病理形態学で疾病を読む
Rethinking Human Pathology

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一片の材料を手掛りに、得られた臨床情報との緻密な照合。点在する情報を結びつけていく劇的な推理。臨床診断を支援する病理の真髄がここに。精選のCPC症例をもとに、診断に至る思考プロセスを詳解する。臨床医としての診断能力を飛躍的に向上させる本書を医学生、研修医のときに読む意義は深い。しかし、実は臨床経験の豊かな医師であればあるほど、本書の読み応えに満足していただけるであろう。
井上 泰
発行 2009年02月判型:B5頁:352
ISBN 978-4-260-00741-2
定価 9,240円 (本体8,400円+税)

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はじめに

 医療行為は,思いもよらず具体的な病気に見舞われた一個人との出合いから始まる.これは,おそらく間違いのないことだろう.その診断と治療を直接担う医師にとってとりわけこの事実は明瞭であり,しかも,この厳しい現実から放射される多義にわたる訴えと共感,そして怒りから,その担当医師は我が身をそらすことはおそらく出来ないだろう.だから医師を生業とする事は端から重く辛いものであり,そのような宿命を背負っている.と,筆者は思っている.このように医師の存在を定義するとき,医師は何を以って自らの幸せを考えるのかという,いわば,人間としての当然の要求と目的,強いていえば自らの矜持の有り様を模索せずにはおれまい.銭には変えられぬその矜持を持ちたい.そのような思いが,この書物を書き刻む筆者の根底にある.
 8年3か月の内科臨床にピリオドを打ち,人体病理学を基礎から学ぶために東京大学医学部病理学教室の門を叩いたのは1985年(昭和60年)である.何故,その門を叩いたのか.それは,当時,胎児から100歳老人までの解剖が可能で,しかも,その手技と解析がしっかりと学べる場所は,東京大学医学部病理学教室をおいてなかったからだ.その後,6年間,その期待と認識は間違っていなかった.浦野順文教授をはじめとする多くの先輩が,まさにスーパーバイズにふさわしい暗黙の厳しい学習環境を醸し出しており,その緊張の中で,濃厚な人体病理学の学習を重ねることができたのである.しかも,この6年という時間は,昭和から平成へと歴史が激しくうねった時期と重なっているわけで,自らが求めた人体病理学の基盤にたつ臨床医学への方向に,その学びのエネルギーを与えてくれたかにみえる.
 1991年(平成3年),東京厚生年金病院に入職.爾来,しこしこと,臨床病理検討会(CPC)を重ね,2008年9月で135回となる.都心の,そのまたど真ん中にある病院でありながら,そこには,不思議に治療と無縁な多彩を極める症例の数々がある.まさに,それは,老いも若きも渾然一体となった人々の群れとして我々の前に現れるのであり,本音の勝負を担当医師に求めて来る.そのかけがえのない症例群の中から精選した160を越す事例をCPCで扱ったことになる.
 第1回CPCは1991年5月.その俎上に乗せたのは,自ら解剖した妊娠29週多発奇形の1,490g死産女児.先天性・胞腎,後頭部髄膜脳瘤,前脳胞形成不全,菱脳形成不全,先天性肝線維症,多指症をみた常染色体劣性遺伝疾患,典型的なMeckel-Grüber症候群であった.産婦人科と小児科の参加は当然ながら,多発性・胞腎のプロトタイプとしての先天性・胞腎,肝線維症のプロトタイプとしての先天性肝線維症は内科・外科・泌尿器科医に,解剖時,軟線撮影した多指症は整形外科・形成外科医に,脳奇形は脳外科医に,さらに,妊娠早期の超音波診断が可能なことから,超音波検査士および放射線技師に,と,声をかけ,様々な診療科の多くの医師とコメディカルの参加のもと,熱心な議論が展開されたあの日.その光景が,今でも,鮮やかに蘇ってくる.
 しかし,この事例は,それで終わったわけではなかった.2年8か月後,3回目の妊娠.そして,それは,Meckel-Grüber症候群であった.妊娠16週死産.女児.先天性肝線維症を欠く以外,先回の死産女児と全く同じ病理解剖所見が確認されたのである.Meckel-Grüber症候群は再発率が25%といわれている.連続して同様の死産を経験した母親,その75%の確率にかけたこの母親の生き方を目の当たりにして,複雑な思いに駆られないわけにはいかなかった.そのこともまた,おそらく,筆者のこの症例の記憶を明瞭なものにしているのだろう.
 とまれ,その後,CPCは,主に,病理科と放射線科の合同開催という変則的な形態をとったのだが,それは,人体の全てを対象にしている科は病理科と放射線科であるという筆者の思いによる.それを,90分間という制限した時間の中で研修医を巻き込み,いわば,臨床と画像と病理組織のシャワーを浴びせるという手法で展開したのだった.精神科を含む全ての臨床科の症例が対象となった.臨床が診断に苦慮している症例はいつでもリアルタイムにその対象となった.だから,わずか一片の生検材料もその対象となった.病理科もまた,生きた人間に対処している臨床科と同じように,乾きものではなく,生ものの世界に参加したかったからである.

 この東京厚生年金病院CPC症例を基礎に置き展開したのが本書である.臨床と人体病理を一連のものとして捉えたいがために,意図的に,肉眼解剖とルーペ像をふんだんに用いた.それは,CTやMRIといった飛躍的な解像度の進歩をとげつつある画像診断では決してその実像に迫ることのできない,バーチャルではない,色と臭いと手触りのある生の人体病理形態からの疾病理解をあくまでも追及したい筆者の意思である.だから,それは,はからずも病気を背負ってしまった人間,その疾病の具体的な内容に,病理形態というどうしようもない決定的なエビデンスを携えて迫ろうとするものとなる.
 一個の遺伝子の異常,一個の異常細胞の解釈ではなく,トータルとしての人間の疾病を捉えたいという,強い思いがある.だが,しかし,手に入れた病理形態が,即刻,診断に直結するとは限らず,病理形態がその症例の診断において主役を演じるのは,腫瘍診断を除けば,むしろはなはだ少ないことをしっかり認識しておかねばならない.病理形態というエビデンスは,臨床像との多角的で総合的な判断の中においてのみ意味をなすのである.ましてや,一つの症例の病理形態から全てを俯瞰するなど,所詮,無理な話である.

 近代医学がそれなりの形をなして経過した時間を100年とするなら,その間に山と積まれた夥しい研究論文の数々.その中から,最も,その症例にとって重要な論文を抽出することは,大変難しいことはわかっている.それでも,しかし,あえて,筆者の目を通し,必要と直感的に感じた多くの論文を引用させて頂いた.そして,筆者の出会った具体的な事例の経験と想像力をその引用した論文と混ぜ合わせ,考察やAddendumを展開した.様々なご批判が在ることは,当然.多くの,御叱責,そして,御教示が頂けますことを.
 CPCの開催維持に関して,多くの東京厚生年金病院のスタッフにお世話になったことを記しておかねばならない.とりわけ,放射線科部長伊藤晴久先生,同医長市場文功先生,皮膚科部長南光弘子先生,同医長池田美智子先生,そして,生理検査室石崎一穂臨床検査技師,わが病理科の臨床検査技師である菅沼麗桜,川口洋子,笹瀬隆司,菊池浩二,田邉一成の諸君に深く感謝したい。
 そして,医学書院編集部青戸竜也氏はエディターとして,筆者のペースを乱すことなく的確で完璧に近い支援をいただいた.本当にありがとう.最後に,筆者の背中を時には押し,しかし,いつも背中を支え続けてくれた妻と子供達への深い感謝の思いを,ここに刻むことをお許し願いたい.

 2009年1月
 東京厚生年金病院 病理科にて
 井上 泰

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Chapter 1 Case 1 とりあえず“出べそ癌”と名づけておこう
Chapter 2 Case 2 原発不明癌 この癌細胞はどこからきたのか?
Chapter 3 Case 3 不明熱,腰痛,歩行困難,進行する腎機能障害
Chapter 4 Case 4 大量腹水と発熱,意識障害が出現した
Chapter 5 Case 5 2歳6か月の男児が色素性蕁麻疹の臨床診断で来院した
Chapter 6 Case 6 薬物でコントロールできない頑固な慢性水様性下痢
Chapter 7 Case 7 こんなところに腫瘍が…(その1)
Chapter 8 Addendum 1 血管内に確認された子宮内膜組織
Chapter 9 Addendum 2 Epilogue of the Endometriosis
Chapter 10 Case 8 血痰,喀血,そして突然死
Chapter 11 Case 9 こんなところに腫瘍が…(その2)
Chapter 12 Case 10 ゆるやかに進行する呼吸困難
Chapter 13 Addendum 1 effusive-constrictive pericarditisという病態
Chapter 14 Case 11 1回だけの血痰.そして変動する肺野異常影
Chapter 15 Addendum 1 ANCAという検査マーカー
Chapter 16 Addendum 2 彷徨うANCA
Chapter 17 Case 12 慢性副鼻腔炎術後,蕁麻疹・腹痛・紫斑・関節痛
 そして血尿・蛋白尿
Chapter 18 Addendum 1 IgAの呪縛
Chapter 19 Addendum 2 Henoch-Schönlein紫斑病の腎臓障害を具体的に知る
Chapter 20 Case 13 疼痛を伴った肢端紫藍症で始まり,壊疽へ,そして指趾切断
Chapter 21 Case 14 HCV陽性肝硬変肝に出現した結節
Chapter 22 Addendum 1 純粋形態学的にみるとこの肝細胞癌は
 フィブロラメラ肝細胞癌に似ている
Chapter 23 Case 15 入院時,彼は『すでに身体は死んでおり,脳だけで生きていた』
Chapter 24 Addendum 1 われわれは,Kさんを救うことはできただろうか?
Chapter 25 Case 16 下部食道の粘膜生検で腺癌が出た
Chapter 26 Addendum 1 昔の姿をみる
Chapter 27 Addendum 2 これは使えるかもしれない
Chapter 28 Case 17 中学生男子が,鼻血が止まらないと受診した
Chapter 29 Case 18 左腰部疝痛発作起こる.1回目は耐えたが,2回目は無理だ
Chapter 30 Addendum 1 血管筋脂肪腫は本当に腫瘍なのか?
Chapter 31 Addendum 2 結節硬化症とはどのような病気なのか
Chapter 32 Case 19 上部消化管造影検査で,胃の壁外性圧排像を指摘された
Chapter 33 Case 20 伯父に肝細胞癌の家族歴をもつ29歳男性
Chapter 34 Addendum 1 限局性結節性過形成と線維層板型肝細胞癌と
 海綿状血管腫をつなぐ糸
Chapter 35 Case 21 それは軽い息苦しさから始まった
Chapter 36 Case 22 人間は,ここまで耐えられるのか?
Chapter 37 Addendum 1 メラノーマ血行性転移の実相
Chapter 38 Addendum 2 メラノーマ垂直浸潤の病理組織学モデルと分子生物学モデル

本書掲載の図・表タイトル一覧
索引

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物語を読むように,一気に読んでしまう
書評者: 今井 康雄 (獨協医大越谷病院准教授・病理学)
 井上泰先生は関西地方で内科医として研鑽を積まれた後に人体病理学を志して上京され,東京大学医学部病理学教室に入局されました。私も内科出身ですが,縁あって平成8年に1年間井上先生から人体病理学を教わりました。先生からは,事実をありのままに見よ,ありのままに記載せよ,作文をするな,とよく言われました。先生は大変な勉強家であり『Human Pathology』『The New England Journal of Medicine』『nature medicine』に毎号目を通されていました。

 当時既に画像診断の進歩は著しく,検査結果と画像があれば診断と病態把握は十分だという風潮がありました。しかし,白黒画像を見てわかったようなつもりでいても,先生の実践的かつ的確な診断と考察により,わずかな組織検体から臨床診断と治療法が根底から覆っていく人体病理学のダイナミズムを目の当たりにし,眼前から霧が晴れるような思いをしたのが昨日のことのように思い出されます。

 その井上先生がこのたび『病理形態学で疾病を読む―Rethinking Human Pathology』を上梓されました。本書は東京厚生年金病院で行われた臨床病理検討会の症例を解説し,文献的考察を加えてまとめたものです。よくありがちな,既にある教科書の切り貼りではなく,最初から最後まで先生ご自身が経験された症例が先生ご自身によるオリジナルな文章によって記述されています。東京厚生年金病院のような都心の病院で,かくも奇怪な病気があるのかといった複雑な病態をきれいな写真をふんだんに用いて解説してあり,良質の疑似体験が可能になっています。個体という小宇宙の中で起きているさまざまな病態を深く洞察し,有機的に関連付けて理解し,複雑なパズルを解きほぐしていくように読者にわかりやすく解説されてあります。

 さらに,古くは百年前から現代の最新の関連文献までを深く読み込んだ解説が加えられています。それは古典的病理形態学から発生学,生理学,生化学,最新の分子生物学に及び,極めて高度な内容にもかかわらずふんだんな挿話とユーモラスな文体によってわかりやすく解説されています。物語でも読むように一気に読み抜けてしまう内容です。この書は医師向きの医学解説書であるとともに,登場する患者や文献を執筆した医学者の人生物語でもあります。その背景には病める人に対する畏敬と愛情がちりばめられています。

 よくある病気であっても患者の性格や生活環境,治療による修飾などが加わって病態は一人ひとり異なります。忙しい医師は診療に慣れてくると,おざなりの診察とうわべのデータチェックだけで隠れた疾患や病態の有機的なつながりを見落とし,対症療法のオンパレードに陥る可能性があります。そのようなときにこの書を読めば,患者から学ぶ,すなわち患者を全体として診る,丁寧に所見をとる,文献を読み込む,考える,そして患者にフィードバックするといった臨床医学の王道に再び立ち戻ることになるでしょう。
読むCPC,読む抄読会
書評者: 小田 秀明 (東京女子医大教授・病理学)
 深緑色のカバーで覆われた本書の表紙には,著者である井上先生の手描きのイラストが2つ描かれている。バレット食道に出現した腫瘍と血管内膜から発生した腫瘍である。自ら描いたこれら2つの病変がRethinking Human Pathologyという文字を,挟んで,包み込んで,にらんでいる。そこに,著者のHuman Pathology(人体病理学)への思いが凝集しているようである。良い医師を育て,より良い医療を行うために,もう一度Human Pathologyを考え,こつこつと手書きの,手作りの教育を展開したいとの思いを感じる。

 「はじめに」をまず読んでもらいたい。よく目にする型にはまった「はじめに」ではない。飛ばさずに,丁寧に読んでもらいたい。そうすることによって,既に医療や医学に携わっている人は自分自身のこれまでの人生を反省することになるだろうし,研修医や学生は将来の自らの姿を想像し,医師として生きるということの意味を考えさせられるのである。

 内容は,38のチャプターに分かれ,いずれも良質のCPCや抄読会に参加しているような心地よさがある。CPC形式の症例提示では,臨床と病理がお互いに活発に議論し,画像や検査結果を吟味し,参考文献に当たり,真実に向かって突き進んで行こうという活発なCPCの真っただ中にいるような気分になる。もちろん書名にあるように病理形態学が主体ではあるが,臨床経過や画像を含めた検査結果の読みは適切で深く鋭い。それは熟練の臨床医に匹敵する。本書で扱われた症例が東京厚生年金病院のCPC症例を基本としているとしても,ここまで鋭く深い臨床データの読みができる病理医は全国を探してもそうはいないだろう。

 病理像の提示も,また,極めてユニークである。肉眼像,ルーペ像が多いのである。最近の病理学の書物には少なくなったが,まじめに形態学をみている病理医にとっては,これら肉眼像やルーペ像が形態学の基本であることはよくわかっている。そういう基本を見直そうと著者は自ら示しているかのようである。極めて多忙で本書を通読できない方には,チャプター12,13の慢性収縮性心膜炎の症例と,チャプター23,24に提示された摂食障害の症例に目を通すことを勧めたい。もっとも,これら2症例を読み終えたときには,すべての症例を読まずにはいられなくなるだろうが。

 症例提示ばかりではない。症例の病変に関連して,文献的考察が展開されていく。これらもいくつかのチャプターを構成している。自らの目とルーペ像を頼りに,子宮内膜症の成因に迫ろうとしたSampson,ANCAと補体および腎炎をめぐるJennetteらの研究,そしてClarkとMillerのメラノーマにおける病理組織学的・分子生物学的研究の総体。仕事の内容に関しては丁寧に原著に当たり,かみ砕いた解説がなされている。

 ユニークな点は仕事の内容ばかりでなく,その研究者たちが生き生きと描かれていることである。肉声が聞こえるように描かれたこれらのチャプターを読みながら,同じ症例で悩みながらそこで生じた疑問を世界的な仕事に発展させた人々に思いをはせるのである。

 このように,本書はユニークな内容と構成を持つ,読むCPC,読む抄読会とも言うべきものである。不自然さを感じないその構成も,的確に見るべきものを提示する画像も見事である。1人でこの広範かつ深遠な内容を書ききったことに敬意を表したい。本書はすべての医療人に読んでいただきたい名著である。
「決定版! 文系の病理学!」
書評者: 清水 誠一郎 (公立昭和病院病理診断科部長)
 いささか乱暴ながら,世に謂う理系をヒトとモノとの関係論,文系をヒトとヒトとの関係論と分類出来るなら「決定版! 文系の病理学!」。これが私の考えた本書のキャッチフレーズです(著者も出版社も絶対に受け入れないなとは思いますが)。また,日本語で文系の学問といった場合,文学,哲学,政治学,法律学,経済学,心理学など,多様な学問・(一部の)芸術が含まれ,言い換えれば叙情的なもの,合理的なもの,あるいは科学的思考法までが含まれますが,そのすべてが本書にはあります。

 本書の対象は生身の,全体としての人間であり,そこから説き起こされる,医師をはじめとする医療従事者と患者との,ヒト対ヒトの関係論です。厳密な臨床医学的な記述,肉眼所見とルーペ所見を中心としたきれいな病理形態写真とその的確な説明,豊富な文献渉猟とそのユニークな紹介,著者の手による(かわいい,失礼!)イラスト,果ては小説化などで多彩に描かれています(もちろん最新の分子生物学などの成果も多数取り入れてあります)。本書の腰巻には「推理小説を読んでいるかのような病理学!」とありネタばれになるので内容に触れることができませんが,「診断にいたるプロセス」はまさに名探偵の謎解きを思わせるスリリングなものであり,著者の明敏で合理的な頭脳を反映しており,一方,通常の病理学の本では触れられることのない患者さんの心の襞の奥にまで踏み込む描写,分析があり,これは後期エラリークィーンの描く一人の人間として悩む名探偵の如き著者の姿を彷彿とさせられます。

 本書は1991年より始まり昨年135回を数えた東京厚生年金病院におけるCPCを土台にして書かれており,もちろん,NEJMに掲載されるMGHにおける記録の如く,豊富なレファレンスとともに正統な学術書・病理学教科書として読むことが可能です(本書のサブタイトルは Rethinking Human Pathology です)。著者は医師としては私の先輩ですが,病理医としてはほぼ同じ年月を過ごしてこられています。本書読後にこのような浩瀚(本書にぴったりな表現と思います)な書物を書くことが出来た著者に心から尊敬の念を抱くとともに同じ年月を過ぎて不勉強・無自覚この上ない自分(なにしろ引用されている文献をほとんど読んだことがない!)を思うと赤面するしかありませんでした。他者を単なる手段としてではなく,また,目的として扱えというカントの倫理をもつ絶対的に自由なヘーゲルの精神が書いたとしか思えない「はじめに」からの少し長い引用を最後にお許し願いたい,これを読んで本書を読もうと思わない人はいないだろう・・・。 

 「医療行為は,思いもよらず具体的な病気に見舞われた一個人との出合いから始まる.これは,おそらく間違いのないことだろう.その診断と治療を直接担う医師にとってとりわけこの事実は明瞭であり,しかも,この厳しい現実から放射される多義にわたる訴えと共感,そして怒りから,その担当医師は我が身をそらすことはおそらく出来ないだろう.だから医師を生業とする事は端から重く辛いものであり,そのような宿命を背負っている.と,筆者は思っている.このように医師の存在を定義するとき,医師は何を以って自らの幸せを考えるのかという,いわば,人間としての当然の要求と目的,強いていえば自らの矜持の有り様を模索せずにはおれまい.銭には変えられぬその矜持を持ちたい.そのような思いが,この書物を書き刻む筆者の根底にある.」

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