刑務所で当事者研究をやってみた
対話実践とチーム処遇が扉をひらく
「出所→犯罪→刑務所→…」際限なきこのループは変わるのか?
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「シャバより刑務所のほうがマシ」と彼らは言った。他者に頼ることを知らないその人たちを「犯罪者」として裁き、社会との関係を断ち、他者との関係を断ち、孤立を基本とする環境に置いて更生させようとする。そんな建前上のセレモニーを終わらせるための手がかりを彼らから学び、社会実装するための本。
| シリーズ | シリーズ ケアをひらく |
|---|---|
| 編著 | 向谷地 生良 / 村上 靖彦 |
| 発行 | 2026年03月判型:A5頁:216 |
| ISBN | 978-4-260-06565-8 |
| 定価 | 2,200円 (本体2,000円+税) |
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- 目次
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序文
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はじめに
向谷地生良
本書は、刑務所という非日常の世界で、しかもスタッフのあいだで「もっともかかわりが難しい」と言われていた受刑者Aさんとの当事者研究の記録である。
六歳で万引きを覚え、一六歳で少年院、二〇歳以降は断続的に刑務所で暮らし、現在四〇代半ばのAさんは「人生の大半を刑務所で過ごさなくてはいけない人たち」の一人だった。なぜそのような“特殊”な経歴の人の当事者研究を公刊するのか。それは、ケア論はつねに、ケアからもっとも遠ざけられ、もっとも周辺化された現実を生きることを余儀なくされている人たちによって鍛えられ、再構成されなくてはならないと考えているからである。
Aさんと研究をするなかで私たちが気づいたのは、「つながりの喪失」という存在の危機をキャッチしたセンサーが、緊急避難的な復旧の手立てとして、他害行為や迷惑行為を本人に“強いる”ことだ。それによって周囲からの非難や懲罰という疑似的なつながりを引き寄せ、かりそめの充足をする。
このつながりを希求する形として「犯罪(社会化)」があり、別の人の場合は「こころの病(非社会化)」がある。つまり彼は、社会とつながろうとすれば犯罪という方法以外を知らず、別の人の場合は、社会から逃れるにはいわゆる「病気に助けられる」以外に手立てがなかった、ということだ。
しかし、つながりを促進する手段はそれだけではないだろう。当事者研究のモットーに「問題(病気)つながりから研究つながりへ」というものがある。その意味で当事者研究は、「犯罪(社会化)」でも「病気(非社会化)」でもない第三の手立てとしての可能性、つまり「仲間」という第三項が見えてくるのだ。
もう一つこのプロジェクトを通じて気づかされたのは、つながりを喪失した“避難者”を受け入れてきた「刑務所」や「精神科病院」が、さらなるつながりの喪失と孤立を生み出す社会的循環の歯車となっていたことだ。こうした「支配と管理の歯車」がソフトな形で地域に広がりを見せているなかで、希望は、いま刑務所が大胆にさまざまな形でアクションを始めていることである。本書もその一つの証左である。
なお、本書は、刑務所というニッチな場所での特殊なケアを紹介したものではない。どんな場所でも中心に据えるべき「ケア論の核心」を示す貴重な手がかりとなる内容だと考えている。
読者のみなさんには、ぜひこのプロジェクトの参加者になったつもりで受刑者Aさんと刑務所関係者の経験に触れていただきたい。
目次
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はじめに
I なぜ刑務所で当事者研究?
第1章 向谷地生良さんインタビュー 「受刑者Aさんにとって当事者研究はどういう体験だったのだろうか」
第2章 刑務所での当事者研究がどうして始まったか
コラム1 懲役刑・禁錮刑から拘禁刑へ
II 受刑者Aさんの当事者研究
第3章 Aさんの人生歴
第4章 受刑者Aさんの語り
コラム2 受刑者・出所者に対する福祉的サポート
III 刑務官・支援者はどう変わったか
第5章 刑務官Xさんの語り
第6章 出所後も「応援ミーティング」でかかわり続ける
注・文献
あとがき
あとがきのあと
書評
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どんな場所でも中心に据えるべき“ケア論の核心”を示す手がかり
書評者:福田 正人(群馬大名誉教授・精神医学)
「刑務所」という大きな赤文字が表紙にある。しかし,「本書は,刑務所というニッチな場所での特殊なケアを紹介したものではない。どんな場所でも中心に据えるべき“ケア論の核心”を示す貴重な手がかりとなる内容」である。「“つながりの喪失”という存在の危機」があり,「つながりを希求する形として“犯罪(社会化)”」があり「“こころの病(非社会化)”がある」が,そのいずれでもない「第三の手立てとしての可能性」,つまり“仲間”との“研究つながり”を開くことが,当事者研究であるという。
札幌刑務所での当事者研究は,受刑者1人,刑務官2~3人,外部メンバー5~6人(北海道医療大学,大阪大学,浦河べてるの家という外部からの協力メンバー)で行われた。「刑務所スタッフのあいだで“最もかかわりが難しい”と言われ,統合失調症の診断を受けた受刑者Aさんとの当事者研究の記録」である。
向谷地生良氏による語り「なぜ刑務所で当事者研究?」(第1章)と,解説(第2章)から始まる。そこで強調されるのは,「その人が主体的に試行錯誤を始める第一歩,その踏み出しを徹底して大事にする」という「当事者研究の基本中の基本」であり,「あなたに対して私たちは何かをするっていうんじゃなくて,あなたから私たちは教えてもらいたいことがいっぱいあるのだ」という姿勢である。
著者の一人である鈴木和氏が,当事者研究で明らかになったAさんの詳しい人生歴を3ページにわたる図としてまとめてくれている(第3章)。また,現象学の視点から村上靖彦氏が丹念にたどったAさんの語り(第4章)が紹介されているが,当事者研究はAさんのトラウマにフォーカスするのではなく,あくまでAさん本人が話したいことを話題の中心としていく。
「人づきあいが苦手」なために「周りの人に迷惑をかけない」ように器物損壊事件を起こし,「自由が逆に困って」「何していいんだか,わかんなくなって」旅に癒しを求めるという自分助けを試み,「導いてくれる存在」(刑務官)による「特別扱い」という「信頼」を大切にしている,といったことが語られる。当事者研究が進むに連れて,「仕事から逃げて空き巣,居空き」をするのではなく「相談する」という方法に気付き,語りの中に行為の主語としての自分が少しずつ現れ,話に唯一登場する重要な他者である母への思いが言葉になっていく。
しかしそうしたAさんの人生歴と語りは,この当事者研究の半分に過ぎない。第5章で刑務官Xさんは,刑務官として,「名前と顔がない関係」からなる規律の世界の「訊く」と,当事者研究の対話の世界の「聴く」のバランスを求めて,「スタンス,スイッチ,タイミング」を模索していると語る。つまりこの試みは,刑務官にとっての当事者研究でもあったのだ。また,当事者研究の噂は刑務所内でも広まり,当事者研究にかかわらなかった刑務官も「少し時間をもってAさんと向き合う」ようになるという変化があったという。
第6章で奥田かおり氏は,「出所後も続く管理文化」ではない「伴走的なコミュニティ・ソーシャルワーク」をめざして,当事者にも支援にも「応援ミーティング」でかかわり続けようとする,そこでの葛藤を描いている。
通読すると,当事者研究の体験が,Aさん,Xさん,外部メンバーとでそれぞれ異なっていることが伝わってくる。それは,この研究に参加した全ての人が「当事者」であったからこそである。
向谷地氏は言う。「大事なのは,何度でもやり直しができ,“安心して行き詰まることができる”地域の居場所があることと,具体的な人のつながりが保証されていることなのだ」。そのことを読者として体験し,「専門職が専門性から降りる」ことを考えさせてくれる大切な記録である。




