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日本近現代医学人名事典別冊【1868-2019】増補

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わが国の近現代において医学・医療の発展に貢献した先人の業績を整理した『日本近現代医学人名事典 1868-2011』(第26回矢数医史学賞)を増補する別冊。平成時代の終焉(2019年4月末日)までの逝去者933名の事績を収載。事典とあわせ総勢4695名にのぼる「人名総索引」(医学書院ウェブサイトでも公開)のほか、事典情報の「正誤・補足表」、「参考文献・資料」、「年表」、「書名索引」を付録とした。

編集 泉 孝英
発行 2021年05月判型:A5頁:256
ISBN 978-4-260-04261-1
定価 3,960円 (本体3,600円+税)

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収載人名一覧(五十音順)

『日本近現代 医学人名事典1868-2011』とあわせ総勢4,695名

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別冊の序

 わが国において西洋医学が公式に採用された慶応4/明治元(1868)年3月から平成23(2011)年12月末までの約145年間において、わが国の医学・医療に携わり、物故された人物3762名についての記録集『日本近現代医学人名事典』を刊行できたのは、平成24(2012)年12月である。今回、平成の時代が終わったことを機に、医学書院のご助力を得て、平成24年以降、令和に改元されるまでの31年4月末日までに物故された564名に前版において収録すべきであった369名を加えて、933名を収載した『日本近現代医学人名事典別冊』を刊行することとした。前版の3762名に本別冊で増補する933名を加えて、4695名を収載することができた。

 本別冊を企画した理由は、『事典』と同様、これらの方々の足跡から、明治・大正・昭和・平成(1868〜2019年)の約150年間におけるわが国の医学・医療の進展をたどる資料になることへの期待である。
 『事典』においては、わが国における医学・医療のたどった道を、[明治・大正・昭和戦前期][昭和戦後期][平成期]に区分し、編者の視点でまとめた各時期の概略を記述した(vi頁)。本別冊においては改めて、平成時代[平成元(1989)年1月8日〜平成31(2019)年4月30日]におけるわが国の医学・医療の成果についての概説を試みるとともに、令和の時代に残された解決されるべき課題について記しておくこととしたい。

平成時代の医学・医療――光の面
 平成時代、医学の面での大きな成果は、わが国においてなされた研究成果に対する「ノーベル生理学・医学賞」受賞者を輩出したことである。そして医療面では、「世界一長寿国」の地位が堅固なものとなったことである。
 ノーベル賞は1901(明治34)年に開始されたが、わが国においてなされた生理学・医学領域の研究業績に対する受賞は、2012(平成24)年の山中伸弥博士の「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」に対するガードン博士(英)との共同受賞が最初である。そして、2015(平成27)年、大村智博士の「線虫寄生虫による感染に対する新規治療法の発見」に対するキャンベル博士(米)との共同受賞、2016(平成28)年には、大隅良典博士の「オートファジーの機序に関する発見」に対する単独受賞、さらに、2018(平成30)年には、本庶佑博士の「免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用」に対してのアリソン博士(米)との共同受賞と続いた。わが国の生理学・医学領域における研究が100年以上後ではあるが、欧米に追いつけたと評価し、さらなる朗報も期待したい。
 世界一長寿国について、第二次大戦直後の1947(昭和22)年、わが国の平均寿命は男性50歳、女性54歳であったが、1988(昭和63)年には男性76歳、女性81歳と大きく延長していた。平成時代にはさらに伸び続け、2018(平成30)年には、男性81歳、女性87歳にまで延長している。理由は病死の激減である。年齢調整死亡率でみるかぎり平成の時代に、心疾患死は男性で55%減、女性で64%減、脳血管疾患死は男性72%減、女性78%減と激減、がん死までも男性23%減、女性22%減となっている。病死激減の理由は、昭和戦後期の経済成長によって、第一に生活環境・労働環境の向上による病気の減少、第二に医療環境の向上による病気の管理・治療の進歩、がもたらされたためである。

平成時代の医学・医療――影の面
 国民の健康状態は著しく向上し、病気が激減したのに、医療費は増加し続け、平成の30年間に国民医療費は2.26倍(43兆円/19兆円)、一人あたりの医療費も2.26倍(34.3万円/15.2万円)に増加した。欧米に比較しての過剰医療が指摘されている。制度の検討・変更が必要である。わが国では受診はフリーアクセスであるために、国民一人あたりの医師受診回数は北欧諸国の5倍、一方、医師の診察回数はその7倍以上である。患者が納得する病状の説明など夢物語である。一方、わが国では公的な健康相談の場がない。高齢者が健康不安で相談のために医師を受診しても、立派な病名がついて医療費が発生し、「病人」となってしまう。この問題を解決するには、「公的かかりつけ医」制度が必要である。国民一人ひとりがかかりつけ医を選択し登録する。政府は、登録数に応じてかかりつけ医に報酬を支払い、心配事、相談事を、簡単に電話なりで登録医に相談できるしくみをつくることである。出来高払いの対象を本当の病人だけにすれば、医療費の大幅削減が期待できる。
 医療費に関連しての大きな問題は、わが国の医薬品市場が欧米製薬企業の独占場と化したことである。契機は2002(平成14)年、政府が国策として打ち出した「医薬品産業ビジョン」である。この構想は、新しい構想で生まれた新薬には高い薬価を与え、かつ日本での有効性が確認されなくとも、海外での治験成績によって保険薬として認める内容であった。このため、日本市場は高度な開発能力をもつ欧米の巨大製薬企業の標的と化した。その結果として、1998(平成10)年にわが国の医薬品輸出金額426億円、輸入5662億円、5236億円の入超であったのが、2018(平成30)年には、輸出は1892億円、輸入は3兆1481億円と増加し、2兆9589億円の大きな入超額となっている。事実、2001(平成13)年の国内医薬品の売上高をみると、1位から10位までの薬剤のうち日本製は7製品、欧米製は3製品であったが、2019(平成31/令和元)年には1位から8位まで欧米製、9位と10位が日本製との状況である。さらに大きな問題は、抗がん薬「オプジーボ」のように本庶佑博士と小野薬品によって開発されながら、製品化の段階で米国のブリストル・マイヤーズスクイブ社に主導権と巨額の利得を奪われた事例がある。「医薬品産業ビジョン」への厳しい評価、あり方が問われることである。

令和の医学・医療をめぐる課題と対策
 令和の医学・医療をめぐる課題と対策令和になってから発生した「新型コロナウイルス」への対策は、医療面でのわが国の脆弱さを見事に認識させられることとなった。列挙して、対策を挙げよう。
感染症専門家不足 医療資源の配分が生活習慣病関連やがんの領域に偏在し、「投機的研究・医療」に巨大な国費が投じられ、社会防衛対策としての輸入感染症は忘れられた存在になり、対応が手薄になっていたことが混乱の最大の要因である。
病床不足 わが国の人口あたりの病床数は欧米諸国の数倍以上あるにもかかわらず、ICU病床、特に感染症ICU病床が皆無に近いことを痛感させられた。特に民間病院は採算面から新型コロナ患者受け入れが困難であることも明らかになってきた。採算面を理由とする公的病院の民間への経営委譲は好ましいことではない。今後の感染症対策のために、ある程度以上の感染症病床/ICU病床は公的病院において、採算とは無関係に維持すべきである。また、公的医療保障の行われている国で民間病院が主体というのはわが国だけという根本的な課題がある。この問題は百年の計としても、公的病院の一元化程度は検討課題に含めるべきである。
公的かかりつけ医制度 前述のように、新型コロナ問題以前より生じていた課題であるが、新型コロナウイルス肺炎のように、感染者は多くても発病者は少ない場合、感染者全員の施設(ホテル・病院)収容は必要なく、パルスオキシメーターと酸素マスク・ボンベを配置しておけば、多くの感染者は自宅待機が十分可能である。すべて保健所管理とするのではその機能麻痺は当然で、公的かかりつけ医制度があれば、このような問題は生じなかったことであろうし、新型コロナではないかと心配しても相談相手のない現状は大きく改善される。しかし、公的かかりつけ医制度の実現は容易ではない。全科対応の家庭医の育成は年月のかかることである。講習会ですむことではない。

 しかし、令和の時代に最も必要なことは、「マイナンバー」(社会保障・税番号制度)の徹底化である。マイナンバーがあれば新型コロナを含めて、病気の正確な罹患状態の把握と対応が容易である。そしてより必要だったことは、コロナ不況による社会的弱者への支援にあたってであった。誰が支援対象かの正確な把握のない状況での一律10万円支給は、公費の巨大損失を招いただけである。1947年、スウェーデンがマイナンバー(personnummer)を導入した目的は、社会保障の必要な人たちの把握であったことを強調しておきたい。

 付記したいことは、新型コロナの到来で当惑したことによる、海外との物理的な交流途絶である。わが国の医学は、明治の開国(1868年)以来、主にドイツとアメリカの医学を取り入れつつ発展を遂げてきた。多くの留学生がこの両国で学び、また多くの研究者・医師が海外の学会・研究会に参加して得た見聞をわが国の医学・医療に取り込む努力を重ねてきた。この間、第一次大戦(1914〜1918年)と第二次大戦(1939〜1945年)の二度にわたっての海外との交流途絶があった。2021年現在、三度目の危機に直面させられたことになる。一方、コロナ禍からの1年、インターネットを活用したオンライン会議などで目をみはるIT技術の活用とその普及が進み、海外との情報面での交流は容易になる利点も得られた。しかし、人々が直接留学先で学び、三密のなかで議論を重ねることの意義、重要性に変わりはないはずである。一日も早い国際交流の再開と活性化を期待したい。また、海外との交流面において特に意識しなければならない事実は、わが国がいまや世界一の健康国、超高齢国になっていることである。医学、主に医療の面で、わが国は海外の事象を学ぶというより、特に高齢者医療を中心に世界の範たる成果をあげ、諸外国に参考資料を提供しなければならない立場に至っていることを強調したい。
 平成、令和のデジタル化のなかで育ってきた若い研究者・医師たちが、前述の諸課題の解決を目指して、国内および国際的な活動を展開され令和の時代を輝かしいものにしていただくことを期待したい。

 本別冊刊行にあたっては、『事典』同様、膨大な資料・史料収集にご協力いただいた諸施設、編集担当の青木大祐氏と三美印刷株式会社に加え、きわめて精緻な作業をいただいた制作担当の富岡信貴氏と意を凝らしていただいたデザイナーの關宙明氏、その他多くの方々のご協力をいただいたことに感謝する。ただ、マイナンバーと同様、「個人情報」についてのわが国特有の防備意識により、調査などでの難しさを痛感したことを記しておきたい。

 令和3年5月
 泉 孝英

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簡潔な記載の中に人生のドラマを読み取る
書評者:川原 由佳里(日赤看護大教授・基礎看護学)

 このたび泉孝英氏(京大名誉教授)の編による『日本近現代医学人名事典』(以下『事典』)の『別冊』が発刊されました。『事典』に追記されるべき人物と平成時代の逝去者の追加によって,合わせて総勢4695名の収録となりました。令和の時代に世に出た『別冊』には,災害看護の分野でご活躍だった黒田裕子先生(2014[平成26]年没),そして戦前戦後を通して日本の医療と看護を導かれた日野原重明先生(2017[平成29]年没)のお名前もあります。一抹の寂しさと,このようにして積み重なっていく歴史の重みをしみじみと感じます。

 さて,本書をめくって,最初に評者の目についた人名は,「猪子止戈之助」(いのこ・しかのすけ)でした。1891(明治24)年の濃尾地震に関する史料の中で出会った方です。一風変わったお名前でよく覚えています。この地震は,現在においても,日本の内陸部で発生した地震(直下型)として観測史上最大とされる巨大地震です。猪子は,日本赤十字社京都支部から派遣され,岐阜県大垣市で被災者の医療に携わりました。『事典』には,「京都府甲種医学校校長」であり,「わが国における大手術の開祖」とあります。彼は1894-95(明治27-28)年の日清戦争でも,日赤京都支部の医員として広島に派遣されました。同じ濃尾地震で活躍された方々では,宮内省侍医の「岩佐純」と「桂秀馬」,帝大教授の「佐藤三吉」,海軍軍医総監の「高木兼寛」,陸軍軍医の「芳賀栄次郎」と「三輪徳寛」,同志社病院院長の「ベリー」,日赤病院医員の「小山善」などの人名があります。このうち芳賀と三輪,小山は1888(明治21)年の磐梯山噴火,1894-95年の日清戦争でも被災者や傷病兵の医療を行いました。記載によると,小山は,後に伊藤博文の主治医を経て,侍医になりました。芳賀は,軍医総監になりました。平時はそれぞれの持ち場で医療に携わりつつ,有事の際には現場に駆け付け,共に活躍された故人たちの歩みが浮き彫りになるようまとめられていると思います。このように本書には,履歴とともに,この方々がどのような業績を残したのかがごく簡潔に記されています。例えば,医師については,“長与専斎を説得,女子の医術開業試験を認めさせた”「荻野吟子」(『事典』p.145)。“(父の希望により)女医になり,生涯を雪深い僻地医療に貢献した”「志田周子」(『事典』p.308)。看護師については,“(ハワイに移住)ペスト流行時・大火災において(中略)被災者医療に従事,後世「ハワイのナイチンゲール」とよばれる”「谷村カツ」(『別冊』p.102)。そして,“(長崎原爆で)看護師として被爆者の救護活動に携わった経験から(中略)平和希求,戦争反対を訴え続けた”「久松シソノ」(『事典』p.509)。こうした項目の末尾には,資料として自伝や伝記,その人物のエピソードをもとにした小説や映画も短い紙幅の中で紹介されており,その人生のドラマをさらに知りたい気持ちにさせられます。

 本書は,『事典』にも今回の『別冊』にも,医師や医学研究者もですが,貧者救済事業,感染症医療,地域医療の改善,婦人運動や平和運動に尽くされた方々が幅広く掲載されており,人選のバランスの良さも魅力の一つです。本書のおかげで後世に名を残し,業績が語り継がれる方も多いことでしょう。編者のお仕事の意義深さをあらためて感じつつ,ご推薦したいと思います。


医学・医療史を振り返る意義の再発見
書評者:四元 秀毅(国立病院機構東京病院名誉院長)

 本書は,泉孝英先生(京大名誉教授)編による『日本近現代医学人名事典【1868-2011】』(以下,『事典』)を増補する別冊である。『事典』は,明治期以降(1868-2011年)の日本の医学・医療の発展に貢献した3762名(物故者)の履歴を収めて刊行されたが,本書はこれを補って平成時代の終焉(2019年)までの逝去者933名の方々の事績を収載し,さらに両書に及ぶ「人名総索引」,「書名索引」,「年表」,および病院史誌や学会史・医師会史などの「参考文献・資料」を添えている。

 本書の紹介にあたって,先行する『事典』について触れておきたい。10年近く前になる2012年に同書が刊行された際には,臨床医学・基礎医学,看護部門や医学・医療史など種々の分野で指導的立場にあった方々から書評が寄せられており,その多彩さは対象の幅広さを物語っていた。評者には,私の恩師の一人髙久史麿先生もおられ,そのでは『事典』の内容を要約して,「紹介の対象になっているのは医師,医学研究者が大部分であるが,歯科医師,看護師,薬学,体育指導者,宣教師,事業家(製薬業),工学者(衛生工学),社会事業家,厚生行政の方,生物学者など,幅広い業種の方々であり,いずれもわが国の医療の発展に大きく貢献された方々である」とあった。

 では,このように幅広い分野を対象とする『事典』の利用法はというと,まず特定の個人ないしグループの履歴調査の際の利用が挙げられるが,一方,読み物としてこれを楽しむ方法もあろう。さまざまな利用法のある『事典』について,後者の観点からその一端を紹介したい。

 本書を開くとさっそく,評者の先輩や同年配の知人,さらには後輩の名前さえあり,この十年足らずの歳月が一種の感慨をもって思い起こされた。ところが,p.4には“尼子四郎”というやや意外な文字があった。その名はわが国の老年医学創始者の一人である“尼子富士郎”先生の父君として承知していたが,本書での登場は,時代的に不思議に思われたのである。そこでさかのぼって『事典』をひもとくと,「浴風会病院」の院長として,また父君から引き継いだ『医学中央雑誌』の編集者・代表者として献身された“尼子富士郎”先生の紹介が既にあり,本書が『別冊』として『事典』を補っていることを理解した。また『事典』には,夏目漱石が尼子富士郎先生の英語の家庭教師だったとの記載もあり,これは『吾輩は猫である』に“甘木先生”として登場する父君が漱石の家庭医だったことに符合する。一方,本書には,谷中で開業した“尼子四郎”先生が「(谷中で開業,)千駄木に移転」とあるが,そこは漱石が借家生活を送った所で,歴史的事実をたどることができるきめの細かい記載である。このように,両書は,相補いつつ明治以降のわが国の医学・医療史を現在に伝えているのである。以上,若干の感想を交えながら本書の一端を紹介した。

 このところわれわれはコロナ禍で苦労を強いられているが,そのような中で現実的対応のみに終始せず,例えばヒトと病原体との関係について学び直すなどの努力も必要なのではなかろうか。そして,その際にこのような書物の意義が再認識されるだろうと考えるのである。


時代を超え,事典の枠を越えて継承される先人の業績集
書評者:冨岡 洋海(神戸市立医療センター西市民病院副院長/呼吸器内科部長)

 今夏,泉孝英博士の編による『日本近現代医学人名事典別冊【1868-2019】増補』が出版された。本書は,第26回矢数医史学賞を受賞した『日本近現代医学人名事典【1868-2011】』(医学書院,3762名収載)の増補版として,平成24(2012)年以降,令和に改元されるまでの2019(平成31)年4月末までに物故された564名と,前著に追加すべき369名を加えた933名を収載した膨大な人名事典である。総勢5000名弱の業績がひとつなぎになったこととなる。

 書物の性質として,事典の類に「書評」というのも,おかしな話と思われるかもしれないが,本書は単なる人名事典ではない。これには,明治・大正・昭和・平成の約150年間におけるわが国の医学・医療の歴史を残し,より良い未来につなげたいと念ずる編者の思いが詰まっているからである。

 まず,特筆すべきは,医療職としての(基礎研究者を含めた)医師,歯科医師,看護師,薬剤師,療法士,検査技師のみならず,関連する法律家,行政官,政治家,建築家,文学者,哲学者,患者も含めた福祉活動家など,幅広い人選が識者の眼によってなされていることである。あらためて,医療というものがさまざまな分野の多種多様な方々のご尽力で成り立っていることを認識させられる。そして,各故人の記述に関しても,学歴,職歴,業績,関連書籍に加えて,留学先も含めた指導教官,上司,血縁者や婚姻関係などの記録もあり,人と人とのつながりもまた,医学・医療の発展には重要であることを教えてくれる。さらには,付録として,膨大な参考文献・資料,年表,書名索引,前版も含めた人名総索引が掲載されており,この事典の将来にわたる価値を確かなものとしている。

 このようなまさに歴史的大著の書評を,若輩者の私が記すのも恐れおおいが,あえて戦争を知らない世代として述べておきたい点は,所々に記されているその戦禍の跡である。激動の時代にあって,故人たちが軍医や従軍看護師として出征された戦地や,かかわった軍事作戦,海軍では乗船戦艦名までが記載されており,故人らはさぞかし,誇り高く,天国から編者に感謝されているであろう。

 一方,彼ら彼女らが捕虜として収容された収容所や戦死の記録,そして,若くしての「原爆死」という文字を見つけるにつけ,戦時下にあってもわが国の医学・医療を支えていただき,そして悲運にも逝かれた先人たちの生き様を,本書は静かに語りかけている。

 私がもうひとつ挙げるとすれば,専門領域として「ハンセン病」が記された肩書きを持つ多くの故人の存在である。そこでは先に述べたとおり,医師,看護師のみならず,患者も含めたさまざまな分野の方々がこの悲しい歴史の証人であることがわかる。ハンセン病の貴重な史料が失われつつある今日,本書の意義はきわめて大きい。

 最後に,単なる事典を超えた価値として,「別冊の序」に記されている平成時代の医学・医療の光と影,そして,新型コロナウイルスに翻弄される今日から未来に向けての熱いメッセージは,齢80を過ぎなお自らこの膨大な数の先人たちの足跡を辿られている編者だからこそ書ける深い内容となっていることをお伝えしておきたい。

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