自身の看護観や看護管理実践を振り返る機会に(雑誌『看護管理』より)
書評者:市村 尚子(名古屋大学医学部附属病院 看護部長)
2009年に看護基礎教育カリキュラム改正で「国際看護学」がクローズアップされてから10年近く経ち,著者の近藤麻理氏をはじめ「国際看護学の教員」に出会うことも珍しくなくなった。言うまでもなく,私の学生時代には「国際看護学」の講義はなかったが,看護職に国際的視点は欠かせないと思う。
うん? 本当に...
自身の看護観や看護管理実践を振り返る機会に(雑誌『看護管理』より)
書評者:市村 尚子(名古屋大学医学部附属病院 看護部長)
2009年に看護基礎教育カリキュラム改正で「国際看護学」がクローズアップされてから10年近く経ち,著者の近藤麻理氏をはじめ「国際看護学の教員」に出会うことも珍しくなくなった。言うまでもなく,私の学生時代には「国際看護学」の講義はなかったが,看護職に国際的視点は欠かせないと思う。
うん? 本当にそう「思う」? 「将来は海外で保健医療活動をしたい」という看護学生や若い看護師に「頼もしいね」とほほ笑みつつ,「海外に行かなくても,当院には多くの外国人患者さんがいらっしゃる。そこに積極的に取り組んでくれるといいなあ」と調子のよいことを考えながら,自らはそこに積極的に取り組めていない看護部長である。私の「看護職にとって国際的視点は欠かせない」ことへの理解は怪しい。そんなことを考えながら,本書を読み始めた。
本書は,はじめに「看護の対象は『人間』です。『日本人』だけではないのです。看護は,民族,国境,宗教を超えていると考えたほうがより自然です。ですから,“国際”とわざわざ標榜しなくても,看護そのものが国際的な意味をもっているのです」と始まる。
私たちは,ICN(国際看護師協会)の倫理綱領の前文に「(前略)看護ケアは,年齢,皮膚の色,信条,文化,障害や疾病,ジェンダー,性的指向,国籍,政治,人種,社会的地位を尊重するものであり,これらを理由に制約されるものではない(後略)」と書かれていることを知っている。また,日本看護協会の「看護者の倫理綱領」に「看護者は,人間の生命,人間としての尊厳及び権利を尊重する」と書かれていることも知っている。しかし,日常的に多く場面で「看護の対象は日本人」なので,いつしか「看護の対象は日本人」が刷り込まれてきたのかもしれない。
「第1章 日本から世界に目を開く―国際的視野を広げる」で,国際看護の根底にあるのは,全ての人の尊厳および権利を尊重・擁護するという医療職としての基本的な姿勢であることが分かった。そして,国際看護の知識が増えると,異文化への違和感が,外国人患者さんのニードとケアへの関心に変わっていくと実感した。
「第2章 現場で何が起きているか―多様性のなかで生きる私たち」では,性の多様性とLGBTへの理解についても触れられている。「さまざまな書類に『性別』という項目がありますが,男性,女性のどちらの性にもチェックしたくない人たちがいることを想像したことがありますか。自分たちで全く気づかずに,その人たちを傷つけているかもしれないことを看護の専門職として私たちは意識しなければなりません」と書かれているのを読み,ドキッとした。そうだ,それは看護の対象者とは限らない。私たちの仲間の誰かであるかもしれないのだ。
「第3章 見て!聞いて!体験する!―国際協力への理解を深める」では,国際的な人道支援活動に必要とされる資質が7点挙げられている。「国際社会の動向に関心を寄せて学ぶ姿勢」や「冷静に行動するための深い洞察力」等であるが,それらは海外に出なくても,看護に携わる際に必要とされる資質である。著者は「私たちが学び続けている看護学という学問は,ほかの学問と同様に国際的な視点を包括しています」と言う。
改めて,今,当院で提供している看護・医療について「国際看護」という視点で考えてみる,さらに,自身の看護観や看護管理実践を振り返る―そんな機会になった1冊であった。
(『看護管理』2018年5月号掲載)