看護現場学への招待
エキスパートナースは現場で育つ

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筆者の造語である「看護現場学」とは、「教室で考える看護」の対立概念である。筆者は看護とは、実践と理論が統合してはじめて成り立ち、統合の鍵は現場にあると説く。本書はこのように考えるに至ったプロセスをふり返り、厳しい現場で働くナースたちがやりがいを失うことなく、看護する喜びを手に入れる具体的な方法を提案する。
陣田 泰子
発行 2006年04月判型:B6頁:216
ISBN 978-4-260-00256-1
定価 1,980円 (本体1,800円+税)
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第1章 私の看護の原点
 つらくても生きていたい!-ALSのKさんのケアから
 小児病棟の子どもたち-子どもたちの作文から看護のニーズを探る
 現場こそ教師
 看護の証を社会に伝えよう-看護の成果を見える形に
第2章 看護現場学を創造する
 看護現場学-30年を貫くもの
 看護現場学を看護管理の視点からみる
第3章 現場における看護の概念化
 「現場学」のルーツ
 概念化作業への道のり
 ゼミ「看護観を生成する」
第4章 Aさんとその家族から学んだこと-内発的発展論を用いた社会学的考察
 筋萎縮性側索硬化症のAさんのこと
 Aさんのライフヒストリー
 家族のライフヒストリー-Aさんの夫との面接を中心に
 医療現場の変化とAさんの闘病
 Aさんのこれから-ALS患者の療養場所

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書評 (雑誌『看護教育』より)
書評者: 川島 みどり (日本赤十字看護大学学部長・教授)
 本書刊行直後,一気に読み終えた私は,「看護現場学」という言葉をはじめとしたまばゆいばかりの陣田学の言葉に酔っていた。次々と出てくる,たとえば「看護現場の青い鳥」のような輝く言葉を紹介するだけでも,現場の看護師らに勇気を与え,チャレンジングな意欲をかき立てるであろうと思われ,一人でも多くの看護師に読んでほしいと願って書評を引き受けた。

 「看護現場学」という言葉に,刺激を受けない現場人はいないだろう。著者は,この言葉を「教室で考える看護」の対立概念であるとして造語したのだという。著者の看護の原点は,30年前のALSのKさんとの出会いに始まる。私もこのKさんと著者との出会い,そして終焉までのプロセスを再三にわたって直接聞く機会があった。人工呼吸器をつけたKさんは「死にたい」と訴え続けた。そのKさんから「ツラクテモイキテイタイ」という言葉を引き出した著者は,当時まだ若く,ひたむきで感受性豊かな看護師であった。本書はKさん事例紹介から始まる。今回,改めてこの事例を円熟の時を迎えた著者像を重ねながら読み,再び涙を誘われた。

 その看護体験が,彼女の専門職としてのアイデンティティに深く影響しているからこそ,そのような体験を一人の看護師の特殊で固有なものとせず,「看護現場の青い鳥」と言い切る。ここに,彼女自身の経験を土台にして,経験から本質に向かうアプローチの真髄がある。ともすると多忙感の中で自分を見失ったり,困難からの逃避をしがちな風潮のなかで,一歩踏みとどまって身近にいるはずの「青い鳥」を探す。まさに現場学の始まりがそこにはある。

 現場の看護師の喜びと苦悩を肌で実感しながら,一時は大学に身をおいた彼女が,それにはあきたらず,大学病院のトップマネージャーとして臨床という大海原に船出した。そこで彼女は,医療改革の嵐や突風でさえ前進の力に活かした舵とりで,医療組織変革と進歩的なチームの育成に成功した。独創的な発想と,新たな情報をいち早く入手し,直ちに日常の看護管理に取り入れる才覚。現場特有の,動的・複雑系のダイナミズムをフルに活用した看護論はこのなかで生まれた。

 加速しつつ絶え間なく降りかかってくる看護現場の多くの課題。職位の別なくそれぞれの立場でこの課題を先取りしないと,厳しい環境に適応できなくなる。そこで,アクションラーニングこそ,看護現場学への道のりであるという著者。真の看護学を産出する場としての現場の価値を再確認し,現場ならではの魅力を再発見する喜びを,本書を通してぜひ共有したいものである。

 本書と時を同じくして出版された『早く元気になーれ』(医学書院,1,260円)は,本書の著者が勤務する病院に入院した子どもたちのことばを綴った詩集である。まだ若い師長だった著者のまなざしを感じながら読んだ。入院した子どもたちの率直なことばは,小児中心の看護を考える際に大きな指標となる。小児看護の必読書であろう。

(『看護教育』2006年10月号掲載)
看護師魂に触れる (雑誌『看護管理』より)
書評者: 佐藤 紀子 (東京女子医科大学看護学部教授)
◆教育の場から看護現場に飛び出した理由

 著者の陣田さんとは何回かお会いしている。それは陣田さんが看護現場の看護部長になってからのことである。その陣田さんはかつて教員として仕事をしていた。学会や研究会の帰り道,よくおしゃべりをした。ときどき陣田さんは「教育の場」になじめなかったと話した。そのことの真意は,こういうことだったのかとこの著書を読んで納得できた。

 筆者のように看護現場から離れていると,現場が非常に魅力的だと思う人と,そうでない人に二極分化するのかもしれない。現場には理論以上の,理論を越える豊かな,そして複雑な,そこで起こるすべてが唯一無二の出来事であるという現実がある。看護師はそのなかにどっぷりと浸かりながら,仕事をし,同時に人生を歩んでいく。それが,幸か不幸か教育の場を経験すると,看護現場の見え方がまるで異なることに気づくのだ。筆者が出会った人たちのなかに,教員になるとにわかに「現場はかくも倫理的ではない」と糾弾したり,「看護師ってひどいよね」とまるで自分がそこにいたときは倫理的で気配りができ,コミュニケーション能力に長け,エキスパートであったかのような発言をする人もいる。陣田さんが忸怩たる思いを抱き,教育の場から現場へと飛び出したことも頷ける。

◆臨床現場の魅力が余すところなく語られる

 読みながら涙が出た場面がいくつかあった。第一章「私の看護の原点」に書かれているT医師の言葉とそれに続くストーリーもそうだった。30年ほど前のことであるが,患者KさんはALSで人工呼吸器をつけないという苦渋の選択をしていた。しかし呼吸が停止したときT医師は呼吸器を装着する。彼の言葉は「呼吸が止まってチアノーゼが出現しているKさんを見て,呼吸器があるのにただ見ているのは,医師としてできなかった」というものだった。その後患者であるKさんの苦痛と苦悩は強く,文字盤を使い生かされたことを呪うような発言が続く。しかし,ナースたちのケアによって,Kさんは人の心に届く俳句をつくり,「ツラクテモイキテイキタイ」という意思表示をし,その後7か月間を生き抜いた。

 この経験が陣田さんの看護の原点だという。このことを陣田さんは考え続けた。その結果として,「Kさんとの経験を概念化した今の私の結論は『ALS患者に対して,呼吸器をつけるかつけないかの自己決定を患者に迫るのは間違っている』」と述べている。看護現場学はこのように,看護師が現実のなかで患者とともに考え続け,患者と何かを創造していくなかで生まれた学問なのだと思う。現場で鍛えられ育てられ,今は看護教員である筆者は,少なくとも単なる観察者や傍観者の立場からは看護を語らず,参加者の一員として看護学を構築する態度を持ち続けたいと思う。

 陣田さんの人への熱い視線,看護への深い傾倒を読みとることができ,心洗われる著書であり,陣田さんが「『看護は科学である』ということを捨ててもよいのではないかと思っている」気持ちに共感し,ある学会で昨今の看護事情について「看護師を100人増やしても,焼け石に水です」と語っていた陣田さんの看護師魂に触れた思いがしている。

(『看護管理』2006年8月号掲載)
「日本発」の看護理論の可能性
書評者: 広井 良典 (千葉大学法経学部教授)
 この本はすごい本である。どういうふうに「すごい」のかを私の力では十分に伝えきれないことを承知のうえで,以下記してみたい。

 あらためて言うまでもないことだが,看護(学)という学問あるいは分野は,そのアイデンティティあるいはよって立つ拠り所,ないし理論的根拠をどこにおくかで苦闘してきた。加えて,日本におけるすべての学問分野がそうであるように,外国から輸入された用語や概念枠組みと日本という土壌に根ざした有効性との間のギャップや,その橋渡しに向かい合ってきた。

 看護の臨床現場と看護教育(ないし看護研究)という2つの領域を往復してきた著者の陣田氏は,看護という営みの持つそうした矛盾や奥行きの深さを,とりわけ柔軟な感受性や明晰さでもって受け止めまた追求してきた人である。著者の問題意識は,氏が常に意識してきたという「理論なき実践は盲目であり,実践なき理論は空虚である」という言葉によく集約されている。

 したがって,ここが1つのポイントなのだが,この本は単に「現場主義」,あるいは「事件は現場で起こっている!」ことを強調する,という趣旨の本なのではない。本のタイトルからそのような内容を想像する方がいたとすれば,それは修正が必要である。むしろ陣田氏の関心の中心にあるのは,看護の臨床現場の営みの持つ豊穣さや同時にそれが抱える矛盾にしっかりと根ざしながら,しかもそれに流されてしまうのではなく,そうした臨床現場に有効な「概念化」の作業や改革のための方法論を確立していくことである。そこから,「動的・複雑系の現場」,「ナレッジ交換会」等々といった著者が経験の中で進化させてきた独自の認識枠組みや方法が具体的な事例とともに展開される。

 そして,冒頭に「すごい本」という表現を使ったこととも関連しているが,看護の臨床現場に真に力を持ちうるような理論を追求するという,著者の問題意識がもっとも鮮やかな形で結晶しているのが,「内発的発展論」の看護領域への導入・展開,という本書の後半部分の中身である。

 内発的発展論とは,国際的に活躍してきた社会学者の鶴見和子氏が発展させた議論で,もともとは途上国の「発展」のあり方を,“先進国”からの押し付けのような外からの(=外発的な)ものではなく,その地域の人々固有の(=内発的な)ニーズや志向をベースに考え実現していく,という趣旨のものだった。

 陣田氏は,この考えが看護あるいは医療の臨床にも有効性を持ちうると考え,ALSの患者さんの事例等とともに展開し,ひとつの新しい看護の理論枠組みを提出している。実は,上記の鶴見和子氏のもともとの関心も,(外からの近代化・西欧化がなされがちだった)日本という土壌を踏まえた独自の理論の構築という点にあったので,陣田氏の論の展開は,看護理論における数少ない“日本からの発信”という意味も持つものになると思われる。

 いずれにしても,看護の臨床・研究・教育,あるいはより広く「ケア」や医療,医学,科学の意味といったテーマに関心のある方に広くおすすめしたい。
「現場」が紡ぎ出す看護へのあふれる思い
書評者: 井上 智子 (東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科)
 「圧倒的に強い立場にいる人間が,圧倒的な弱者を言葉や態度で殺すことができるということがよく理解できました。」言葉はさらに続く。「逆に,心のこもった励ましの言葉が生きる力や気力を与えてくれることも。」

 これは本書の著者が,ALS患者やその夫との交流のなかで受け取った手紙の一節である。厳しすぎるほどの本音は,読む者の胸を打つ。ましてや看護師であるならば,自ら経験してきたいくつもの場面がよみがえり,もてあますほどの思いに翻弄されてしまう。それでも臨床看護の道を歩き続け,歩き抜いた人にこそ感じ取れる,人生の境地が用意されているという。その境地にたどり着いた人々は,くぐり抜けてきた幾多の修羅場や苛酷な状況などみじんも感じさせない穏やかな微笑みをたたえている。ちょうど著者である陣田泰子さんのように。

◆豊富な臨床経験の意味と,それを他者に伝えるすべをもとめて

 「看護現場学への招待」と銘打たれた本書は,その陣田さんが,看護師人生の集大成であり使命とも感じる「現場でなされている看護の明確化」のために書き下ろした渾身の一作である。

 その発端はこうだ。著者は二十数年の豊富な臨床経験をもって看護教員となったが,教育現場では「その長さのなかで何をやってきたのか,その意味は何か。それを相手に伝えられるのか」という問いを突きつけられた(ように感じた)。しかし,答えが見いだせず,それを見つけるために再び現場に戻ったという。確かに経験すること,それを明確にして意味づけること,そしてそれを他者に伝えることは,まったく別ものである。そしてひとりの人生のなかでこれをやり遂げること,いや,そもそもそれに気づくこと自体が希有であり,挑む課題はとてつもなく大きい。それでも成し遂げずにいられなかったのは,臨床経験のなかで培われた体験や思いに突き動かされたからであろう。ちょうど冒頭に示した手紙のなかのことばのような。

◆現場にこだわって看護の理論と実践を概念化した書

 こうして本書はできあがった。たどる道筋は,著者の看護の原点(第1章)であり,看護現場学をどのように創造していったのか(第2章),それらをどのように概念化していったのか(第3章)であるが,紡がれている言葉は日常的であり,優しさにあふれている。

 読み終えて感じる。これは集大成ではない,まだまだ続編がある,著者の挑戦は終わっていない,と。

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