老人ケアの関わり学
「ヤマアラシのジレンマ」をキーワードに“関わり”の本質に迫るケアエッセイ
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本書は,「寝たきり」「痴呆」などの障害老人を身体的・精神的機能面からだけでなく,社会・家族との関係のなかでとらえ直す“関わり”のケア論であり,「医療・介護モデル」から「生活・関係モデル」へと,ケアの質の転換を体感できる思考のエクササイズ&人間関係のミステリーである。
著 | 岡野 純毅 |
---|---|
発行 | 2003年04月判型:B5変頁:176 |
ISBN | 978-4-260-33273-6 |
定価 | 2,200円 (本体2,000円+税) |
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- 書評
目次
開く
はじめに
第1章 げんり
第2章 あそび
第3章 ちほう
第4章 いやす
第5章 こころ
第6章 まなび
第7章 こども
第8章 じかん
第9章 ちいき
第10章 ねっと
補章 リハビリテーションの原初的課題
おわりに
引用・参考文献
著者略歴・ジグザグ人生面白がり記
第1章 げんり
第2章 あそび
第3章 ちほう
第4章 いやす
第5章 こころ
第6章 まなび
第7章 こども
第8章 じかん
第9章 ちいき
第10章 ねっと
補章 リハビリテーションの原初的課題
おわりに
引用・参考文献
著者略歴・ジグザグ人生面白がり記
書評
開く
オカノスミタケ,“関わり学”をかく語りき
書評者: 村上 重紀 (広島県・御調町保健福祉総合施設附属リハビリテーションセンター次長,作業療法士)
「こころ」はどこにあるのか? 私見では,人の場合,それは3か所に宿っており,胸と脳と「関係」にある。そして,「関係」の対象は他者,社会,森羅万象,そして自分自身である。
「閉じこもり」や「引きこもり」,「痴呆」を,人の「こころ」の問題とみてとれば,そのケアの要諦は“関係性”の構築にあるが,関わるほうにも「こころ」があるので,とても一筋縄ではいかない。その難解な作業を,時に奇妙な迷路に踏み込みながらも紐解いてくれるのが,ケアの世界における“関係性”へのアプローチを試み,ケアの場面での“関わり”を考えようとする本書である。
著者の岡野純毅さんは大学や専門学校で作業療法学を教えていた人である。現在は在野で,手と手舎発達研究所を主宰し,寝たきりや痴呆性老人のケアだけでなく,登校拒否や社会的引きこもりの地域化活動なども行なう行動派だ。
彼はひたすらケアのキーワードである「関係」に耳を傾ける,思いを馳せる。子どもたちのデイケアを立ち上げたり,精神科デイケアの若者と行商に出たり,阿蘇に山小屋を建てたりする。痴呆性老人の前では「祈り」のパフォーマンスで神を演じる。彼にとってはどの障害者もすべて生活者であり,その生活者としての「不自由さを楽に」するために,彼らが「自己の内的世界を変化させていけるような現実的な“関わり”を,さまざまに創意工夫し,働きかける」のである。
◆“関わり”をキーワードにケアを考え,試行する
本書は10章30節から成り,こうした実践の紹介とその論考とで編まれている。ケアに関わる者には各章とも興味深く,示唆に富んでいる。また各章のタイトルである「げんり」「あそび」「ちほう」「いやす」「こころ」「まなび」「こども」「じかん」「ちいき」そして「ねっと」というひらがな3文字の表題は,「関係」をお題にいただいたちょっと難解ながらも洒落た小噺(エッセイ)としてもおもしろい。また「関わり学の途中下車」というコラムも楽しく読める。
老人ケア,精神科リハビリテーションなど,施設や地域で看護・介護に関わるちょっと知的なあなた,そしてなによりぼくのようにぐーたらな作業療法士には必読だ。
「どうやら教育する側のゆるやかさが,学生ののびやかさを引き出すようなのだ」とか,「私が心血を注いでいるのは授業である」などの一節を通して,著者の教育に対する熱意と創意が並みのものでないことを納得させられるが,それでも岡野さんは教官の職から「途中下車」をして,地域活動に専念したり,時に文字通りの「引きこもり」生活を送った。本書の底流に一貫して感じられる「頼りない賑やかさ」のような雰囲気は,そうした岡野さん自身が織りなしてきた自らの「ジグザグ人生」(著者略歴による)に由来するものかも知れない。それは彼の「ヤマアラシのジレンマ」との共生による呵々大笑的孤独,とでも名づけるべきものである。
ニーチェの「ツァラトゥストラ」は10年間山に籠った。起稿から10年余の歳月を経て,岡野純毅さんは本書『老人ケアの関わり学』を持って町へ降りてきた。オカノスミタケ,“関わり学”をかく語りき。ぜひ一読をお薦めしたい。
書評者: 村上 重紀 (広島県・御調町保健福祉総合施設附属リハビリテーションセンター次長,作業療法士)
「こころ」はどこにあるのか? 私見では,人の場合,それは3か所に宿っており,胸と脳と「関係」にある。そして,「関係」の対象は他者,社会,森羅万象,そして自分自身である。
「閉じこもり」や「引きこもり」,「痴呆」を,人の「こころ」の問題とみてとれば,そのケアの要諦は“関係性”の構築にあるが,関わるほうにも「こころ」があるので,とても一筋縄ではいかない。その難解な作業を,時に奇妙な迷路に踏み込みながらも紐解いてくれるのが,ケアの世界における“関係性”へのアプローチを試み,ケアの場面での“関わり”を考えようとする本書である。
著者の岡野純毅さんは大学や専門学校で作業療法学を教えていた人である。現在は在野で,手と手舎発達研究所を主宰し,寝たきりや痴呆性老人のケアだけでなく,登校拒否や社会的引きこもりの地域化活動なども行なう行動派だ。
彼はひたすらケアのキーワードである「関係」に耳を傾ける,思いを馳せる。子どもたちのデイケアを立ち上げたり,精神科デイケアの若者と行商に出たり,阿蘇に山小屋を建てたりする。痴呆性老人の前では「祈り」のパフォーマンスで神を演じる。彼にとってはどの障害者もすべて生活者であり,その生活者としての「不自由さを楽に」するために,彼らが「自己の内的世界を変化させていけるような現実的な“関わり”を,さまざまに創意工夫し,働きかける」のである。
◆“関わり”をキーワードにケアを考え,試行する
本書は10章30節から成り,こうした実践の紹介とその論考とで編まれている。ケアに関わる者には各章とも興味深く,示唆に富んでいる。また各章のタイトルである「げんり」「あそび」「ちほう」「いやす」「こころ」「まなび」「こども」「じかん」「ちいき」そして「ねっと」というひらがな3文字の表題は,「関係」をお題にいただいたちょっと難解ながらも洒落た小噺(エッセイ)としてもおもしろい。また「関わり学の途中下車」というコラムも楽しく読める。
老人ケア,精神科リハビリテーションなど,施設や地域で看護・介護に関わるちょっと知的なあなた,そしてなによりぼくのようにぐーたらな作業療法士には必読だ。
「どうやら教育する側のゆるやかさが,学生ののびやかさを引き出すようなのだ」とか,「私が心血を注いでいるのは授業である」などの一節を通して,著者の教育に対する熱意と創意が並みのものでないことを納得させられるが,それでも岡野さんは教官の職から「途中下車」をして,地域活動に専念したり,時に文字通りの「引きこもり」生活を送った。本書の底流に一貫して感じられる「頼りない賑やかさ」のような雰囲気は,そうした岡野さん自身が織りなしてきた自らの「ジグザグ人生」(著者略歴による)に由来するものかも知れない。それは彼の「ヤマアラシのジレンマ」との共生による呵々大笑的孤独,とでも名づけるべきものである。
ニーチェの「ツァラトゥストラ」は10年間山に籠った。起稿から10年余の歳月を経て,岡野純毅さんは本書『老人ケアの関わり学』を持って町へ降りてきた。オカノスミタケ,“関わり学”をかく語りき。ぜひ一読をお薦めしたい。
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