チャールズ・ベル
表情を解剖する
ダイナミックで複雑な脳の働きを新しい切り口でとらえ直すシリーズ第4弾
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ベル麻痺で有名な医師にして解剖学者であるCharles Bellが遺作として残したヒトの表情の解剖学。古今の名画の鑑賞や人体の構造や筋の動きから高次な現象としての「表情」を分析する名著。芸術解剖学書として、今、よみがえる。
*「神経心理学コレクション」は株式会社医学書院の登録商標です。
シリーズ | 神経心理学コレクション |
---|---|
原著 | Charles Bell |
訳 | 岡本 保 |
シリーズ編集 | 山鳥 重 / 彦坂 興秀 / 河村 満 / 田邉 敬貴 |
発行 | 2001年12月判型:A5頁:304 |
ISBN | 978-4-260-11862-0 |
定価 | 4,400円 (本体4,000円+税) |
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チャールズ・ベルの生涯と研究(岡本 保)
序説 表情について
第1章 頭と顔の形の不変性,表情との対比
第2章 脳・頭蓋骨・頭形
第3章 人の顔の表情の起源
第4章 人の顔面筋
第5章 比較解剖学からみた人の感情表現
第6章 人の笑いと泣き
第7章 喜怒哀楽の表情
第8章 身体と対比した表情
第9章 彫刻に必要な解剖学
第10章 画家に必要な解剖学
附録
ベル「神経系の解説」(アレキサンダー・ショー)
表情研究の歴史-古代から現代まで(岡本 保)
ベル冠名用語と主要業績
ダーウィン図版集『人間と動物の情動表現』より
序説 表情について
第1章 頭と顔の形の不変性,表情との対比
第2章 脳・頭蓋骨・頭形
第3章 人の顔の表情の起源
第4章 人の顔面筋
第5章 比較解剖学からみた人の感情表現
第6章 人の笑いと泣き
第7章 喜怒哀楽の表情
第8章 身体と対比した表情
第9章 彫刻に必要な解剖学
第10章 画家に必要な解剖学
附録
ベル「神経系の解説」(アレキサンダー・ショー)
表情研究の歴史-古代から現代まで(岡本 保)
ベル冠名用語と主要業績
ダーウィン図版集『人間と動物の情動表現』より
書評
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「表情」分析の出発点に存在する歴史的出版物の翻訳
書評者: 長野 敬 (自治医大名誉教授)
コンラード・ロレンツ(Konrad Lorenz)の系譜に連なる行動学者アイブル=アイベスフェルト(Ireneus Eible-Eibesfeld)は,最近翻訳の出た『ヒューマン・エソロジー』(日高敏隆,他 監訳,ミネルヴァ書房,原著は1984年)に,日本人にとりわけ興味深い写真を載せている。歌舞伎役者が笑い,怒り,悲しみなどの典型的な表情をしているのを撮った一連のポートレートである。彼はこれらの写真を世界各地の人々に示して,表情が何を意味しているかを推定させたのだ。
日本人による正答が高いことは当然予期されるが,喜びの表情については,歌舞伎に特有の誇張された隈取りと様式化された表出にもかかわらず,外国の被検者も相当の率で正しい答を出している。ところがそれ以外の場合には,例えば,驚きを恐れと解釈するというような相互乗り入れ的な食い違いが,かなり多く見られる。ただしこの結果も,ある見方から整理すれば割合にすっきり要約できそうだ。すなわち心と表情の関係を,期待と状況の合致を意味する喜びの顔(ポジティブ)と,不一致に基づくその他の表情(ネガティブ)にふるい分ければ,正答率は格段に高くなるだろう(この著者自身は,そうした整理を行なっていないが)。
ここからまず2つのことが言えるだろう。第1に表情は,大まかな心情を相手に伝える世界共通の「無言の言語」として作用するということ。そして第2に,上にネガティブと区分けした各種の表情については,伝達が必ずしも精密でないことだ。後者に関しては議論がさらに2筋に分かれる。否定的な心情を言うのに悲しみ,恐れ,失望,驚愕などいろいろの単語があるけれども,それらは単語の違いほど明快には区別されない重なり合った気分なので,混同が起こりやすいのだろうか。あるいはまた,否定的な心情の表出には文化や民族による拘束がより強く作用して,例えば,日本人なら大部分の人が「悲しみ」ととらえる表情は,アメリカとかアフリカの文化の中では,「怒り」や「失望」と解釈されたりしやすいのか。
◆表情の研究の開拓的古典
「表情」をこのように多少とも理詰めで論ずる時,チャールズ・ベルの『表情を解剖する』は,欠かすことのできない出発点だ。ベルは,文字どおり「表情を解剖」した。顔面と頚部の神経走行の見事な見取り図や,また眼と眉が「表情を作る主役」であることを,この部位の筋力学的な動きから考察している筆捌きとメス捌きは鋭利,精密そのものだ。だがその一方で,こうして「隣接部位との関連から千種に及ぶニュアンス」が作り出された結果が,その表情を示している当人の「社会的な隣接部位」,つまり表情を見る相手方との間で果たすコミュニケーションの役割は,解剖学者の守備範囲外にあった。『The Anatomy and Philosophy of Expression as connected with the fine arts』(John Murray, London, 1847年)という原題の末尾部分から,表情の外部への効果,「美術的」な効果がベルにとっても関心事だったことはわかるが,この効果の判定者は,人間社会のエソロジー的な網目の中でつながる隣りの誰かさんでなく,あえて言えば神,あるいはその公正な代理人としてのconnoisseurなのだ。
ダーウィンは,四半世紀後に『人間および動物の表情』(1872年)を書いた時,その序論でベルを高く評価した。それ以前に読んだ多くの古い論説は,「ほとんどあるいは全く役に立たなかった」のに対して,『表情を解剖する』は「表情の問題を科学の一分科として基礎づけたばかりでなく,一つの立派な体系を築き上げたと言ってもいい」(訳文は村上啓夫訳,白揚社,1938年)。しかし,体系をまとめるための基本的な枠組みは違っていた。端的にはベルが,「人間と下等動物との間に,出来るだけ大きな差別」を設けようとしたのとは反対の立場を,ダーウィンは選んだ。
表情をも進化の一環として,社会的な機能と関連づけてみるという立場が,結局は生き残ってきたことを,1世紀後の『ヒューマン・エソロジー』は示している。しかしこれは,ベルの古典が意義を失ったことを意味しない。表情の研究を「科学の一分科として基礎づけた」というダーウィンの賞賛は,常にそのとおりのものとして今後も続いていくだろう。この開拓的な古典が叢書の1冊として今回訳出されたことの意義は,大きいものがある。
書評者: 長野 敬 (自治医大名誉教授)
コンラード・ロレンツ(Konrad Lorenz)の系譜に連なる行動学者アイブル=アイベスフェルト(Ireneus Eible-Eibesfeld)は,最近翻訳の出た『ヒューマン・エソロジー』(日高敏隆,他 監訳,ミネルヴァ書房,原著は1984年)に,日本人にとりわけ興味深い写真を載せている。歌舞伎役者が笑い,怒り,悲しみなどの典型的な表情をしているのを撮った一連のポートレートである。彼はこれらの写真を世界各地の人々に示して,表情が何を意味しているかを推定させたのだ。
日本人による正答が高いことは当然予期されるが,喜びの表情については,歌舞伎に特有の誇張された隈取りと様式化された表出にもかかわらず,外国の被検者も相当の率で正しい答を出している。ところがそれ以外の場合には,例えば,驚きを恐れと解釈するというような相互乗り入れ的な食い違いが,かなり多く見られる。ただしこの結果も,ある見方から整理すれば割合にすっきり要約できそうだ。すなわち心と表情の関係を,期待と状況の合致を意味する喜びの顔(ポジティブ)と,不一致に基づくその他の表情(ネガティブ)にふるい分ければ,正答率は格段に高くなるだろう(この著者自身は,そうした整理を行なっていないが)。
ここからまず2つのことが言えるだろう。第1に表情は,大まかな心情を相手に伝える世界共通の「無言の言語」として作用するということ。そして第2に,上にネガティブと区分けした各種の表情については,伝達が必ずしも精密でないことだ。後者に関しては議論がさらに2筋に分かれる。否定的な心情を言うのに悲しみ,恐れ,失望,驚愕などいろいろの単語があるけれども,それらは単語の違いほど明快には区別されない重なり合った気分なので,混同が起こりやすいのだろうか。あるいはまた,否定的な心情の表出には文化や民族による拘束がより強く作用して,例えば,日本人なら大部分の人が「悲しみ」ととらえる表情は,アメリカとかアフリカの文化の中では,「怒り」や「失望」と解釈されたりしやすいのか。
◆表情の研究の開拓的古典
「表情」をこのように多少とも理詰めで論ずる時,チャールズ・ベルの『表情を解剖する』は,欠かすことのできない出発点だ。ベルは,文字どおり「表情を解剖」した。顔面と頚部の神経走行の見事な見取り図や,また眼と眉が「表情を作る主役」であることを,この部位の筋力学的な動きから考察している筆捌きとメス捌きは鋭利,精密そのものだ。だがその一方で,こうして「隣接部位との関連から千種に及ぶニュアンス」が作り出された結果が,その表情を示している当人の「社会的な隣接部位」,つまり表情を見る相手方との間で果たすコミュニケーションの役割は,解剖学者の守備範囲外にあった。『The Anatomy and Philosophy of Expression as connected with the fine arts』(John Murray, London, 1847年)という原題の末尾部分から,表情の外部への効果,「美術的」な効果がベルにとっても関心事だったことはわかるが,この効果の判定者は,人間社会のエソロジー的な網目の中でつながる隣りの誰かさんでなく,あえて言えば神,あるいはその公正な代理人としてのconnoisseurなのだ。
ダーウィンは,四半世紀後に『人間および動物の表情』(1872年)を書いた時,その序論でベルを高く評価した。それ以前に読んだ多くの古い論説は,「ほとんどあるいは全く役に立たなかった」のに対して,『表情を解剖する』は「表情の問題を科学の一分科として基礎づけたばかりでなく,一つの立派な体系を築き上げたと言ってもいい」(訳文は村上啓夫訳,白揚社,1938年)。しかし,体系をまとめるための基本的な枠組みは違っていた。端的にはベルが,「人間と下等動物との間に,出来るだけ大きな差別」を設けようとしたのとは反対の立場を,ダーウィンは選んだ。
表情をも進化の一環として,社会的な機能と関連づけてみるという立場が,結局は生き残ってきたことを,1世紀後の『ヒューマン・エソロジー』は示している。しかしこれは,ベルの古典が意義を失ったことを意味しない。表情の研究を「科学の一分科として基礎づけた」というダーウィンの賞賛は,常にそのとおりのものとして今後も続いていくだろう。この開拓的な古典が叢書の1冊として今回訳出されたことの意義は,大きいものがある。
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