ペプロウの生涯
ひとりの女性として,精神科ナースとして

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ヘンダーソンとともに20世紀の看護界の双璧をなすヒルデガード・ペプロウ(1909-1999)の人物像と生涯を描いた伝記。良妻賢母的な時代のモラルに抗して独立不羈の精神を発揮し、精神医学者のサリヴァンに学んで古典的な看護理論書『人間関係の看護論』を著した。どんな困難にも真向から立ち向かうその人間像は、21世紀の看護学を切り開く勇気と励ましを与える。

バーバラ J. キャラウェイ
星野 敦子
発行 2008年04月判型:A5頁:648
ISBN 978-4-260-00621-7
定価 5,720円 (本体5,200円+税)

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 ヒルデガード・エリザベス・ペプロウ(Hildegard Elizabeth Peplau)は現代看護の偶像である。彼女の著書『Interpersonal Relations in Nursing(邦題:ペプロウ 人間関係の看護論)』が出版されて50年たつが,この時期に彼女の起伏に富んだ生涯がバーバラ・キャラウェイの手によってこうして描かれたことは時宜を得たものと言えよう。
 第一に,これは非凡な知性とすばらしい情熱をもった女性の物語である。自らの知的作業の力によって,ペプロウは看護を看護師が患者(のため)にする業務から,看護師が患者とかかわっていく専門職へと変容させた。看護実践にこの根本的な変化を起こすには,大半の社会学者が真のパラダイムシフト達成のために必要と認める50年という年月がかかった。
 本書に示された考え方は,ペプロウとその伝記における他の主要人物からのインタビュー・テープからだけでなく,ペプロウ自身が残した文書資料から深く広範に知ることができる。こうした豊富な情報は,出来事や行動,生活と経験に関する考えを事細かにメモ・記録するというペプロウの嗜癖の賜物である。ペプロウはおそらく,その倹約的な「ペンシルヴェニア・ダッチ(訳者注:ペンシルヴェニア州に移住したドイツ系の子孫,9,10頁参照)」の出自,あるいは自ら経験した抑うつの影響を考えて,何を行うにしてもほぼすべてを紙面に収めたのであろう。彼女はまた,日記をつけ定期的に覚え書きを記した。ペプロウは検証される生活という規律の中に生き,それを自分の生徒にも期待した。ティーチャーズカレッジで精神科看護の上級学生を対象とする研究プログラムを開発しはじめたとき,彼女は看護師─患者相互のやりとりを逐一記録することを要求した。その後こうした記録はテーマや型ごとに分析され,それによってその分野の理論開発が始まった。
 アメリカにおける,そして実は世界における壮大な変化を背景にして展開されるこの物語の力強さに,読者は圧倒されるに違いない。大恐慌時代から第二次世界大戦,市民権運動とベトナム戦争時代へと,著者はペプロウの人生をたどり,その経験を人間的な言葉で読者に伝えている。本書のページを通して展開される生涯は,女性史研究者や看護史研究者だけなく,実際,内在的な性差別主義的規範から突きつけられる課題に直面してアメリカ社会の中で戦ってきたすべての女性たちにとっても,興味あるものとなるであろう。
 ペプロウの専門職としてのキャリアは,ほぼ女性ばかりの組織――病院,看護大学,そして特にアメリカ看護師協会をはじめとする看護協会――における経験から構成されていた。キャラウェイは,こうした組織におけるペプロウの経験の変遷を,忠実に順を追って語っている。結果的に,ペプロウが経験したとおりに「ありのままを描くこと」がこうした特定の組織の力学を説明することになる。こうした力学はきっと特に珍しいものではなく,そのような組織に働く何十万人もの女性たちの日常生活における様式であるに違いない。ペプロウの経験を注意深く研究することは,同様の状況にある他の女性たちにとっておそらく有益であろう。そうであれば,彼女もきっと喜ぶに違いない。

 グレース M. シルズ,PhD, RN, FAAN

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序章 意味深い生涯
第1章 アメリカの子どもとして
第2章 看護師への道
第3章 看護師,大学に行く
第4章 第二次世界大戦:自らの本領を発揮する
第5章 移行期
第6章 大学院生として,母として
第7章 ティーチャーズカレッジ:キャリアの始まり
第8章 学問的悪夢:キャリアの危機
第9章 ラトガーズ:「恐るべき女性」
第10章 地方巡りの夏
第11章 ラトガーズ:世界を飛び回る日々
第12章 専門職の理念
第13章 ANA:専門職の課題
第14章 ANA:専門職の悪夢
第15章 引退:「世紀の精神科看護師」
第16章 結辞:「わが人生に悔いなし」


ペプロウの著作目録(抜粋)
訳者あとがき
索引

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逆境のなかで,学生を魅了し続け,人材を輩出したペプロウ看護の真髄 (雑誌『看護管理』より)
書評者: 宇佐美 しおり (熊本大学大学院生命科学研究部精神看護学教授)
◆初のCNSプログラムを構築

 ヒルデガード・ペプロウは,看護師と患者の治療的関係が患者の回復を促進するという看護師-患者関係の治療的発展について述べ,現在のクリニカル・ナース・スペシャリスト(Clinical Nurse Specialist,以下,CNS)の必要性を強調し,1953年にCNSのための初の大学院プログラムを構築した非常に重要な人物である。

 ペプロウは,米国ペンシルバニア州のレディングに労働者階級の娘として生まれ,病院に住み込み,1939年に同州のボッツタウン病院附属看護学校に入学し,1943(昭和18)年にバーモント州ベニントン大学にて学士号をとり,1947(昭和22)年にはコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで修士号,1953(昭和28)年には教育博士号をとっている。また同カレッジには博士号をとる前に5年間講師として仕事をし,その後は,ラトガーズで教授として学部の看護教育課程や大学院教育課程のカリキュラム構築に貢献している。

 このプロセスにはペプロウの母親への愛着と葛藤,ペプロウの実直さ,貧困との闘いが如実に描かれている。そしてこのような厳しい状況のなかでもペプロウは,常に患者と過ごし,看護者が精神疾患をもつ人々に精神療法や精神療法的アプローチを実施することで患者の回復を促進できることを体験し続け,実践や研究を通して実証してきた。

 そしてこの試みのなかでペプロウは精神力動理論の創始者ともいえるハリー・スタックサリバンやフロム・ライヒマンなどに出会い,影響を受け『人間関係の看護論』を1952(昭和27)年に出版している。また第二次世界大戦中には従軍看護師としてイギリスへわたり,心的外傷後ストレス障害の多くの兵士たちを支援し,その実践は軍でも評価が高かった。そしてこの時,ペプロウは戦闘地帯の医師マックと深い友情を温め,お互いを尊敬し合い,妊娠・出産にまで至っているが,ペプロウはこのことを隠し続けた。一人で子どもを育て,仕事と両立させることを誓い,それを成功させた。この成功の背景には妹バーサや弟ウオルターの理解と支援が大きいが,追い詰められた状況で,客観的に判断し,行動を起こすペプロウの力に敬服した。

 さらにティーチャーズ・カレッジ時代には,臨床で活躍する大学院生を着実に育て卒業させたが,大学からの評価は厳しく,汚名をきせられたまま同カレッジを去っている。しかしこの逆境のなかでも,CNSを輩出し続け,看護職における修士号や博士号の意義を唱え,学生たちを魅了し教育カリキュラムを構築し人材を育成し続けた。

◆看護の原点に戻るために

 私自身は,精神看護における看護教員/CNSとして活動・研究を行ない,オレム・アンダーウッドのセルフケアモデルを用いながら,患者との治療的関係の発展においては,ペプロウの理論を活用している。そしてペプロウの理論が,異文化においても普遍的であることを実感しているが,本書を通して,ペプロウ自身の看護の哲学を理解でき,看護の真髄が見落とされがちな現在の看護において,看護実践家や教育者・研究者たちが改めて看護の原点に戻ることのできる文献であると感じた。

(『看護管理』2010年6月号掲載)
ペプロウの生き方から何を学ぶか (雑誌『看護管理』より)
書評者: 湯浅 美千代 (順天堂大学医療看護学部准教授)
◆波乱万丈の一生が赤裸々に

 近代的な看護理論としては初めて書かれた『人間関係の看護論』(原題/International Relation in Nursing. 1952)の著者であり,“精神科看護の母”として知られるヒルデガード・E・ぺプロウの波乱万丈の一生が,本人と関係者への丹念なインタビューと多くの記録物から再構成されている本である。まさに“女の一生”を米国看護界の歴史とともに興味深く読むことができた。

 ポーランドからの移民の子であったぺプロウが米国の知識人として認められるまでには相当な努力が必要だった。「女性に学歴はいらない」「長いものには巻かれろ」に類する古い蔑視的な観念。米国も日本と変わらない状況があったことを改めて知らされた。そのなかにあってぺプロウは,どんなときも自身の正義と信念を貫いて行動してきた。大学内部の問題(“長”にふさわしい人を探すのに苦労するとか,明らかに適任の人が落選するとか)やアメリカ看護協会(ANN)の組織の腐敗さえ赤裸々に綴られ,ゴシップを目にするような楽しみさえあった。これは現代の日本でも起こらないとはいえない組織の問題である。自分の所属する組織に置き換えて考えてみてもよいのではないか。

 看護界だけでなくヘルスケア全般に関わり,国家的,世界的な仕事に従事していたぺプロウであったが,じつは心身社会的にさまざまな苦悩を負っていた。それでもぺプロウは,「看護が専門職であって患者の回復・治癒に貢献できることを,科学的に(実践と理論から)世間に示す必要がある」と信じ行動してきた。しかし,むしろ彼女の取り組みを阻んだ人の多くは看護職であった。ぺプロウはその能力と努力で成果をあげたが,それだけに周囲の人の能力不足には我慢できず,周囲の人々の自尊心や猜疑心に配慮するのが下手だったようである。周囲の人々と社交的,戦略的に付き合うこともできなかった。そのため,「出る杭は打たれろ」とばかりに足を引っ張られ続けたのである。

◆管理者として気づかないといけないこと

 ぺプロウの生き方を知ることで,管理者としての自分の行動をリフレクションする手がかりが得られると感じた。

 自分以上に優秀なアイディアをもち,現状維持に満足せず高みを目指して行動しようとする部下がいたら,経営者や他職種のスタッフに魅力的に映る部下がいたら,どのように扱うだろうか。一緒に高みを目指せるだろうか。自分の常識のなかに留まらせようとしないだろうか。果たして自分は看護の専門性に対して信念をもって現場を動かしているだろうか。

 ぺプロウは,精神科看護師として卓越した実践ができたが,自分自身のストレスやうつ状態,身体的な問題には上手に対処できていなかった。あなたはストレスをどのように対処しているだろうか。身体が出している“危険”のサインを無視していないだろうか。同じ土俵で議論し,創造的な活動のエネルギーを得る相手がいるだろうか(もしそのような相手がいるとしたら,かなり恵まれていると思わないといけないのかもしれないが)。

 600ページを超える中身の濃い本であり,いろいろな側面で現在の看護・医療についての“警告”がある。ぜひそれに気づいてほしい。

(『看護管理』2008年7月号掲載)

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