古武術介護入門[DVD付]
古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する
身体介助は「つらい」から「楽しい」へ。古武術の発想から生まれた、まったく新しい身体介助法!
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江戸時代以前の人々、中でも優れた武術家たちは、現代人には想像もつかない精妙な身体運用を行っていたという。武術研究者・甲野善紀氏に師事した介護士が提案する、古の身体技法をヒントにしたまったく新しい身体介助法「古武術介護」。書籍完全連動のDVD付で徹底解説!
●動画配信中! 付録DVDより一部をご紹介します。
(Windows Media Playerでご覧ください)
著 | 岡田 慎一郎 |
---|---|
発行 | 2006年08月判型:B5頁:128 |
ISBN | 978-4-260-00295-0 |
定価 | 3,300円 (本体3,000円+税) |
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- 目次
- 書評
目次
開く
推薦の序(甲野善紀)
はじめに
付属DVDについて
第1章 古武術介護の考え方
第2章 古武術介護の6つの原理
原理その1:揺らしとシンクロ
原理その2:構造
原理その3:重心移動
原理その4:バランスコントロール
原理その5:体幹内処理
原理その6:足裏の垂直離陸
第3章 現場で使える古武術介護
1 ベッド上での上体起こしから端座位まで
2 ベッド上での端座位から車椅子への移乗
3 ベッド上での体位変換(1)
4 ベッド上での体位変換(2)
5 洋式トイレへの座らせ方の工夫
6 残存能力が高い人の椅子からの立ち上がり介助
7 2人で行うベッドから車椅子への移乗
8 2人で行うベッドからの抱え上げ
第4章 Q&A 古武術介護でできること,できないこと
第5章 現在は常に通過点
参考文献・映像資料
あとがき
索引
はじめに
付属DVDについて
第1章 古武術介護の考え方
第2章 古武術介護の6つの原理
原理その1:揺らしとシンクロ
原理その2:構造
原理その3:重心移動
原理その4:バランスコントロール
原理その5:体幹内処理
原理その6:足裏の垂直離陸
第3章 現場で使える古武術介護
1 ベッド上での上体起こしから端座位まで
2 ベッド上での端座位から車椅子への移乗
3 ベッド上での体位変換(1)
4 ベッド上での体位変換(2)
5 洋式トイレへの座らせ方の工夫
6 残存能力が高い人の椅子からの立ち上がり介助
7 2人で行うベッドから車椅子への移乗
8 2人で行うベッドからの抱え上げ
第4章 Q&A 古武術介護でできること,できないこと
第5章 現在は常に通過点
参考文献・映像資料
あとがき
索引
書評
開く
書評 (雑誌『看護学雑誌』より)
書評者: 川島 みどり (日本赤十字看護大学教授)
◆目の当たりにした技法の有用性
2005年の暮,『週刊医学界新聞』で連載中の「古武術介護入門」を読みながら,いにしえの身体技法とボディメカニクスとの関連をこの目で確かめたいという思いを強くしていた折,自宅の近くでの講習会という好機に恵まれ参加した.武術の心得のない者が,古武術の極意を駆使しての技術を理解できるだろうかと,一抹の不安もあったが,どちらかと言えば小柄で華奢な指導者が,倍近くもあるような巨躯を軽々と持ち上げたのを目の当たりにして驚いた.その人こそ本書の著者である岡田慎一郎氏だった.
ちょうどその頃,私は腹部の手術後間もない身で,腹筋をカバーしながらの消極的な実技への参加ではあったが,確かに従来の常識を超えた力の分散を体で感じた.こうして,本を読む前に,古武術介護の入り口に案内された者として,はっきりと言えることは,本書で紹介されている技のそれぞれは,いずれも記述どおりに有用に活用できるということである.
◆技術を技能化してこそ使いこなせる
ただし,活用するまでには一定の道のりが必要である.技術論の立場から考えると,著者が,古武術の技に潜む身体技法を介護に応用するために言語化した原理こそ,この「古武術介護」の中心をなすものである.すなわち,本書第2章で展開されている古武術介護の6つの原理がそれである.とはいえ,読んで頷いたからといって,誰でもそう軽々とできるものではない.すべての技の習熟がそうであるように,知識として学んだ技術を滑らかに実践に活かすためには,訓練を重ねて身体に深く覚えこまさせなければ使えるものではない.いわゆる技術の技能化である.
また,未だ著者の身体知(主観的法則性)となっている技も少なくない.それは,「基本はきっかけ」とか,「微妙な角度を感覚でコントロール」と言った表現から読み取れる.したがって,自分でその感じをつかまない限り,目標達成は覚束ないということになる.このことは,エキスパートの技を如何にして,新人や学生に伝えるかという,現在看護が抱えている課題にも共通なので,興味深く読んだ.
文字だけでは理解しにくい動きの実際は,DVDでとらえるのも嬉しい.ただ,自分よりも体重の重い利用者や患者の移動動作の日常を思うと,この術の優位性を語るには,登場するモデルが細身過ぎたのではないだろうか.
「動き」は人間の生活行動の要とも言える.これを支援する側の身体の動きの合理性を把握する意味からも是非一読を勧めたい.
(『看護学雑誌』2007年3月号掲載)
本邦初の「古武術介護」実践書 (雑誌『看護管理』より)
書評者: 松原 要一 (鶴岡市立荘内病院院長・鶴岡市立荘内看護専門学校校長)
◆わかりやすい記述とDVDで“目から鱗”
本書は全く新しい身体介助法「古武術介護」についてまとめた本邦初の実践書である。読んでみるとどの記述もわかりやすく納得できる“目から鱗”の具体的な内容で,加えてDVDによる解説が付いているので視覚的にも理解しやすい。特に看護師や介護福祉士など患者のケアや介護に関わる人であれば,読んで観るとすぐにも役立つことを直感し,実行してみたいと思うに違いない。
著者は従来の身体介助法に対しその従事者として疑問を抱いていたときに本書の推薦者である武術家・甲野善紀氏と出会い,古武術の身体操法に基づいた身体介助法に大変な感銘を受け,以後師事したと聞いた。そしてその古の身体技法をヒントに2005(平成17)年以降,本書で紹介されているような身体介助法を提案し,その普及活動を行ない,各方面で大きな注目を集めている。
本介助法は古武術の発想によって,筋力ではなく重力や身体の「構造」などがもたらす「もともとあったのに気づかなかったチカラ」を有効活用し,効率的な身体の使い方やチカラの産み出し方を工夫することであると述べられている。
私たち現代人は早さや便利さを追求して本来もっている身体能力を忘れて失っているか,知らないで済ましているのではないだろうか。先人は長い修行を積むことにより体得して身体能力を開発したのであろう。したがって本書を読んで納得してもすぐに自分のものとすることは容易でないと思うが,本書を参考に,考え,実践のなかで応用しながら,次第に自分自身の力としていくことは可能であると思われる。
◆介護・ケアする人にも優しい身体介助法
実は筆者は,本書を読む前に著者に一度会っている。筆者が校長をしている看護専門学校の臨地実習指導者研修会に講師として来ていただいたのだ。甲野善紀氏の古武術についてテレビで観て関心があったので,著者が甲野氏に師事していると聞いて,大変興味深かった。当日の研修会前にいろいろお話を伺うことができたが,実にいきいきとした好青年で,仕事の内容や考え方などを聞いて感心し,すっかりファンになってしまった。
研修会は隣接する本校の臨地実習病院の講堂で行なわれた。本校は病院の付属ではないが,病院が本校の付属のような関係にある。ちなみに筆者は外科医でその病院長を兼任している。そのようなわけで,筆者と本校の全生徒と教員および実習指導者である病院看護師多数が参加し,大変盛会で実りある研修会であった。
岡田氏の“チカラ”を学び実際に指導され,チカラを感じ,宙に浮くような体験など驚きの連続であった。ただし,これ実践するにはさらに学び“修行”する必要があることも実感した。そこで早速本書を手に入れた次第である。
介護・ケアを受ける人だけでなく,する人にとっても優しい本介助法が広く普及することを願ってやまない。
(『看護管理』2006年11月号掲載)
「身体の願い」がよりあって作り出される新しい介護
書評者: 向井 承子 (ノンフィクションライター)
岡田慎一郎さんの古武術介護をまのあたりにしたのは昨年。本書にも登場する真島千歳さん(看護師,NPO法人「そらとびねこ」主催)のお誘いだった。真島さんは私の母の晩年を訪問看護で支えて下さった方だが,既成概念を超えるユニークな発想の人で,その方のお勧めなので好奇心半分で講習会に出かけてみた。
古武術どころか介護の技も学んだことはない。ただ,無手勝流の家族介護だけは経験していた。母はやせて小さい人だったが,腰に難のある私にはとにかく「持ち上げ」たり「抱え」たりの動作がつらくて腰を痛めてばかりいた。ちょっと「抱き起こす」にも腰を意識して足をふんばり全身に力を入れる。母のほうは身を守ろうと身体を固くする。信頼に身を任せあうのではなく,介護をするもの,されるもの双方が「身体を壊される」ことへの不安で,いわば拒みあう関係だったのかと思い出す。
会場では岡田さんやお仲間たちの「古武術介護」をわけもわからず懸命に真似ていた。そのうちに,ある瞬間,それまで限界と思っていた力を超える動作がなにげなくできてしまったのには驚いた。初体験の私のレベルでは,本書に紹介されている「キツネさんの手」とか,「手のひら返し」などの「武術遊び」に誘い込んで「原理」の一端を感じさせていただいたのだろうが,ともかく,力も入れてないのに重い相手が動いてしまう,抱き起こそうとすると持ち上がってしまうような感覚は未体験のものだった。
岡田さんのことばをお借りすれば「あえて筋力を使わない」ことで「全身のチカラを引き出せた」ということになるのだろうか。知らなかったのは,つまりは身体を使いこなせていなかったということになるのか。また,ひとり動作がひとりで完結できるのとは違い,「起こす」「抱える」など誰かとの関係でつくる動作とは,その動作にむけた互いの思い,あるいは身体の願いがよりあってつくり出されるものなのか,とか考える種を次々とつきつけられる新鮮な体験だった。
本書はそんな身体が覚えた感動のまま読ませていただいた。ところが,本となるとどうも様子が違う。文字化されようとされまいと,岡田さんのことばは実にわかりやすく,新しい何かを生み出す人特有の新鮮な魅力に満ちている。本書はDVDもついているし,身体でしか会得できない感覚をぎりぎりのことばと理論に整理し,懇切な教材として絵解きまでされている。しかし,身体で気づく,悟る,直接語りかけられ,手をとって教えられる世界とは当然だがかけ離れるのである。いったい身体の感覚を文字や手順にして伝える意味とは……など考えるうちに腑に落ちるものがあった。
思えばだれもが岡田さんに直接会えるわけではない。いまそこにいる岡田さんのことばを聞き,「気」のようなものを受けとめるわけにはいかない。おそらく本書にこめた岡田さんの願いとは,介護の現場の人だった岡田さんが,悩み,模索し,気づき,技に昇華しないではいられなかった世界の一端が,人と場のそれぞれに違う条件のなかで受けとめられ,少しでも「身体を壊さない介護」を模索しあう人と場が生まれる,そのきっかけの種を蒔いたのかもしれない。
私自身は「介護する」側よりも「される」側に近づいている立場。自分なりの「介護予防」を模索するにも格好の本,との感想を持った。
きわめて「科学的」な介護法
書評者: 西條 剛央 (日本学術振興会特別研究員・心理学)
介護に関する革命的な本が生まれた。この本は,甲野善紀氏の古武術(身体技法)の原理を介護に応用した技術をわかりやすく紹介したものである。
雑誌・テレビなどを通して甲野善紀氏の活躍をご存じの方も多いだろう。独自の方法で探求を続けている甲野氏の身体運用は,スポーツやロボット開発など,さまざまな分野の人々から注目を集めている。
私は甲野氏の身体運用が最も普及するのは,介護の領域だろうと「予測」している。そのように「予測」するには,それなりの必然的「理由」(構造)があるからに他ならない。
世の中には,より機能的な枠組みがあっても広まらないことがある。それは「一部充足」している場合である。それなりにやれているとき,といってもよい。そういう場合,明らかにそれよりも優れた枠組みがあっても「いや,自分たちはこれでずっとやってきたし,それによって一定の成果もあげてきた」と現状肯定し,新たな試みを無視することができる。
しかるに介護の現状がどうかといえば,岡田氏の講習会が毎回キャンセル待ちの盛況を極めているということから見ても,現状の介護技術では身体を壊してしまうという危機感,極端にいえば,献身的な介護者であればあるほど要介護者になりかねないような状況があるといえる。
この点が,スポーツなどの他領域と状況が異なるところだ。他に選択肢がないならともかく,古武術介護というオルタナティブが提供された以上,ユーザーは自然と,安全・安楽な方法を選択していくだろう。
一方,医療・介護現場の多くの方々が懸念されるのは,はたしてこの方法に「科学的根拠」があるのか,という点ではないだろうか。EBMの重要性が叫ばれる昨今,いくら機能的で,誰もが容易に習得できる方法であっても,「科学的」に「いかがわしいトンデモ法」とされてしまうと普及は難しい(実際,内容を吟味することなくそのような批判をする人もいるようだ)。
筆者は2005年に『構造構成主義とは何か』を上梓し,池田清彦氏の構造主義科学論を継承した,人間科学の原理論を提案した。現代思想の最先端をゆく構造構成主義にのっとって本書を読み解くと「古武術介護」には十分に科学性が担保されていることがわかる。
池田清彦氏の構造主義科学論によれば,科学とは「現象を構造化すること」であり,「現象をより上手に説明する構造を追求すること」と定義される。その意味で,古武術介護は,その「原理」や「技術」をきわめて論理的に「構造化」しているといえる。
一方,科学性を担保するための重要な条件として「再現性」「反証可能性」があげられるが,古武術介護はいずれもクリアしていると考えられる。本書のDVDを見ればわかるように,古武術介護はいつでもどこでもそれを「再現」することができる。講習会の参加者が次々と技術を習得していることも,学習することによって誰もが再現することができるようになるという点で,古武術介護の再現性を傍証している。
また,「反証可能性」についても,提案されている技術はすべてオープンソースであり,誰もが実際に検証することができる。より優れた方法(構造)を思いついたならば,それを実際にやって見せることによって,従来の方法(構造)を反証することもできる。
こうした科学論議を「抽象的だ」と忌避される方も現場にはおられるかもしれないが,医療臨床が「科学理論」という「抽象」に支えられている以上,それを無視することはできない。実際「非科学的」という「抽象的なレッテル」を張られることは医療従事者であれば誰もが避けたいところだろう。その点古武術介護は,最先端の科学論によってその科学性が担保されていることから,理論的にも普及のための条件を満たしている。
本書を通して,私は古武術介護に対して「介護者の身体を守る,新しい科学的な介護法」という印象をもった。数十年後には,「古武術」という冠すら必要ないほど一般的方法として普及しているであろうと予測している。そしてそれが実現した暁には,日本の介護技術が世界の介護界をリードするのも夢ではないと思っている。身体は言葉の壁を超えるからだ。日本の学術界がしばしば「輸入学問」と揶揄され,海外の後塵を拝することの多い中,これほどのポテンシャルを秘めた領域は他にないだろう。
これが大言壮語かどうか,この先駆的試みを手に取り,実際に確かめてほしい。そして,そのポテンシャルを実感した人には,是非とも岡田氏らとともに古武術介護の開発と実践に取り組み,「身体に優しい介護法」を世界に広めていっていただきたいと思う。
書評者: 川島 みどり (日本赤十字看護大学教授)
◆目の当たりにした技法の有用性
2005年の暮,『週刊医学界新聞』で連載中の「古武術介護入門」を読みながら,いにしえの身体技法とボディメカニクスとの関連をこの目で確かめたいという思いを強くしていた折,自宅の近くでの講習会という好機に恵まれ参加した.武術の心得のない者が,古武術の極意を駆使しての技術を理解できるだろうかと,一抹の不安もあったが,どちらかと言えば小柄で華奢な指導者が,倍近くもあるような巨躯を軽々と持ち上げたのを目の当たりにして驚いた.その人こそ本書の著者である岡田慎一郎氏だった.
ちょうどその頃,私は腹部の手術後間もない身で,腹筋をカバーしながらの消極的な実技への参加ではあったが,確かに従来の常識を超えた力の分散を体で感じた.こうして,本を読む前に,古武術介護の入り口に案内された者として,はっきりと言えることは,本書で紹介されている技のそれぞれは,いずれも記述どおりに有用に活用できるということである.
◆技術を技能化してこそ使いこなせる
ただし,活用するまでには一定の道のりが必要である.技術論の立場から考えると,著者が,古武術の技に潜む身体技法を介護に応用するために言語化した原理こそ,この「古武術介護」の中心をなすものである.すなわち,本書第2章で展開されている古武術介護の6つの原理がそれである.とはいえ,読んで頷いたからといって,誰でもそう軽々とできるものではない.すべての技の習熟がそうであるように,知識として学んだ技術を滑らかに実践に活かすためには,訓練を重ねて身体に深く覚えこまさせなければ使えるものではない.いわゆる技術の技能化である.
また,未だ著者の身体知(主観的法則性)となっている技も少なくない.それは,「基本はきっかけ」とか,「微妙な角度を感覚でコントロール」と言った表現から読み取れる.したがって,自分でその感じをつかまない限り,目標達成は覚束ないということになる.このことは,エキスパートの技を如何にして,新人や学生に伝えるかという,現在看護が抱えている課題にも共通なので,興味深く読んだ.
文字だけでは理解しにくい動きの実際は,DVDでとらえるのも嬉しい.ただ,自分よりも体重の重い利用者や患者の移動動作の日常を思うと,この術の優位性を語るには,登場するモデルが細身過ぎたのではないだろうか.
「動き」は人間の生活行動の要とも言える.これを支援する側の身体の動きの合理性を把握する意味からも是非一読を勧めたい.
(『看護学雑誌』2007年3月号掲載)
本邦初の「古武術介護」実践書 (雑誌『看護管理』より)
書評者: 松原 要一 (鶴岡市立荘内病院院長・鶴岡市立荘内看護専門学校校長)
◆わかりやすい記述とDVDで“目から鱗”
本書は全く新しい身体介助法「古武術介護」についてまとめた本邦初の実践書である。読んでみるとどの記述もわかりやすく納得できる“目から鱗”の具体的な内容で,加えてDVDによる解説が付いているので視覚的にも理解しやすい。特に看護師や介護福祉士など患者のケアや介護に関わる人であれば,読んで観るとすぐにも役立つことを直感し,実行してみたいと思うに違いない。
著者は従来の身体介助法に対しその従事者として疑問を抱いていたときに本書の推薦者である武術家・甲野善紀氏と出会い,古武術の身体操法に基づいた身体介助法に大変な感銘を受け,以後師事したと聞いた。そしてその古の身体技法をヒントに2005(平成17)年以降,本書で紹介されているような身体介助法を提案し,その普及活動を行ない,各方面で大きな注目を集めている。
本介助法は古武術の発想によって,筋力ではなく重力や身体の「構造」などがもたらす「もともとあったのに気づかなかったチカラ」を有効活用し,効率的な身体の使い方やチカラの産み出し方を工夫することであると述べられている。
私たち現代人は早さや便利さを追求して本来もっている身体能力を忘れて失っているか,知らないで済ましているのではないだろうか。先人は長い修行を積むことにより体得して身体能力を開発したのであろう。したがって本書を読んで納得してもすぐに自分のものとすることは容易でないと思うが,本書を参考に,考え,実践のなかで応用しながら,次第に自分自身の力としていくことは可能であると思われる。
◆介護・ケアする人にも優しい身体介助法
実は筆者は,本書を読む前に著者に一度会っている。筆者が校長をしている看護専門学校の臨地実習指導者研修会に講師として来ていただいたのだ。甲野善紀氏の古武術についてテレビで観て関心があったので,著者が甲野氏に師事していると聞いて,大変興味深かった。当日の研修会前にいろいろお話を伺うことができたが,実にいきいきとした好青年で,仕事の内容や考え方などを聞いて感心し,すっかりファンになってしまった。
研修会は隣接する本校の臨地実習病院の講堂で行なわれた。本校は病院の付属ではないが,病院が本校の付属のような関係にある。ちなみに筆者は外科医でその病院長を兼任している。そのようなわけで,筆者と本校の全生徒と教員および実習指導者である病院看護師多数が参加し,大変盛会で実りある研修会であった。
岡田氏の“チカラ”を学び実際に指導され,チカラを感じ,宙に浮くような体験など驚きの連続であった。ただし,これ実践するにはさらに学び“修行”する必要があることも実感した。そこで早速本書を手に入れた次第である。
介護・ケアを受ける人だけでなく,する人にとっても優しい本介助法が広く普及することを願ってやまない。
(『看護管理』2006年11月号掲載)
「身体の願い」がよりあって作り出される新しい介護
書評者: 向井 承子 (ノンフィクションライター)
岡田慎一郎さんの古武術介護をまのあたりにしたのは昨年。本書にも登場する真島千歳さん(看護師,NPO法人「そらとびねこ」主催)のお誘いだった。真島さんは私の母の晩年を訪問看護で支えて下さった方だが,既成概念を超えるユニークな発想の人で,その方のお勧めなので好奇心半分で講習会に出かけてみた。
古武術どころか介護の技も学んだことはない。ただ,無手勝流の家族介護だけは経験していた。母はやせて小さい人だったが,腰に難のある私にはとにかく「持ち上げ」たり「抱え」たりの動作がつらくて腰を痛めてばかりいた。ちょっと「抱き起こす」にも腰を意識して足をふんばり全身に力を入れる。母のほうは身を守ろうと身体を固くする。信頼に身を任せあうのではなく,介護をするもの,されるもの双方が「身体を壊される」ことへの不安で,いわば拒みあう関係だったのかと思い出す。
会場では岡田さんやお仲間たちの「古武術介護」をわけもわからず懸命に真似ていた。そのうちに,ある瞬間,それまで限界と思っていた力を超える動作がなにげなくできてしまったのには驚いた。初体験の私のレベルでは,本書に紹介されている「キツネさんの手」とか,「手のひら返し」などの「武術遊び」に誘い込んで「原理」の一端を感じさせていただいたのだろうが,ともかく,力も入れてないのに重い相手が動いてしまう,抱き起こそうとすると持ち上がってしまうような感覚は未体験のものだった。
岡田さんのことばをお借りすれば「あえて筋力を使わない」ことで「全身のチカラを引き出せた」ということになるのだろうか。知らなかったのは,つまりは身体を使いこなせていなかったということになるのか。また,ひとり動作がひとりで完結できるのとは違い,「起こす」「抱える」など誰かとの関係でつくる動作とは,その動作にむけた互いの思い,あるいは身体の願いがよりあってつくり出されるものなのか,とか考える種を次々とつきつけられる新鮮な体験だった。
本書はそんな身体が覚えた感動のまま読ませていただいた。ところが,本となるとどうも様子が違う。文字化されようとされまいと,岡田さんのことばは実にわかりやすく,新しい何かを生み出す人特有の新鮮な魅力に満ちている。本書はDVDもついているし,身体でしか会得できない感覚をぎりぎりのことばと理論に整理し,懇切な教材として絵解きまでされている。しかし,身体で気づく,悟る,直接語りかけられ,手をとって教えられる世界とは当然だがかけ離れるのである。いったい身体の感覚を文字や手順にして伝える意味とは……など考えるうちに腑に落ちるものがあった。
思えばだれもが岡田さんに直接会えるわけではない。いまそこにいる岡田さんのことばを聞き,「気」のようなものを受けとめるわけにはいかない。おそらく本書にこめた岡田さんの願いとは,介護の現場の人だった岡田さんが,悩み,模索し,気づき,技に昇華しないではいられなかった世界の一端が,人と場のそれぞれに違う条件のなかで受けとめられ,少しでも「身体を壊さない介護」を模索しあう人と場が生まれる,そのきっかけの種を蒔いたのかもしれない。
私自身は「介護する」側よりも「される」側に近づいている立場。自分なりの「介護予防」を模索するにも格好の本,との感想を持った。
きわめて「科学的」な介護法
書評者: 西條 剛央 (日本学術振興会特別研究員・心理学)
介護に関する革命的な本が生まれた。この本は,甲野善紀氏の古武術(身体技法)の原理を介護に応用した技術をわかりやすく紹介したものである。
雑誌・テレビなどを通して甲野善紀氏の活躍をご存じの方も多いだろう。独自の方法で探求を続けている甲野氏の身体運用は,スポーツやロボット開発など,さまざまな分野の人々から注目を集めている。
私は甲野氏の身体運用が最も普及するのは,介護の領域だろうと「予測」している。そのように「予測」するには,それなりの必然的「理由」(構造)があるからに他ならない。
世の中には,より機能的な枠組みがあっても広まらないことがある。それは「一部充足」している場合である。それなりにやれているとき,といってもよい。そういう場合,明らかにそれよりも優れた枠組みがあっても「いや,自分たちはこれでずっとやってきたし,それによって一定の成果もあげてきた」と現状肯定し,新たな試みを無視することができる。
しかるに介護の現状がどうかといえば,岡田氏の講習会が毎回キャンセル待ちの盛況を極めているということから見ても,現状の介護技術では身体を壊してしまうという危機感,極端にいえば,献身的な介護者であればあるほど要介護者になりかねないような状況があるといえる。
この点が,スポーツなどの他領域と状況が異なるところだ。他に選択肢がないならともかく,古武術介護というオルタナティブが提供された以上,ユーザーは自然と,安全・安楽な方法を選択していくだろう。
一方,医療・介護現場の多くの方々が懸念されるのは,はたしてこの方法に「科学的根拠」があるのか,という点ではないだろうか。EBMの重要性が叫ばれる昨今,いくら機能的で,誰もが容易に習得できる方法であっても,「科学的」に「いかがわしいトンデモ法」とされてしまうと普及は難しい(実際,内容を吟味することなくそのような批判をする人もいるようだ)。
筆者は2005年に『構造構成主義とは何か』を上梓し,池田清彦氏の構造主義科学論を継承した,人間科学の原理論を提案した。現代思想の最先端をゆく構造構成主義にのっとって本書を読み解くと「古武術介護」には十分に科学性が担保されていることがわかる。
池田清彦氏の構造主義科学論によれば,科学とは「現象を構造化すること」であり,「現象をより上手に説明する構造を追求すること」と定義される。その意味で,古武術介護は,その「原理」や「技術」をきわめて論理的に「構造化」しているといえる。
一方,科学性を担保するための重要な条件として「再現性」「反証可能性」があげられるが,古武術介護はいずれもクリアしていると考えられる。本書のDVDを見ればわかるように,古武術介護はいつでもどこでもそれを「再現」することができる。講習会の参加者が次々と技術を習得していることも,学習することによって誰もが再現することができるようになるという点で,古武術介護の再現性を傍証している。
また,「反証可能性」についても,提案されている技術はすべてオープンソースであり,誰もが実際に検証することができる。より優れた方法(構造)を思いついたならば,それを実際にやって見せることによって,従来の方法(構造)を反証することもできる。
こうした科学論議を「抽象的だ」と忌避される方も現場にはおられるかもしれないが,医療臨床が「科学理論」という「抽象」に支えられている以上,それを無視することはできない。実際「非科学的」という「抽象的なレッテル」を張られることは医療従事者であれば誰もが避けたいところだろう。その点古武術介護は,最先端の科学論によってその科学性が担保されていることから,理論的にも普及のための条件を満たしている。
本書を通して,私は古武術介護に対して「介護者の身体を守る,新しい科学的な介護法」という印象をもった。数十年後には,「古武術」という冠すら必要ないほど一般的方法として普及しているであろうと予測している。そしてそれが実現した暁には,日本の介護技術が世界の介護界をリードするのも夢ではないと思っている。身体は言葉の壁を超えるからだ。日本の学術界がしばしば「輸入学問」と揶揄され,海外の後塵を拝することの多い中,これほどのポテンシャルを秘めた領域は他にないだろう。
これが大言壮語かどうか,この先駆的試みを手に取り,実際に確かめてほしい。そして,そのポテンシャルを実感した人には,是非とも岡田氏らとともに古武術介護の開発と実践に取り組み,「身体に優しい介護法」を世界に広めていっていただきたいと思う。