駐在保健婦の時代 1942-1997

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「地域に根ざした保健実践」の象徴として知られる駐在保健婦制度。本書は、高知県駐在保健婦を祖母にもつ若き歴史・民俗学者が成し遂げた圧倒的なオーラル・ヒストリーである。保健婦というユニークな存在に注目することによって「権力 vs. 民衆」という旧来の歴史図式に風穴を開けるとともに、専門誌や手記などの見過ごされがちな文書資料と、共感あふれる聞き書きによって、「地域をまるごと支えた人たち」の姿を今に蘇らせる。 ●新聞で紹介されました! 《受胎調節指導の時は、説得力があるよう老け作りをした、など興味ふかい話が目白押し。》-出久根達郎(作家) (『朝日新聞』2012年9月23日 書評欄・BOOK.asahi.comより) 《「駐在保健婦が見た戦後 地域医療を支えた存在、聞き取りで往時の生活探る」……こうした研究の成果を、このほど『駐在保健婦の時代』(医学書院)という本にまとめた。……彼女たちの活動は今後の日本の医療、福祉、保険衛生を考える上で参考になると思う。各地域に住民全員の健康や生活習慣を知る保健婦がいれば、幅広い問題に対応できる可能性がある。東日本大震災では住民の安否確認に保健師が大きな役割を果たしたとも聞く。》-木村哲也(本書著者) (『日本経済新聞』2012年9月20日 文化欄より)
木村 哲也
発行 2012年09月判型:A5頁:338
ISBN 978-4-260-01678-0
定価 3,080円 (本体2,800円+税)

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はじめに 保健婦の経験を聞き書きする

 本書は、日本の公衆衛生の戦時・戦後史を、その実質的な担い手であった保健婦に焦点を当ててまとめたものである。
 具体的には、保健婦活動の一形態である保健婦駐在制を題材とし、その中心的役割を担ってきた高知県の実践を中心に、制度実施の経緯、各地への波及、地域における駐在保健婦による活動の実態を、一九四二年の制度実施から一九九七年の制度廃止までを通して、歴史学の方法をもって解明した。
 保健婦駐在制とは、本来保健所内に拠点を置いて活動するのが一般的である県保健婦が、管内各地に駐在し、保健所長の指示の下、日常的に住民の衛生管理指導をおこなう形態を指す。
 総力戦体制下、警察官の駐在制度に倣って健民健兵政策を支える目的で一九四二年に国の指導により全国の都道府県で実施されたが、敗戦を機にいったんは停止し、戦後改革期の一九四八年一二月から唯一高知県で継承され、「高知方式」と呼ばれて定着した。
 日本の保健婦には大きく分けて都道府県身分の保健所保健婦の系統と、市町村身分の国保保健婦の系統(一九七八年から市町村保健婦へと移行)の二つが並存し、互いに異なる業務を分担してきた歴史があるが、駐在制の下ではこの二つの保健婦の命令系統を一本化し、地区分担をしながらすべての業務を担当するところに、一般制度との違いが見られる。
 一九五一年七月からは米軍占領下の沖縄でも、高知県と同一のアメリカ人指導者によって実施が図られ、また僻地の医療・衛生に課題を抱えた青森県では一九六五年から保健婦派遣制(名称こそ異なるが、県保健婦が市町村に派遣され常駐するという活動形態は駐在制と同じ)として独自に導入されてもいる。
 一方、この高知県の活動は厚生省の注目するところとなり、一九六〇-七〇年代にかけて僻地の医療・衛生問題を解決する方策として奨励され、筆者の文献調査によれば、全国二三の都道府県で短期的に採用されたことが判明している(長期的に実施した高知県・沖縄県を含む)1
 一九八〇年代以降の行革の流れのなかで見直しの機運が高まり、青森県では一九九五年に廃止。高知県・沖縄県でも厚生省による地域保健法の完全実施の方針(公衆衛生業務の県から市町村への移管)に伴い、一九九七年三月いっぱいで廃止された。
 筆者はこれまでに、高知県・沖縄県における保健婦駐在制、青森県における保健婦派遣制について、研究成果をまとめてきた2。本書ではそれらをさらに深め、現時点での成果を問おうとするものである。
 本書のねらいは、以下の三点にある。

医療・公衆衛生史の再構築
 古典的医療史において、医療・公衆衛生は近代的価値の進歩の過程としてのみ描かれることが多かった。一方、近年の歴史学においては逆に、近代批判の文脈で、「権力」として批判的に描かれるようになった。本書では、この二項対立にとらわれるのではなく、保健婦という、国家と国民のはざまに立つ存在に注目することで、新たな医療・公衆衛生史を再構築する(新たな主体の設定)。

総力戦体制・戦後改革研究
 保健婦駐在制は、これまで、戦後になって初めて導入された制度であるという見方が一般的であった。しかし実際には、戦時に生まれた制度を、戦後になって地域の事情に応じて継承したと考えるのが正しい。「戦時と戦後の連続・断絶」の問題は、近年の歴史学の注目点でもある。そこでこの問題に、保健婦駐在制というトピックを通して別の光を当てる(新たな時間の設定)。

地域研究
 国対地方という構図からこぼれおちる、地域どうしの関係を重視する。具体的には、高知県の保健婦駐在制が、沖縄県や青森県においてどのように展開したかという論点から、新たな地域史を追究する(新たな空間の設定)。

 保健婦駐在制についての資料は、行政資料・議会資料・GHQ/SCAP文書などがあり、制度史上の政治過程をたどることがある程度可能である。
 また駐在保健婦の活動実態についても、看護・公衆衛生の専門誌による記事のほか3、行政や看護団体による記念誌・手記などが残されており4、さらに新聞記事なども含めれば、資料は豊富である。
 特に後者の資料群については、これまで「雑多」なものとして扱われ、歴史研究では見過ごされがちであった。本書ではそれらの資料群の丹念な洗い直しに、まずは意を注いだ。
 筆者は、これまで保健婦駐在制についての研究に当たっては、もっぱらこうした文書資料のみを用いてきた。しかしながら、草分け時代に活動した駐在保健婦経験者である筆者の祖母・西岡末野からの聞き書きを並行して進めることで、その語りのなかに現れる固有の領域があることもまた痛感してきた。
 駐在保健婦の草分け時代の経験者が高齢化し、逝去していくなかで、その証言を記録として残しておく意義は大きい。西岡末野は二〇〇〇年七月七日、享年八四で永眠し、そこで聞き書きの作業はいったん途絶えたが、西岡の葬儀に香典を寄せた同僚の保健婦経験者一九名すべてにインタビューを依頼し、健康上の理由などで辞退された方を除き、ほぼすべてに当たる一二名の他、三名を加えた計一五名の保健婦経験者に話をうかがうことができた。内訳は、一九四〇-五〇年代に活動を開始した駐在制草分け時代を知る保健婦一二名に加え、駐在制廃止前後に中村保健所(一九九七年幡多保健所に名称変更)に所属し、制度廃止の事情を知る立場にあった保健婦三名である。
 これは中村保健所管内で一九四〇-五〇年代に活動を開始した保健婦経験者のうち聞き書きが可能なほぼすべてに当たる。これに世代の異なる保健婦への聞き書きも併せ、駐在制廃止までのすべての過程をたどることが可能となった。その後幾人かが鬼籍に入ったことを考えれば、現時点で可能な最初で最後の規模の聞き書き調査といえる。
 聞き書きをした保健婦経験者の氏名と、聞き書き実施日時は以下の通りである(*印はテープレコーダーを回さず、ノートへのメモをもとにしたもの。それ以外はすべてテープ録音からの筆耕をもとにした。敬称略)。

 西岡末野 (一九一五年〈大正四年〉生まれ) 一九九一年三月一八日、一九九二年八月一〇日、一九九六年四月一三日、一九九七年八月一九日
 荒木初子 (一九一七年〈大正六年〉生まれ) 一九九四年三月二五日 一〇:〇〇~一二:三〇*
 米花綾子 (一九一八年〈大正七年〉生まれ) 一九九四年三月二九日一〇:〇〇~一二:〇〇、二〇〇一年三月一二日 九:〇〇~一二:〇〇
 富田繁子 (一九二一年〈大正一〇年〉生まれ) 二〇〇二年三月三一日 一三:〇〇~一五:〇〇
 上田梅子 (一九二二年〈大正一一年〉生まれ) 二〇〇一年三月一〇日 一三:〇〇~一七:三〇
 尾崎朔 (一九二三年〈大正一二年〉生まれ) 二〇〇二年四月四日 一四:〇〇~一七:三〇
 増本寿女子 (一九二六年〈大正一五年〉生まれ) 二〇〇一年九月二日  九:〇〇~一四:〇〇
 山本静尾 (一九二七年〈昭和二年〉生まれ) 二〇〇〇年八月一七日 一五:〇〇~一七:〇〇*
 福島佐津代 (一九三一年〈昭和六年〉生まれ) 二〇〇一年八月二八日 一三:三〇~一七:〇〇
 植田信子 (一九三三年〈昭和八年〉生まれ) 二〇〇一年三月一一日 一一:〇〇~一二:三〇
 森良枝 (一九三六年〈昭和一一年〉生まれ) 二〇〇一年三月一〇日一三:〇〇~一七:三〇、二〇〇一年九月一日 一三:〇〇~一五:三〇
 岡田京子  二〇〇一年三月一一日 一四:〇〇~一五:三〇
 吉岡喜代江 (一九三八年〈昭和一三年〉生まれ) 二〇〇一年三月一一日一四:〇〇~一五:三〇、二〇〇一年八月二八日 一三:三〇~一七:〇〇
 助村妙  二〇〇一年八月三〇日 一五:〇〇~一六:三〇*
 菊池美恵  二〇〇一年八月三〇日 一五:〇〇~一六:三〇*


 高知県について調査を始めたときにはすでに、一九四八年の戦後の駐在制実施にかかわった上村聖恵〈かみむら さとえ〉、聖成稔〈せいじょう みのる〉らといった指導者は逝去しており、聞き書きを得ることは不可能だったが、沖縄県については、戦時に看護活動を開始し、戦後も指導者として重要な役割を担ったキーパーソンともいえる具志八重・金城妙子〈きんじょう たえこ〉をはじめ、現場で駐在保健婦活動を展開した以下の一一名に聞き書きの協力を得ることができた。

 金城妙子 (一九一六年〈大正五年〉生まれ) 一九九五年九月八日
 具志八重 (一九一九年〈大正八年〉生まれ) 二〇〇二年四月一八日 一七:三〇~一九:三〇、一九日 一三:〇〇~一六:三〇、一七:〇〇~一八:三〇、二〇日 一三:三〇~一八:〇〇、二二日 一二:〇〇~一六:〇〇、二四日 九:三〇~一一:三〇*
 小渡静子 (一九二〇年〈大正九年〉生まれ) 二〇〇二年四月一九日 一三:〇〇~一六:三〇、一七:〇〇~一八:三〇*
 奥松文子 (一九二五年〈大正一四年〉生まれ) 二〇〇二年四月一九日 一三:〇〇~一六:三〇、一七:〇〇~一八:三〇*
 玉城千代 (一九二五年〈大正一四年〉生まれ) 二〇〇二年四月一九日 一三:〇〇~一六:三〇、一七:〇〇~一八:三〇*
 細原邦子 (一九三二年〈昭和七年〉生まれ) 二〇〇二年一月三一日 一三:三〇~一七:〇〇
 伊泊啓子 (一九三四年〈昭和九年〉生まれ) 二〇〇二年一月三一日 一三:三〇~一七:〇〇
 塩川和子 (一九三五年〈昭和一〇年〉生まれ) 二〇〇二年一月三一日 一三:三〇~一七:〇〇
 上地アキ子 (一九三九年〈昭和一四年〉生まれ) 二〇〇二年二月一日 一〇:三〇~一二:三〇
 福盛久子 (一九四〇年〈昭和一五年〉生まれ) 二〇〇二年二月一日 一〇:三〇~一二:三〇、一四:〇〇~一五:〇〇
 与那覇しづ (一九二三年〈大正一二年〉生まれ) 二〇〇二年一一月八日 一五:〇〇~一八:三〇


 青森県についても、戦後に保健婦派遣制を実施した看護係長である花田ミキをはじめ、看護係にあって行政の動きを知る鈴木治子、青森県国保連合会事務局長の青山猛光といった指導者、青森看護学院第一回卒業生の吉田美代、鯵ヶ沢保健所管内を中心に現場の地域保健活動を実践した相馬ふさゑ、派遣制廃止直後の県庁にいた島谷カツ子といった六名に話をうかがうことができた。

 花田ミキ (一九一四年〈大正三年〉生まれ) 一九九六年二月一九日 一四:〇〇~一六:三〇*
 鈴木治子 (一九二〇年〈大正九年〉生まれ) 二〇〇二年三月一九日 一三:〇〇~一七:〇〇
 青山猛光 (一九二八年〈昭和三年〉生まれ) 二〇〇二年三月一九日 一〇:四〇~一二:〇〇
 吉田美代 (一九三四年〈昭和九年〉生まれ) 二〇〇二年三月一九日 一〇:四〇~一二:〇〇
 相馬ふさゑ (一九三〇年〈昭和五年〉生まれ) 二〇〇二年三月二一日 一二:〇〇~一六:三〇
 島谷カツ子  一九九六年二月一九日 一六:三〇~一八:〇〇*


 本書のなかで、聞き書きの末尾の人名は、使用した聞き書きが以上協力者のうち誰の発言であるかを示している(ただし、筆者の判断により一部話者を明示しなかった箇所がある)。

 聞き書きという方法は、民俗学・社会学の分野で早くから蓄積があり、歴史学の領域でも、一九六〇-七〇年代以降の民衆史、地方史、女性史の隆盛により、盛んに用いられてきた。
 当初は文字資料を残さない、いわゆる「底辺民衆」の歴史を明らかにするために採用されることの多い方法だったが、近年オーラルヒストリー研究を精力的に推進している御厨貴が述べている通り5、文字資料を残さないのは何も「底辺民衆」だけでなく、沈黙を決め込む「国家指導者」も同様であり、御厨の問題提起は聞き書きの対象の拡大に貢献した。
 本書で扱う駐在保健婦は、決して「国家指導者」でも「底辺民衆」でもない。むしろそのはざまに立つところに固有の活動領域があるのであり、これまであまり明らかにされてこなかった、こうした対象への接近の方法として、聞き書きという方法は有効であろうと考える。
 実際、近年の女性史の分野では、女性の自己決定権や生む権利の問題に深くかかわる領域として、助産婦(産婆)の活動やお産に関心が集中し、おびただしい数の聞き書きが出版されており、成果は豊富である6
 本書では保健婦経験者への聞き書きを用いるが、同じ看護職にあって、出産という限られた分野にかかわる助産婦や、臨床の現場に限って活動する看護婦と異なり、保健婦は地域住民の生活に、より日常的に密着した活動の場を持っており、その活動を通して、今まで注目されてこなかった領域での実践を明らかにすることができると考える。
 一方、一九九〇年代に入り、聞き書きの方法論をめぐって新たな議論が提起されてきている。フェミニズム研究の上野千鶴子は、従軍慰安婦の口述証言を歴史修正主義の立場から否定する動きに対して、文献資料すらも、ある立場からなされた主観による表現にほかならないと応じた。また、話し手は誰に対してもテープレコーダーのように同じ証言を繰り返すわけではなく、聞き手との関係性によってその証言内容が決まることなど、聞き書きの方法論に新たな論点を付け加えている7
 この議論を踏まえて、本書について言えば、話し手=祖母/聞き手=孫という関係、話し手=西岡末野の同僚/聞き手=同僚の孫という関係、話し手=高知県の保健婦とのゆかりの深い沖縄県や青森県の保健婦経験者/聞き手=高知県の保健婦経験者を祖母に持つ若い研究者、といった関係が、話の内容に大きく影響していることになる。
 聞き手への気安さや親近感から、他者には決して語り得ない領域にも話が及ぶこともあったろうし、一方で、その関係性から遠慮して隠したことも、当然あったにちがいない。同じ話し手に別の聞き手が臨めば、まったく異なる応答をすることにもなったであろう。どんな聞き書き行為にも、こうした関係性からくるバイアスは生じるものであり、これらを「限界」とするよりむしろ、これらの関係からしか聞き得なかった「可能性」ととらえる立場から、本書を叙述することとする。
 従来の歴史研究では、医療・公衆衛生政策を推進した国家や指導的人物の意図や動きを解明することはあっても、実際に地域で衛生指導に当たった人々の意識や行動が、地域住民の生活の改変とどうからみあっていたのか、その実態を十分に明らかにしてきたとは言いがたい。
公衆衛生をめぐる国家と国民の関係にしても、前者による後者の支配、統合の過程として歴史を見るという、平板な図式からの脱却が唱えられながら、実証を通した研究は少ないのが現状である。
 公衆衛生を推進するという国家の政策の担い手として働いた保健婦も、本書で明らかにするように、実際に地域の中に駐在して効果を上げるには、固定した役割から離れて柔軟な態度をとらざるをえなかったし、地域に住む人々も、一方的に管理・統合されてきた受け身の被害者とはいえない。むしろ、その時々の対応のなかで、両者は自ら新しい関係を生み出してきたといえよう。
 そこで、聞き書きという方法によることで、単なる保健婦活動の歴史事実の紹介にとどまらず、ある特定の地域への公衆衛生の指導に当たって保健婦個人がどのような技術・意思・態度で臨んだのかを、その際の話者個人の思いにも留意しながら、保健婦駐在活動の実態を浮かびあがらせることを目指す。
 聞き書きの引用の中で、具体的な土地や人物が特定されることのないよう、固有名詞はできるかぎり伏せた。実際には、すべての話題が、話し手個人のなかに、具体的な地名や人名と不可分に結びついて記憶されているわけだが、関係者のプライバシーを侵すことがないよう配慮をした。また、方言そのままでは意味不明な部分については、読者の読みやすさを考慮して標準語に直した箇所がある。さらに、二〇〇一年の保健婦助産婦看護婦法改正により、この三つの看護職の呼称はそれぞれ保健師・助産師・看護師に変更されたが、本書では改正以前の歴史呼称として、保健婦・助産婦・看護婦を用いる。
 なお、本書の写真はすべて、西岡末野の遺品のアルバムより使用した。一九五〇-六〇年代における中村保健所管内のものである。
 本書が、今後の歴史研究にとって新たな問題提起となるだけでなく、保健婦駐在制の実践の持つ意義を、多くの人と共有するためのささやかな契機になればと考えている。



1 厚生省看護参事官・金子光「駐在制のもつ意義」(『生活教育シリーズ』第二四号、一九五九年)九頁によると、一九五七年末現在駐在保健婦を設置しているのは、以下の一五都道府県である。北海道、埼玉県、東京都、新潟県、岐阜県、愛知県、大阪府、和歌山県、岡山県、徳島県、香川県、高知県、長崎県、大分県、鹿児島県。ここに挙がっておらず、駐在制を採用した県を示す文献として、青森県(鈴木治子・花田ミキ「青森県における派遣保健婦制度について」『保健婦雑誌』第三〇巻七号、一九七四年七月)、千葉県(特集「千葉市の保健婦活動-駐在制をとるに至るまでの経過」『保健婦雑誌』第三一巻一二号、一九七五年)、群馬県・鳥取県(花田みき「開拓地の保健婦-農業行政から衛生行政に移管されるにあたり」所収「開拓地保健婦移管に伴う調査」『保健婦雑誌』第二六巻一一号、一九七〇年)、栃木県(北畑博一・栃木県衛生民生部長「駐在保健婦制度-県の施策として」『保健婦雑誌』第一六巻一一号、一九六〇年)、兵庫県(山本麻香・兵庫県豊岡保健所「郡部保健所における保健婦駐在制について」『保健婦雑誌』第六巻六号、一九五三年)、山口県(大下好子・山口県衛生部医務課「徳山保健所の保健婦駐在制について」『保健婦雑誌』第一五巻一〇号、一九五九年)があり、沖縄県を加えて合計二三都道府県となる。さらに調査すればまだ判明する可能性がある。
2 拙論「高知県における保健婦駐在制」(『歴史民俗資料学研究』第四号、一九九九年)、同「沖縄における保健婦駐在制」(『歴史民俗資料学研究』第五号、二〇〇〇年)、同「青森県における保健婦派遣制」(『歴史民俗資料学研究』第七号、二〇〇二年)。
3 高知県については、「特集・保健婦駐在制の研究」(『生活教育』第二四号、一九五九年)、「特集・高知駐在制の二〇年」(『保健婦雑誌』第二五巻四号、一九六九年)、「特集・高知 駐在制度をめぐって」(『保健婦雑誌』第二五巻九号、一九六九年)、「特集・高知県の公衆衛生活動」(『公衆衛生』第三六巻一一号一九七二年)など。沖縄については「特集・復帰を前に」(『保健婦雑誌』第二五巻一〇号、一九六九年)、「特集・沖縄の公衆衛生活動」(『公衆衛生』第三五巻二号、一九七一年)、「沖縄における衛生の動向」(『厚生の指標』第一八巻一五号、一九七一年)、「沖縄からのリポート」(『看護技術』第一八巻二号、一九七二年)、「焦点・沖縄の医療・看護」(『看護技術』第一八巻六号、一九七二年)、「特集・おきなわ」(『保健の科学』第一四巻六号、一九七二年)などがある。
4 厚生省医務局編『医制百年史』(ぎょうせい、一九七六年)、厚生省五十年史編集委員会編『厚生省五十年史』記述編・資料編(厚生問題研究会、一九八八年)、厚生省健康政策局計画課監修『保健所五〇年史』(日本公衆衛生協会、一九八八年)、厚生省健康政策局計画課監修『ふみしめて五〇年-保健婦活動の記録』(日本公衆衛生協会、一九九三年)。
5 御厨貴『オーラル・ヒストリー-現代史のための口述記録』(中公新書、二〇〇二年四月)。
6 管見に入ったものだけでも、福地曠昭『産婆さん』(ひるぎ社、一九八四年)、吉村典子『お産と出会う』(勁草書房、一九八五年)、松岡悦子『出産の文化人類学-儀礼と産婆』(海鳴社、一九八五年)、落合恵美子「ある産婆の日本近代-ライフヒストリーから社会史へ」(『制度としての〈女〉-性・産・家族の比較社会史』平凡社、一九九〇年)、長谷川博子「「病院化」以前のお産-熊野での聞き取り調査より」(『思想』八二四号、一九九三年)、長沢寿美『産婆のおスミちゃん一代記』(草思社、一九九五年)、井上理津子『産婆さん、五〇年やりました-前田たまゑ物語』(筑摩書房、一九九六年)、西川麦子『ある近代産婆の物語-能登・竹島みいの語りより』(桂書房、一九九七年)、野本寿美子『あたたかいお産-助産婦一代記』(晶文社、一九九八年)など。
7 上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』(青土社、一九九八年)。

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 はじめに 保健婦の経験を聞き書きする

第1章 総力戦と県保健婦の市町村駐在
 第1節 近代日本における公衆衛生政策の概観
 第2節 総力戦と県保健婦の市町村駐在
 第3節 戦時高知県における保健婦駐在活動の実態
第2章 戦後改革と保健婦駐在制の継承
 第1節 GHQ/PHWによる公衆衛生制度改革の特徴と問題点
 第2節 高知県における保健婦駐在制の継承
  1 四国軍政部看護指導官・ワーターワースの指導
  2 高知県衛生部長・聖成稔の構想
  3 高知県衛生部看護係・上村聖恵の役割
第3章 保健婦駐在活動の概況 高知県駐在保健婦経験者の聞き書きから(その1)
 第1節 聞き書きをした保健婦の略歴
 第2節 中村保健所の沿革、管内状況
 第3節 駐在所
 第4節 交通手段
 第5節 指導体制
 第6節 業務計画
 第7節 家族管理カード
第4章 保健婦駐在活動の展開 高知県駐在保健婦経験者の聞き書きから(その2)
 第1節 結核
  1 家庭訪問指導
  2 集団検診と予防接種
  3 隔離療養室の無料貸与制度
 第2節 母子衛生
  1 助産の介助
  2 障害児への取り組み
  3 授乳や子育ての指導
  4 出産状況をめぐる変化
 第3節 受胎調節指導
 第4節 性病
 第5節 急性伝染病
 第6節 寄生虫
 第7節 ハンセン病
  1 暮らしのなかのハンセン病
  2 隔離の現場で
  3 社会復帰・里帰りを見守る
 第8節 精神衛生
  1 私宅監置の禁止
  2 精神衛生法改正以後
  3 施設入所から地域でのケアへ
 第9節 成人病
  1 栄養改善指導
  2 リハビリ教室
  3 健康体操
 第10節 小括
第5章 沖縄における公看駐在制 保健婦駐在制の関係史(その1)
 第1節 沖縄戦と保健婦
  1 保健婦駐在の実態
  2 指導者たち
 第2節 米軍占領と公看駐在制-保健婦から公看へ
 第3節 公看駐在活動の展開
 第4節 日本復帰と駐在制存続問題
  1 高知県との交流
  2 日本復帰と駐在制存続問題
第6章 青森県における保健婦派遣制 保健婦駐在制の関係史(その2)
 第1節 農村恐慌以降の保健活動
  1 戦時における衛生環境
  2 さまざまな保健活動
 第2節 戦後改革と「公衆衛生の黄昏」
 第3節 保健婦派遣制の実施
  1 夏季保健活動
  2 派遣制の実施
 第4節 活動の成果とその評価
  1 活動の成果
  2 評価
第7章 「高知方式」の定着と全国への波及 保健婦駐在制の関係史(その3)
 第1節 「高知方式」の定着
 第2節 国民皆保険と無医地区問題
 第3節 高度経済成長と無医地区対策
 第4節 「保健婦美談」と駐在制批判
第8章 保健婦駐在制廃止をめぐる動向
 第1節 地域保健法制定の経緯
 第2節 各県の対応
 第3節 保健婦経験者による駐在制廃止への思い

 注
 あとがき

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保健師の使命感から駐在保健婦制の歴史的評価を見直す (雑誌『保健師ジャーナル』より)
書評者: 橋本 眞紀 (近大姫路大学看護学部看護学科)
 評者が行っているケアマネジャーや訪問看護師等との事例検討では,家族の健康問題や制度問題など,契約対象者外に業務上の困難感があることも少なくない。それこそ保健師の出番だと思うが,そうは言っても彼らの反応は冷ややか。「訪問してもらえない!」「当てにならない!」とはっきり言う。市町村合併により保健師の中央集約・縦割り・分散配置が進行し,無意識的に地区分担を放棄してしまった今日,家族をまるごと抱えて地区全体の健康に責任をもつ保健師本来の使命は崩壊の危機にある。本書に登場する上村聖恵氏から保健師教育を受けた私は“駐在保健婦”の表題に惹かれた。

 著者の木村氏は「はじめに」で「保健婦という国家と国民のはざまに立つ存在に注目する」「保健婦駐在制は(略)戦時に生まれた制度を,戦後になって地域の事情に応じて継承したと考えるのが正しい」と述べている(下線評者,以下同)。戦中・戦後をとおして国家権力の厳しい指令と住民個々の命と暮らしを守ることとの矛盾に直面した駐在保健婦が,いかに行動したのかは,その語りの記述からまざまざと見えてくる。木村氏は「保健婦活動は国策の要請で制度化されたにもかかわらず,いざ現場に立つと目の前の個別な課題に対応するように迫られ,住民の要求に応えるべく活動せざるをえなかったのである。国家の意図と地域住民の日常のはざまにたった活動のありようは,(略)これまで見過ごされがちであったが,制限された状況下での保健婦の主体的な活動に対して,新たな歴史的評価を与えなければならないであろう」(p.41)と述べている。今日の保健師に“権力と国民のはざまに立つ存在”との認識があるだろうか? 住民の暮らしから遊離した位置に身を置き,持たされている権力を意識もせず行使する存在になってしまってはいないか? 身につまされる。

 戦後のGHQによる改革が,保健婦を住民より高い位置に置き,必要に応じて相談に来させるアメリカ方式を推し進めようとしたことに対して,戦中の駐在経験をもつ上村は,保健婦自身が住民の中に入って行くべきであり,僻地へ重点を置いて派遣してゆく方針を取るべきだと主張し,言いなりになっていると日本の保健婦は骨抜きにされるという危機感をもって徹底的に抵抗したと記述されている(p.62)。駐在保健婦制は戦後GHQの強力な指導で初めて導入されたという既成認識は覆され,本来的使命を認識してどんな組織構造をとるべきかを自ら考え,闘い取ったものだと理解できた。沖縄県での展開でも同様,青森県では住民運動,まさに保健師本来の手法で実現している。そうであったにもかかわらず,地域保健法施行によって3県ともにいとも簡単に駐在制が崩壊したのはなぜか? その点の疑問が残る。

 本書は政治の潮流に流され無意識的に地区分担を放棄してしまっている保健師に,今あらためて大きな示唆を与えるものと思う。現状を変革する視点を見つけ出してほしい。

(『保健師ジャーナル』2013年8月号掲載)
歴史学が直面する課題と,保健婦駐在制 (雑誌『保健師ジャーナル』より)
書評者: 成田 龍一 (日本女子大学人間社会学部現代社会学科)
 近現代日本史を学ぶ身としては,うかつなことであった。1990年代半ばの一連の「改革」のなかで,地域保健法が議論されていたことは知っていたが,そこで保健婦の「駐在制」が廃止され,大きな制度が終止符を打ったことは,念頭になかった。ただ,この時期は,行政改革の名のもとに,戦時期にできあがった制度がいくつも改廃されており,その流れのなかでの出来事であったと,いまさらにして思う。

◆「駐在保健婦」とは

 さて,本書で考察される「駐在保健婦」とは,戦時の医療の国家統制の再編強化によって,1942(昭和17)年に実施された制度が前提となっている。「駐在制」は「国による上からの保健婦普及の方策」であり,日常的な「住民の衛生管理指導」のため全国的に展開された。保健所保健婦(都道府県)と国保保健婦(市町村)の併存のなかで,保健婦が地区分担をしながら,すべての業務を担当し,地域の人びとの健康維持に関わるものとされた。

 敗戦後は,戦時の制度が見直されるが,公衆衛生に関わっては,保健所網,人材は継承されるなか,GHQの公衆衛生福祉局が改革を進める。高知県では,ワーターワースがアメリカの方式を指導的に持ち込む。そのため,高知県では駐在制が継承され,「高知方式」とよばれたという。

 ワーターワースはさらに沖縄に転任し,ここでも保健婦駐在制を導入している。沖縄は,戦時においては全国に比し対応が遅れたが,戦後になり,アメリカ占領下で「公看駐在制」を採用し,地域の保健問題に総合的に取り組むこととなり,本土復帰後も駐在制が存続される。戦後には,この2県が長期にわたり駐在制を維持することとなった。高知県と沖縄県の地域どうし,さらに保健婦どうしの交流がこのことを可能にしたと著者は分析している。

 また,青森県でも,「保健婦派遣制」として,保健婦常駐の活動形態が導入された。青森県のこの派遣性の実施に際しても,高知県の駐在制が参照されていた。

 こうした駐在保健婦に関し,著者は法案審議の過程をたどり,そこでの構想と提案,質疑のようすをたんねんに追う。従来の研究史では,ワーターワースがクローズアップされ,戦時とのつながりが視野から落ちてしまいがちであったが,著者はあらためて,戦時と戦後の保健婦活動をともに視野に収め,相互の関係を論じていくのである。

 本書はこうして「駐在保健婦」制度の誕生とその意義,また担い手である保健婦の活動を具体的に描き出した。戦時の総力戦体制のもとでの公衆衛生・医療問題のひとつの要点を手がかりとし,現在に至るまでの射程で議論を展開してみせた。

◆公衆衛生の歴史学

 歴史学の領域において,公衆衛生が分析の対象とされるようになったのは,近年の社会史研究の展開に伴っている。コレラなど,急性伝染病の流行に対し,従来の養生法では対応できなくなり,「西洋」に由来する公衆衛生と西洋医学が世界的に導入され,そのことにより近代的な身体規範・作法が人びとのなかに入りこむ過程が追究された。結核などの慢性伝染病が,さらに規範の浸透・拡大に拍車をかけたことが論じられた。

 このように,1990年代に,公衆衛生が「近代のシステム」として,身体―病いとの関連で考察されてきたが,著者は,あらたに総力戦―総動員体制のシステムとの関連で,公衆衛生を把握することを試みた。「公衆衛生の戦時・戦後史」を対象とし,「現代のシステム」としての考察である。「近代のシステム」はもっぱら都市の公衆衛生を扱ったのに対し,著者が明らかにするのは,地域―農村部の様相である。そして,このとき,著者は,保健婦に焦点を当て,「駐在保健婦」の活動を考察する。

 すなわち,前者の「近代のシステム」としての公衆衛生の考察は,「病気」「衛生」「身体」という問題系へと細分化していったが,後者の解明を試みる著者は,「政策」を入り口として「制度」を扱い,その制度の「担い手」の行為―主体的な営みに着目する。「国家と民衆のはざまで活動を強いられた」のが,駐在保健婦であったという認識のもと,制度と現場(コト)のあいだで行動する保健婦(ヒト)の声をたぐり寄せる作業となった。

 そのための方法として,著者はオーラルヒストリーを存分に活用する。いや,本書でもっとも生き生きと叙述されるのは,このオーラルヒストリーを用いて叙述された個所である。

 祖母が「草分け時代に活動した駐在保健婦経験者」ということもあり,祖母の同僚を導きの糸として,15名に聞き取りを行っている。地域保健活動を実践した人びとの聞き取りが,全8章中の半分にあたる4章で用いられ,330ページ中,200ページを越える紙数が割かれる。本書の軸と魅力は,オーラルヒストリーを用いた個所に求められよう。そして,この作業により,地域における活動の様子が,リアリティをもって迫ってくることとなった。

 高知・沖縄・青森が聞き取り対象者の活動の場であったたため,この地の衛生環境,あるいは結核,寄生虫,さらにハンセン病などの病いに対する,人々の具体的な対応のさまが記される。中心になるのは,「受胎調節指導」であり,さらに「母子衛生」であるのだが,夫との関係や,さまざまな風習と公衆衛生の葛藤などが語られていて,興味深い。

 また,「国家の指導体制が現場にまで貫徹しなかった状況下では,逆に保健婦の創意工夫次第では,住民の側に立った活動をする余地が十分にありえた」と,「保健婦の主体的な活動」に着目したが,これは国家統制の制度を,保健婦の側から描き出す営みである。それとともに,あわせて人びとの衛生環境―衛生意識,身体を取りまく現況が記されることとなったと言える。

◆総力戦体制のなかの「駐在保健婦」制

 前述のように,総力戦体制のための制度となる「駐在保健婦」制を,保健婦としての活動に力点を置きながら問い返そうとする試みとして,本書が提供された。論点となるのは,この「駐在保健婦」制度の歴史的評価である。どの視点から,どのように制度と担い手を描くのか。

 たとえば,この制度によって,これまでもっぱら男性の警察官が担っていた公衆衛生業務が,女性である保健婦によって担われることとなる。警察にならい,総力戦体制のもとでの制度と人材が,戦後に高知をはじめとした地域で継承されていったことを,制度が廃止されたいま,いかように評価し,叙述するか,ということである。

 別の言い方をすれば,制度は,一般的に,運用により両義性をはらむ。本書が扱った「無医地区問題」を例とすれば,「無医地区問題」が深刻となったとき,高知県の保健婦駐在制が,医療不在を補うものとして活用される。1960~70年代には,映画やテレビドラマで「保健婦美談」が生み出されることとなるが,行政が医師の確保を怠り,保健婦をその代用としたということであり,言うなれば,駐在制が「利用」されたのである。

 このとき,そもそも駐在制という制度のもつ問題点を強調するのか,そのもとでの主体的な活動の可能性に目を向けるのかが問われる。そして,この点こそが,歴史認識に他ならない。

 複雑なことには,この「駐在保健婦」制度は,下からの運動―要求と不可分であった。地域に入りこんだ公衆衛生と医療の要求が,1920年代には社会運動として要求されていた。この「下から」の動きが,「上から」の制度として与えられるとき,担い手は総力戦体制への翼賛者としてふるまうことを余儀なくされる。さらにまた,戦後には,翼賛から民主という文脈のなかに置かれるのである。

 こうした事態に対し,総動員体制の「体制」と,担い手の「主体」との関係をいかに描き,いかに評価するかが,論者の立場となり歴史認識の発露となる。方法的には,制度と現場の「はざま」の声をいかに評価するか,ということであるが,ことは,総力戦体制のもとで作られた制度が,ことごとに改廃される〈いま〉の歴史的位相の評価に関わっている。「現代のシステム」として維持されてきた総力戦体制の制度のあと,どこへ向かおうとしているのか。そのことを念頭に置いた,いかなる歴史的評価が総力戦体制に対しなされうるのか,ということである。

 困難な問い,そして叙述の要請であるが,現在の歴史学が直面しているこの課題に,本書もまた直面し,ひとつの解答を出していった著作として読みたい。

(『保健師ジャーナル』2013年2月号掲載)
駐在保健婦の足跡,その語りに保健師活動の原点あり-新しい視座による保健師歴史研究書の誕生 (雑誌『保健師ジャーナル』より)
書評者: 名原 壽子 (三育学院大学看護学部)
 本の命は帯に示される。本書の帯に「地域に生きる。」「地域を丸ごと支えた人たちの姿が蘇る! 若き歴史・民俗学者による圧倒的なオーラルヒストリー。」とある。かつて,本誌第56巻第13号(2000年12月号)に森田ゆり氏が「保健婦という,日本が世界に誇れるコミュニティー・スペシャリスト」と表現し,「日本の保健婦の世界的にもユニークな役割」について言及したように,本書は,住民に寄り添い,地域丸ごとを支えることを使命とする保健師の役割,仕事を,感動とともに,心に沁みて感じ取れる書である。また,「聞き書き」の手法で時代の特徴を切り取って綴ってある点でも,保健師に関する歴史書のなかできわめてユニークな位置づけになると言える。

 著者は,高知県の駐在保健婦であった祖母への聞き取りを発端に保健師の歴史研究に着手し,学士,修士,博士論文と研究を積み重ねた。さらに研究を深め,その集大成として近代日本の公衆衛生政策の変遷,最後の第8章に保健婦駐在制廃止をめぐる動向を加えてまとめたのが本書である。新進気鋭の歴史・民俗学者として保健師の歴史研究に民俗学的視点から新しい風を送り込んでいることは,本誌連載「『保健婦雑誌』に見る戦後史」の読者はすでにご存知のことと思う。

 本書は,保健婦活動の一形態である保健婦駐在制を題材に,日本の公衆衛生の戦時・戦後史を,その実質的な担い手であった保健婦に焦点をあててまとめたものである。著者は本書のねらいを(1)医療・公衆衛生史の再構築,(2)総力戦体制・戦後改革研究,(3)地域研究の3点とし,それぞれ,新たな「主体の設定」「時間の設定」「空間の設定」と,新しい歴史研究の方向性を提示している。(3)における地域どうしの関係として,高知・青森・沖縄の比較研究がされていることが興味深い。

 また,本書の眼目は,現代史研究の新たな動向として,戦時/戦後を連続して把握しようとする視座にあり,これは,先人のあゆみに公衆衛生看護の本質をくみとる保健師の専門性論議に不可欠の観点であり,同感するところである。

 本書に取り上げられているのは,主として,1942(昭和17)年の制度実施から1997(平成9)年の制度廃止までの駐在保健婦の活動と,それを取り巻く社会と生活であり,当時の世相を描写している民俗学者の視点は鋭い。

 本書の圧巻は,聞き書きの手法による当時の駐在保健婦の方言そのままの「語り」である。そこには,戦前から現在に至る歴史の流れのなかで培われてきた保健婦魂そのものがある。著者の保健師に対する限りない共感と愛着に満ちた細やかな意図を反映している日本の保健師の歴史書としてこれまでにない貴重な本である。多くの保健師に一読を勧めたい。

(『保健師ジャーナル』2013年2月号掲載)
輝かしい歴史に学び,これからを展望しよう! (雑誌『保健師ジャーナル』より)
書評者: 田上 豊資 (高知県中央東福祉保健所)
 本書は,元駐在保健婦を祖母にもつ著者が,多数の元保健婦らの経験を聞き書きしながら,高知県を中心に1942(昭和17)年から1997(平成9)年までの保健婦駐在制を,歴史学の手法を用いて紹介したものである。

 第1章は,「健民健兵政策」という戦時色を色濃く反映した1942年の駐在保健婦の配置の紹介から始まっている。第2章では,高知県衛生部長(医師)の聖成稔氏と,若くして抜擢された保健婦の上村聖恵氏の2人が,「県民に等しく健康権を保障する」という強い信念のもと,GHQによる指導を契機として高知県独自の保健婦駐在制を構築していった経緯を紹介している。その背景には,高知県の衛生水準の低さと劣悪な地理的条件・交通事情があった。第7章では,昭和26年の厚生省による「高知方式」をモデルにした全国への普及政策を紹介し,その背景にあった高度経済成長の進行に伴う過疎地域の医師不足問題を指摘している。また,「憲法25条に定める公衆衛生の普遍性から出発しながら,医療の不在を補完する役割を駐在保健婦が担うかたちに変質・定着していった」と指摘し,「孤島の太陽」に象徴される保健婦美談とともに,川上武氏などによる駐在制批判も紹介している。また,第5章では沖縄県の駐在制,第6章では青森県の派遣制を紹介し,高知との比較をしている。

 幼少時代から,私と駐在保健婦の関わりは強い。保育園児の時の疑似赤痢での入院,中学校での「孤島の太陽」の映画鑑賞,自治医科大学学生時代の保健婦との出会いなどである。とくに,学生時代に上村氏にお願いして実現したへき地での駐在保健婦との同伴訪問,大学での学生サークル主催のシンポジウムへの上村氏の招聘など,たくさんの思い出がある。

 第8章では制度廃止をめぐる動向を紹介しているが,そんな駐在保健婦と強い関わりをもつ私が,公衆衛生行政を志し,後に地域保健法制定により保健婦駐在制の廃止に加担せざるを得なくなったのは,誠に皮肉な結果である。当時は,「全国いきいき公衆衛生の会」に属し,地域保健法の諸問題を厚労省に指摘し改善を求めたものの,保健所黄昏論,市町村への権限移譲や行財政改革論といった時代の大きな流れに竿をさすことはできなかった。そんななか,せめて駐在制の長所を新制度に継承できないかと努力したが,期待どおりにはいかず,いまだに忸怩たるものがある。

 第3章と第4章では,元駐在保健婦の言葉をそのまま紹介しており,当時の駐在保健婦たちの素晴らしい活動や熱い思いが生々しく伝わってくる。国によるさまざまな制度改革により,保健師の縦割り業務分担が進んで地域責任性が希薄化するなど,現状の保健師活動には課題が多い。しかし,時代は変われども,地域に入り,生活を診て,地域ぐるみで課題解決する公衆衛生看護の基本は変わらない。ぜひとも,現役の保健師さん方には一読していただいて,先輩たちの歴史に学び,今とこれからを考える材料にしてほしい。

(『保健師ジャーナル』2013年1月号掲載)

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