強い衝撃。専門家として深く考えさせられた
書評者:鈴木 二郎(国際医療福祉大教授・山王分院/精神医学)
現在,世界や日本各地で,さまざまな形の精神障害者や家族の社会復帰,リハビリテーション,ノーマライゼーションあるいは共生の活動が行なわれている。しかし「浦河べてるの家」は,おそらくまったく他に例を見ないユニークな集まりと活動といえるのではないか。
本書は,そのべてるの家から出版された2冊目の...
強い衝撃。専門家として深く考えさせられた
書評者:鈴木 二郎(国際医療福祉大教授・山王分院/精神医学)
現在,世界や日本各地で,さまざまな形の精神障害者や家族の社会復帰,リハビリテーション,ノーマライゼーションあるいは共生の活動が行なわれている。しかし「浦河べてるの家」は,おそらくまったく他に例を見ないユニークな集まりと活動といえるのではないか。
本書は,そのべてるの家から出版された2冊目の本である。1冊目は,1992年に発行された『べてるの家の本-和解の時代』(べてるの家の本制作委員会)で,初版3,000部があっという間に売れ,1995年には第5刷が出版されている。その年からビデオ『ベリー・オーディナリー・ピープル』の撮影を開始し,2002年には自主企画ビデオシリーズ『精神分裂病を生きる』全10巻が発行されている。
◆あっという間に引き込まれて……
『べてるの家の「非」援助論』というタイトルは,一見硬くギョッとするが,読みはじめると各章のイラストと写真も実に楽しく,あっという間に引き込まれてしまう。
短時間ではあったが,私がべてるの家を訪ね,少数の仲間と共に過ごし,一夜飲んだ時に感じた楽しさと同質である。だが,この本はそれだけではない。精神疾患,精神障害というものを当事者側から明るくしかし鋭く抉り出し,どのようにリハビリテーションをするかでなく,「人としてのコミュニケーションの歪みこそが,この社会におけるいわゆる精神障害者と健常者のバリアになっている」ことを的確に示しているのである。
◆いくらでも話したくなり,書きたくなる
内容は,副題にある「そのままでいいと思えるための25章」に巧みに表現されている。大別して5部に分けられ,全部で25章とインタビュー,巻末にはべてるの家周辺の地図,歴史,組織図までがつけられている。本書も第1冊目同様まえがきに始まって,各章を当事者,協力者,そして主としてソーシャルワーカーの向谷地氏がそれぞれ執筆している。ただ家族の姿はない。
先にあげた第1冊目がべてるの家の沿革や,各人の関わりの経緯を述べたいわば「初期の生の歴史」といえるのに対し,2冊目の本書は,当事者の生の言葉と活動,関係を通じて,“私”を再定義する研究によってさらにべてるの家全体が,混乱のまま発展していることを示している。
とにかく,どの章もすべて紹介したくなり,その話についていくらでも書きたくなる。「べてるの家に来ると皆よく話すようになる」という通り,私にもその病気が出たようである。しかし紙幅の制限で,いくつかのタイトルだけあげるにとどめる。意味は本書を読んでいただきたい。
「べてるはいつも問題だらけ」,「安心してサボれる会社づくり」,「発作で売ります」,「昆布も売ります。病気も売ります」,「三度の飯よりミーティング」,「幻聴から『幻聴さん』へ」,「言葉を得るということ」,「昇る生き方から降りる生き方へ」,「弱さを絆に」,「それで順調!」,「場の力を信じること」,「幻聴&妄想大会」などなど。
◆“常識を突き抜けた”活動を支える専門家たち
実は,私は専門家として本書の書評を依頼されたのであるが,べてるの家との何度かの接点でその度に強い衝撃を受け,笑いとともに深く考えさせられている。浦河の街の人にべてるの家について訊ねると,「ああ,普通ですよ」と答える。10年前は,そうではなかったであろう。べてるの家という“場”が,自分たちの弱さを言葉にした人たちによってでき上がり,浦河の街に生き,街の人たちと生きている。
当事者や関係している人びとの苦悩は,実は想像を絶するものであろう。しかし,それを包む暖かさは,向谷地氏の巧まざるユーモアと,精神科医の川村氏の当事者への信頼を基にした姿勢によるものであろうし,本当の意味の「共生」を可能にしていると思える。この2人が,真の専門家としての洞察と見識によって,「どんぐりの会」以来の教会の住居から当事者の話し合いを重ね,これまでの常識を突き抜けた集まりと活動を支えてこられたと思う。
べてるの家が今後とも問題だらけで継続することを希望し,多くの医師がべてるの家を訪ねることを勧めたい。
《べてるの家の活動と思想のキーワード》
弱さ-豊かさ-言葉-ユーモア-絆-場-地域-お互い-自立