考える看護
ナースのための哲学入門
考えるからこそ面白い。EBN時代のナースに贈る書
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身のまわりの卑近な事柄を根本から考え直してみたい。そんな欲求が人々の心をとらえている。看護する自分に、哲学はそのための力を与えてくれるだろうか。知識・科学・心・モラルといった主題にそって看護の主要な問題をとりあげ、哲学ならではの思索の道筋を示す。「考える看護」の面白さが実感できる「ナースのための哲学入門」。
著 | ジャン・リード / イアン・グラウンド |
---|---|
原著 | Jan Reed / Ian Ground |
訳 | 原信田 実 |
発行 | 2001年04月判型:A5頁:292 |
ISBN | 978-4-260-33132-6 |
定価 | 2,640円 (本体2,400円+税) |
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第1章 看護と哲学-概観
第2章 論理,議論,判断
第3章 知識について
第4章 科学(サイエンス)について
第5章 心について
第6章 モラルについて
第7章 政治について
第8章 言語について
第9章 オールドナーシングとニューナーシング
第2章 論理,議論,判断
第3章 知識について
第4章 科学(サイエンス)について
第5章 心について
第6章 モラルについて
第7章 政治について
第8章 言語について
第9章 オールドナーシングとニューナーシング
書評
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医療者の「考える」能力を磨くための哲学入門
書評者: 服部 健司 (群馬大助教授・医哲学,医倫理学)
類書を見ない本である。英国の看護学者と哲学者による共著が,適任の訳者を得て上梓された。「哲学入門」とは題されているものの,専門的な知識をただ羅列しただけの哲学の教科書とは異なって,かなり実践的な一書となっている。
本書のキーワードは,「消極的になれる能力」である。英国の詩人キーツの言葉であるらしい。それはもちろん,もの怖じしたり,優柔不断になったり,考えても仕方ないと諦めて慣習に従う,といったマイナスの能力のことではない。問いや悩みの卵を,いらいらしてかち割ったり,放り投げだしたり,他人まかせにしないで,自分で抱き温めつづけ孵化させることはどうやったらできるようになるのか。本書が全篇を通じて説き示しているのはこの一事である。現場で複雑な問題に多々直面する医療者に,冴えた手と温かい心の他に,「考える」能力が強く求められることは言うまでもない。しかし,無用な思考のもつれを避け,特定の立場に足元を取られることなく,建設的にきっちりと考えるためのトレーニングを積ませてくれる本というのはそうあるものでない。本書の狙いはまさにここにある。こけおどしや箔をつけるための哲学ではなく,自分で考える力を磨くための哲学の入門コースである。
著者らの語り口はやさしく,難渋な哲学用語もまったくといってよいほど出てこない。それでいて本書のレベルは決して低くない。そこで本書を読み進める上でのコツのようなものを書いておきたい。
◆哲学する楽しさ
まず第1章を一番後回しにすること。正しい議論の運び方の手練手管を丁寧に指南してくれる第2章も飛ばしてしまって,早速,第3章以降の,興味ある章にいきなり入られることをお勧めする。看護の知はどこから得られるのか,経験はどれだけ確実なのか。科学とは何か,看護は科学か。心とは何であり,患者が人格であるということはどういう意味か。倫理上の板ばさみにどう向き合えばよいのか。保健・医療サービス上,限りある人的・物的資源をどう分配したら公平と言えるのか。さらには医療現場における言葉の使用の問題。そして,本書の総括とも言える,職務遂行型の「オールドナーシング」と,個人のニーズに寄り添う「ニューナーシング」のそれぞれに対する批判的考察。いずれの章のどこから読みはじめても,そこにはものの考え方のヒントと哲学する楽しさがちりばめられている。
はじめに,類書がないと書いた。人名が冠されるような看護理論や特定の哲学の立場を強調したりしないで,多様な考え方を展望し,争点を明らかにするバランス感覚のよさ,あるいは著者らの誠実さ。いささか表層的な昨今の医療「倫理」ブームのさなかに,その根であるところの「哲学」に向かう姿勢。そして訳書ならではのありがたい追補であるが,日本語で読める参考文献の充実ぶりは特筆に値する。訳者の並ならぬ力の注ぎようがここからも十分にうかがい知れる。
英国ではこんな教育がなされているのか,と思うと,医学科で医倫理学と哲学・倫理学を担当し,今春からは保健学科大学院の授業も受け持つようになった教員として少しくやしい気持ちになる。これ以上にもっと工夫をこらしたコースを組み立ててみたいとも思う。もっとも,本書の原著が世に出てまだそれほど経っていない。推せば,かの国でも看護や医療を哲学と結びつけて考えようという試みは緒についたばかりのようである。この意味で,私たちは本書を通じて,臨床に即してものを考えようとする営みの,世界の第一線に身を置いているのだということを自覚してよいのではないか。本書から消化吸収できる事柄は多くあるが,私たちはさらにその先をめざしたいと思う。
タイトルには「看護」とあるが,本書の射程は狭く看護のみにとどまるものではない。医療教育者は言うまでもなく,ものを考えることが好きだ,きちんとよく考える方法を学びたい,けれどもいきなり哲学書に向かうには抵抗がある,という臨床現場の医療者の方にご一読をお勧めしたい。もし志を同じくする仲間が集まって,輪読会のようなものが開かれ,対話や質疑のやりとりのうちにゆっくりと読まれるとしたら,それはもう,本書の持ち味がこの上ないやり方で活かされるに違いない。
日常への内面的探究
書評者: 小玉 香津子 (名古屋市立大学看護学部長)
『考える看護』という書名が誤解を招くのではないか,心配である。行きあたりばったりではなく計画的に運ぶ看護を“考える看護”と呼んだいっときがあったからである。問題解決プロセスを使う看護をそうみなす向きもあったのではなかったか。本書の体を表わしているのは,副題「ナースのための哲学入門」であろう。
◆ナースのための哲学的思索の手引き
そう,本書はナースのための,哲学的思索の手引きである。1人は,大学の看護教員,もう1人は教養教育担当者であるらしい著者らは,「哲学が役に立つこと」を説き,「どんなことが哲学するということなのかを実際に見せること」を試みている。
なぜ,哲学か。それは,知識を所有し,もっぱらそれを使って外面的,解決的に行為することの限界を越え,知らないという状態で心を広く開いて内面的,探究的に行為する,つまり哲学する,そうした態度あるいは精神が人間の条件であることをわれわれが忘れがちな現代だからである。
なぜ,「ナースのため」なのか。それは,看護の現場ではまさに,何かを知っているよりも,いまだ知られないものに自分を開いているほうが,あえて言うが,有用だからである。看護する日々には,経験の意味を問わずにはいられない出来事が目白押しであり,内面的,探究的に行為するのがナースの本分と言ってよいほどだからである。
ナースを哲学的思索に案内しようとして設定されたはずの本書の枠組は,「好ましく」ランダムである。9つの章がそれぞれほとんど独立しており,読者はどの章から読んでも,とりあえずどの章かだけを読んでも,それなりの道筋で「哲学」に近づくことができる。
1章「看護と哲学-概観」。「ナースが抱く問いは……本質的に哲学的な問い」であること,それらが調査や研究では解決できないのはなぜか,が語られる。「早わかり哲学の歴史」つきで,ウォームアップのこと。2章「論理,議論,判断」。哲学的思索の方法論である。3章「知識について」。すなわち理論について,である。ソクラテス,プラトン,デカルト,下ってあのナイチンゲールに色濃い経験論者らから実存主義者らまでに,「知識とは」をたずね,さて,「看護の知識の特性は」と読者を引きつける。以下,サイエンス,心,モラル,政治,言語の各々についてと章は続き,これらを哲学がどう説明するか,看護の場合の論点は何か,が示される。
最終章のタイトル,「オールドナーシングとニューナーシング」は「意訳」のようなのだが,これは看護史上19世紀と20世紀を分ける表現であること,また,このような新旧ナーシング対比は1960年代からリディア・ホールなどによって問われてきていることから,筆者は違和感を覚えた。しかし,ナースにとっては身を入れやすい問いの立て方である。この章には,知ることをもって満足せず,根本を考えようと誘う著者らの声がひときわよく通っている。世界は白でも黒でもなく灰色に満ちていて,答えを出せばそれはすぐ問いに変わるナースの日常への内面的探究をここに見ることができる。
各章ごとに参照文献ともっと知りたい人のための文献,それらのうちの邦訳のあるものが付され,加えて訳者推薦の参考文献,そのほとんどが入手容易な新書か文庫,という読者への格別の心配りを特記しておきたい。
書評者: 服部 健司 (群馬大助教授・医哲学,医倫理学)
類書を見ない本である。英国の看護学者と哲学者による共著が,適任の訳者を得て上梓された。「哲学入門」とは題されているものの,専門的な知識をただ羅列しただけの哲学の教科書とは異なって,かなり実践的な一書となっている。
本書のキーワードは,「消極的になれる能力」である。英国の詩人キーツの言葉であるらしい。それはもちろん,もの怖じしたり,優柔不断になったり,考えても仕方ないと諦めて慣習に従う,といったマイナスの能力のことではない。問いや悩みの卵を,いらいらしてかち割ったり,放り投げだしたり,他人まかせにしないで,自分で抱き温めつづけ孵化させることはどうやったらできるようになるのか。本書が全篇を通じて説き示しているのはこの一事である。現場で複雑な問題に多々直面する医療者に,冴えた手と温かい心の他に,「考える」能力が強く求められることは言うまでもない。しかし,無用な思考のもつれを避け,特定の立場に足元を取られることなく,建設的にきっちりと考えるためのトレーニングを積ませてくれる本というのはそうあるものでない。本書の狙いはまさにここにある。こけおどしや箔をつけるための哲学ではなく,自分で考える力を磨くための哲学の入門コースである。
著者らの語り口はやさしく,難渋な哲学用語もまったくといってよいほど出てこない。それでいて本書のレベルは決して低くない。そこで本書を読み進める上でのコツのようなものを書いておきたい。
◆哲学する楽しさ
まず第1章を一番後回しにすること。正しい議論の運び方の手練手管を丁寧に指南してくれる第2章も飛ばしてしまって,早速,第3章以降の,興味ある章にいきなり入られることをお勧めする。看護の知はどこから得られるのか,経験はどれだけ確実なのか。科学とは何か,看護は科学か。心とは何であり,患者が人格であるということはどういう意味か。倫理上の板ばさみにどう向き合えばよいのか。保健・医療サービス上,限りある人的・物的資源をどう分配したら公平と言えるのか。さらには医療現場における言葉の使用の問題。そして,本書の総括とも言える,職務遂行型の「オールドナーシング」と,個人のニーズに寄り添う「ニューナーシング」のそれぞれに対する批判的考察。いずれの章のどこから読みはじめても,そこにはものの考え方のヒントと哲学する楽しさがちりばめられている。
はじめに,類書がないと書いた。人名が冠されるような看護理論や特定の哲学の立場を強調したりしないで,多様な考え方を展望し,争点を明らかにするバランス感覚のよさ,あるいは著者らの誠実さ。いささか表層的な昨今の医療「倫理」ブームのさなかに,その根であるところの「哲学」に向かう姿勢。そして訳書ならではのありがたい追補であるが,日本語で読める参考文献の充実ぶりは特筆に値する。訳者の並ならぬ力の注ぎようがここからも十分にうかがい知れる。
英国ではこんな教育がなされているのか,と思うと,医学科で医倫理学と哲学・倫理学を担当し,今春からは保健学科大学院の授業も受け持つようになった教員として少しくやしい気持ちになる。これ以上にもっと工夫をこらしたコースを組み立ててみたいとも思う。もっとも,本書の原著が世に出てまだそれほど経っていない。推せば,かの国でも看護や医療を哲学と結びつけて考えようという試みは緒についたばかりのようである。この意味で,私たちは本書を通じて,臨床に即してものを考えようとする営みの,世界の第一線に身を置いているのだということを自覚してよいのではないか。本書から消化吸収できる事柄は多くあるが,私たちはさらにその先をめざしたいと思う。
タイトルには「看護」とあるが,本書の射程は狭く看護のみにとどまるものではない。医療教育者は言うまでもなく,ものを考えることが好きだ,きちんとよく考える方法を学びたい,けれどもいきなり哲学書に向かうには抵抗がある,という臨床現場の医療者の方にご一読をお勧めしたい。もし志を同じくする仲間が集まって,輪読会のようなものが開かれ,対話や質疑のやりとりのうちにゆっくりと読まれるとしたら,それはもう,本書の持ち味がこの上ないやり方で活かされるに違いない。
日常への内面的探究
書評者: 小玉 香津子 (名古屋市立大学看護学部長)
『考える看護』という書名が誤解を招くのではないか,心配である。行きあたりばったりではなく計画的に運ぶ看護を“考える看護”と呼んだいっときがあったからである。問題解決プロセスを使う看護をそうみなす向きもあったのではなかったか。本書の体を表わしているのは,副題「ナースのための哲学入門」であろう。
◆ナースのための哲学的思索の手引き
そう,本書はナースのための,哲学的思索の手引きである。1人は,大学の看護教員,もう1人は教養教育担当者であるらしい著者らは,「哲学が役に立つこと」を説き,「どんなことが哲学するということなのかを実際に見せること」を試みている。
なぜ,哲学か。それは,知識を所有し,もっぱらそれを使って外面的,解決的に行為することの限界を越え,知らないという状態で心を広く開いて内面的,探究的に行為する,つまり哲学する,そうした態度あるいは精神が人間の条件であることをわれわれが忘れがちな現代だからである。
なぜ,「ナースのため」なのか。それは,看護の現場ではまさに,何かを知っているよりも,いまだ知られないものに自分を開いているほうが,あえて言うが,有用だからである。看護する日々には,経験の意味を問わずにはいられない出来事が目白押しであり,内面的,探究的に行為するのがナースの本分と言ってよいほどだからである。
ナースを哲学的思索に案内しようとして設定されたはずの本書の枠組は,「好ましく」ランダムである。9つの章がそれぞれほとんど独立しており,読者はどの章から読んでも,とりあえずどの章かだけを読んでも,それなりの道筋で「哲学」に近づくことができる。
1章「看護と哲学-概観」。「ナースが抱く問いは……本質的に哲学的な問い」であること,それらが調査や研究では解決できないのはなぜか,が語られる。「早わかり哲学の歴史」つきで,ウォームアップのこと。2章「論理,議論,判断」。哲学的思索の方法論である。3章「知識について」。すなわち理論について,である。ソクラテス,プラトン,デカルト,下ってあのナイチンゲールに色濃い経験論者らから実存主義者らまでに,「知識とは」をたずね,さて,「看護の知識の特性は」と読者を引きつける。以下,サイエンス,心,モラル,政治,言語の各々についてと章は続き,これらを哲学がどう説明するか,看護の場合の論点は何か,が示される。
最終章のタイトル,「オールドナーシングとニューナーシング」は「意訳」のようなのだが,これは看護史上19世紀と20世紀を分ける表現であること,また,このような新旧ナーシング対比は1960年代からリディア・ホールなどによって問われてきていることから,筆者は違和感を覚えた。しかし,ナースにとっては身を入れやすい問いの立て方である。この章には,知ることをもって満足せず,根本を考えようと誘う著者らの声がひときわよく通っている。世界は白でも黒でもなく灰色に満ちていて,答えを出せばそれはすぐ問いに変わるナースの日常への内面的探究をここに見ることができる。
各章ごとに参照文献ともっと知りたい人のための文献,それらのうちの邦訳のあるものが付され,加えて訳者推薦の参考文献,そのほとんどが入手容易な新書か文庫,という読者への格別の心配りを特記しておきたい。
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