誰も教えてくれなかった スピリチュアルケア
「スピリチュアルケア」を知ると、明日からのケアが変わる!
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「スピリチュアルケアって何?」。本書は、臨床で働く医師、ナース、そしてすべての医療者のために、何よりも臨床に役立つ形で、わかりやすく、スピリチュアルケアについて解説した本。スピリチュアルケアは、決して特殊なケアではなく、すべてのケアの基盤になるといえるほど、大切な考え方であり、役に立つ方法である。スピリチュアルケアを理解することによって、日々のケアのあり方が変わってくる。
著 | 岡本 拓也 |
---|---|
発行 | 2014年04月判型:A5頁:208 |
ISBN | 978-4-260-02010-7 |
定価 | 2,750円 (本体2,500円+税) |
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- 序文
- 目次
- 書評
序文
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はじめに
医者になって,まだ1カ月ほどの頃でした。同じ医局の大変まじめなベテラン医師が,「スピリチュアルペインって,よくわかんないんだよなあ……」とつぶやきました。「岡本君,スピリチュアルペインとかスピリチュアルケアって,要するに何なの?」
私が医者になるまでの紆余曲折を知っての質問であったのだろうと思いますが,「医者になったばかりのボクに聞かれてもなあ……」という問いではありました。あまりうまくは答えられず,その問いは,宿題として心に残ることになりました。
そして,今,ようやくその答えを提出することができることを,うれしく思います。
もちろん,この問題を四六時中ずっと考えてきたというわけではありませんが,折に触れて考えることはありました。というよりも,臨床現場において,質においても量においても実にさまざまなスピリチュアルペインを抱えている方を実際に目の前にする環境のなかでは,考えざるをえませんでした。
思えば,ホスピスで初めて受け持った患者さんは,60代前半の男性でしたが,大変強いスピリチュアルペインを抱えておられました。家族の希望で癌という病名は隠されたまま,すでに終末期を迎えており,コントロールが全くついていない強い痛みと死の恐怖と不安と怒りが,この方を支配していました。焦点の合わないうつろなまなざしで,「俺はもう死ぬのか,俺はもう死ぬのか」と,時に,うわごとのようにつぶやいてもおられました。私にとっては初めて受け持つホスピスの患者さんでしたので,もちろん指導医の先生と一緒に受け持ったわけですが,全く痛みのコントロールもつかず,不安,恐怖,怒りに囚われている状態も変わりませんでした。心と身体の負のスパイラルに,完全にはまり込んでいました。病室には,常に,張りつめた重たい空気が充満していました。その病室では,家族もスタッフも誰しもが緊迫した表情で,息苦しい沈黙のなかに閉じ込められていました。一生懸命に傾聴して,良好なコミュニケーションを取ろうとしました。ありとあらゆる鎮痛薬を使い,量も増やせるだけ増やし,ペインクリニシャンの助けも仰ぎました。できるかぎりの手は尽くしました。しかし,結局は,事態を十分には打開できないままに,患者さんは亡くなられました。後に残ったのは,敗北感だけ。この苦い経験が,私のホスピスとのかかわりの始まりでした。
泳げない人間でも,いきなり水に放り込まれたならば,溺れまいとして必死に泳ぎを覚えようとするでしょう。それと同じように,私もスピリチュアルペインを抱えた人を前にして,その人たちと必死にかかわり続けるなかで,何事かを心と身体で学ばされてきました。時には先達の話や書物を通して,時には自らの経験を振り返ることを通して,学び続けてきた結晶のようなものが,本書の見えざる土台を形づくっています。
もちろん,人生の苦しみは,何も病気だけに限ったことではありませんし,スピリチュアルペインは難病患者だけがもつものでもありません。私が医者になる前に,少年院やキリスト教会で働いていた経験も,その結晶の一部を構成しているに違いありません。
いずれにしても,さまざまな経験と学びを経て,今,ようやくこの問題の本質的構造をつかむことができたと感じています。そして,ほかの誰でもない私自身が納得できる,ある程度まとまった枠組みをつくり上げ,提示することができたことに,大きな満足を感じてもいます。
とはいえ,生身の人間がすることに完全ということはありません。まだまだ不十分な点も多々あるに違いありません。実際,この本を書く過程においても,多くの気づきがありましたし,いったん文字にしてみて読み返した時に,自分が書いたことのなかにある矛盾や間違いに自ら気づいて,何度も書き直したりもしました。内的整合性を高めるために,なしうるかぎりの努力はしたつもりですが,思わぬ間違いや勘違いがないとは言えません。きっと,不十分な点はあるでしょう。批判や疑問,筆者が思い至らなかった点についてのご指摘は,喜んでお受けしたいと思います。そして,さらに内容を深め,前進させていきたい,と願っています。
本書に記載されている「註」について,一言だけお断りしておきます。
註には,必ずしも本文内容の理解を助けるものばかりではなく,哲学的方面や脳科学的方面など,特定の分野に特に関心をもっている人が,さらに深く突っ込んだ内容を学んだり,本文に対して抱く可能性のある疑問に答えたりすることを想定して,少々難しいのは承知のうえで,やや高度な内容を記載したものも存在します。そういったものも含めて,本文だけを読んで理解するには必ずしも必要ではない「註」については,「より詳しく学びたい人のためのコーナー」という表記を付し,章末にまとめさせていただきました。もし興味があれば,そのかぎりにおいて,こちらのコーナーにも目を通していただけたらと思います。
本文のなかにも,理屈っぽすぎるとかややこしいと感じる箇所があるかもしれませんが,そのようにお感じになった場合は,あまり根を詰めて読解しようとはせず,ましてやそこで読むのを止めてしまったりすることはしないで,まずは,さらっとでも全体を読み通してみてください。自分の心に響く箇所だけを拾い読みしながらでかまいません。そのうえで,臨床経験を重ねながら,折に触れてまた読み返していただけたら,よくわからないと思っていた箇所も,ある時ストンと腑に落ちる,ということもあるだろうと思います。
では,これから期待に胸を膨らませながら,一緒に「スピリチュアルケアとは何か」という旅に出発いたしましょう。Let’s enjoy!
2014年2月
岡本拓也
医者になって,まだ1カ月ほどの頃でした。同じ医局の大変まじめなベテラン医師が,「スピリチュアルペインって,よくわかんないんだよなあ……」とつぶやきました。「岡本君,スピリチュアルペインとかスピリチュアルケアって,要するに何なの?」
私が医者になるまでの紆余曲折を知っての質問であったのだろうと思いますが,「医者になったばかりのボクに聞かれてもなあ……」という問いではありました。あまりうまくは答えられず,その問いは,宿題として心に残ることになりました。
そして,今,ようやくその答えを提出することができることを,うれしく思います。
もちろん,この問題を四六時中ずっと考えてきたというわけではありませんが,折に触れて考えることはありました。というよりも,臨床現場において,質においても量においても実にさまざまなスピリチュアルペインを抱えている方を実際に目の前にする環境のなかでは,考えざるをえませんでした。
思えば,ホスピスで初めて受け持った患者さんは,60代前半の男性でしたが,大変強いスピリチュアルペインを抱えておられました。家族の希望で癌という病名は隠されたまま,すでに終末期を迎えており,コントロールが全くついていない強い痛みと死の恐怖と不安と怒りが,この方を支配していました。焦点の合わないうつろなまなざしで,「俺はもう死ぬのか,俺はもう死ぬのか」と,時に,うわごとのようにつぶやいてもおられました。私にとっては初めて受け持つホスピスの患者さんでしたので,もちろん指導医の先生と一緒に受け持ったわけですが,全く痛みのコントロールもつかず,不安,恐怖,怒りに囚われている状態も変わりませんでした。心と身体の負のスパイラルに,完全にはまり込んでいました。病室には,常に,張りつめた重たい空気が充満していました。その病室では,家族もスタッフも誰しもが緊迫した表情で,息苦しい沈黙のなかに閉じ込められていました。一生懸命に傾聴して,良好なコミュニケーションを取ろうとしました。ありとあらゆる鎮痛薬を使い,量も増やせるだけ増やし,ペインクリニシャンの助けも仰ぎました。できるかぎりの手は尽くしました。しかし,結局は,事態を十分には打開できないままに,患者さんは亡くなられました。後に残ったのは,敗北感だけ。この苦い経験が,私のホスピスとのかかわりの始まりでした。
泳げない人間でも,いきなり水に放り込まれたならば,溺れまいとして必死に泳ぎを覚えようとするでしょう。それと同じように,私もスピリチュアルペインを抱えた人を前にして,その人たちと必死にかかわり続けるなかで,何事かを心と身体で学ばされてきました。時には先達の話や書物を通して,時には自らの経験を振り返ることを通して,学び続けてきた結晶のようなものが,本書の見えざる土台を形づくっています。
もちろん,人生の苦しみは,何も病気だけに限ったことではありませんし,スピリチュアルペインは難病患者だけがもつものでもありません。私が医者になる前に,少年院やキリスト教会で働いていた経験も,その結晶の一部を構成しているに違いありません。
いずれにしても,さまざまな経験と学びを経て,今,ようやくこの問題の本質的構造をつかむことができたと感じています。そして,ほかの誰でもない私自身が納得できる,ある程度まとまった枠組みをつくり上げ,提示することができたことに,大きな満足を感じてもいます。
とはいえ,生身の人間がすることに完全ということはありません。まだまだ不十分な点も多々あるに違いありません。実際,この本を書く過程においても,多くの気づきがありましたし,いったん文字にしてみて読み返した時に,自分が書いたことのなかにある矛盾や間違いに自ら気づいて,何度も書き直したりもしました。内的整合性を高めるために,なしうるかぎりの努力はしたつもりですが,思わぬ間違いや勘違いがないとは言えません。きっと,不十分な点はあるでしょう。批判や疑問,筆者が思い至らなかった点についてのご指摘は,喜んでお受けしたいと思います。そして,さらに内容を深め,前進させていきたい,と願っています。
本書に記載されている「註」について,一言だけお断りしておきます。
註には,必ずしも本文内容の理解を助けるものばかりではなく,哲学的方面や脳科学的方面など,特定の分野に特に関心をもっている人が,さらに深く突っ込んだ内容を学んだり,本文に対して抱く可能性のある疑問に答えたりすることを想定して,少々難しいのは承知のうえで,やや高度な内容を記載したものも存在します。そういったものも含めて,本文だけを読んで理解するには必ずしも必要ではない「註」については,「より詳しく学びたい人のためのコーナー」という表記を付し,章末にまとめさせていただきました。もし興味があれば,そのかぎりにおいて,こちらのコーナーにも目を通していただけたらと思います。
本文のなかにも,理屈っぽすぎるとかややこしいと感じる箇所があるかもしれませんが,そのようにお感じになった場合は,あまり根を詰めて読解しようとはせず,ましてやそこで読むのを止めてしまったりすることはしないで,まずは,さらっとでも全体を読み通してみてください。自分の心に響く箇所だけを拾い読みしながらでかまいません。そのうえで,臨床経験を重ねながら,折に触れてまた読み返していただけたら,よくわからないと思っていた箇所も,ある時ストンと腑に落ちる,ということもあるだろうと思います。
では,これから期待に胸を膨らませながら,一緒に「スピリチュアルケアとは何か」という旅に出発いたしましょう。Let’s enjoy!
2014年2月
岡本拓也
目次
開く
はじめに
スピリチュアル概念の相互関係
序章 すべてのケアはスピリチュアルケアに通ず
すべてのケアはスピリチュアルケアに通ず
人によって異なるスピリチュアルという言葉のイメージ
共通の構造を探り当てて定義することの意義
スピリチュアルな領域は人間固有の能力と結びついている
スピリチュアルケアはあやしいものではない
第1章 実践するスピリチュアルケア 医療者にできることは何か?
Doingではなく,Being
スピリチュアルケアの具体的方法
基礎となるスピリチュアルケア
個別的なスピリチュアルケア
(1)傾聴
(2)応える
(3)人生の難所と人生の晴れ舞台
(4)ベッドサイドで患者と家族の物語を聴く
(5)音楽
(6)食事
(7)ユーモアと笑顔
(8)論理療法
(9)宗教
(10)言葉
(11)愛すること
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
■コラム①「言葉について・信について」
第2章 個別性を理解するために スピリチュアルケアはここから始まる
「その人らしさを大切にする」とは?
現象・志向相関性・構造
ソシュール言語論における分節恣意性
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
第3章 スピリチュアルな経験とは何か
あるのは「スピリチュアルな経験」
「スピリチュアルな経験」における「意味や価値」とは
「スピリチュアルな経験」とそうでない経験との境界は不明瞭
物語の全容を知るまでは判断不能
「情報量の多さ」としての「深さ」
「スピリチュアルな経験」とは何かを定義することの意義
まとめると……
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
第4章 「意味・価値・目的」へのまなざし
医療に「意味・価値・目的」の視点を取り戻す
説明の併存可能性と事象の絶大性
目的相関的観点をもって対応する
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
第5章 スピリチュアリティとは何か
定義と本体
スピリチュアリティの定義
スピリチュアリティの本体仮説
この定義・本体仮説から導かれる帰結
スピリチュアリティは危機の時にだけ働くものではない
スピリチュアリティは特定の方向性をもつものではない
スピリチュアリティが向かう拠りどころ
スピリチュアルな状態への関心はスピリチュアルペインの発生以前からもつべき
学際的研究へと導くスピリチュアリティの定義
最後に……
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
■コラム②「ゾンビシステムと意識システム」
第6章 スピリチュアルペインとは何か
スピリチュアルペインを定義する際にも働く志向相関性
スピリチュアルペインの定義
スピリチュアルケアと信念体系
一つのたとえとして……
スピリチュアルペインという分類
スピリチュアルペインの分類 ~村田理論について~
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
■コラム③「名付けることの意味」
第7章 スピリチュアルケアとは何か
スピリチュアルケアの定義
「人は死ぬ直前まで成長しうる」ということの意味
スピリチュアルケアの真髄 ~癒し癒される関係~
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
あとがき
索引
スピリチュアル概念の相互関係
序章 すべてのケアはスピリチュアルケアに通ず
すべてのケアはスピリチュアルケアに通ず
人によって異なるスピリチュアルという言葉のイメージ
共通の構造を探り当てて定義することの意義
スピリチュアルな領域は人間固有の能力と結びついている
スピリチュアルケアはあやしいものではない
第1章 実践するスピリチュアルケア 医療者にできることは何か?
Doingではなく,Being
スピリチュアルケアの具体的方法
基礎となるスピリチュアルケア
個別的なスピリチュアルケア
(1)傾聴
(2)応える
(3)人生の難所と人生の晴れ舞台
(4)ベッドサイドで患者と家族の物語を聴く
(5)音楽
(6)食事
(7)ユーモアと笑顔
(8)論理療法
(9)宗教
(10)言葉
(11)愛すること
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
■コラム①「言葉について・信について」
第2章 個別性を理解するために スピリチュアルケアはここから始まる
「その人らしさを大切にする」とは?
現象・志向相関性・構造
ソシュール言語論における分節恣意性
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
第3章 スピリチュアルな経験とは何か
あるのは「スピリチュアルな経験」
「スピリチュアルな経験」における「意味や価値」とは
「スピリチュアルな経験」とそうでない経験との境界は不明瞭
物語の全容を知るまでは判断不能
「情報量の多さ」としての「深さ」
「スピリチュアルな経験」とは何かを定義することの意義
まとめると……
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
第4章 「意味・価値・目的」へのまなざし
医療に「意味・価値・目的」の視点を取り戻す
説明の併存可能性と事象の絶大性
目的相関的観点をもって対応する
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
第5章 スピリチュアリティとは何か
定義と本体
スピリチュアリティの定義
スピリチュアリティの本体仮説
この定義・本体仮説から導かれる帰結
スピリチュアリティは危機の時にだけ働くものではない
スピリチュアリティは特定の方向性をもつものではない
スピリチュアリティが向かう拠りどころ
スピリチュアルな状態への関心はスピリチュアルペインの発生以前からもつべき
学際的研究へと導くスピリチュアリティの定義
最後に……
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
■コラム②「ゾンビシステムと意識システム」
第6章 スピリチュアルペインとは何か
スピリチュアルペインを定義する際にも働く志向相関性
スピリチュアルペインの定義
スピリチュアルケアと信念体系
一つのたとえとして……
スピリチュアルペインという分類
スピリチュアルペインの分類 ~村田理論について~
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
■コラム③「名付けることの意味」
第7章 スピリチュアルケアとは何か
スピリチュアルケアの定義
「人は死ぬ直前まで成長しうる」ということの意味
スピリチュアルケアの真髄 ~癒し癒される関係~
■本章のここがポイント!
■より詳しく学びたい人のためのコーナー
■Q & A
あとがき
索引
書評
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書評 (雑誌『訪問看護と介護』より)
書評者: 平野 和恵 (日本訪問看護財団認定看護師教育課程(訪問看護)主任教員、緩和ケア認定看護師)
今から6年前、緩和ケア認定看護師をめざしていたときに、授業に何度も登場したのが「トータルペイン」、さらにその一構成要素であるという「スピリチュアルペイン」という言葉だった。
基礎看護学生時代は、患者さんの痛みは「身体的」「精神的」「心理社会的」という3つの側面で捉えると教わり、そう理解していたものだから、「信仰をもつ人が少ない日本でなぜスピリチュアル?」というのが素朴な疑問だった。
幸い、翌年に認定看護師を取得でき、表面的にはスピリチュアルペインも理解したつもりだった。病院や緩和ケア病棟に比べ、在宅ではスピリチュアルペインに直面する機会が少なく、正直あいまいでも困らないと考えていた。
◆スピリチュアル概念の構造がわかる
それが本書を読むことにより、考え方が明らかに変わった。ここには「トータルペイン」の図は登場せず、そもそも「スピリチュアリティ」とは何か、ということが丁寧に解説されている。とりわけ、おそらく著者の経験に基づくと思われる図「スピリチュアル概念の相互関係」が、今までスピリチュアルなセンスをもっていなかった私のガイドラインとなった。
正直なところ、一度読んだだけではよく理解できなかった。そこで2回目は「相互関係」の図の構成要素に従い、序章→第2章(全体構造)→第5章(スピリチュアリティ)→第3章(スピリチュアルな経験)→第4章(スピリチュアルな経験の意味)→第6章(スピリチュアルペイン)→第1章(スピリチュアルケア)→第7章(まとめ)と読んでみた。
すると、マラソンのゴールの瞬間のようにすっきりした心地よい疲労感を覚えた。このように読むことで、自分のスピリチュアリティをも認知できたのではないかと思っている。
◆人に接するあらゆる専門職に向けて
本書によると、そもそも人は誰でもスピリチュアリティを備え持つ存在である。人は、この世に生を受けたときから、さまざまなスピリチュアルな経験をしている。平穏な日常生活においては、それを自覚せずとも幸せに生活できるが、病気や人生の節目となる大きな出来事に遭遇すると、その経験が時にスピリチュアルペインとなり、葛藤のなかで人として成長を続ける。その経過や回復過程で他者の助けを必要とすればスピリチュアルケアの対象となるし、自己解決できることもある。
私たちのように、職業上スピリチュアルなケアを提供する者は、今後すべての領域において、この概念を学ぶことを必須要件としてもよいのではないか。対象者のスピリチュアリティを理解しケアを実践できるまでには、時間と努力を要する。また、人生経験が少ない援助者の場合、時に対象者が援助者を支援する存在になるかもしれない。
それこそがスピリチュアリティが相互関係に基づく所以であり、そのケアを生業とする者の醍醐味である。人に接する時間に幸福を感じるあらゆる専門職にお勧めしたい。
(『訪問看護と介護』2014年10月号掲載)
かけがえのない一人の存在として尊重すること
書評者: 石垣 靖子 (北海道医療大大学院客員教授・看護管理学)
私たちは誰もが人生の折々にスピリチュアルな苦悩に直面する。患者のスピリチュアルな苦悩は医療者は当然対応すべきものであるが,適切なアプローチが取られず,時には睡眠薬や抗不安薬などで,患者はその苦悩に向き合うことすらできずに最期を迎えることさえある。著者が言うように「スピリチュアルペインは人間にとって成長の痛み」であるにも関わらず。
本書はスピリチュアルケアについて,丁寧に,丁寧に解きほぐしている。すなわち,「スピリチュアリテイ」「スピリチュアルケア」「スピリチュアルペイン」「スピリチュアルな経験」について,医療の実践家にわかりやすく(時には哲学的表現で)丁寧に説き,結局「目の前の相手を人格として大切に遇せよ」という結論に導いてくれるのだ。読者は読み進むうちに医療者としての自分自身の原点に立ち返り,「人を大事にする」という姿勢に立脚することが,最も大切なケアであることはもちろん,そのプロセスを通して自分自身の成長につながっているのだと気付いていく。医療・ケアの対象は,かけがえのない存在としての“個”であり,それをどれだけ尊重できるかが,その質に大きく影響することをあらためて確認した。
1981年に出版された『ホスピス―末期ガン患者への宣告(A Way to Die)」(ビクター&ローズマリー・ゾルザ著,岡村昭彦監訳;家の光協会)の中で,ホスピスの患者になった一人の少女 Jane Zorza の,「Here they treat me like a human being all the time, not just when they feel like it」という言葉がある。著者が患者を一人のかけがえのない「人間として遇する」ことがスピリチュアルケアの基本だと説くのはこの意味だろう。多分それは,スピリチュアルケアのみならず,医療者として患者・家族に向き合うときの基本的な姿勢でもあるはずだ。
著者が強調するスピリチュアルケアはスピリチュアルペインに対するケアではなく,スピリチュアルペインをもっている人に対するケアであることを医療者は銘記すべきである。
それは,Cicely Saundersの「患者をケアする人たちは,患者の苦悩の意味を説明しようと試みないことが大切である」という言葉と重なる。
久しぶりに読みごたえのある,しかも納得しながら読み進んだ本に出会った感がある。
ツールを見るのではなく人間として向き合うために
書評者: 藤井 美和 (関西学院大学教授・人間科学/死生学・スピリチュアリティ研究センターセンター長)
本書を読んで最も深く心を打たれたのは,この書の根底に一貫して流れる「人はどんな状態であっても肯定される存在である」という著者岡本拓也氏の人間観である。人は生きることそのものや自己存在について,意味や価値を見いだせないことで苦しみ,見いだすことで自己存在を肯定していく。つまり人にとって個別の「意味や価値」は,存在そのものに大きな影響を与えるものなのである。本書は,苦しむ人がその「意味や価値」に向き合うこと,また傍らにある人がその「意味や価値」に関心を寄せて関わること―つまりスピリチュアルペイン,スピリチュアルケア,そしてスピリチュアリティについて,「スピリチュアルな経験」を軸に論じたものである。そして著者は,スピリチュアルケアは何か特別な技術によるものでなく,この「意味や価値」への関心であり,その根底にあるのは「愛」であるという。
医療現場でスピリチュアルケアへの関心が高まるにつれ,ある問題が生じている。それは,「専門職者が一人の人間として,病む人の前にどのようにあるのか」という関わる側の課題より,「病む人の苦しみをどうアセスメントするか」という対象者の評価に重きが置かれている点である。確かにアセスメントツールはスピリチュアルペインを分析し評価する一定の指標を与えてくれる。そしてツールを使う側は,それを根拠に関わりの妥当性を主張することができる。しかし,本来スピリチュアルペインは,客観的指標によって完全に理解することのできないものである。この「わからない」という保留が,実は人との関わりを豊かにしてくれる。だからこそ著者は,スピリチュアルケアは「スピリチュアルペイン」に対するケアではなく,「スピリチュアルペインをもっている人」に対するケアであると述べるのである。そしてまた病む人が求めるのも,アセスメントしようとして近づいてくる医療者でなく,共にあろうとする人間なのである。
人の苦しみに触れる時,形而上学的(哲学的・宗教的)視点は欠かせない。本書が,人間の本質的部分からスピリチュアリティやスピリチュアルケアを論じることができたのは,おそらく著者自身の生き方と経験(宗教との出会い,少年院法務教官としての働き,家族との関係,医師としての尊い出会いの数々など)の故であろう。著者岡本氏と初めて会った時,評者は彼の人間への深い関心,大いなるものの前での謙虚さ,そしてホスピスケアへの情熱に心を動かされた。本書は,岡本拓也氏そのものを表す書であり,現在のスピリチュアルケアに一石を投じるものである。医療関係者だけでなく,全ての人に一読を薦めたい一冊である。
プライマリケア分野の全人的アプローチに
書評者: 前沢 政次 (京極町国民健康保険診療所ひまわりクリニックきょうごく所長)
的確な日本語訳のない用語は理解が難しい。スピリチュアルケアもその一つである。「霊的」「魂の」「精神の深い部分の」などいずれの訳語もピンとこない。
新進気鋭のホスピス医岡本拓也君がこの問題に取り組んだ。その基礎となっているのが構造構成理論である。岡本君は単著第一作『わかりやすい構造構成理論』(青海社)でケアに関わる理論的枠組みを示した。
そして今回,その哲学的基礎の上に立って『誰も教えてくれなかったスピリチュアルケア』を上梓した。
本書がめざしているのは,スピリチュアリティ,スピリチュアルな経験,スピリチュアルペイン,そしてスピリチュアルケア,これら4つの概念の相互関係を明らかにすることである。
まずは第1章でケア担当者が日常臨床で用いている技法を解説する。物語への傾聴,音楽,食事,ユーモアと笑顔,愛することなど,さりげなく交わされる触れ合いの中にケアの真髄を見出すことができる。
第2,3章は個別性の理解を踏まえて,「スピリチュアルな経験」を解説する。すし職人であった方の「しめサバ握りの物語」はホロッとさせられる。そして,第4章から第5章ではスピリチュアリティの内容を考察する。それを深めていくことによって,人間が経験によって築いていく「意味・価値・目的」の具体内容を明らかにし,人間誰もに備わっているスピリチュアリティの本質に迫る。医療では重要な課題なのに,医学ではほとんど無視されてきた領域に光を当てる。
そして第6章はスピリチュアルペイン,第7章はスピリチュアルケアを定義づける。ここで著者が強調するのは,スピリチュアルペインやケアが,ある限られた分野の特殊な状況で生じることではなく,日常生活のただなかで感じ合う痛みであり,ケア担当者があらゆる場面で持つべき態度・姿勢であることである。
本書を読んで抵抗を感じるとすれば,それは構成構造理論の用語がしばしば使われていることであろう。著者はそのために「より詳しく学びたい人のためのコーナー」「Q&A」を使って優しく解説する。その中にも珠玉の言葉がちりばめられている。
ケアのすべてに活用できる本である。特にプライマリケア分野で全人的アプローチの振り返りに役立てていただきたいと願っている。
書評者: 平野 和恵 (日本訪問看護財団認定看護師教育課程(訪問看護)主任教員、緩和ケア認定看護師)
今から6年前、緩和ケア認定看護師をめざしていたときに、授業に何度も登場したのが「トータルペイン」、さらにその一構成要素であるという「スピリチュアルペイン」という言葉だった。
基礎看護学生時代は、患者さんの痛みは「身体的」「精神的」「心理社会的」という3つの側面で捉えると教わり、そう理解していたものだから、「信仰をもつ人が少ない日本でなぜスピリチュアル?」というのが素朴な疑問だった。
幸い、翌年に認定看護師を取得でき、表面的にはスピリチュアルペインも理解したつもりだった。病院や緩和ケア病棟に比べ、在宅ではスピリチュアルペインに直面する機会が少なく、正直あいまいでも困らないと考えていた。
◆スピリチュアル概念の構造がわかる
それが本書を読むことにより、考え方が明らかに変わった。ここには「トータルペイン」の図は登場せず、そもそも「スピリチュアリティ」とは何か、ということが丁寧に解説されている。とりわけ、おそらく著者の経験に基づくと思われる図「スピリチュアル概念の相互関係」が、今までスピリチュアルなセンスをもっていなかった私のガイドラインとなった。
正直なところ、一度読んだだけではよく理解できなかった。そこで2回目は「相互関係」の図の構成要素に従い、序章→第2章(全体構造)→第5章(スピリチュアリティ)→第3章(スピリチュアルな経験)→第4章(スピリチュアルな経験の意味)→第6章(スピリチュアルペイン)→第1章(スピリチュアルケア)→第7章(まとめ)と読んでみた。
すると、マラソンのゴールの瞬間のようにすっきりした心地よい疲労感を覚えた。このように読むことで、自分のスピリチュアリティをも認知できたのではないかと思っている。
◆人に接するあらゆる専門職に向けて
本書によると、そもそも人は誰でもスピリチュアリティを備え持つ存在である。人は、この世に生を受けたときから、さまざまなスピリチュアルな経験をしている。平穏な日常生活においては、それを自覚せずとも幸せに生活できるが、病気や人生の節目となる大きな出来事に遭遇すると、その経験が時にスピリチュアルペインとなり、葛藤のなかで人として成長を続ける。その経過や回復過程で他者の助けを必要とすればスピリチュアルケアの対象となるし、自己解決できることもある。
私たちのように、職業上スピリチュアルなケアを提供する者は、今後すべての領域において、この概念を学ぶことを必須要件としてもよいのではないか。対象者のスピリチュアリティを理解しケアを実践できるまでには、時間と努力を要する。また、人生経験が少ない援助者の場合、時に対象者が援助者を支援する存在になるかもしれない。
それこそがスピリチュアリティが相互関係に基づく所以であり、そのケアを生業とする者の醍醐味である。人に接する時間に幸福を感じるあらゆる専門職にお勧めしたい。
(『訪問看護と介護』2014年10月号掲載)
かけがえのない一人の存在として尊重すること
書評者: 石垣 靖子 (北海道医療大大学院客員教授・看護管理学)
私たちは誰もが人生の折々にスピリチュアルな苦悩に直面する。患者のスピリチュアルな苦悩は医療者は当然対応すべきものであるが,適切なアプローチが取られず,時には睡眠薬や抗不安薬などで,患者はその苦悩に向き合うことすらできずに最期を迎えることさえある。著者が言うように「スピリチュアルペインは人間にとって成長の痛み」であるにも関わらず。
本書はスピリチュアルケアについて,丁寧に,丁寧に解きほぐしている。すなわち,「スピリチュアリテイ」「スピリチュアルケア」「スピリチュアルペイン」「スピリチュアルな経験」について,医療の実践家にわかりやすく(時には哲学的表現で)丁寧に説き,結局「目の前の相手を人格として大切に遇せよ」という結論に導いてくれるのだ。読者は読み進むうちに医療者としての自分自身の原点に立ち返り,「人を大事にする」という姿勢に立脚することが,最も大切なケアであることはもちろん,そのプロセスを通して自分自身の成長につながっているのだと気付いていく。医療・ケアの対象は,かけがえのない存在としての“個”であり,それをどれだけ尊重できるかが,その質に大きく影響することをあらためて確認した。
1981年に出版された『ホスピス―末期ガン患者への宣告(A Way to Die)」(ビクター&ローズマリー・ゾルザ著,岡村昭彦監訳;家の光協会)の中で,ホスピスの患者になった一人の少女 Jane Zorza の,「Here they treat me like a human being all the time, not just when they feel like it」という言葉がある。著者が患者を一人のかけがえのない「人間として遇する」ことがスピリチュアルケアの基本だと説くのはこの意味だろう。多分それは,スピリチュアルケアのみならず,医療者として患者・家族に向き合うときの基本的な姿勢でもあるはずだ。
著者が強調するスピリチュアルケアはスピリチュアルペインに対するケアではなく,スピリチュアルペインをもっている人に対するケアであることを医療者は銘記すべきである。
それは,Cicely Saundersの「患者をケアする人たちは,患者の苦悩の意味を説明しようと試みないことが大切である」という言葉と重なる。
久しぶりに読みごたえのある,しかも納得しながら読み進んだ本に出会った感がある。
ツールを見るのではなく人間として向き合うために
書評者: 藤井 美和 (関西学院大学教授・人間科学/死生学・スピリチュアリティ研究センターセンター長)
本書を読んで最も深く心を打たれたのは,この書の根底に一貫して流れる「人はどんな状態であっても肯定される存在である」という著者岡本拓也氏の人間観である。人は生きることそのものや自己存在について,意味や価値を見いだせないことで苦しみ,見いだすことで自己存在を肯定していく。つまり人にとって個別の「意味や価値」は,存在そのものに大きな影響を与えるものなのである。本書は,苦しむ人がその「意味や価値」に向き合うこと,また傍らにある人がその「意味や価値」に関心を寄せて関わること―つまりスピリチュアルペイン,スピリチュアルケア,そしてスピリチュアリティについて,「スピリチュアルな経験」を軸に論じたものである。そして著者は,スピリチュアルケアは何か特別な技術によるものでなく,この「意味や価値」への関心であり,その根底にあるのは「愛」であるという。
医療現場でスピリチュアルケアへの関心が高まるにつれ,ある問題が生じている。それは,「専門職者が一人の人間として,病む人の前にどのようにあるのか」という関わる側の課題より,「病む人の苦しみをどうアセスメントするか」という対象者の評価に重きが置かれている点である。確かにアセスメントツールはスピリチュアルペインを分析し評価する一定の指標を与えてくれる。そしてツールを使う側は,それを根拠に関わりの妥当性を主張することができる。しかし,本来スピリチュアルペインは,客観的指標によって完全に理解することのできないものである。この「わからない」という保留が,実は人との関わりを豊かにしてくれる。だからこそ著者は,スピリチュアルケアは「スピリチュアルペイン」に対するケアではなく,「スピリチュアルペインをもっている人」に対するケアであると述べるのである。そしてまた病む人が求めるのも,アセスメントしようとして近づいてくる医療者でなく,共にあろうとする人間なのである。
人の苦しみに触れる時,形而上学的(哲学的・宗教的)視点は欠かせない。本書が,人間の本質的部分からスピリチュアリティやスピリチュアルケアを論じることができたのは,おそらく著者自身の生き方と経験(宗教との出会い,少年院法務教官としての働き,家族との関係,医師としての尊い出会いの数々など)の故であろう。著者岡本氏と初めて会った時,評者は彼の人間への深い関心,大いなるものの前での謙虚さ,そしてホスピスケアへの情熱に心を動かされた。本書は,岡本拓也氏そのものを表す書であり,現在のスピリチュアルケアに一石を投じるものである。医療関係者だけでなく,全ての人に一読を薦めたい一冊である。
プライマリケア分野の全人的アプローチに
書評者: 前沢 政次 (京極町国民健康保険診療所ひまわりクリニックきょうごく所長)
的確な日本語訳のない用語は理解が難しい。スピリチュアルケアもその一つである。「霊的」「魂の」「精神の深い部分の」などいずれの訳語もピンとこない。
新進気鋭のホスピス医岡本拓也君がこの問題に取り組んだ。その基礎となっているのが構造構成理論である。岡本君は単著第一作『わかりやすい構造構成理論』(青海社)でケアに関わる理論的枠組みを示した。
そして今回,その哲学的基礎の上に立って『誰も教えてくれなかったスピリチュアルケア』を上梓した。
本書がめざしているのは,スピリチュアリティ,スピリチュアルな経験,スピリチュアルペイン,そしてスピリチュアルケア,これら4つの概念の相互関係を明らかにすることである。
まずは第1章でケア担当者が日常臨床で用いている技法を解説する。物語への傾聴,音楽,食事,ユーモアと笑顔,愛することなど,さりげなく交わされる触れ合いの中にケアの真髄を見出すことができる。
第2,3章は個別性の理解を踏まえて,「スピリチュアルな経験」を解説する。すし職人であった方の「しめサバ握りの物語」はホロッとさせられる。そして,第4章から第5章ではスピリチュアリティの内容を考察する。それを深めていくことによって,人間が経験によって築いていく「意味・価値・目的」の具体内容を明らかにし,人間誰もに備わっているスピリチュアリティの本質に迫る。医療では重要な課題なのに,医学ではほとんど無視されてきた領域に光を当てる。
そして第6章はスピリチュアルペイン,第7章はスピリチュアルケアを定義づける。ここで著者が強調するのは,スピリチュアルペインやケアが,ある限られた分野の特殊な状況で生じることではなく,日常生活のただなかで感じ合う痛みであり,ケア担当者があらゆる場面で持つべき態度・姿勢であることである。
本書を読んで抵抗を感じるとすれば,それは構成構造理論の用語がしばしば使われていることであろう。著者はそのために「より詳しく学びたい人のためのコーナー」「Q&A」を使って優しく解説する。その中にも珠玉の言葉がちりばめられている。
ケアのすべてに活用できる本である。特にプライマリケア分野で全人的アプローチの振り返りに役立てていただきたいと願っている。
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