無名の語り
保健師が「家族」に出会う12の物語

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児童虐待に秘められた苛酷な運命とは? アルコール依存症が破綻させた暮らしの行方は?――≪病んだ家族≫の真実の姿を熟練保健師が12編の物語に描く。対象を理解する技法、ケアシステムへと発展させてゆくケースワークの要点が随所に盛り込まれ、家族援助の真髄に触れることのできる卓越した援助記録となっている。
宮本 ふみ
発行 2006年10月判型:A5頁:224
ISBN 978-4-260-00352-0
定価 1,980円 (本体1,800円+税)

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はじめに
第1話 200X年4月 地域に埋もれた「アルコール依存症」の真実
第2話 200X年5月 ゴミ屋敷に住む兄妹を救出せよ
第3話 200X年6月 家庭内暴力に悩む父と母の実像
第4話 200X年7月 《家出少女》と《青年》と《母親》
第5話 200X年8月 「あの医者は許せない」と語る老人の半生
第6話 200X年11月 山のなかに暮らす家族、それぞれの苦悩
第7話 200X年12月 養育が放棄された家に生きる兄と妹
第8話 200X年1月 「アルコール家族」の絆が支える暮らし
第9話 200X年2月 機能不全家族が崩壊していく
第10話 198X年4月 ゆっくりと進む難病患者の看取り
第11話 198X年5月 《精神障害者の退院促進》と《家の事情》
第12話 199X年11月 「裏社会の女」の生き様に添う
解説

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書評 (雑誌『精神看護』より)
書評者: 米山 奈奈子 (秋田大学医学部保健学科臨床看護学講座精神看護学領域)
◆「患者」が病院にたどり着くまで

 「無名の人々」という言葉は、よく使われるものだ。しかし、文字どおり名前を持たない人はいない。昨年の秋、沖縄の平和祈念公園を訪ねる機会があった。海を見下ろす丘の上には、第二次世界大戦で亡くなった幾多の人々の名前が、黒御影石に刻まれている。彼らの名前は、広く一般には知られていない。でも、1人の人間として生き、その証を石に刻み、記憶を風化させまいとする人々がいる。人々には、1人ひとりに、固有の名前があることを忘れてはいけない。

 『無名の語り』は、保健師が地域で出会った「家族」の物語をつづったものである。保健師の仕事は「地域住民の健康を守ること」で、その対象はあらゆる年齢層に及び、健康に関わるすべての相談が持ち込まれる。しかし、私の過去の経験からも、圧倒的に多いのは精神保健に関する相談である。保健所は地域精神保健の第一線機関である、いや、今もそうあってほしいというのが私の願いだが、今の若い保健師はこうした先輩保健師の仕事をどう捉えるのだろう。また、35万床の入院患者をケアする精神科の看護者は、こうした保健師の仕事をどう理解し、地域の患者や家族への理解をどう深めるのだろうか。

 保健師に相談を持ちかけた「家族」が精神科の問題を抱えていても、当事者がその問題を認め、医療機関を受診することを決意し、「患者」になるまでにはいくつかのプロセスを経る必要がある。精神科の問題を抱えている場合は特に、周囲からの差別や偏見、社会経済的な問題、複雑な家族問題などを抱える場合が少なくない。それゆえ、精神科への受診に抵抗感を持ったり、躊躇する場合もある。また、当事者が自ら問題解決できるように相談支援をすすめることが重要だが、問題が複雑であるほど、当事者の傷つきが深ければ深いほど、支援を求める力が弱くなりがちだ。

 クモの糸が切れてしまわないように、対象者の全体像をアセスメントできる能力が高い保健師ほど、こうした対象の兆候を捉え、適切なケアに結び付けるがために、行政の中ではチャレンジを強いられる。「そこまでしなくてもよいのでは」という声も、聞かれるかもしれない。しかし、「そこまでしない」ことは、結果的に対象者を見捨ててしまうことになる場合もある。

◆「ゴミ屋敷」に埋もれた心の病

 この本に収められた12編の物語の中の第2話を紹介しよう。タイトルは「200×年5月――ゴミ屋敷に住む兄妹を救出せよ」である。ある日の保健師の仕事が淡々と描かれている。

 約束なしで相談に来所した50歳代の女性が、貧血について聞きたいとのこと。しかし、実は20歳を超える娘の極端な痩せが心配だという話に行き着く。摂食障害らしい状態にあることを予測し、宮本保健師はさらに「ご心配なことは別のところにもおありでは?」と畳みかける。相談者は、別の心配を見抜いた保健師に瞬時に信頼を寄せ、娘が自傷行為を繰り返していたことを話しはじめた。保健師は相談者の提供する情報から状況を把握し、保健所で対応できることや、相談者が選択できうる情報をかき集め、提示する。

 相談が一段落し、地区担当保健師に申し送ろうと記録を整理している最中に、「ゴミ屋敷」に関する苦情の電話が入った。保健所には、生活に関するさまざまな相談とともに、苦情も持ち込まれる。こうした苦情は最初、食品や環境の衛生担当部署あてであることが多いが、精神保健の問題が疑われた場合には即座に保健師に回されるのだ。

 苦情の内容は、「団地の一角のある家から悪臭が漂っていて、その家の住人はどうやら心の病気を患っている様子。保健所で何とかしてもらえないか、すぐ来てもらえないか」というものだった。その日の午後、宮本保健師は、保健所内で精神障害者の家族会を担当することになっていた。4時以降でもよければ、と訪問を約束する。

 家族会では、「高齢者の繰言」といいつつも家族の傷つきに耳を傾けていた。繰言としてしか表現できない、家族の悲しみや、無念さ。親たちの負のエネルギーに引き込まれそうになる一方で、「これではいけない、彼らのそれでも生きていこうとする、彼らの中にある正のエネルギーを見出さねば」と心を奮い立たせるのだった。

 その後、いよいよ団地の苦情主のもとへ。このような場面では、何でも行政にと依存しそうになる住民の話をじっくり聞き、行政にできることとできないことを明示し、問題解決の可能性をともに探らなければならない。ゴミ屋敷の住人である兄妹が精神的な問題を抱えているらしく、母親も精神疾患で入院しているようだという情報を得ると、宮本保健師はすぐにその家を訪問する。兄妹のコミュニケーションの疎通性を確認しながら話を聞き、その生活のしにくさに思いを馳せ、宮本保健師は2人に大掃除をしてゴキブリやダニを退治しましょうと提案する。皮膚の化膿や不眠を話題にしながら精神科の受診もすすめると、思いのほか兄妹はあっさりと提案を受け入れてくれた。

 その後、この2人を取り巻くさまざまな関係機関と連携をとり、ゴミ掃除のXデーに向けて準備が進められる……。

 というように、物語は進んでいく。「ゴミ屋敷」だけでは、どうしてそれが保健師の仕事なのかと、いぶかられるかもしれない。しかしこうしたケースでは、私にも経験があるのだが、「自分たちだけではどうにもできない精神保健上の問題」の結果としての「ゴミ屋敷」であることが少なくないのである。

◆患者の退院後の生活を想像する力

 精神科の病棟では、「患者」にはすでに診断が下され、病棟という規範の中でケアが行なわれる。患者は、病棟の管理下に置かれている。患者も短期間、あるいは期間限定という理解のうえで、看護者や医療者に対応している場合があるだろう。また看護者のケアは看護問題のみに集約され、社会経済的問題や家族問題、あるいは退院後の生活にかかわる問題については、ソーシャルワーカーや心理士などがいる場合は、そうした他職種に委ねられることが多いかもしれない。

 そうしたシステムの中では、看護者は患者の「抱えている問題」を患者とともに共有し、病とともに問題に向き合うチャンスには恵まれないだろう。そうした問題にかかわることを、「看護の仕事ではない」とか「面倒に巻き込まれることだ」として、よしとしない風潮も一部にあるかもしれない。しかし、そうした患者自身が病とともに自らの人生を建て直し、生きる力を取り戻すプロセスにおいて、看護者がただ側にいるだけであっても、それが看護でないとは私は言わせない。看護者自身が自らの持てる役割に気づいているか、そして、やがては退院する患者(現実には退院できない患者であるとしても)の生活について、看護者が想像力を持てるかということだ。

 保健師は、患者や住民の生活の場に足を運び、彼らの視点でともに考える。注射も頓服も持ち合わせていないし、ただ血圧計と、相手の気持ちを推し量る話術とアセスメント能力、そしてさまざまな機関をつなぐネットワーク能力が武器となる。もちろん、「家族」は保健師の意のままにならないし、根気強いかかわりを持って信頼関係を築いていくしかない。

 多くの看護者にこの本が読まれ、精神科の患者が治療にたどり着く前にこうした物語を紡いでいるかもしれないこと、そして、退院後の患者の生きる世界が看護者のかかわりによって変わる可能性を秘めていることなどに、ぜひ気づいてほしいと思う。そうすることが、若くして逝ってしまった著者への弔いとなるであろうから。
事件は現場で起きている! (雑誌『助産雑誌』より)
書評者: 大田 えりか (東京大学大学院生)
 今,地域社会で「家族」に何が起こっているのだろうか。少子高齢化,核家族,虐待やネグレクト,家庭内暴力,精神疾患,引きこもり,アルコール依存症など,地域に暮らす人々の健康問題も複雑で,より深刻になってきている。地域社会の「家族」の問題は,助産師も理解を深めていかなければならない課題である。保健師の間で,最近話題になっている本を紹介したい。

 本書では,自分たちの手で解決できなくなった経済,社会,教育など複合問題を抱え困窮する人々が,著者であり,保健師である宮本さんの前に相談者として現れる。その「無名の語り」との出会いから関係を構築し,ニードの明確化,必要に応じた毅然とした介入,隠蔽された問題を引き出す直感や手腕は卓越している。法律や制度など,社会資源をつないだネットワークの構築など,どんな困難にもあきらめずひたむきに悩みながらも奔走する著者の姿が描かれている。

 12編の物語は1章で1つの話が完結するようになっており,まるでテレビドラマを見ている感覚で,本のなかに吸い込まれるように読み終えた。ゴミ屋敷に住む兄妹救出大作戦,家庭内暴力に悩むエリート両親,ネグレクトに生きる兄と妹,機能不全家族の崩壊,難病家族の看取り,裏社会の女の生きざまという実話を,宮本さんと共に,腹を立てたり,喜んだり,反省したり,苦悩しながら,地域での援助活動をリアルに追体験できる。

 看護に正解はない。だからこそ,自分自身に真摯にこれで本当によかったのかどうかと問い続ける。対象の深い理解をもとに活動を展開していく卓越さと,彼女の情熱がまわりに伝染しネットワークを育て地域のインフラとして根付かせていく姿は,芸術作品を見るようである。

 文章は引き込まれるように読みやすく,プロの小説家が書いたのかと思った。宮本さんは新聞記者を目指して同志社大学文学部を卒業されているとのこと,その文才に納得した。その後,重症心身障害者施設に就職し,看護職に進み,精神科病院に勤務した。宮本さんが保健師になったのは,34歳のときであった。51歳のときに進行性肺がんと診断され,やむなく地域活動の現場を退いた。5年間の闘病生活の間も,自宅に仲間を招いて地域保健活動の勉強会を続けた。

 この本は,自分の体験を現場で協働した多くの仲間に残そうと命がけで綴ったものである。貧困や病気で苦しむ家族はこれからも増えていくであろう。地域における保健師の役割は大きい。今は亡き宮本さんの情熱は消えることなく,この本を通じて多くの人々に受け継がれることだろう。

 地域で活動する人はもちろんのこと,病院でさまざまな家族に日々接している人にも,ぜひ手にして読んでほしい。
地域看護活動の経験知が集約された珠玉のテキスト
書評者: 三輪 恭子 (淀川キリスト教病院)
 「彼女の人生は何のためにあったのか。その答えようのない問いに憤っていたあの頃から,私は一向に成熟していない」――新人保健師時代のある家族との出会いを回顧し,著者は呟く。彼女が見つめるのは,病を抱え市井にひっそりと暮らす人々の生活だ。

 本書は一人の保健師の実践録であるばかりではなく,複合する問題に苦悶する家族の痛切な叫びでもある。深刻な障害を背負った3人の息子を持ち自らも難病を発病した母の悲運,スモンと認定され国の補償を頼りに生活し自分を肯定する機会すら見出せなかった生涯を送る孤独な老人の無念,アルコール問題を持つ父親と崩壊していく家族が抱える苦悩。著者は背景にある家族の問題や社会病理を鋭く洞察する一方で,苛酷な状況に陥った人々の「語り」にただひたすら耳を傾ける。人が自分の物語を紡ぐことによって,その苦しみを自分の身から剥がす作業を助けるのである。

 ここで紹介される12編の物語は,決して特異なケースばかりではない。インテーク面接での技法や,医療機関や福祉職のみならず,学校や近隣の人々,時には宗教者も巻き込みネットワークを構築し協働する手法など,随所に保健師活動の真髄が散りばめられ,地域看護を志す学生や悩める実践者にとってうってつけのテキストとなっている。時にいかんともしがたい壁の前に立ちすくみ,しかし何とか解決の糸口を見つけ出そうと自問自答を繰り返しながら進んでいく著者の姿には深い共感を覚える。また,「保健師は終着駅に導く機関車の運転士のような存在ではない。慣れぬ旅先で待機している水先案内人であり,渡り舟の船頭であろう」「その人の回復を信じて待つというあり方は,何かを具体的に提示したり方向性を指示したりすることよりも,多くの心的エネルギーを要する作業である」など,示唆に富む指摘も多い。

 経験のなかで培われた対象との距離のとり方も絶妙だ。自己犠牲的に入れ込み過ぎて相手の依存心を引き出すことは好ましくないが,相互の信頼に基づく人間関係が築けなくては援助が成り立たない。相手の持つ力を見極め,保健師として何をすべきかを熟考する。時に病と共にひっそりと暮らしていけることが確認できれば静かにフェードアウトし,時にチャンスと見れば一気に接近する。地域で生活する人々との,気が遠くなるほど長期にわたる援助関係のなかで,気長に,一つひとつ丁寧に粘り強く問題に対処していく基本的な援助姿勢の大切さを,読者は改めて思い知る。

 本書は著者の遺稿となった。彼女は地域看護活動の可能性や克服すべき課題にも言及している。評者は地域看護に携わる一人として,身の引き締まる思いをし,新たな闘志をかき立てられた。
人はどのようにして生き,死んでいくのか,生の重さを綴る物語 (雑誌『保健師ジャーナル』より)
書評者: 平野 かよ子 (国立保健医療科学院公衆衛生看護部)
 この著書は16年間という必ずしも長くはない保健師経験をされた宮本ふみさんが,予後の悪い病と自らが宣告されたなかで,実践現場の楽しさやすばらしさと,1人ひとりの生き様の重さについて,まさに命を懸けて語ってくれたものである。

 朝出勤してどのように1日が始まるのかといった保健師の日常をリアルに描き,初学者の保健師や一般の方にぜひ読んでほしいものであるが,それだけではない。どの事例もある意味では複雑困難な事例であるが,事例に対峙する宮本さんの姿勢や対象の理解と洞察の鋭さ,関わりのタイミングの巧妙は,まさにベテラン保健師のあり様も伝えている。

 語られた事例のいくつかの結末は,事例の死である。ふみさん自身が強い治療の副作用に耐え忍び,自らの死を思いながら,保健師活動への熱い思いを冷静に書かれていることを思うと,この著書の大きさをどのように伝えたらよいのか,戸惑うばかりである。

 地域でさまざまな苦悩や困難を抱えて生活する人々を支えることは,到底保健師1人の力でできるものではなく,支援スタッフ以外にも身近なさまざまな人が加わったケアネットワークなくしてできるものではない。この支えの輪をつくることに保健師の活動の本質がある。彼女はそのことを,事例をとおして伝えてくれている。また,地域で生きる人々のあり様として,「素朴な人が天地の知恵を手に入れたときは強靭である。実生活から紡がれた知恵は,専門家が提供する知識に優る」が,「いくら強い人だって,自分の存在を評価して労ってくれる人がいなければ,いつかは疲れ果てる日がやってくる。ときには愚痴をこぼし,ため息をつきたいだろう。そんなちょっとした逃げ場があって,人は明日への気力を再び持つことができるのだと思う。誰もがそんなふうに支えられている」と書いている。

 そして,彼女が心底伝えたかったことは,人はどのようにして生き死んでいくのか,そして,とくに何重もの苦悩を負わされて生きる名もない市井の人,1人ひとりの生の重さだと思われる。障害の子どもをもちながら神経難病で亡くなった事例では,「彼女の無念を,人知れずひっそりと逝ったその生の重さを,沈黙の闇に沈ませたくなかった…課せられた過酷な運命と戦う力を奪われ,動かなくなる身体で事の成り行きに身を任せることしかできずにいた彼女は,わが無力さを突きつけられただけではないか。私は,彼女の話を聞くことしかできなかった…背負いきれない不条理をその小さな体に背負って(彼女が生きてきたこと)を証言すること,それが彼女に関与させていただいた者にできるせめてもの感謝のしるしである」とまとめている。

 ふみさんは,この事例と自分とを重ねていたのではないだろうか。初心であったジャーナリストであることを,彼女は,保健師であることをとおして実現されたのだと思う。ふみさんが保健師という職業を選択してくれたことに限りなく感謝したい。

(『保健師ジャーナル』2006年3月号掲載)
「在家信者」にも読みやすい在宅ケアの本
書評者: 宮子 あずさ (厚生年金病院神経科/緩和ケア病棟 看護師長)
 正直に言いますが,私は在宅ケアにかかわる看護職の「熱さ」に,自分とは異質のものを感じています。心から尊敬するが,自分には絶対にできない――。保健師や訪問看護師のかかわった事例に触れるたび,そんな感想を持つのです。そしてそこには,公私ともに人との距離が詰め切れない,自分自身の弱点への引け目もあると思います。私は人の家に行ったり,自宅に人を呼んだりするのが得手ではありません。他人とは距離をとりがち。ましてや患者さんとのかかわりでは,その傾向が顕著です。

 その一方で,今は国の財政難もあって,看護の場は施設から在宅にシフトしていきそうな気配もある。こんな私でいいのかしらという思いを,時折抱いてしまいます。私も人の家に行ってケアをする気概を持たなければいけないのか? それは私にとって,非常に難しいことに思えました。

 あるときこの気持ちを共に働くスタッフに話したところ,こんな答えが返ってきました。

 「宮子さん,それは出家信者と在家信者の違いですよ。私らはしょせん在家。出家している人にはかなわないのです。在家は在家でいいじゃないですか」

 これを聞いて,私はなるほど! と手を打ちましたよ。そうか,自分は在家信者としてがんばればいいのだ。一気に気が楽になりました。

 この本の12の事例を読んでも,やはり自分にはできないことをしている人だなあ,という感想は浮かんできました。ただ,これまでに読んだどの在宅ケアの事例よりも,この本はさらりと読めました。私のような在家信者にも読みやすい本。ほどよい温度の本。これは在宅ケアを知るうえで,貴重な著作だと思います。

 そしてこの特徴は,著者自身の人間性もさることながら,その経歴にも多くを負っているのではないでしょうか。大学を卒業後,准看護師から保健師へと進学する約10年間,著者はいくつかの病院で働いています。事例の中には保健師の立場で病院と対立する場面も出てきますが,そこには相手の立場を思いやる気配が漂っているんですね。安直に正義を振りかざさない大人の感覚が,私には好ましく写りました。十分に在家信者を体験したあと出家したからこそ,彼女は私たちの感覚に近いのではないかと思います。

 このあたり,実際にお話を伺えたら良かったのですが……。残念ながら彼女は鬼籍に入られています。享年56。看護職として,大いに悩み,楽しんだ職業生活だったのではないでしょうか。多くの後輩を育てた方であったろうと推察いたします。本当にお疲れさまでした。心からのご冥福をお祈りいたします。

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