脳とアート
感覚と表現の脳科学

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生物にとって、感じることは、生きること。命を守るために、五感を研ぎ澄ませ、生活している。しかし、ヒトは、感じたものを自分なりに表現しようとする。それは、なぜか? 「アート」という身近な行動から脳の仕組みを探る、「脳とソシアル」シリーズ第4弾。
シリーズ 脳とソシアル
編集 岩田 誠 / 河村 満
発行 2012年11月判型:A5頁:272
ISBN 978-4-260-01481-6
定価 3,960円 (本体3,600円+税)

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発刊に寄せて

 河村 『脳とソシアル』のシリーズも4冊目になりました.今回は,「脳とアート――感覚と表現の脳科学」で,これまでとはまた趣が異なっています.この本だけでも成り立つ企画だと思いましたが,なぜ,このテーマを選ばれたのでしょうか.
 岩田 テーマとして,アートはとても大事だと思うんですよね.河村先生や,私たちがやっているような神経心理学が,何をテーマにするかというと,人間が何を考え,何を感じているかということの解明をしたいということです.言語だって,記憶だって,すべてそういったところにつながっているわけで,言語や記憶,行為などの基礎的なもののもう1つ上の,それを使って人間が何をするのかといったときに,考えたり,感じたりしている.そのいちばん大事なところがアートでしょう.
 だから,われわれの神経心理学のターゲットになる人間の営みのなかでは,アートというのは自然に出てくるわけで,そういう意味で,別に特殊なことをやったとは思っていないんですけどね.
 河村 最初に大きく「感じる脳」と「表現する脳」に分かれて,「脳と感性」から始まります.いままでの神経心理学というのは,知性面の研究が多かったですね.言語もそうですし,記憶もそうですし,いろいろな意味での認知機能もそうですね.ただ,脳とアートというと,もう少し感性の面に立ち入って脳の仕組みを考えている.そういう特徴があると思いますが,どうですか.
 岩田 僕たちがついこのあいだまでやっていた言語とか行為の神経心理学というのは,みんな,正しい答えというのがあるんですよ.字を見せて,「これ,どう読みますか?」というときに,正しい答えというのがあって,そこに達しているかどうかということで判定するでしょう?
 行為だってそうですよね.櫛を見せて,「使ってごらん」と言ったときに,櫛で机をトントンと打ったら,「これは×」とするわけです.
 だけど,感性というのはそういうものではないでしょう.人間がそれに対して何を感じて,どういうふうに思うのかというのが感性だとすれば,その人で起こっていることは,すべて正しいといえば正しい.そういう範囲のことだと思うんですね.ですから,ある意味でいえば,神経心理学のなかでは非常に個=individualに入り込んでいる部分です.
 神経心理学のいままでのターゲットは,人間集団の中での行動だったんです.だから,言語や行為が研究対象になったんだけれども,そうではなくて個を対象とするような神経心理学というのがあってもいいんじゃないかと.ただ,科学としては難しいですよね.「これがエビデンスだ」とするには,統計学的な処理もできないし,スタンダードというのが非常に求めにくいわけです.ですが,いつかはそれをやらないと脳の中のしくみはわからない.そのターゲットが,実はここにあるわけです.
 河村 先生もおっしゃいましたけれども,測りかたが困難だと思うんです.集団を対象にすれば,例えば平均値を取ることができる.でも,相手が個の場合は,なかなか難しくて,定量より定性が大切なのかもしれません.「質」といったものを扱っているのかもしれませんが,そういうことを,だんだん脳科学でできるようになったということですよね.
 岩田 そうだと思います.いろいろなことを調べて,その事実を積み重ねてプロセス全体が矛盾なく説明できてくると,その仮定,ハイポセシス(hypothesis)は正しいだろうという考えかたですね.そういったものが科学です.
 宇宙生成論や生命誕生論も,実験というのがほとんどできない分野ですよね.だけども,宇宙はこういうふうにできたと考えれば,このことも,このことも,だいたい矛盾なく説明できる.とすると,その説はたぶん正しいだろうと….実は,精神病理学は,もともとそういうものなんですよね.
 河村 なるほど,そうですか.
 岩田 ヤスパース(Karl Jaspers)という人は,エルクレーレン(erklären)とフェルシュテーエン(verstehen)とを分けて考えていて,人間の精神活動には2つの面があると.それは,精神活動をエルクレーレン=科学的に解明する,これはたぶん脳の働きとして解明するという意味でしょうけれども,そういう部分と,そうではなくて,フェルシュテーエン=了解してあげる,なぜこういうことが起こったのかを理解する,そのための科学と2つあるのだということを,ヤスパースははっきり言っています.そして,そのフェルシュテーエンのほうが,昔流にいう,いわゆる精神病理学だったわけです.
 フロイド(Sigmund Freud)なんかがやろうとしていたのも,結局,基本的にはそういうことで,行動の原点を,脳を離れてその人の生い立ちなどの事柄のなかで理解しようとしたんだと思うんですよね.
 そういう意味では,古い時代からやっていて,珍しいことではないんです.その後,脳科学というかたちで,脳の神経細胞の活動のプロセスとして,ピシッと理解していくというやりかたのほうが主流になっちゃったから,どちらかというとフェルシュテーエンというのは否定されてしまっているというか,科学的じゃないんだよということになってしまった.それは実は,科学になる以前に芽を摘まれてしまったようなことなので,それをもう1回,科学としてやっていく必要があるんじゃないのかとずっと思っていたのです,そういうテーマとして,僕はアートが面白いと思うんですね.

 医学書院本社にて
 編者  岩田 誠・河村 満

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I 序論
脳にとって芸術とは何か
 A 芸術とは
 B 芸術の起源
 C 感覚,知覚,感性
 D 創造性の基盤
 E 作業記憶の拡張
 F 模倣と教育
 G 芸術と宗教

II 感じる脳
1 脳と感性
 はじめに
 A 感性という概念の定義と歴史
 B 感性に関わる脳科学研究
 C 感性と脳に関わる研究の展開
2 色彩の認知
 A 色彩体験は脳で作られる
 B 後頭葉内側部の役割
 C 色と形の統合:Zekiの三段階処理説
 おわりに
3 絶対音感
 A 絶対音感とは何か
 B 音の高さの知覚的特性
 C 絶対音感の正確さ
 D 絶対音感保有者の相対音感-能力欠如仮説
 E 絶対音感は稀な能力か
 F 絶対音感の獲得過程
 G 絶対音感の遺伝的基盤
4 香りの脳科学
 A 「ニオイ」の表現
 B 袖のか
 C 香道と嗅知覚
 D 嗅細胞の嗅球への投射
 E 嗅覚中枢経路と梨状皮質
 F ニオイ刺激に対する前梨状皮質の応答
 G 視床背内核のニオイ応答
 H 大脳皮質嗅覚野
 I ヒトの嗅覚野
 J 前頭葉眼窩回の役割
5 味覚の脳科学
 A 味わうこと
 B 味の種類とその応答
 C 味覚の中枢経路
 D 味の質の情報処理
 E おいしさとは何か
 F おいしさの実感
 G おいしさを求める
 H おいしいものを食べる
 I アクセルとブレーキ
 J 前頭連合野の働き
 おわりに
6 バーチャルリアリティの脳科学
 A バーチャルリアリティ技術の幕開け
 B バーチャルリアリティとは
 C 感覚とバーチャルリアリティ
 D 仮想身体とインタラクション
 E 高次感覚とVR
 F 時間感覚とVR
 おわりに

III 表現する脳
1 アート教育
 A アート教育とは何か
 B アート教育の歴史
 C 子どものためのアート教育
 D 多重知能理論とアート教育
 E 脳とアート教育
2-1 描く脳-描画の追求
 A 「描く」ことの起源
 B 「描く」ための技術
 C 「描く」ための認知的な基盤
 D 「描く」ことへの動機づけ
 おわりに
2-2 描く脳-絵を描くロボット
 はじめに
 A 「お絵描きロボット」が生まれるまで
 B 絵を描くロボット
 おわりに-ロボット魂という自由意志の設計
3-1 音楽する脳-音楽の脳科学
 はじめに
 A 失音楽とは
 B 音楽の受容と表出の障害
 C 錯メロディ(paramelodia)
 D 伝導失音楽(conduction amusia)
 E 調性感
 F 和音の受容と側頭葉前部
 G 音楽的情動の独立性
 H 自験例からみた音楽の受容と表出のメカニズム
 おわりに
3-2 音楽する脳-楽譜を扱う脳
 A 失音楽の種類
 B 失音楽の病巣
 C 音楽の表出,受容障害と楽曲の健忘
 D 楽譜の失読と失書
 E 楽器の失音楽
 おわりに
3-3 音楽する脳-音楽療法
 はじめに
 A 音楽療法とは
 B 医療としての音楽療法
 C 音楽療法の将来展望
 D 音楽療法と「表現する脳」
 おわりに
4 脳と遊び
 A 遊びの定義と系統発生
 B 脳との関連
 C 遊びと病理
 D ヒトの遊びと発達
5 アートの決め手は脳のネットワーク?
 A 2つの視覚情報処理経路とアート
 B 視覚情報の質の違い
 C 特徴の抽出
 D 思い出を行動にする
6 芸術における時間の表現
 A 時間とは何か
 B アートとアーティストにおける時間の意義
 C 絵画における時間表現
 D 音楽における時間表現
 E 舞台における時間表現
 F 文学における時間表現
 G 時間論からみた芸術

あとがきにかえて
索引

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脳科学の新たな研究領域を拓く野心的な書
書評者: 佐伯 胖 (東京大学名誉教授)
 本書の「発刊に寄せて」にあるように,脳科学がこれまで中心的に扱ってきたテーマは,いわば「正解」のある課題を与えての「反応」を測定・評価するというものであったが,「感じること」「表現すること」をテーマにするということは,個人の内面にかかわっており,外的基準による「正解」のない活動に焦点を当てることになる。このような「新しい」研究領域を拓く際には,伝統的な脳科学・神経科学を超えて,他領域との交流が必要となるわけで,本書も,脳科学・神経科学の専門家ばかりではなく,知覚心理学や感性心理学の専門家,発達心理学者,健康科学の専門家,ロボット工学者,システム科学者らも執筆陣に加わっており,そのような他領域との交流からの新しい研究領域を拓こうという意気込みが感じられる構成となっている。

 本書の章立てを見ると,色彩感覚,「香り」や「味覚」,音楽,絵画,さらには「遊び」など,まさに,「正解」のない活動を中心テーマに掲げているのだが,これらのテーマの下で実際に探求されていることのほとんどが,「特定の課題を与えたときに,脳のどの部位が活性化するか」,「脳のどの部位に障害があると,どういう“歪められた”行動が発現するか」という,まさに伝統的脳科学のパラダイムの中での「原因追及型」の研究がほとんどである。これは脳科学・神経科学は伝統的に「局在論」の立場から,「○○という反応が生まれるのは,脳のどこが活性化することによるか」を分析的に解明するというのがメインストリームの研究であって「それ以外のやり方が考えつかない」のかもしれない。

 しかし,「疾走する赤いアルファロメオ」の写真を認知するとき,「赤いアルファロメオ」を認知する脳の部位と,「○○が疾走していること」の認知が全く別の部位であることがわかっても,まさに「疾走する赤いアルファロメオ」の写真を「アート」としてワクワクしてみる(「カッコいいな」と感じる)のは,脳の中でどのような処理が行われるのかがわからない。それは,おいしい料理をあれこれ分析して材料や調理過程を分析しても,料理人が見事に創り出した,まさに職人芸(アート)としての「料理」そのものが解明されていない,ということと似ている。

 この問題は,脳のさまざまな部位で分析的にとらえられている神経活動全体を脳自体が統括する(単に「まとめる」のではない,調理人のように「見事に調製する」)働きをする脳の神経活動を解明しなければならないということである。これは本書で「描く脳――絵を描くロボット」の執筆者たちが「絵を描く」ということは「自ら描いた絵を評価(鑑賞)する」機能を持つこと,つまり,ロボットが自意識(魂)を持つことであり,これこそが今後の最大の課題であるとしていることにも通じる。

 本書は,「アートする脳」の不可思議さと,これからの脳科学が「超えなければならない壁」を突き付ける野心的な良書である。
人とは,自由意志とは何か
書評者: 宇高 不可思 (住友病院副院長・神経内科学)
 人は社会の中で生きており,それを担う脳は社会的存在でもある。脳の研究も個体の“生物脳”としての研究から“社会脳”の研究へと主流が移ってきた。岩田誠先生,河村満先生の編集になる医学書院の“脳とソシアル”シリーズは,このような潮流の中で“社会脳”をテーマとして扱った労作である。すでに刊行された3冊はいずれも医学の分野を超えた広範な領域の専門家によって執筆されており,一読するたびにその構成の巧みさと内容の面白さに感嘆したものである。第1弾の主題は“社会活動と脳”,第2弾は,“発達と脳”,第3弾は“ノンバーバル・コミュニケーションと脳”であった。

 今回新たに刊行された第4弾の主題は“脳とアート”である。“感覚と表現の脳科学”という副題に加え,帯には“脳はときどき嘘をつく”と意味ありげな言葉が書かれているが,読んでからのお楽しみとしよう。

 I章の序論“脳にとって芸術とは何か”において,芸術の起源,創造性の基礎,作業記憶の拡張,模倣と教育,芸術と宗教について,などが述べられ,続くII章とIII章の内容は,中心溝を境に後方より感覚情報が入力され,前方より運動情報が出力されるという脳の基本的構造に対応した,“感じる脳”と“表現する脳”に大別されている。II章の“感じる脳”では,脳と感性,色彩認知,絶対音感,香りの脳科学,味覚の脳科学と,視覚,聴覚,嗅覚,味覚に関する最新の研究成果が述べられ,最後に,これら五感を超越した,“バーチャルリアリティー”の脳科学が論じられている。III章の“表現する脳”では,アート教育,絵画と音楽の脳科学,遊びの脳科学についての章とともに,アートの決め手が脳のネットワークではないかとの論考や,芸術における時間の表現という難しい問題についての考察がされている。

 どの項目も読んでみると,文系と理系の視点は見事に融合され,“目から鱗”の感がある。私たちが何気なく暮らしている世界が人の脳という奇跡の賜物の複雑な働きによることを垣間見させてくれる。そして,人とは何か,自由意志とは何かという根源的な問題にまで想いを馳せるのである。

 医学の効用は広範であり臨床分野に留まらない。医療従事者はややもすれば日常の臨床業務に沈淪しがちであるが,最新の脳科学の目覚ましい成果にも目を向け視野を広げてみるべきことを痛感する。その意味で本書,ならびに本シリーズを,医師のみならず,看護師,理学療法士,作業療法士,言語聴覚士など脳疾患の診療にかかわる専門家の方々,さらには,脳と心の有り様に興味を持つすべての人々にお勧めしたい。

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