話せる医療者
シミュレイテッド・ペイシェントに聞く

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模擬患者は、何を思い、どう感じているか。医療者―患者間のコミュニケーションは「異文化交流」だ。誤解とすれちがいに満ちている。ならば相手に聞いてみたい。「ほんとうに伝わりましたか? ほんとうはどう感じたのですか?」と。本書では、模擬面接事例から、生きた医療コミュニケーションのポイントを探る。
佐伯 晴子 / 日下 隼人
発行 2000年11月判型:A5頁:192
ISBN 978-4-260-33102-9
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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  • 目次
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はじめに
I 今日こそ病院にいくしかない
II SP実践事例
III SPの世界からみえること
IV ケアの本質としてのコミュニケーション
付章対談…異文化としての医療(松原洋子[お茶の水女子大学/科学史]vs.佐伯晴子)
あとがき

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医療者-患者関係の「異文化性」に気づくために
書評者: 丹野 義彦 (東大大学院総合文化研究科助教授・臨床心理学)
◆隠される不幸な経験

 医師とのやりとりで不愉快な思いをした経験は誰にでもあるだろう。特に大きな病院や大学病院でそのような話をよく聞く。しかし,患者の側は,不愉快や気持ちを面と向かって医師に表すことはほとんどないだろう。その場では「はい,わかりました」と言って,家に帰ってから不満を家族にぶつけたり,近所の人に「あの病院には行っちゃダメだ」と言って憂さを晴らすくらいが関の山である。

 それが悲しい現実である。医療事故がメディアで騒がれたり,医療訴訟が増えたりといった医療不信の底には,こうした医師との不幸な経験が積み重なっている。医師には患者とのコミュニケーションをぜひ勉強してもらいたいものである。

◆「模擬患者」という仕掛け

 この本は模擬患者(シミュレイテッド・ペイシェント)について書かれた本である。模擬患者というのは,医学生の訓練のために,特定の疾患の症状を再現するように訓練を受けた患者役のことである。患者役になって,症状を話したり,質問に答えたりするのである。はじめは医師の診断能力を上げるために取り入れられたのだが,最近では,患者とのコミュニケーション能力を高める医学教育として注目されている。日本でも2004年の医師国家試験から,模擬患者を取り入れたオスキー(OSCE;客観的臨床能力テスト)を導入することを検討中だという。

 医療にはサイエンスの部分とアートの部分があり,その両方が必要だと言われる。しかし,サイエンスの教育はしっかりしているのに,アートの部分,つまりこころの部分の教育はまだ未開発なのである。

 この本の著者は,医学部などの学生の面接実習に,ボランティアの模擬患者として10年以上協力している。この本には,模擬患者の実際のシナリオや,それを医学生や看護学生に実施した記録や,ずっと活動を続けてきた著者らの感想や対談などが収録されている。いろいろな側面から模擬患者のことがよくわかるように作られている。たいへんわかりやすい。

◆お説教ではない,ヒントにあふれた本

 著者によると,医療者と患者のコミュニケーションは,ちょうど異文化交流であるという。すれ違いと誤解に満ちている。医療者の側はそれに気づかない。本書を読むだけでもいろいろなことに気づかされる。

 例えば,「アナムネ」「ポリクリ」「既往歴」といった専門用語は患者にはすぐ理解できず,すれ違いを広げるばかりである。また,あいさつをしなかったり,敬語を使わずに話したりするのも患者には失礼である。こうしたことは誰にでもわかることなのだが,医療の現場にいると気づかなくなる。それに気づく訓練をするのが模擬患者との面接なのである。

 アドバイスは決してお説教的ではない。実際の模擬患者は相手のプライドを傷つけるような言い方はしないのだという。多くの医師(医学生)や看護婦(看護学生)と交流してきた著者の目はたいへん暖かい。

 患者の気持ちを少しでもよく理解するために,医師や看護婦の方にぜひ一読していただきたい本である。できれば模擬患者との面接を一度体験してみるとよいかもしれない。
著者の迫力に,白旗
書評者: 畑尾 正彦 (日本赤十字武蔵野短期大学教授/日本医学教育学会副会長)
 最近の医系の書店では,ようやく医療面接に関する書籍が平積みにされるようになった。それも1種類ではない。それだけ医療面接に対する関心が高まっている証拠である。コミュニケーションの上に医療面接が成り立つことを語りつづけ,その学習への取り組みを進めてきた医学教育関係者にとって感慨が深い。ただそれらの書籍のほとんどが,医療人から発信されたものである。

 このほど発行された『話せる医療者』は,医療を受ける立場から東京SP研究会の佐伯晴子さんが中心となって書かれたというだけでも,その価値は大きい。東京SP研究会は1995年の発足以来,日本中の学校(医・看・薬・その他)や教育・研修のセミナーに,「模擬患者Simulated Patient:SP」として参加し協力してこられた,実績あるボランティア組織だからである。

◆「わからないことをわかってほしい」の重さ

 頁を繰ると,まず著者の迫力に驚かされる。思いを込めて書き綴られる一語一語が,反論の余地なく読者を圧倒する。医療の世界にどっぷりと漬かっている読者にとって,そうなのかと初めて気づかされることが,次々とその頁の裏表から迫ってくる。
 
「簡単に人を理解したつもりになってくれるな,わからないことをわかってほしい」という著者の叫びが医療人の耳に痛い。

 人はしょせん理解し合えないものであり,理解し合えなくても愛し合えるのであって,そこに人のおもしろさがあるし,愛する人に理解し合えたという誤解を許すという文化の中でわれわれは生きている。それが健康上の問題を認識すると,理解したつもりになることを許さない異文化圏に入る。自己の存在の危機が,通常の文化圏に安住させてくれなくなるのは当然であろう。医療人が異文化圏の人種であるのと同様に,健康上の問題を認識すると,人はもう1つの異文化圏に入るのだろう。

◆向き合う相手の思いを知るために

 医療がサービス業であることは広く認識されるところとなった。異文化圏の人同士が向き合い,関わり合うことについては,医療の専門職になろうとするものが必須のこととして学習すべきことである。

 医療面接の学習をしようとする医学生や看護学生に限らず,研修医,看護職,薬剤師,栄養士など,あらゆるヘルスプロフェッショナルと,さらには医療事務職のすべてにとって,本書が必読書であることは言うまでもない。向き合う相手の思いを知らずに,医療面接の学習ができるはずがない。壁に向かってのテニスの練習は,本当の練習にならない。

 なぜか本書は,医療人の1人である日下隼人氏の共著となっている。氏はこれまでにも鋭い洞察眼と豊富な読書量で,医学教育・看護教育界の関心を呼ぶ独特のメッセージを発信してきた。異文化圏を超えたおもしろい読み物で,氏の磨かれた感性に触れることができるのも本書の楽しみの1つである。

 本書をすべての医療人にお勧めしたい。ただしこれを読む時には,よほどの覚悟が要るかもしれない。特にこれまで医療面接の学習に当たってきた人たちにとっては,そこまで言われるかと白旗を掲げるしかないところが少なくないからである。
「患者の身代わり」となっての提言
書評者: 日野原 重明 (聖路加国際病院理事長)
 このたび,「話せる医療者」というタイトルの本(副題:シミュレイテッド・ペイシェントに聞く)が,東京SP研究会の佐伯晴子氏と武蔵野赤十字病院臨床研修部長の日下隼人氏の共著で医学書院から出版された。

 医療上の面接を受け,診察されて,医療上の指導を受ける際,医療提供者の面接手法にどんな問題点があるのか――それらを,医学については素人の受診者(患者またはその家族)の立場から明確に示したのが本書である。受診者にとって満足のいく診療が果たしてなされているかどうかが受診者の側から分析され,批判されることで,医学や看護の臨床教育に対する援助がなされるのである。

 このような「患者の身代わりの演技者」は,模擬患者(Simulated Patient:SP)と呼ばれている。本書の書評を書く前に,このような手法が日本の医学・看護学の教育に導入されるに至ったいきさつを紹介したい。

◆SPと医学・看護学教育

 カナダの医学教育にはいくつもの優れた発想があるが,オンタリオ州のマックマスター大学のヘルスサイエンス学部(医学,看護学,コ・メディカル学科を総括した学部)は,臨床医学を効果的に行なう手段として,1946年の開学以来,Problem Solving Method(問題解決技法)を教育の方法論として採用している。

 私は早くからこの大学での教育的手法に興味を持ち,私が理事長をしている(財)ライフ・プランニング・センターの教育プログラムとして,この大学の学習資源開発所長の神経学医Howard S. Barrow教授と,協力者の看護職Robyn M. Tamblyn女史を1976年(25年前)に東京に招いて,神奈川県大磯のホテルで模擬患者のワークショップを行なった。

 当日,植村研一教授など日本医学教育学会の会員の若干名が参与した。日本の古い医学教育に新しい手法を紹介することで,少数の医学部教官が一時関心を持った。しかしこれは,日本の医学校に普及することにはならなかった。

 そこで1992年にボストン郊外マサチューセッツ州立大学メディカルセンターの女医Daura L. Stillman教授を東京に招いたが,このとき米国では模擬患者という呼び名はStanderdized Patients(基準患者)に改められ,前回よりも高度のワークショップが東京で2日間開かれた。

 一方,(財)ライフ・プランニング・センターでは,この計画の少し前から模擬患者養成を始めた。その多くは,この財団のボランティアの男女であった。

 こうして日本でもこの方式での医学教育がボツボツ行なわれるようになったが,私はこれを医学以外の看護教育にももっと普及したく思い,1993年度にはマックマスター大学看護学部からAndrea Bauman教授ほか2名の看護教官を東京に招いた。

 ところで関西では,1993年より非医療側からCOMLのSP活動が大阪で始められ,1995年に東京SP研究会が発足した。その他,川崎医科大学では早くからこの教育技法がとりあげられ,また1999年には九州大学でこの教育研究班が作られた。こうして,この教育技法は少しずつ全国的展開をみるに至ったのである。

◆コミュニケーション不足を受診者側から指摘

 本書では,東京SP研究会発足以来,翻訳業をしながらこの研究会の事務局を担当されてこられた佐伯晴子さんが,医師でない受診者としての立場からこの教育技法の内容に触れる執筆をされ,共著者として日下隼人医師が加わっておられる。

 本書の3分の2は受診者の側からのSPに関する記述がなされている。受診時の患者の心の構造を医師がよくわかっていないのは,医師・患者のコミュニケーションが悪いためだと佐伯氏は指摘している。本書は,模擬患者がむしろ受療者に代わって医療従事者に物申すというスタイルで書かれてあることが特徴と言えよう。その項目は次のごとく分類されている。

 1 「今日こそ病院に行くしかない」――白旗を上げて受診するときのあわれな患者の気持ちが生き生きと描写されている。

 2 「SP実践事例」――ここには,医師または看護婦とSPとの対話の実例が示されている。

 3 「SPの世界からみえること」――医師や医学生が問診の時に普通に使っている用語は,患者には通じない。医療従事者や医学生は,佐伯氏の教師としての経験やSPのシナリオ作成者としての事例を通して,コミュニケーションの技術や,とり交わす言葉のあやが学べる。

 4 「ケアの本質としてのコミュニケーション」――これは日下隼人氏の医師としての経験を通しての記述である。意識や技法の中での「心」の存在,アイデンティティの具現など,医療者が気づきにくいコミュニケーションのアートが示されている。

 そして最後には,科学史の松原洋子氏と佐伯氏との対談「異文化としての医療」が掲載されている。

◆広く読んでほしい本

 本書は医療職にある方,医学や看護学生の教育に従事されている方,一般臨床医,そしてさらに,効果的な受診者となるために一般市民にも広く読んでほしい本だと思っている。

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