女って大変。
働くことと生きることのワークライフバランス考

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人生において多くの女性が経験する“働くこと”と“女役割”との葛藤。この本には10人の女性たちの「大変」な物語を集めました。それぞれの大変さと感情の流れに思いを馳せることから、「女って大変」な状況を解きほぐしていきたいと考えたからです。個人の頑張りでどうにかなるところと、ならないところの見極めも可能になるかもしれません。今、「大変」なあなたにぜひ読んでいただきたい本です。
編著 澁谷 智子
発行 2011年11月判型:四六頁:266
ISBN 978-4-260-01484-7
定価 1,980円 (本体1,800円+税)

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第一章 仕事と家事育児 経済構造と文化規範がズレた時代を生きる私たち(澁谷智子)
第二章 ドライな母親は楽しい!?(萱間真美)
第三章 阪神・淡路大震災を機に看護師を目指して(中田信枝)
第四章 あの子が教えてくれたこと(佐藤珠江)
第五章 子育てと復職、そして姑の介護九年間の経験(河岸光子)
第六章 介護は親のためならず。ALSの介護で弾けた私の人生(川口有美子)

 マンガ・女って大変。(山本千恵子)

第七章 保育園児に泣かれながら、認定看護師を目指して(東 志乃)
第八章 看取りをめぐって 娘であり、医師である場合(宮地尚子)
第九章 ようこそ差別の世界へ(宮子あずさ)
第十章 働く女性の先達としての神谷美恵子(森まゆみ)

 あとがき-「女って大変」を考える理由(澁谷智子)

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書評 (雑誌『訪問看護と介護』より)
書評者: 瀬野 佳代 (三恵病院・看護副部長)
 「す、すごい!こんなことまで書いちゃっていいの??」

 読み始めて驚き、戸惑い、読み終えて「私だけじゃなかったんだ」と思った。

 この本には10人の女性たちの「大変」な物語が集められている。さまざまな責任を抱え込み、こなせず、イライラし、自分のことも周りのことも責めてしまう状況を書いた人。「自分らしく生きること」も「母であること」も大切なのに、その両立に苦しんで葛藤する思いを書いた人。それぞれの立場で、迷いながら、試行錯誤しながら、自分なりのよい方向を目指して、前に進もうとしている女性たち。

 私が読み始めたときに感じた驚きと戸惑いは、これまで当たり前のこととして公にされてこなかった「女の大変さ」が、表に出ていることに対するものであった。読んでいるうちに、私はそれぞれの話に引き寄せられ、はまりこみ、まるでその物語の映画を観ている観客のような気持ちになっていた。そして、「自分の大変さ」を語りたくなっていた。

 私は幼いころ、何かにつけては「男だったらよかったのにねえ」と両親や周りの大人に言われていた(ように思う)。周りの大人たちからすれば褒め言葉のつもりだったのかもしれないが、私にはちょっと複雑なメッセージとして伝わっていた。「女で惜しかった、ってことは、女だからダメだって意味? それとも女としてダメってこと?」。

 やがて思春期になり、ちょっとでも弟をあごで使うような振る舞いをすると、今度は母親から「あなたは女の子なんだから……」とよく怒られた。男を上回るような振る舞いはいけないというわけである。そのたびに「男は楽で、のびのびできていいなあ。男に生まれてきたかったなあ。女で損したなあ」と思っていた。

 仕事をするようになり、結婚して子育てをするようになっても、その思いは続いていたように思う。むしろ、子育て真っ最中のときのほうが強かった。「どうして女ばかりがやらなくちゃいけないの」とイライラしていた。

 それが、このところ「女でよかった」と思っている。40歳で妻の役割から降り、50歳近くになって母親の役割が軽くなり自分のために使う時間が多くなった。そして、自分でもおばさんになったことを実感し、男を脅かさないかわいらしい女になれないなんてことに悩まなくてもいいんだと吹っ切れて、楽になった。つまり、期待されている女役割がしっかりと刷り込まれていたというわけだ。

 映画を観ているようだと表現したが、映画よりも、言いっぱなし聴きっぱなしのグループに参加している感覚のほうが近いかもしれない。それぞれの物語を読んでいるうちに自分の感情が揺さぶられ、今さら言っても仕方がないと諦めていたこと、でも小さな塊として引っかかっていたものが言語化され、ほぐれていった。そして、できればもっとはやくこういう本に出会いたかったと思った。

 家事・育児や親の介護で大変な状況にいる人はもちろんのこと、多くの女性、いや男性にも読んでもらいたい本だと思う。

(『訪問看護と介護』2012年5月号掲載)
多層的で複雑,「大変」な女の現実を語る (雑誌『助産雑誌』より)
書評者: 加納 尚美 (茨城県立医療大学保健医療学部看護学科)
 紹介された本の包みを開けると,赤い地に白く大きな「女って大変。」という文字が飛び込んできた。読者に挑戦状を突きつけるような装丁である。副題は,「働くことと生きることのワークライフバランス考」と,空中に飛び回ろうとする題字を中心で留めているような小さな黒い文字であった。

 さて,この本は読者をどのような世界に導こうというのだろうか?女の現状に対する嘆き? 社会制度へのプロテスタント? 多少の懐疑心を持って読み始める。

 全体は10章に分かれ,10人の筆者により構成されている。そこには,直接,間接的に知っている方々の名前があった。各章の見出しから,おおらかに本音を語ろうとしているのが伝わってくる。例えば,「ドライな母親は楽しい!?」というように。

 筆者たちの共通点は,30代以上の女性であり,仕事,子育て,介護という体験を持つ人たちである。職業は,研究者,看護師,大学教員,医師,NPO法人を立ち上げ研修事業を展開している事業者,作家などさまざまであるが,規制の枠に嵌らない方も多いようである。加えて編集者の強烈な意志が筆者たちをゆり動かしているのがわかる。

 何人かは,「三歳児神話」と仕事の狭間で揺れ動く自分の気持ちを表現している。ときに多難な生活の中で,「自分が女であることを意識し,女であることに縛られていたのだろう」と振り返り,自分なりの母としての形を見出している。

 継母としての子育て,嫁としての姑の介護に全身で向き合いながら,次第に固定化した価値観から開放され,個人として「かけがえのない家族」である相手と対峙し仕事にも深みを増す看護師たち。まさに,筆者の1人が「女の大変さは,たいてい多層的で,複雑である」と言う現実を彼女たちは生きている。

 本書の内容は,鮮やかに私の脳裏に再現されるような心地がした。同様に感じる読者はきっと多いと思う。では,「大変」の方向をどうしていけばよいのだろうか?絵に描いたような専業主婦生活から難病の母の介護を通じて価値観を一転させた1人の筆者は,「弱者が生きにくい社会構造の変革」者へと変貌していた。装丁の赤色は,世の中に変革を迫ろうとする象徴であったに違いない。

(『助産雑誌』2012年5月号掲載)
女性の触法患者さんの葛藤から見えるもの (雑誌『精神医学』より)
書評者: 永田 貴子 (国立精神・神経医療研究センター病院・精神科)
 私が勤務する司法病棟は,精神障害のために重大な他害行為を起こした人の治療と,安全な社会復帰を担う場所である。「幻聴や妄想がつらくて,我慢の限界を超えて(触法行為を)やってしまった」という人が多いなか,「私がいなくなってしまったら,残される家族が可愛そうだと思って」と,妄想から憐憫の情に至って,子どもや配偶者を傷つけてしまった人がいる。実は,後者のようなケースは,時代や国を超えて女性(特に産後のうつ病など)に多いことがわかっている。女性に期待される子育て,介護,家事などから生じる葛藤は,妄想の世界にまで大きな影響を及ぼす深いテーマなのだ。

 さて,本書――情熱的な真っ赤な地に,大きな白い字で「女って大変。」と書かれた表紙を見たとき,思わず「そうそう! 男性のみなさんとは違って大変なのよね」と思った。しかし,本書は男性と真正面から対峙するような単純な構図の本ではないのがよい。

 この本には,研究者,看護師,医師,そして働く女性の先達としての神谷美恵子を含む,十人の女性が登場する。家事の援助に感謝や申し訳なさ,理不尽さなど複雑な思いを持ちながらも第一線で研究を続ける方。生死をさまようような体験を機に,人生と母親の役割をドライにとらえ直した方。結婚,離婚,子どもの不登校などさまざまな体験が,資格の取得や精神科看護領域の仕事に立派に活きた方。家族の看護・介護と仕事としての看護業務の両立の葛藤をじっくり見つめた方もいれば,そこから「弾けて」新たな生き方の価値観をみつけた方もいる。皆さん,書いているうちに思いが溢れて,当初の予定の分量を大きく上回ったとうかがった。それだけに,笑いあり涙あり,読んだ後は十編の珠玉の映画を見た気分だった(余談だが,私は,途中数ページある四コマ漫画で,母に「ごはんよ」と言われただけでキーっと怒っている思春期の娘の絵がリアルで大好きだ)。

 妻や母や娘として,さらに一職業人としてこうありたいという理想と,目の前の出来事に翻弄され時間を費やさざるを得ない現実との間に,「はぁ」とため息を漏らしてしまった経験は誰にもあるに違いない。私も,治療者として冒頭の患者さんたちに向き合いながら,老親を持つ一人娘として,いまだ見ぬ結婚や出産の可能性をどんな風に自分に位置づけると一番しっくりくるのか模索している。そんなとき,常によりよい方向を求めて努力してきた本書の十人の物語は,とても心強く感じられる。

 昔に比べ,家族や価値観の多様なあり方が受容されるようになった分,人生の責任は個人にあると思われる面も大きくなった。「あなたが選んだ道でしょ」と言われれば,自己責任の名の下に女性の大変さを語ることばは失われてしまいがちだ。だからこそ,ウーマンリブ運動の起こった70年,80年代を超えた今,現代ならではの女性の大変さ,私の人生を自分の言葉で語ってみよう,というのが本書である。そこには,立場を超えてうなずける生き生きとしたドラマが存在している。

 実生活で女性としてことばにできない思いを抱えている方,女性職場で働く方,女性をまとめる管理者の方など,さまざまな立場の方に読んでいただき,それぞれに感じたところを伝え合っていただけたら幸いである。

(『精神医学』2012年3月号掲載)
世界の中心で、女って大変。と叫ぶ (雑誌『精神看護』より)
書評者: 信田 さよ子 (原宿カウンセリングセンター所長)
 本書は6名の看護師たちと、医師、研究者、作家の計10人の女性による率直な体験記である。本書のタイトルを最初に目にしたときはわが目を疑った。あたりまえのことじゃない? 何を今さら、と思ったからだ。私自身、70年代半ばから今日までの約40年間、そう感じなかったときのほうが少なかった。ところが読み進むと意外や意外、けっこう読みでがあり内容は濃い。私の体験と共振するところもあり、読み終わってぐったりしたほどだ。興味深いのは、著者たちのタイトルに対する反応。「男だって大変だし、この私の大変さが女だからだと言い切るのは……」といった留保があちらこちらに表明されている。少しこれについて考えてみよう。

◆それでも「女って大変」と言えない世界

 70年代から80年代にかけては専業主婦率が高く、結果的に性別役割分業(男は外で仕事、女は家事育児)が一般的だった。あえて仕事を持つ女性は、よほどの貧困か、さもなくば女性解放の覚悟をもつ人と見なされた。まして子どもを預けて働くことは、血も涙もないという指弾を覚悟しなければならなかった。働く女性も専業主婦も、当時は文字通り「女って大変」だったのだ。しかしながら、第二派フェミニズムの勃興期の勢いがそれを後押ししたため、子どもを預けて働くことにはどこかパイオニア的使命感があり、それが大変さをやり抜くエネルギーにもなっていた。

 その後、男女雇用機会均等法や男女共同参画法の制定を経て、90年代から主流になっていったのが、表向きの男女平等と自己選択・自己責任論であった。女だからという理由で言い訳をすることは卑怯なこととなり、男も女もなく自分の責任に帰せられることが増えた。もちろん働く女性の割合は70年代に比べると飛躍的に増加したが、その裏側で進行したのが「新性別役割分業」である。男性も家事を分担するかに見えて、実は女性が仕事と家事の二重労働を背負うこととなったのだ。本書でも夫の存在はほとんど見えず、仕事ができる女性ほど家族へのケアと仕事の板ばさみになっていることがリアルに描かれている。これほど過酷な二重の負担を背負いながら、それでも「女って大変」となかなか言えない留保・ためらいの存在を明らかにしたところにこそ、本書の生まれた意義がある。
◆「女って大変」がタブーだった女性主流の職場

 もうひとつのポイントは、本書が、雑誌『精神看護』に掲載時に大きな反響を呼んだ企画を母体として生まれたという点にある。看護職は女性主流の資格として働く女性の先駆者を多く生み出してきたが、フェミニズムが届くのがなぜか遅い職種でもあった。著者の一人がいみじくも述べているが、看護とは性差別がはっきりしている現場なのだという。そうであれば、「女って大変」という言葉は「それを言っちゃおしまいよ」として退けられてきたのかもしれない。職場の同僚が女性ばかりであることは、時にジェンダー構造を見えなくすることもある。家族との葛藤も「誰もが経験することなんだから」と扱われるかもしれない。だからこそ、「女って大変」と堂々と掲載されたことが新鮮な驚きとともに反響を呼んだのだろう。上述の見せかけの男女平等ゆえに、女であることを理由にできない留保とは異なり、女性主導の職場であるがゆえに半ばタブー化された言葉が「女って大変」だったのだろう。

 長引く不況下「男だって大変」という現実が生まれたが、年収の男女差は縮まらず、育児や介護といった家族内ケア役割は相変わらず女性に期待され続けている。本書を読んで、事態が70年代とそれほど変わってはいないことにショックを受けた私だが、にもかかわらず本書のタイトルを口にすることへのためらいやタブー視が、この本の存在意義を際立たせている。

 とにかく、世界の中心で「女って大変」と叫んでみよう、それを誰も責めることはできない。大声で叫ぶことで変わっていくものがあるはずだ。そう思わせるだけの迫力に、本書は満ちている。

(『精神看護』2012年3月号掲載)
女が抱える問題は国の問題 (雑誌『看護管理』より)
書評者: 小島 恭子 (日本看護協会 専門職支援・中央ナースセンター事業部 部長)
◆女が働くときにつきまとう課題

 本書は十章よりなっており,30代以上の著者それぞれが女として働き生きてきた経験と考えを述べている。筆者は家庭と看護専門職の仕事の両立を図りつつ,4人の親を見送り,駆け抜け生きてきた。その人生の折々に体験したことと重なり合い共感できることが多々あった。特に,神谷美恵子の生涯に焦点を当てている章では,あらためて女が働くときにつきまとう課題を再認識した。

 幼いころから,女だからこそ自立して手に職をもつこと,経済的自立を図り自活すること,これがわが家の教育方針であった。結果,兄と6人の姉妹は何らかの免許を手にし,筆者は看護師・保健師と養護教諭免許を取得した。

 そして,大学病院の看護管理者(トップマネジメント)を最後に定年退職し,通算42年間の仕事人生を送り,今再び看護専門職の仕事を続けている。

 筆者の場合,「女って大変」という感覚はあまりもたないままひた走ってきたように思う。仕事仲間の多くは専門職であったからだろうか。仕事を極めることが人生の中核で,「世の中は男社会だ」と憤りながらも,無我夢中の毎日だった。むしろいつも胸につかえていたものは,看護職を取り巻く労働環境の過酷さであり,これは「必ず改善されなければならない」という強い思いにつながっている。

◆二度と味わわせたくない悲しさゆえに

 多くの人に支えられ,仕事を続けることができた一方で,かなえられなかった多くのことを振り返り,同じつらさを次代の人に味わわせたくないという思いをもった。職員の家族や生活を尊重する制度が十分にないなかで,せめて管理者の裁量ででき得ることはかなえてあげたいと考えていた。子どもの入学式,運動会,卒業式などへの参加,子どもが病気であればそばにいられるように,職員自身がつわりで苦しいときに休めるように……。こうした思いは,実は筆者自身が家族にできなかったゆえの悲しさと,わが子に対しての罪滅ぼしが混じり合った感情が根にあったように思う。

 現在,日本看護協会は,重点事業「働き続けられる労働条件・労働環境の改善」に取り組んでいる。「看護師の雇用の質の向上に関する厚生労働省内プロジェクト報告書および関係5局長連名通知」の発出はその成果である。「医療従事者の健康と安全が患者の健康と安全を守る」の理念のもと,「夜勤の負担軽減と長時間労働の是正」のガイドライン策定,「ワーク・ライフ・バランス推進のワークショップ」の取り組みを進めている。40数年前に比べれば,改正育児・介護休業法の恩恵や短時間正職員制度など,働きやすい環境が整えられつつあるが,依然として現実は厳しい。

 「女って大変」は女が大きく変化を起こすという意味でもある。女が抱える現実を,日本の国の課題として社会の整備が進められれば,国の繁栄は間違いない,そんなことに気づかせてくれる一冊である。

(『看護管理』2012年3月号掲載)
女って大変! (雑誌『保健師ジャーナル』より)
書評者: 森 まゆみ (作家)
 大変なことはやがて忘れる。忘れなければ生きてゆけない。

 新刊『女って大変。』(医学書院)という本に寄稿を求められたとき、働くお母さんである編集者の石川誠子さんの鼻息、というか熱意と怒涛の寄り身に、「ああ、そういうときもあったなあ。でも忘れたなあ」という気持ちであった。

 私の子育ては終わろうとしている。子どもの歳は30、28、25だ。それで「働く女性の先達としての神谷美恵子」という小伝をなるたけ客観的に書いたのだが、完成し送られてきた本を読んで、自分より10や20も若いお母さんたちと一緒に駆けっこしている気分になった。そうそう、そんなことあったなあ。

 私が大学を出たのは1977年で、そのとき4大卒の女子をとってくれるところはまずなかった。ちゃんと就職活動をやり、運よく銀行や商社に入った友人は制服を着て補助業務につき、やがて社内で結婚相手を見つけて仕事を辞めた。もっと賢い友人たちは社会的地位も収入も高い医師か弁護士の道を高校時代に選んでいた。

 成りゆきまかせで生きていた私は最初銀座のPR会社にもぐり込んで7か月、次に赤坂の出版社に移って2年いた。先輩女性が双子を抱えて苦労しているのを支えるでもなかった。保育園から「熱が出たので迎えにきてください」という電話に、眉間にしわを寄せあわただしく帰っていく彼女を見て、女も子どもを産んだら終わりだな、と他人事のように思ったりした。

 やがて私は結婚式に社長が来るのがいやだからと簡単に会社を辞め、大学の研究所に戻った。そこで勉強して新聞記者になるつもりが、予定外の妊娠。夫はまだ資格試験の最中で、私がアルバイトをして稼がなければならなかった。産むかどうかさんざん迷ったあげく、物書きの伯母が「物を書くなら子どもを産まなくちゃ駄目よ。そして小指の先で子どもを育ててあとの9本で仕事をするのよ」と電話で励ましてくれた時は受話器を持って号泣した。

 子どもは次々産まれ、それとともに育児、家事は増え、その分担を夫に迫ったので、夫はますます合格からほど遠くなった。売れない作家の夫を持つ友人が「珠玉の作品書かなくていいから皿洗え、とは言えないものね」とため息をついた。私も試験に受からなくていいから皿洗え、とは言えなかった。

 それでも普通の夫に比べれば、育児も家事もよくやったほうだ。朝は保育園に送ってくれたし、洗濯や洗い物もした。私が1歳の赤ん坊を置いて竹富島まで町並みゼミの大会に出た時にも、1週間子どもたちと家を守り、カレーライスまで作って待っていてくれた。

 歯科医である父は「3歳までは母の手で」と考えており、長女を2歳でやっと保育園に入れた時には「早すぎる」と機嫌が悪かった。同じく歯科医の母も忙しく、孫の面倒を見るどころではなかった。私より母のほうが収入も多かった。そのうち母は更年期で体調を崩し、父方の祖父母が父の兄弟の家をたらい回しになって家に来たとき、その面倒が見られなかった。昔「職業婦人とは結婚するな」と祖父に結婚を反対されたことも母のトラウマになっていた。それで私は赤ん坊を背負って祖母のお葬式を出し、認知症になった祖父と1年半暮らした。そのとき夫が祖父に一貫して優しかったのがいい思い出として残り、そのことは今も感謝している。

 しかし生活が不安定なまま、毎年巡ってくる試験のシーズンを10年も待つのはつらくなっていった。金にも窮して、タクシーに乗るか豚肉を買うかの選択を迫られたし、1杯のラーメンを頼んで子ども2人と分けたこともある。実家の両親は厳しく、お金はくれなかった。もしくれていたら私は自立できなかっただろう。

 夫が一人前になるまで我慢して下請け仕事に徹するのもアホらしくなって、私は30を目の前にして地域雑誌「谷中・根津・千駄木」という自分の仕事を立ち上げた。それはまた、家庭の矛盾を拡大した。夫はこれにも協力的で、挿し絵を描き、配達も手伝ってくれた。私の仕事が認められた時にも焼きもちも焼かずにただ感心してくれた。私には200枚の年賀状が来て夫には10数枚の年賀状しか来なかったとき、夫は「すごいもんだね」と言ったきりであったが、私は肝を冷やした。

 いまと違って針の穴を通るような難しい資格試験であった。夫は早朝のアルバイトを始めてますます合格から遠のき、私は相変らず収入が少なかった。望みのない生活に耐えられなくなって、ある日、もうやめよう、と言った。夫は黙って友だちから借りた車に本と服だけ持って出て行った。36歳のその夏、私は泣いてばかりいた。父や母にこのことをどう伝えようか。

 子どもたちは喧嘩の多い両親を見たから、あとで「あれはどうせ続かなかったよな」と納得。夫は「あなたは仕事が好きだし、子どもは僕が育てるから、近くに4畳半でも借りて通ってくれば」と言ったのだが、「そんなこと無理に決まっている。いままでろくに家事も育児もしなかったのに」と私は責めて、3人の子は私と暮らすことになった。別れた冬には蒲団で寝た覚えがない。筆一本で3人養わなければならず、来る仕事は片端から引受けていた。婚をほどいて夫は実業家になり、私は作家になった。

 『女って大変。』を読むとそのころの自分が思い出される。雇用機会均等法もでき、本書には夫も安定し自身の地位も収入も高い方もいるが、そんな恵まれたお母さんたちでもこんな心の葛藤をしているのか、とため息をつく。私より過酷な体験をなさった方もいる。

 いつの世も「女って大変」。ぜひ読んでみてください。

(『保健師ジャーナル』2012年3月号掲載)
どうやって働きながら子育てしましたか?
書評者: ウィリアムソン 彰子 (三木市民病院看護キャリア開発室・教育専任課長)
 本書には10人の働く女性の生き方が描かれている。そして女性が仕事と家庭を両立させるのはいかに大変かが凝縮されている。女性には,男性から代わってあげようと言われても不可能な仕事が課せられている。妊娠,出産,育児(特に授乳),嫁や母という役割などは代わってもらえないし,すべての女性がそれを拒否したならば国は滅びてしまうという重大な仕事である。それに加えて看護師はその職業上のイメージからか,親類縁者からも看護や介護,看取りといった役割を期待されることが多い。日本人女性の前には,こうした法や制度では解決しきれない壁が立ちふさがっている。

 キャリア初期から中期にいる人にとっては,人生の先輩である筆者らが,いかにその人生を受け入れ,乗り切ってきたのかに勇気付けられるだろう。筆者たちは大変さを嘆くばかりではなく,楽しく,したたかに生き抜いている点が素晴らしい。

 東日本大震災の後に結婚を考える人が増えたと聞いた。私自身も結婚などしなくても生きていけるようにと看護師になったのに,4tトラックに追突されて死んでも不思議ではない経験をした年に結婚を決め,翌年に子どもを授かった。これは生物の本能なのかもしれない。その後「どうやって働きながら子育てをすればいいのか?」とわれに返り,子育てをしながら仕事を続けている先輩方に出会っては情報収集をし続けた時期があった。私には「働き続ける」という前提があった。そして多くの方から知恵や手助けをいただき,現在がある。

 欧米や東南アジア諸国では,働く女性はシッターや家事代行サービスを利用するのだが,日本では働く女性が家に帰っても家事育児をする「セカンド・シフト(第二の勤務)」が当たり前で,代行サービスを利用することには女性自身が罪悪感すら抱いているというメッセージに共感する。オムツの裏表すらわからない夫とともに姑の介護生活に突入した看護師の物語には,わが身の未来を見る気がする。しかし本書を読み,「こんな経験をした人がいるのだ」と知っていると先を見通して今から準備を開始できる。筆者らからのメッセージは,読者のキャリア・プランニングの上で十分生かすべきものだと思う。

 女性が「やるべき」と感じていることは,実は「社会が規定しているもの」だということに気付くべきである。社会の価値観と自分の価値観との間で悩みながらも,その呪縛を解いて自分自身が幸せだと感じられる人生を歩むべきなのである。日本の働く女性の約5.5%を占める看護師たちの生き方が変われば,女性の生き方が変わるかもしれない。

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