看護現場学の方法と成果
いのちの学びのマネジメント

もっと見る

本書には、編著者の経験から生まれた「看護現場学」の理念を説くと同時に、暗黙知をスタッフ間でどのように共有していくかの具体例がまとめられている。スタッフが日常接する患者との経験が多数紹介され、「経験を概念化(本質化)する」とはどういうことかを詳しく解説。いのちの現場で患者・家族・仲間から学ぶ看護師をどうサポートするかを示した、編著者こだわりの看護管理実践書である。
編著 陣田 泰子
発行 2009年08月判型:A5頁:208
ISBN 978-4-260-00838-9
定価 2,640円 (本体2,400円+税)

お近くの取り扱い書店を探す

  • 更新情報はありません。
    お気に入り商品に追加すると、この商品の更新情報や関連情報などをマイページでお知らせいたします。

  • 序文
  • 目次
  • 書評

開く



共著の意味
 初めての私の単著『看護現場学への招待』(2006年,医学書院刊),は私の看護師人生の集大成だと思って精一杯まとめ上げました.これ以外には,かなりの数にのぼる「共著」があります.これらは共著であることに意味がありました.その理由は,臨床現場でさまざまな事象に出合い,看護をしつづけている現場の看護師たちが「実践していることを書く,書いて残す」ことが必要であると,こだわってきたからです.現場で実践していることを現場だからこそリアルに書けることがたくさんあって「これはいける」と実感しました.
 しかし,執筆を依頼すると,ほとんどの看護師には「時間がなくて今は書けない…」あるいは「書くのは苦手です…」など,多くの書けない理由がありました.「だからこそ書くのよ!」「やっていないことを書くのではなく,やっているのだから書こうよ」とお尻をちょっぴり叩いて(ちょっぴりどころではなかった?),なんとこれまでに20冊以上の本が現場の看護師との共著で出版されました.「書けない」と,どこに行っても誰に聞いても異口同音に言っていたのに,できあがったのです,立派に….なかには「書くことが私のカタルシスです…」とまで言った人も出てきました.
 実践したら,そのことを書く,書くことで自分のなかで確認する,そして組織に,できれば社会に伝えて残していく.共著で出版しつづけて,ようやくこの循環ができたのではないかと思っています.

こだわりの概念化
 共著で出版しつづけるなかで,私自身のルーツをたどって,こだわりの「概念化」に行きつきました.「概念化」という言葉もわが組織(聖マリアンナ医科大学病院)のなかで,他施設の多くのナースにも知ってもらえるようになりました.「概念化」について話してほしいと要望があればあちこち飛んで駆けつけました.「今この厳しい現場のなかで,看護が生産され患者に届けられているのに,生産者が看護を生み出している実感が持てないなんて….そんなはずがない」「この身体から,その見えない知を引き出してみよう」という看護現場学のメッセージと,「概念化」という『看護現場学への招待』のコンセプトは,じわじわと現場のナースへ浸透しているように感じています.
 しかし残念ながら医療現場の状況は,平成15(2003)年の特定機能病院への包括評価導入のときから働く環境としては好転してはおりません.おそらくこれからも相当期間,この状態が継続するのではないかと思います.そのような状態がつづくと覚悟をしたら,考えるべきことはどうやってそれを乗り越えたらよいのか,です.乗り越えるために,現場のマネジメントが鍵を握っていると思いました.

いのちの現場の,いのちの学び
 マネジメントの本は山ほどあります.しかし,医療におけるマネジメントは,一般にいうところのマネジメントとは少し違います.だったら「これまでのマネジメントとはどこが違うのか書いてみよう」と思い立ちました.そんな大そうなこと,と一方で思いましたが,力を振り絞って“違い”を出してみようと考えました.
 マネジメントはほかの企業でも,どこででも行なわれるものです.当然,医療の現場においても行なわれていますが,医療の現場はほかとはちょっと違う生と死の現場です.それは,生と死の現場でくり広げられている「いのちの学び」のマネジメントといえるのではないかと思います.つまり生と死の現場の最前線で患者と向き合う看護のマネジメントなのです.私が看護師人生の終わり近い今出した結論,それは,「看護管理とは『生老病死から学ぶこと』,ヒューマン・サービスの受け手(患者)と提供者(医療従事者)がともに創り出す,いのちの学びのマジメント」ということです.いのちの現場で,いのちの学びを通して目的を達成していくことです.その目的とは「専門職がかかわることによる身体・精神の回復の促進」です.看護のマネジメント,このこだわりを文字にすることは,今この時代だからこそ意味があるのではないかと考えました.
 私のこだわりが,読者の皆さんに届き,果たして共感を得られるのか,その答えは皆さんの反応を待つことにしたいと思います.
 「医療は社会的共通資本」であり,社会の人々のためにその存在があるのなら,その社会的共通資本のなかの最大集団としての看護の力は,チーム医療を担うほかのメンバーとともに,社会のなかの共通の資本としてさらに認知され,活用されていくべきものと考えます.

 最後に,本書の出版は,医学書院看護出版部の竹内亜祐子さんの粘り強いサポートがあって“看護現場学―第2弾”として実現することができました.また,既刊『看護現場学への招待』誕生のきっかけを作っていただいた,前医学書院・河田由紀子さんの「旬のうちにやりましょう!」という後押しでさらに一歩踏み出すことができました.竹内さんと河田さん,2人のコンビも絶妙でした.医学書院制作部の岡田幸子さんと装丁の高野京子さんにもお世話になりました.本当にありがとうございました.

 2009年7月
 陣田泰子

開く

第1章 今,なぜ看護現場学なのか
 看護の喜びと,それを奪う現実
 看護現場学とは-帰納的アプローチによる現場発の理論

第2章 “看護の知”の発見から共有へ
 発見-主任・師長の役割
 知の共有-ナレッジ交換会
 ナレッジ交換会-「急変を見逃さない看護」から

第3章 実践 看護現場学の進化
 実践しながら概念化を図る
 実践と省察

第4章 個人と組織の成長を目指した実践共同体づくり-キャリア発達への支援
 病院の質とキャリア発達支援-コンテキスト・ラーニング
 いつでも,どこにいても,照らす基準は「看護部理念」
 理念に沿った教育システムの構築
 キャリア発達支援の基盤となるもの
 昇格者研修
 師長のためのコーチング研修

第5章 マネジメントに生かす看護現場学
 看護職が経営で目指すもの
 師長の病棟経営の実際
 ケアに集中できる組織と人材を確保して
 師長の「守りの管理」から「広がりの管理」へ
 現場の今に対応する人員配置を目指して

第6章 看護におけるマネジメント
 いのちの現場で〈いのちの学び〉を育むこと

初出文献
索引

開く

経験が概念化されたとき看護現場学が誕生した
書評者: 勝原 裕美子 (聖隷浜松病院副院長兼総看護部長)
 本書を読んで圧倒されるのは,著者の作成した図表の多さだ。さまざまな角度から現場を概念化し,表現している。ともすれば,看護の日常は,業務を効率的に回すことや正確に反復することにエネルギーが注がれがちだ。看護部の教育研修も,どのような人を育てたいのかという前提や将来展望が欠けるままに,例年通りのプログラムを運営することに時間を割くことが多い。

 そんな現場を,ゆったりと深呼吸しながら,間をとり,天空から眺めるように俯瞰して眺めてみる。そうすると,現場で渦巻く現象が,ほかの渦巻きと混ざり合い相互作用している様子や,地上では二次元でしかとらえられていなかった事象の立体性が見えてくる。一つの側面からしか見えていなかったことを反対側や裏側から眺めてみると,全容に近い姿として把握でき,物事の本質が見えやすくなる。本書では,図を通して物事をどのようにつないでいくのかが描かれ,表を通して物事をどのように整理するのかが表されている。つまり,物事を多角的・全体的に眺めるその方法を指南してくれるのが,本書である。

 看護教育では,帰納的な考え方を徹底的に教え込む。「あなたの受け持ち患者さんはどうなの?」「その患者さんはどう考えたの?」と。教員は,学生の一つひとつの体験を重視し,次への体験に活かせるように働きかける。そして学生は体験を統合していく中で,「私の看護観」「私のめざす看護」像を仕上げていく。実践現場でもその帰納的なアプローチが根付いている。現場でしか育まれようのない繊細かつ大胆なケアの展開を大事にする。カンファレンスや振り返りを通して,看護を追求しようとする。

 しかし,臨床看護師としての経験豊富な著者が,ある時点で教員になったときに,もう一つのアプローチがあることに気づく。理論をしっかりおさえ,現場とのすり合わせを試みる演繹的な方法だ。両者が相互補完しながら,理論がより豊かになり,現場での経験がより概念化されていくことが見えたとき,現場学が誕生した。

 著者とは何度かお会いしたことがある。お話しをしていると,穏やかで人を包み込むような柔らかさが伝わってくる。それが一度壇上に立たれると,経験と理論に裏打ちされた知が止めどなくあふれ,雄弁な方だという印象に変わる。本書は,語り続ける著者の思考のプロセスと成果を,まとめて活字として読むことのできるぜいたくな仕上がりになっている。
看護学独自の科学を探究する看護教員への問いかけ (雑誌『看護教育』より)
書評者: 前川 幸子 (甲南女子大学看護リハビリテーション学部教授)
 「看護現場学」という言葉に,心を動かされない人はいないだろう。私たちが看護を語るときに欠かせない,刹那的で永遠的な人や出来事との関わりを生み出す母胎からの看護現場学なのである。私たち看護教員は,学問としての看護学の教授を目指しながらも,独自の方法論を持ち得ないことから足元の揺らぎを自覚している。その方法論について,著者は自身の来歴に重ね合わせるように追究し続けている。1995年に,看護短期大学の教員になり,「26年という看護師のキャリアは,教員をするうえでそれなりの意味があるもの」と考えていた著者が,しかし他教員と共同作業を行っていく中で,自分が何か「一歩遅れる感覚」を覚えるようになる。それは他教員と著者との看護学に対する立場の相違――前者は演繹的に,後者は帰納的に看護を捉えていくアプローチの相違であった。以来,著者は臨床看護を基盤にした看護学とその方法論の確立へと向かうことになる。

 著者が,その看護経験を言語・概念化していく帰納法から「私の看護のこだわり」が明らかになり,さらに「私の看護観」へと連繋することで,時間的概念をもとにした「私の実践論」へと導かれていく。その鍵となるのは,「ナレッジ交換会」という看護実践の共有にあった。すでに身体化してしまっている看護実践を,自ら覚知することは難しい。だからこそ同僚のまなざし・鑑識眼こそが,看護の知を顕わにする契機となる。例えば「急変を見逃さないコツ」など,思わず頷きながらその内容を辿ることができる。しかし,看護の知として確認するためには,それを生み出すコンテクストを掘り下げ,看護師の思いに迫り,さらに実践に生かせる知であることを確認していくという根気強さを要する。その知とは,古典的学習による表象的な個人の中にある知とは異なり,実践共同体という共感的な場で編み出され,形式知と経験知の融合と接離にこそ垣間見る。それは幾つもの事例を通して実感できる。事例に生きられる数々の看護師,病む人,その家族へと思いを馳せるとき,読み手の気持ちをも動かされていくのは,浮き彫りになっていく看護の知への了解というつながりなのかもしれない。著者が看護学に対する弛まず揺るぎない志向性と,固定化されない柔軟性を維持できるのは臨床看護にこだわる実践者であり,研究者でもあることの実証であろう。

 翻り,私たち看護教員はアクチュアルな看護を重視しながらも,学内では臨床看護の臨場感を伝えるには限界があることを,どこかで当たり前にしてはいないだろうか。看護学独自の科学を探究するのは看護教員の課題であることを,著者はあらゆる形で問いかけてくる。私たちはどのように応答していくのか,そのヒントも隠されている書である。

(『看護教育』2010年1月号掲載)

  • 更新情報はありません。
    お気に入り商品に追加すると、この商品の更新情報や関連情報などをマイページでお知らせいたします。