看護師の働き方を経済学から読み解く
看護のポリティカル・エコノミー
看護師の賃金はなぜ上がらないのか? なぜいつも臨床では看護師が足りないのか?
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看護師の働きや技能に見合った評価は、これまで十分にはなされてこなかった。その構造を経済学の視点から明らかにして、わかりやすく解説。よりよい看護・医療が提供されるためにも、看護師の働きが正当に評価されることは不可欠であり、その方向性を2006年度診療報酬改定を手がかりに示す。
著 | 角田 由佳 |
---|---|
発行 | 2007年08月判型:A5頁:192 |
ISBN | 978-4-260-00511-1 |
定価 | 3,520円 (本体3,200円+税) |
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- 序文
- 目次
- 書評
序文
開く
まえがき
角田由佳
看護師不足の問題が再び発生している。従来よりも看護師を手厚く配置する基準「7対1入院基本料」が2006年度の診療報酬改定で設けられたことがきっかけである。この基準を満たすことで増額される診療報酬を獲得しようと,病院は看護師の増員に乗り出し,看護師不足の状態が引き起こされた。
新規学卒者の争奪や離職者の中途採用増,そして引き抜き合戦……。結果として,看護師の労働条件は改善されているという。一方,看護師を確保,あるいは引きとめられず,看護の現場に支障をきたしている医療施設も数多く出現し,政府は対策を検討している。
翻って,看護師にとって,その働きや技能に見合った評価が,ほんとうに,賃金をはじめとする労働条件の上でなされるようになったのだろうか?他のスタッフに任せられるような業務まで看護師が抱え込み,忙しさで心身を困憊させてはいないだろうか?
日本ではこれまで,看護師の不足問題が起こるたびに,養成者数を増大したり,「看護料」の引き上げなどを通じて,労働条件の改善を図ったりすることで,就業する看護師を増やし,労働力の不足を解消しようとしてきた。その結果,賃金が安くて済む新規学卒の看護師が労働市場に流入し,また,診療報酬点数のつかない他職種の業務まで看護師が担うことにもなった。そればかりか,看護師の人数に基づいて一定の診療報酬が支払われるしくみのもと,看護師の技能を評価しない構造が成立し続けることにもなったのだ。
そして今,看護師の働き,技能が評価されるしくみを構築するチャンスが再び到来している。2006年度の診療報酬改定における看護職員配置基準の引き上げをきっかけに,各医療施設が,そして政府が看護師確保に関わる戦略・政策を活発に検討しているときこそ,看護師が真に評価される政策を指し示し,そのしくみを構築するチャンスなのだ。
本書は,経済学という1つの分析用具を使って,看護師が置かれている雇用環境や,その状況下での看護師の働き方について解説するものである。経済学の視点を導入すれば,「なぜこれほど仕事がきついのか」「これも看護師がしなくてはいけないことだろうか」「私の能力は評価されているのだろうか」といった仕事内容や労働条件・環境への疑問・不満は,看護師の単なる思い込みではなく,正当な見解として認められるべきものであることを,合理的な根拠をもって示すことができる。看護師の働き,そして技能が正当に評価され,より質の高い看護が患者に安定して提供されるためにも,多くの看護師の皆さんに経済学の視点を知っておいてほしいと考えている。
本書は2002年4月から2003年3月にかけての1年間,『看護管理』誌において「看護師の働き方を経済学から読み解く」という題名で,全12回にわたって連載した内容を大幅に加筆・修正したものである。連載時に各種統計を用いて分析した内容は,可能な限り最新の統計資料で分析しなおし,診療報酬改定等,看護を取り巻く環境の変化も考慮して修正を行っている。ただし残念ながら,調査がなされなくなったり,最新統計が未公表なままであったりするために,連載当時に用いた統計資料をそのまま使っている箇所もある。そこでは,現在の状態を伝えきれていない点があるかもしれないが,その現状を生み出した構造自体を明らかにするにはきわめて有効な統計資料であるため,本書でもこれを用いた分析を示している。
また,「保健師助産師看護師法」において2001年に「看護婦」「看護士」から「看護師」に統一されたため,本書では基本的に「看護師」という呼称を用いて説明を進めている。ただし,法律や制度の変遷に関わる記述の中で,より適切だと判断される場合には,以前の呼称を用いているところもある。
連載時には経済学の有用性を知ってもらうことを第一に考え,経済学の基礎知識は簡略にまとめることもあったが,本書ではこれを補足して説明している。加えて,例えば患者を看護することを,「消費者への看護サービスの生産」とするなど,経済学の用語に置きかえて説明し,経済学が少しでも身近なものになるように,心がけている(どうしても経済学の用語がなじまない場合にはその限りではないが)。
本書を通して,看護の分野を経済学の視点から捉える有用性が少しでも伝われば,筆者にとってこのうえない幸せである。
2007年 7月
角田由佳
看護師不足の問題が再び発生している。従来よりも看護師を手厚く配置する基準「7対1入院基本料」が2006年度の診療報酬改定で設けられたことがきっかけである。この基準を満たすことで増額される診療報酬を獲得しようと,病院は看護師の増員に乗り出し,看護師不足の状態が引き起こされた。
新規学卒者の争奪や離職者の中途採用増,そして引き抜き合戦……。結果として,看護師の労働条件は改善されているという。一方,看護師を確保,あるいは引きとめられず,看護の現場に支障をきたしている医療施設も数多く出現し,政府は対策を検討している。
翻って,看護師にとって,その働きや技能に見合った評価が,ほんとうに,賃金をはじめとする労働条件の上でなされるようになったのだろうか?他のスタッフに任せられるような業務まで看護師が抱え込み,忙しさで心身を困憊させてはいないだろうか?
日本ではこれまで,看護師の不足問題が起こるたびに,養成者数を増大したり,「看護料」の引き上げなどを通じて,労働条件の改善を図ったりすることで,就業する看護師を増やし,労働力の不足を解消しようとしてきた。その結果,賃金が安くて済む新規学卒の看護師が労働市場に流入し,また,診療報酬点数のつかない他職種の業務まで看護師が担うことにもなった。そればかりか,看護師の人数に基づいて一定の診療報酬が支払われるしくみのもと,看護師の技能を評価しない構造が成立し続けることにもなったのだ。
そして今,看護師の働き,技能が評価されるしくみを構築するチャンスが再び到来している。2006年度の診療報酬改定における看護職員配置基準の引き上げをきっかけに,各医療施設が,そして政府が看護師確保に関わる戦略・政策を活発に検討しているときこそ,看護師が真に評価される政策を指し示し,そのしくみを構築するチャンスなのだ。
本書は,経済学という1つの分析用具を使って,看護師が置かれている雇用環境や,その状況下での看護師の働き方について解説するものである。経済学の視点を導入すれば,「なぜこれほど仕事がきついのか」「これも看護師がしなくてはいけないことだろうか」「私の能力は評価されているのだろうか」といった仕事内容や労働条件・環境への疑問・不満は,看護師の単なる思い込みではなく,正当な見解として認められるべきものであることを,合理的な根拠をもって示すことができる。看護師の働き,そして技能が正当に評価され,より質の高い看護が患者に安定して提供されるためにも,多くの看護師の皆さんに経済学の視点を知っておいてほしいと考えている。
本書は2002年4月から2003年3月にかけての1年間,『看護管理』誌において「看護師の働き方を経済学から読み解く」という題名で,全12回にわたって連載した内容を大幅に加筆・修正したものである。連載時に各種統計を用いて分析した内容は,可能な限り最新の統計資料で分析しなおし,診療報酬改定等,看護を取り巻く環境の変化も考慮して修正を行っている。ただし残念ながら,調査がなされなくなったり,最新統計が未公表なままであったりするために,連載当時に用いた統計資料をそのまま使っている箇所もある。そこでは,現在の状態を伝えきれていない点があるかもしれないが,その現状を生み出した構造自体を明らかにするにはきわめて有効な統計資料であるため,本書でもこれを用いた分析を示している。
また,「保健師助産師看護師法」において2001年に「看護婦」「看護士」から「看護師」に統一されたため,本書では基本的に「看護師」という呼称を用いて説明を進めている。ただし,法律や制度の変遷に関わる記述の中で,より適切だと判断される場合には,以前の呼称を用いているところもある。
連載時には経済学の有用性を知ってもらうことを第一に考え,経済学の基礎知識は簡略にまとめることもあったが,本書ではこれを補足して説明している。加えて,例えば患者を看護することを,「消費者への看護サービスの生産」とするなど,経済学の用語に置きかえて説明し,経済学が少しでも身近なものになるように,心がけている(どうしても経済学の用語がなじまない場合にはその限りではないが)。
本書を通して,看護の分野を経済学の視点から捉える有用性が少しでも伝われば,筆者にとってこのうえない幸せである。
2007年 7月
目次
開く
第I章 経済学からみた看護サービス
1 サービスの特性と看護サービスの捉え方
2 自由な市場取引を妨げる医療サービスの特殊性
3 政府はなぜ医療サービスの取引に関与するのか
4 看護サービスの特殊性とは何か
まとめ
第II章 社会経済環境の変化と看護師雇用の現状
1 看護・医療サービスの消費はどのくらいの規模になるのか
2 看護・医療サービスの消費を支える財政基盤
3 看護・医療サービスの生産はどのくらいの規模か
4 看護師の雇用状況
まとめ
第III章 <診療報酬制度のしくみがもたらす影響1>看護師が他職種の業務を担うメカニズム
1 診療報酬制度はどのようなしくみになっているのか
2 看護サービスの生産にかかわる診療報酬のしくみとは
3 なぜ看護師は周辺業務を引き受けるのか
4 看護師の多くが周辺業務を担っている実態
5 看護師による周辺業務分担がもたらすもの
まとめ
第IV章 <診療報酬制度のしくみがもたらす影響2>看護師の技能評価を妨げるメカニズム
1 看護師の技能を問わない診療報酬と利益を高める経営とは
2 技能の高い看護師の需要削減と労働条件の悪化
3 診療報酬の加算は技能の高い看護師の雇用につながるか
まとめ
第V章 <看護師の労働供給>無視できない結婚と出産・育児
1 労働供給とは
2 看護師の大半を占める女性の労働供給行動とは
3 看護師はどのような労働供給行動をとるのか
まとめ
第VI章 <看護師の労働需要と市場構造>労働市場における搾取と労働力不足
1 労働需要とは
2 雇用主による独占的な労働市場の形成
3 看護師にみられるさまざまな労働力不足
まとめ
第VII章 人的資本論から検証する労働条件格差
1 看護師間でどのように格差が発生しているか
2 賃金格差を説明する人的資本論とは何か
3 人的資本論から看護師の賃金格差は説明できるか
まとめ
第VIII章 市場の階層性が生み出す賃金格差
1 賃金格差を生む労働市場の二重構造とは
2 看護師の労働市場も二重構造が成立しているのか
3 二重構造の成立を証明する推定結果
4 自由な階層移動を妨げる診療報酬制度のしくみ
まとめ
第IX章 職務価値からみた賃金格差
1 職務の価値とは何か
2 看護師間に職務価値の差はあるか
3 職務価値の差が看護師の賃金格差に影響しているか
まとめ
第X章 看護師の雇用政策とインパクト
1 労働力不足を解消するために実施されてきた政策とは
2 看護師に対する各種政策手段のもつ影響とは
3 看護師の配置基準引き上げはいかなる影響を及ぼすか
まとめ
第XI章 よりよい看護を実現するために
1 看護サービスの特殊性と政策介入がもたらしているもの
2 看護師の労働市場構造と異質な賃金決定メカニズム
3 看護師不足時の政策とこれから予測される問題
4 よりよい看護を実現させるために
あとがき
索引
1 サービスの特性と看護サービスの捉え方
2 自由な市場取引を妨げる医療サービスの特殊性
3 政府はなぜ医療サービスの取引に関与するのか
4 看護サービスの特殊性とは何か
まとめ
第II章 社会経済環境の変化と看護師雇用の現状
1 看護・医療サービスの消費はどのくらいの規模になるのか
2 看護・医療サービスの消費を支える財政基盤
3 看護・医療サービスの生産はどのくらいの規模か
4 看護師の雇用状況
まとめ
第III章 <診療報酬制度のしくみがもたらす影響1>看護師が他職種の業務を担うメカニズム
1 診療報酬制度はどのようなしくみになっているのか
2 看護サービスの生産にかかわる診療報酬のしくみとは
3 なぜ看護師は周辺業務を引き受けるのか
4 看護師の多くが周辺業務を担っている実態
5 看護師による周辺業務分担がもたらすもの
まとめ
第IV章 <診療報酬制度のしくみがもたらす影響2>看護師の技能評価を妨げるメカニズム
1 看護師の技能を問わない診療報酬と利益を高める経営とは
2 技能の高い看護師の需要削減と労働条件の悪化
3 診療報酬の加算は技能の高い看護師の雇用につながるか
まとめ
第V章 <看護師の労働供給>無視できない結婚と出産・育児
1 労働供給とは
2 看護師の大半を占める女性の労働供給行動とは
3 看護師はどのような労働供給行動をとるのか
まとめ
第VI章 <看護師の労働需要と市場構造>労働市場における搾取と労働力不足
1 労働需要とは
2 雇用主による独占的な労働市場の形成
3 看護師にみられるさまざまな労働力不足
まとめ
第VII章 人的資本論から検証する労働条件格差
1 看護師間でどのように格差が発生しているか
2 賃金格差を説明する人的資本論とは何か
3 人的資本論から看護師の賃金格差は説明できるか
まとめ
第VIII章 市場の階層性が生み出す賃金格差
1 賃金格差を生む労働市場の二重構造とは
2 看護師の労働市場も二重構造が成立しているのか
3 二重構造の成立を証明する推定結果
4 自由な階層移動を妨げる診療報酬制度のしくみ
まとめ
第IX章 職務価値からみた賃金格差
1 職務の価値とは何か
2 看護師間に職務価値の差はあるか
3 職務価値の差が看護師の賃金格差に影響しているか
まとめ
第X章 看護師の雇用政策とインパクト
1 労働力不足を解消するために実施されてきた政策とは
2 看護師に対する各種政策手段のもつ影響とは
3 看護師の配置基準引き上げはいかなる影響を及ぼすか
まとめ
第XI章 よりよい看護を実現するために
1 看護サービスの特殊性と政策介入がもたらしているもの
2 看護師の労働市場構造と異質な賃金決定メカニズム
3 看護師不足時の政策とこれから予測される問題
4 よりよい看護を実現させるために
あとがき
索引
書評
開く
必要とされる「看護のポリティカル・エコノミー」
書評者: 安川 文朗 (同志社大学医療政策・経営研究センター)
著者の角田由佳氏は,評者にとっては元職場の同僚として旧知の間柄であり,それゆえ氏の「看護」研究に対する並々ならぬ熱意と見識には,以前より敬服してきた。『看護管理』誌に連載された本書の核心部分は,「看護という仕事を続けるための労働環境をどうしたら確保,向上させられるか」という,多くの看護師の思いを代弁し看護師に寄り添うような目線が保たれていると同時に,そのために看護師自身がもっとしっかりと自らを客観的に見つめ直してほしいという教育的なメッセージに満ちている。ひと言で言えば,本書を透かして評者は改めて著者の研究的関心のありどころを確認したように思える。
本書は言うまでもなく看護の関係者に向けて書かれたものであるが,読み手として想定される臨床現場の看護師や(臨床分野を専門とする)看護研究者にとって,「すらすらと理解しやすい」本であるかといえば,必ずしもそうではない。「経済学から読み解く」という表題のとおり,第1章では情報の非対称性,不確実性,外部性などの経済学でなじみ深い用語が登場し,こうした特性をもつ医療や看護では提供されるサービスの品質や価値などが「価格」という尺度で正しく評価されにくいために,政府がサービス提供と消費の双方に規制をかけることで,過剰消費や不当なサービス供給を抑止することが必要だ,と説明する。この説明は経済学的に誤りはない。また第4章では,わが国の診療報酬のしくみが看護師の実際の能力を反映していないために,結果として高い賃金を要求する技能の高い看護師に対する需要が低下し,かわりに低賃金で雇用可能な経験の浅い(技能の低い?)看護師の需要が増えるといった,看護労働需給のメカニズムを解説し,病院経営の合理性とあるべき看護配置の不合理性とのギャップが解消されるべきと主張している。これも労働経済学の常識的な理解であり,妥当な帰結である。さらに第5章では,看護師の労働供給を決定する要因として,結婚・出産などのライフイベンツや夫の所得など,女性労働者の特質が看護師にも求められ,それゆえ看護労働では一般の女性労働と同様(あるいはそれ以上)の就業支援策が必要であることを,厚生労働省や看護協会のデータを駆使して指摘している。評者のわずかな看護労働需給研究の経験からも,これらの指摘はきわめて妥当といえる。そして,本書の最もユニークかつ刺激的な部分である第8章・第9章では,看護労働における「市場の階層性」の存在と,職務の価値に応じた賃金支払いの原則が,本来看護師の職能からすればもっと自由であるべき労働移動を不自由にしていること,また職能や経験に見合った報酬獲得を阻害していることを示し,こうした「労働市場の二重性」が今日の看護労働力不足の1つの源泉になっていることを,著者自身の研究成果を援用しながら解説している。こうした理解は,たしかに経済学というツールを使ったことによってはじめて見えてくる側面であり,看護労働の問題や看護師不足の原因を理解するうえで,大変重要な視点を提供していることは間違いない。
しかし,論述の革新性や妥当性,また分析視点のユニークさは,残念ながらそれ自体では物事の理解を進める必要条件ではあっても,十分条件ではない。つまり,本書を十分「読み解いた」読者が,経済学のロジックの説得力に感銘を受け,自身の知的好奇心を喚起させられるだけではなく,さらにそれを超えて,実際の看護の現場で,指摘された問題性や課題と対峙するアクションへと結びつけるためには,実はいったん,本書の論述根拠あるいは本書が提示する政策的提案に対する,厳しいクリティク(批判的評価)を読者自身が喚起する必要がある。つまり,本書のそこここに見出すであろう「なんとなくわかるけれど,なんとなく理解できない感」あるいは「現場の目からみた違和感」に,読者が1度自分自身で「挑戦状」をたたきつけてほしいのである。例えば,医療サービスの特性をそのまま看護サービスの理解につなげることは本当にできるのだろうか? このロジックに挑戦するためには,読者が「看護サービスとはこんなものだ」という明快な反論を展開しなければならない。また,看護労働市場の二重性から,看護師ははじめからある種差別された賃金体系に甘んじざるを得ないというテーゼを論駁するためには,看護師自身の職務特性や技能の可視的な評価のあり方について逆提案をする必要があるだろう。
実は,本書が出版された最大の意義と貢献は,看護の分野にこのようなブレーンストームを巻き起こすことにあるのではないだろうか。本書は,編集者の真意はともかく,おそらく看護界へ「テキスト」として広く普及するだろう。また評者も,「テキスト」としての本書の価値を評価することにやぶさかではない。しかし,十数年来,著者の研究マインドと学問への姿勢を垣間見てきた評者は,著者本人の意図がおそらく平板な「テキスト出版」にないことは先刻お見通しである。
看護師に寄り添い,看護師の思いを代弁している本書の「表」のテイストの裏に潜む,いわば寝ぼけ眼に「活を入れる」挑戦的な隠し味を,ぜひ多くの看護関係者,特に看護研究者に味わってもらいたいと切望する。
日頃感じる「なぜ」に根拠をもって説明(雑誌『看護教育』より)
書評者: 増野 園惠 (近大姫路大学看護学部准教授)
◆「看護師の仕事がきつい」合理的な根拠とは
“経済学”と聞くと,私たちはすぐに“コスト”という言葉を思い浮かべてしまわないだろうか。看護実践から離れたところで聞く“経済”も,世界あるいは国家の経済状況から物価や所得,家計の話まで,大抵がお金にまつわる話である。看護に携わる者として,お金の話には何となく後ろ暗いものを感じ,経済学と聞くと,看護学からはずいぶんと遠く離れたものとして毛嫌いしている人も多いのではないだろうか。
しかし,本書は,そんなわれわれがもつ経済学に対する考えを一変させてくれる。経済学とひと口に言ってもその守備範囲は広い。タイトルからわかるように,本書は著者が専門とする労働経済学の立場から,看護師の労働問題に新たな視点をもたらしてくれる。経済学が机上で空論を展開する学問ではなく,現実の問題の理解を促し,新たな解決へのアプローチを導いてくれることに気付かせてくれる。そして,それは,副題の『看護のポリティカル・エコノミー』に込められているように,個人の問題解決ではなく,制度・政策への働きかけによる問題解決が必要であることを教えてくれる。
看護師不足や看護師の労働環境・条件の問題は今に始まったことではない。ずっと解決できないままに,問題はますます複雑かつ重大になってきている。解決の糸口はどこにあるのかと,現場では日々悩んでいる。著者は,われわれが日頃感じている「なぜいつも看護師が足りないのか?」「なぜ看護師の仕事はこんなにきついのか?」「これも看護師がしなくてはいけない仕事なのか?」といった疑問は,看護師がそう思い込んでいるだけということでは決してなく,経済学の視点で分析すれば合理的な根拠をもって説明できることであるという。何とも心強い。本書を読み,まずは看護界が直面している大きな問題に立ち向かってみようじゃないかという気持ちにさせてくれる。
◆“いま”を変えるために制度にどう切り込むか
本書では,経済学特有の言葉も丁寧に解説され,さまざまなデータをもとに看護労働の問題がひも解かれている。数字を敬遠したい方もいるだろうが,賃金や診療報酬の計算が具体的なデータをもとになされていることで,むしろ理解しやすくなっている。また,2006年の診療報酬改定により看護師の労働環境に大きな変化が起こっているが,この変化も踏まえて書き上げられている。そのため,本書のもととなった雑誌『看護管理』の連載を読まれた方でも新たな発見があることだろう。
個人的には,第Ⅲ章:看護師が他職種の業務を担うメカニズムと第Ⅳ章:看護師の技能評価を妨げるメカニズムの内容に深く納得した。この2つの章では,診療報酬制度の仕組みがもたらす影響について説明されている。何事においても言えることであるが,今の制度を甘受するのではなく,そこにどう切り込んでいけばよいのかという攻めの姿勢をもつ必要性を改めて考えさせられる。
最終章には,「よりよい看護を実現するために」と題して,著者から看護職へ厳しくも熱いエールが送られている。どのようなエールかは本書を読んでほしいが,看護労働の問題をよく知る経済学者からの言葉に,われわれ看護職はどう応えていけるだろうか。
書評者: 安川 文朗 (同志社大学医療政策・経営研究センター)
著者の角田由佳氏は,評者にとっては元職場の同僚として旧知の間柄であり,それゆえ氏の「看護」研究に対する並々ならぬ熱意と見識には,以前より敬服してきた。『看護管理』誌に連載された本書の核心部分は,「看護という仕事を続けるための労働環境をどうしたら確保,向上させられるか」という,多くの看護師の思いを代弁し看護師に寄り添うような目線が保たれていると同時に,そのために看護師自身がもっとしっかりと自らを客観的に見つめ直してほしいという教育的なメッセージに満ちている。ひと言で言えば,本書を透かして評者は改めて著者の研究的関心のありどころを確認したように思える。
本書は言うまでもなく看護の関係者に向けて書かれたものであるが,読み手として想定される臨床現場の看護師や(臨床分野を専門とする)看護研究者にとって,「すらすらと理解しやすい」本であるかといえば,必ずしもそうではない。「経済学から読み解く」という表題のとおり,第1章では情報の非対称性,不確実性,外部性などの経済学でなじみ深い用語が登場し,こうした特性をもつ医療や看護では提供されるサービスの品質や価値などが「価格」という尺度で正しく評価されにくいために,政府がサービス提供と消費の双方に規制をかけることで,過剰消費や不当なサービス供給を抑止することが必要だ,と説明する。この説明は経済学的に誤りはない。また第4章では,わが国の診療報酬のしくみが看護師の実際の能力を反映していないために,結果として高い賃金を要求する技能の高い看護師に対する需要が低下し,かわりに低賃金で雇用可能な経験の浅い(技能の低い?)看護師の需要が増えるといった,看護労働需給のメカニズムを解説し,病院経営の合理性とあるべき看護配置の不合理性とのギャップが解消されるべきと主張している。これも労働経済学の常識的な理解であり,妥当な帰結である。さらに第5章では,看護師の労働供給を決定する要因として,結婚・出産などのライフイベンツや夫の所得など,女性労働者の特質が看護師にも求められ,それゆえ看護労働では一般の女性労働と同様(あるいはそれ以上)の就業支援策が必要であることを,厚生労働省や看護協会のデータを駆使して指摘している。評者のわずかな看護労働需給研究の経験からも,これらの指摘はきわめて妥当といえる。そして,本書の最もユニークかつ刺激的な部分である第8章・第9章では,看護労働における「市場の階層性」の存在と,職務の価値に応じた賃金支払いの原則が,本来看護師の職能からすればもっと自由であるべき労働移動を不自由にしていること,また職能や経験に見合った報酬獲得を阻害していることを示し,こうした「労働市場の二重性」が今日の看護労働力不足の1つの源泉になっていることを,著者自身の研究成果を援用しながら解説している。こうした理解は,たしかに経済学というツールを使ったことによってはじめて見えてくる側面であり,看護労働の問題や看護師不足の原因を理解するうえで,大変重要な視点を提供していることは間違いない。
しかし,論述の革新性や妥当性,また分析視点のユニークさは,残念ながらそれ自体では物事の理解を進める必要条件ではあっても,十分条件ではない。つまり,本書を十分「読み解いた」読者が,経済学のロジックの説得力に感銘を受け,自身の知的好奇心を喚起させられるだけではなく,さらにそれを超えて,実際の看護の現場で,指摘された問題性や課題と対峙するアクションへと結びつけるためには,実はいったん,本書の論述根拠あるいは本書が提示する政策的提案に対する,厳しいクリティク(批判的評価)を読者自身が喚起する必要がある。つまり,本書のそこここに見出すであろう「なんとなくわかるけれど,なんとなく理解できない感」あるいは「現場の目からみた違和感」に,読者が1度自分自身で「挑戦状」をたたきつけてほしいのである。例えば,医療サービスの特性をそのまま看護サービスの理解につなげることは本当にできるのだろうか? このロジックに挑戦するためには,読者が「看護サービスとはこんなものだ」という明快な反論を展開しなければならない。また,看護労働市場の二重性から,看護師ははじめからある種差別された賃金体系に甘んじざるを得ないというテーゼを論駁するためには,看護師自身の職務特性や技能の可視的な評価のあり方について逆提案をする必要があるだろう。
実は,本書が出版された最大の意義と貢献は,看護の分野にこのようなブレーンストームを巻き起こすことにあるのではないだろうか。本書は,編集者の真意はともかく,おそらく看護界へ「テキスト」として広く普及するだろう。また評者も,「テキスト」としての本書の価値を評価することにやぶさかではない。しかし,十数年来,著者の研究マインドと学問への姿勢を垣間見てきた評者は,著者本人の意図がおそらく平板な「テキスト出版」にないことは先刻お見通しである。
看護師に寄り添い,看護師の思いを代弁している本書の「表」のテイストの裏に潜む,いわば寝ぼけ眼に「活を入れる」挑戦的な隠し味を,ぜひ多くの看護関係者,特に看護研究者に味わってもらいたいと切望する。
日頃感じる「なぜ」に根拠をもって説明(雑誌『看護教育』より)
書評者: 増野 園惠 (近大姫路大学看護学部准教授)
◆「看護師の仕事がきつい」合理的な根拠とは
“経済学”と聞くと,私たちはすぐに“コスト”という言葉を思い浮かべてしまわないだろうか。看護実践から離れたところで聞く“経済”も,世界あるいは国家の経済状況から物価や所得,家計の話まで,大抵がお金にまつわる話である。看護に携わる者として,お金の話には何となく後ろ暗いものを感じ,経済学と聞くと,看護学からはずいぶんと遠く離れたものとして毛嫌いしている人も多いのではないだろうか。
しかし,本書は,そんなわれわれがもつ経済学に対する考えを一変させてくれる。経済学とひと口に言ってもその守備範囲は広い。タイトルからわかるように,本書は著者が専門とする労働経済学の立場から,看護師の労働問題に新たな視点をもたらしてくれる。経済学が机上で空論を展開する学問ではなく,現実の問題の理解を促し,新たな解決へのアプローチを導いてくれることに気付かせてくれる。そして,それは,副題の『看護のポリティカル・エコノミー』に込められているように,個人の問題解決ではなく,制度・政策への働きかけによる問題解決が必要であることを教えてくれる。
看護師不足や看護師の労働環境・条件の問題は今に始まったことではない。ずっと解決できないままに,問題はますます複雑かつ重大になってきている。解決の糸口はどこにあるのかと,現場では日々悩んでいる。著者は,われわれが日頃感じている「なぜいつも看護師が足りないのか?」「なぜ看護師の仕事はこんなにきついのか?」「これも看護師がしなくてはいけない仕事なのか?」といった疑問は,看護師がそう思い込んでいるだけということでは決してなく,経済学の視点で分析すれば合理的な根拠をもって説明できることであるという。何とも心強い。本書を読み,まずは看護界が直面している大きな問題に立ち向かってみようじゃないかという気持ちにさせてくれる。
◆“いま”を変えるために制度にどう切り込むか
本書では,経済学特有の言葉も丁寧に解説され,さまざまなデータをもとに看護労働の問題がひも解かれている。数字を敬遠したい方もいるだろうが,賃金や診療報酬の計算が具体的なデータをもとになされていることで,むしろ理解しやすくなっている。また,2006年の診療報酬改定により看護師の労働環境に大きな変化が起こっているが,この変化も踏まえて書き上げられている。そのため,本書のもととなった雑誌『看護管理』の連載を読まれた方でも新たな発見があることだろう。
個人的には,第Ⅲ章:看護師が他職種の業務を担うメカニズムと第Ⅳ章:看護師の技能評価を妨げるメカニズムの内容に深く納得した。この2つの章では,診療報酬制度の仕組みがもたらす影響について説明されている。何事においても言えることであるが,今の制度を甘受するのではなく,そこにどう切り込んでいけばよいのかという攻めの姿勢をもつ必要性を改めて考えさせられる。
最終章には,「よりよい看護を実現するために」と題して,著者から看護職へ厳しくも熱いエールが送られている。どのようなエールかは本書を読んでほしいが,看護労働の問題をよく知る経済学者からの言葉に,われわれ看護職はどう応えていけるだろうか。
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