医療事故の舞台裏
25のケースから学ぶ日常診療の心得

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保険会社顧問医である著者が、実際の医療紛争事例を臨場感溢れるドキュメンタリー風のケースストーリーにアレンジし、なぜトラブルに至ったのかを丁寧に解説する。医療紛争の具体的な再発予防策も提示。臨床医であれば誰でも遭遇しそうなケース25話を掲載した。難解な法律用語の解説コラムも充実。好評を博した総合診療誌『JIM』、内科総合誌『medicina』での連載をもとに、全面書き換え・書き下ろしを加え書籍化。
長野 展久
発行 2012年09月判型:A5頁:272
ISBN 978-4-260-01663-6
定価 2,750円 (本体2,500円+税)

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はじめに

日々の診療,やりがいはありますか?
 医学の進歩に伴って夢のような先端医療が現実のものとなりつつあり,最新の医療機器や遺伝子を用いた診断や治療,テーラーメイドの化学療法やワクチン療法,iPS細胞による再生医療など,ひと昔前までは手の打ちようのなかった患者さんたちにも一筋の光が当たるようになりました.医師の立場でも治療の選択肢が広がるのは喜ばしいのですが,その一方で,さまざまな報道やテレビ番組などの影響もあり,「病院に行けばどんな病気でもたちどころに診断して治してもらえる」というような期待が先行している面も否定はできません.
 つまり輝かしい医学の進歩とは裏腹に,現場の医師たちが常日頃実感しているのは,「医療は不確実であり必ずしも患者さんの期待に応えることはできない」という厳然たる事実です.エビデンスに基づいた最新の医療を提供して効果が上がればいいのですが,診断や治療の結果が患者さんの期待どおりでないと,疾患そのものの性質はともかく,「こうなったのは誰の責任か!」という紛争化のリスクと常に隣り合わせです.しばしば問題となるモンスター・ペイシャントなどはそのよい例でしょう.
 私はこれまで損害保険会社の顧問医という立場で,数多くの医療事故を身近に見聞きし,賠償金の支払いをめぐって医師側に責任ありか,なしか,それとも微妙か,などについて検討する機会を得ました.一人前の臨床医を目指して張り切っていたころには,医療事故に巻き込まれるのは特殊な事例,真面目に勉強して医療技術を研鑽すれば,医療事故とは無縁であろう,自分が医療事故を起こすことなんてありえないなどと,ある意味でタカをくくっていました.しかし数多くの医療事故を目の当たりにするにつれ,決して医療事故は他人事ではないと身に染みてわかるようになりました.

もし深刻な医療事故に巻き込まれるとどうなるのか?
 期待どおりではない結果を前にして,医師として申し訳ないと思う以上に,患者さんやご家族から罵声を浴びせられたり,土下座を要求されたり,謝罪文を書かされたり,病院内でも疎外感を感じるようになり…このような状況では,もはや医師としてのやりがいを感じるどころではありません.多くの医師は幼少時から常に前を向いて勉強し,いわば純粋培養の環境で育っているだけに,たった1回の痛みが致命傷になってしまうことすらあります.
 事後の検証で冷静に考えてみると,医療事故には診断時の単純な思い込みや硬直した考え方,あるいは患者さんを前にして湧いてくる陰性感情など,さまざまな要因が影響しています.その多くが意図的ではなく無意識に生じるものであり,診療を担当する医師であれば誰しも遭遇する可能性はあるでしょう.しかも過去十数年の間に,同じようなパターンの医療事故が日本全国で繰り返されているにもかかわらず,残念ながら情報共有がきわめて遅れています.なぜなら,医療事故になりかけても「結果オーライ」であれば武勇伝として語り継がれますが,医療事故で重篤な結果となり医療者が心にトラウマを負った場合には,なかなか重い口を開くことができないからでしょう.

 そこで本書では,苦い経験をくぐり抜けてきた私たちの先達に代わって,医療事故から得られる貴重な教訓を25のドキュメントファイルにまとめました.いずれもどこの医療機関でも起こる可能性のあるケースばかりです.もし許されることなら,心配な医療行為につながりそうな医療場面に筆者がこっそり出動して,そっと主治医の耳元で体験談を呟きたいところなのですが,そうもいきません.まずは本書で教訓的なケースをリアルに疑似体験してみてください.第三者的に,自らの立場に置き換えながら医療事故を概観すると,まさに医療の本質が垣間見えるようになることでしょう.その結果,事故の再発防止のみならず,医療の質そのものを向上させる素晴らしいヒントになると確信しています.ぜひ本書から得られる貴重なエッセンスを,本日からの診療に活かしていただければと思います.


〈お断り〉
 本書で取り上げたケースは,すべて実例です.もちろん,個人情報は特定できないように最大限の配慮はしましたが,当事者の皆さんにとっては苦い体験であることに間違いありません.そのような症例をあえて提示するのは,個々の医療行為を批判するためではなく,同じような事故を決して繰り返さないように情報共有することが目的ですので,ご理解くださるようお願いいたします.

用語の説明
 本書では医療事故にまつわるさまざまな用語が登場しますので,簡単に整理しておきます.まず厚生労働省によると,「医療にかかわる場所で医療の全過程において発生する全ての人身事故で,医療従事者の過誤,過失の有無を問わない」のが医療事故です.すなわち,病院内で患者さんが転倒して骨折したり,投薬や手術が原因で患者さんが死亡したとき,あるいは看護師が針刺し事故を起こした場合も医療事故となります.そして医療事故のうち,医療機関や医療従事者のほうに「過失」があるものが医療過誤(医療ミスはほぼ同じ意味),「過失」がなければ「不可抗力」です.しかしたとえ不可抗力であっても,双方の考えに隔たりが大きいと紛争(医療トラブル)化して,裁判へ発展することがあります.

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I バイアスのない医療スキル
思い込み・見落としのpitfall/患者の期待と陰性感情のコントロール
 ケースファイル1 もしかしてコンビニ受診? 慢性便秘で深夜の救急外来
 ケースファイル2 得意分野の落とし穴 不眠と異常行動に隠れた発熱・頭痛
 ケースファイル3 抗菌薬の非投与は医療ミス?
 ケースファイル4 腰椎穿刺は難しい?
 ケースファイル5 酔っ払い患者の診察
 ケースファイル6 重大な病気が埋もれていませんか? 胸痛の鑑別診断
 ケースファイル7 最適な治療方針への患者さんの不信
  不毛な「ドクターハラスメント」事例
 ケースファイル8 ドクターハラスメント? モンスターペイシャント?
  糖尿病の患者教育
 ケースファイル9 「知らなかった」ではすまされない! プロタミンの副作用

II 迷走するインフォームド・コンセント
不十分な「説明」と「同意」は医療ミス?
 ケースファイル10 「手術前と話が違う!」 インフォームド・コンセントの失敗例
 ケースファイル11 「期待はずれな結果」に備えたインフォームド・コンセント
 ケースファイル12 がん生検のための休薬方針をめぐるトラブル
 ケースファイル13 リンパ節生検後の合併症発症 医療ミスと医療事故の境界はどこに?
 ケースファイル14 妊娠可能な女性のX線撮影
 ケースファイル15 外来通院の落とし穴(1) 経過観察が不十分で手遅れに
 ケースファイル16 外来通院の落とし穴(2) 後手後手に回ったがんの告知

III スマートな医療テクニック
気道確保やカテーテル操作はうまくいくのが当たり前?
 ケースファイル17 バナナの誤嚥は誰のせい?
 ケースファイル18 思いもよらぬ不穏状態から悲劇へ
 ケースファイル19 CVカテーテル穿刺不成功は医療ミスか?
 ケースファイル20 無意識に湧いてくる「逆転移」の落とし穴
 ケースファイル21 内視鏡事故と偶発症(1)
  ERCP後の急性膵炎と腓骨神経麻痺
 ケースファイル22 内視鏡事故と偶発症(2) 
  気管支内視鏡で生検した「走行異常」の動脈
 ケースファイル23 内視鏡事故と偶発症(3)
  気管支内視鏡で生検した空洞壁からの大出血
 ケースファイル24 替え玉証言事件 絶対に避けたい診療録の改竄
 ケースファイル25 〈番外編〉消毒薬誤注入事件 異状死体の考え方

おわりに


コラム
 1 難解な法律用語(1) 注意義務
 2 心因性疾患を疑う際の注意点
 3 陰性感情に気づいたら-まずは深呼吸!
 4 難解な法律用語(2) 期待権
 5 救急外来・時間外診療の心得
 6 難解な法律用語(3) 自己決定権
 7 注目される「無過失補償」とその問題点
 8 難解な法律用語(4) 心証
 9 大腸内視鏡スコープ挿入時の穿孔は「不可抗力」?/
  ポリープ切除時の大腸穿孔を防ぐために
 10 “I am sorry”の効能と落とし穴
 11 医療事故発生時の一連の対応ポイント

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医療事故の悲しみと苦しみが生んだ,渾身の指導書
書評者: 長尾 能雅 (名大病院副病院長/医療の質・安全管理部教授)
 医療事故とはどういうものか,100人の医師に問えば100の答えが返ってくる。何が過誤で,何が合併症か,事故調査はどうあるべきか,司法は,賠償は,と議論は尽きない。しかし,多くの医師は医療事故を断片的,一方向的にしか知る立場になく,その全体像を多角的に説明できる者は少ない。

 本書には極めてリアリティに富む25の医療事故のエピソードと,その顛末が記されている。いずれのエピソードも,医療者,患者,司法,そして社会の思考回路を誇張なく伝えるものであり,日々医療事故と向き合っている医療安全管理者からすれば,これこそが医療事故の実態とうなずける。著者は誰に肩入れすることなく,可能な限りの中立性と自制を保ちながら,粛々と事故事実と再発防止策をつづっている。

 著者の長野展久氏は脳神経外科医として研鑽を積んだ現役医師であると同時に,損害保険会社の顧問医として多くの医療事故をジャッジしてきた経歴を持つ。著者ならではの視点から指摘される医療現場の課題は興味深い。例えば著者は,医療者がストレスのピーク時や,思い通りにならない症例を抱えたときに感じる「陰性感情」に注目し,警鐘を鳴らしている。陰性感情を持った医療者は,いつしか患者に“プシコ” “アル中” “心因性” “クレーマー” “モンスター” “コンビニ受診”といったレッテルを貼り,解決を図ろうとする。これはやがて周囲に伝播し,チーム全体の判断能力を変化させてしまう。医療事故調査会などでは指摘されにくい,しかし誰にも覚えのあるリアルな紛争要因である。

 また,本書の最大の功績は,事故症例を丁寧に記述することで,ほかに類例を見ない優れた臨床指南書を完成させた点にある。再発防止についても,いたずらにシステムに偏重するのではなく,医療者が事故に学び,自身の臨床行動や思考パターンを謙虚に見直すことを第一に説いている。通常紛争情報はクローズド・クレームと呼ばれ,公開されないことが多いが,著者は賠償額も含め,大部分をオープンにした。著者の姿勢から,再発防止への願いや覚悟が伝わってくる。

 研修医も,指導医も,安全管理者も,トラブル回避術を羅列した安易な虎の巻に頼るのではなく,本書を読んでほしい。今夜起こるかもしれない深刻な事態と,その処方箋が記されている。『もし許されるなら,医療事故につながりそうな場面に出動して,主治医の耳元で注意を促したいところです』。著者の偽らざる本心である。医療事故の悲しみと苦しみが生んだ,渾身の指導書である。
紛争事例から得られた貴重な教訓が満載
書評者: 徳田 安春 (筑波大大学院教授/筑波大附属病院水戸地域医療教育センター・水戸協同病院総合診療科)
 この本は損害保険会社の顧問医師により書かれたものである。本書で記載されている25のケースはドキュメントファイルと呼ばれ,実際の医療紛争事例を臨場感あふれるドキュメンタリー風のケースシナリオにアレンジしたものであり,なぜ医療事故や訴訟に至ったのかが丁寧に解説されている。数多くの医療事故での紛争を観察した著者ならではのことであるが,賠償金の支払いを巡って医師側に責任があるのかないのかなどについてのポイントがわかりやすく記載されており,貴重な教訓が豊富にまとめられている。

 第一章では,診断での思い込みや見落としなどのピットフォール・バイアスによる診断エラーについてのケースファイルが収録されている。続く第二章では,患者さんや家族に対するインフォームドコンセントのあり方が問われたケースファイルが記載されている。そして第三章では,検査や治療のための医療手技に関連する事故についてのケースファイルが収録されており,CVカテーテルや内視鏡手技に伴う事故などで争われたものが集められている。

 それぞれのケースファイルの項の最後には,教訓として箇条書きにポイントがまとめられており,読者にとってはこれからの診療の助けになる。例えば「コンビニ救急受診の患者さんの診療には注意を要する」ことなどが明言されており,リスクの多い現場の具体例を示してくれている。他科への紹介などへの注意点,初診患者のバイタル測定の重要性も強調されており,評者も同感である。

 症例のピットフォール例において特に印象的であったのは,検査にかなり依存した判断を行った場合に診断エラーが起こっているというケースが目立っていたことである。例えば,小児の重症細菌感染症に対して,初期CRP値が高値でなかったということで,重症度の判断を誤った症例がある。経験ある医師による重症感やバイタルサインによる判断を重視すべきである。また,大腸閉塞の患者に対して,腹部X線所見で便秘として判断を誤った症例がある。患者の病歴,重症感,身体所見を軽視し検査におぼれる誤診例であろう。

 この書にはまた,11の有用なコラム記事がある。この中で法律用語がやさしく解説されており,また診療現場での医療事故を防ぐような簡単な工夫のポイントなどがある。医師が診断パフォーマンスをハイレベルに維持するために重要な点に,平静の心を保つ,というのが,オスラー先生講演集「平静の心」にも記載されている。本書にも同様に,自身の陰性感情に気付いたらまずは深呼吸するようにと,医師の感情的な動揺のコントロールの仕方などが記載されており,実践的で役立つアドバイスである。
医療事故を防ぎ,備える手がかりを与えてくれる本
書評者: 大野 喜久郎 (東京医歯大副学長・理事・名誉教授)
 病気を治そうとして,不幸にも医療事故が起こった場合,医師は診療結果に失望し,同時に患者さんや家族との信頼関係が損なわれると,クレームの嵐に晒されることになる。一流の名医といわれる医師でも,人間である限り,医療事故は免れない。そうならないような備えと起こったときにどうするかが重要であり,本書はそのための手がかりを与えてくれる。

 まず,本書の「はじめに」を読むと著者が本書を著した意図がよくわかる。医学や医療の問題に深く切り込み,医師および患者の心理学,救急診断学に必要な医学的知識,そして救急診療のヒントなどが読みやすく書かれており,このような本は今までなかったように思う。著者のこれまでの経験に基づく優れた洞察力による研究書でもある。医師側および患者側の両者にとって不幸な事例に対し,何が問題であったのかを丁寧に解説し,同じことが起きないようにとの温かい配慮がなされている。これは著者自身の医師としての長い経験と多くの医療事故の分析に裏打ちされていることによるものと思う。日常診療において研修医だけでなく,経験を積んだ医師も気をつけなければならないことが書かれている。そして,時間外当直での診療,あるいは救急患者の診療には恐ろしい落とし穴がいくつもあるように感じる方も多いと思う。たしかに,思い込みや忙しさからのミスは起こりうるので,いつも念頭に置く必要がある。

 ケースの詳細な記述と一つ一つの事例の教訓,11のコラムも役立つ記載となっている。25のケースでは診療上の注意あるいは説明義務違反が多いようであり,期待権の侵害や自己決定権の侵害が続く。自らが体験してからでは遅いので,すでに起こったことを学習して想像力を働かせることが重要である。「医療の不確実性」にもかかわらず「結果責任」という言葉は常について回る。医療を行う側にとっては極めて不本意で理不尽なものであるが,しばしば一人歩きする。

 本書で著者が述べているように,患者の診療に当たっては,特に救急医療においては鑑別診断を挙げて,常にその中で最も危険な疾病の可能性から順に考えていくことが重要と思う。また,こうであろうと考えても,常に急変する疾病や最悪の事態を引き起こす疾病を考慮しておくことが必要であろう。医師に必要な資質は,忍耐力であり,想像力であり,シャーロックホームズばりの推理力であり,またあるときはこれでよいのかという不安感(用心深さ)であるといえるかもしれない。

 臨床医であれば誰でも医療事故に巻き込まれる可能性があるが,本書はその可能性をより小さくしてくれるであろう。そして,たとえそのような状況に陥っても,いつでも緊張を保ち,行うべきことを行って,真摯に患者およびその家族に接することにより,医療裁判へとつながる可能性も小さくなることが期待される。臨床医の皆さんにはぜひ一読していただきたい本である。

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