・ハウス・ジャパン」の設立に懸ける情熱は,広く知られ ているところである(本紙第2162号参照)。
 その高階氏が,ACC「ハート・ハウス」に設置されている「心臓病患者シミュレータ:ハー ヴェイ」を念頭において,「心疾患診断訓練用シミュレータ(愛称“イチロー”)」を開発。第1回の 訓練研修会がさる1月20-21日,大阪市のハーヴェイ・ルームにおいて開催された。今回開発された シミュレータは,最新の医用電子工学を駆使することによって大幅な軽量化に成功し,また機能面 (ソフト面)においても本家を凌ぐ画期的なものとなっている。
 本号では,この訓練研修会の模様を通して「心疾患診断訓練用シミュレータ」の概要を紹介してみた。


総重量はわずかに50kg

 ゴードンらによって開発された前述のシミュレータ「ハーヴェイ」は,27種類の心疾患を再現できる 教育機器として,すでに過去25年間にわたり,全米はもとより世界各国の医学教育機関において使われて きた。日本においてもジェックスの他に,ライフ・プランニング・センター(理事長=聖路加国際病院院 長 日野原重明氏)に導入され,医師,医学生,ナースをはじめとして,臨床医学教育の場で広く活用さ れてきた。しかし,「ハーヴェイ」はその総重量が350kgもあることから,各地の医学教育機関の要望が あっても,移動がきわめて困難で,十分にその役割を果たしてきたとは言えない側面もあった。
 その点,今回高階氏が清水優史氏(東工大教授)と(株)京都科学の協力を得て開発した「心疾 患診断訓練用シミュレータ」は,総重量がわずかに50kgであり,臨床研修が必要と考えられるいかなる場 所にも移動が可能で,緊急時における患者の身体所見の適切な把握のためには不可欠な医療教育機器になっ たと言えよう。

疲れを知らない“患者”さん

 このシミュレータは3つの基本システムから構成されている。まず,制御用32ビット・コンピュータ。 次に,空気圧制御用ハードウエア(コンプレッサおよび電空レギュレータ。そして脈波,心尖脈動のため のシリコン・チューブとスピーカーを具備するマネキン。
 高階氏によれば,「日常遭遇するあらゆる心臓病患者のベッドサイドの身体所見,つまり頸静脈,動 脈拍動,心尖拍動,心音,心雑音,呼吸音などを忠実に再現してくれるばかりでなく,不整脈の診断に欠 かせない心電図や脈波の変化,それに伴う心音の変化も観察できる画期的なシミュレータ」であって,さ らには「“疲れを知らない患者”として,医師やナースはもちろん,臨床検査技師や救急救命士の訓練や 臨床診断の技術向上,また教育という面においても頼もしい味方となるでしょう」とのことである。

心臓病患者が持つ生体情報をライブに再現する

 このシミュレータでは,頸静脈,動脈拍動および心尖拍動は,空気圧制御技術を応用してそれぞれの 血管部位に内蔵されたシリコンゴム管と心尖部の空気圧シリンダによって再現させるとともに,心音・心 雑音を4つの聴診部位(A-右心基部:大動脈部位,B-左心基部:肺動脈部位,T-胸骨左縁・第3肋間: 三尖弁部位,M-心尖部)に内蔵されたイヤホーン・スピーカーを通して再現される。
 したがって,このシミュレータを使えば心臓病患者が持つ生体情報を実際の患者と同様に視診,触診 することができ,さらには聴診も通常の聴診器を使用することによって,臨床における心臓病の診断に必 要な身体所見を把握することができる。そして再び高階氏によれば,「このシミュレータは,診断技術向 上のために開発されたわが国初の教育機器」なのである。

まず「基礎編」,それに続く「応用編」・アセスメント

 講習会第1日目は「基礎編」。
 ナース数名を含め,計25名の受講者が午後2時30分に会場に集合。事前に配付されたパンフレットに は,復習も兼ねて次のような項目が網羅され,簡潔な解説が付されている。
 (1)聴診の歴史,(2)聴診の飛躍的な進歩,(3)聴診器の必要性,(4)心臓病 患者へのアプローチ,(5)心音の発生,(6)I音・II音・III音およびIV音の臨床的意義,(7)聴診の体位,(8)聴診部位 と疾患との関係,(9)心尖部と心基部におけるI音とII音の関係,(10)I音とII音の聴診・分裂の有無, (11)III音とIV音・クリック音の臨床的意義,(12)頸静脈波とI音・II音の関係,(13)頸動脈波とI音・II音の関係, (14)聴診部位(A.P.T.M)における正常心音,(15)心雑音の発生,(16)収縮期雑音(駆出性雑音・逆流性雑音), (17)拡張期雑音(早期・中期・後期),(18)連続性雑音,(19)心音・心雑音は『臓器の言葉』,(20)セルフ アセスメント。
 この種の教育機器の特色の1つは,シミュレータを自在に使うことで,こうした基礎的な事項をいと も容易に,また平易に教えられることである。例えば,各種の心音・心雑音も実際にイヤホーン・スピー カーを通して聴診することによって,文字通り「手に取るように」判別できる。
 「基礎編」に続く「応用編」は第2日目に集中的に行なわれたが,ここでも「シミュレータ」として の特色はいかんなく発揮され,時に受講者の間から感嘆の声があがるほどであった。

「臨床実習の一方法」としてさらには「指導者の育成」も

 振り返って考えてみると,近年のデジタルおよびコンピュータ技術が医学分野の診断や治療に導入さ れるまでは,臨床診断学は,ベッドサイドにおける視診,触診,聴診の技術や手技を自ら習得することが 最も重要なことであり,また唯一の方法であったと言えるかもしれない。
 しかし,高度技術を駆使した医用電子工学の発達に伴い,従来の診断法はその精度の面から見ても劣 るのではないかという認識が,臨床医の間でも広まる結果となっている。
 このシミュレータのソフトには,52種の不整脈を含めて94種類の症例が入っており,今後この面での 開発も大いに期待されるところである。しかし,「医学教育」という観点からこのシミュレータを考えて みると,「臨床実習の一方法」として十分に魅力的かつ効果的な方法でもある。  高階氏もそれに呼応するように,「今後は“指導者の育成”が重要な問題になってくるでしょう」と 強調した。