ぼくとがんの7年

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小児がん外科医が、あるとき膀胱がんになった。体の一部を失うかもしれない恐怖、検査の苦痛、治療への不安と不信、家族への思い……

患者の苦しみを知ったとき、医師は何を感じたのか。医師として、一人の人間として、これからをどう生きるか。そして、がんで苦しんでいる人に、何か伝えられることはあるだろうか。

深刻だけど、ときどき前向き。そしてちょっと泣ける闘病記。

松永 正訓
発行 2021年12月判型:四六頁:248
ISBN 978-4-260-04926-9
定価 1,980円 (本体1,800円+税)

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はじめに

 まず読者のみなさんには安心してもらいたい。ぼくは死なない。ぼくは小児がんの専門家であるため、がんの闘病記をよく読む。すると、「ああ、申し訳ないけど、この筆者は長く生きられないな」と思うことがしばしばある。そして実際、本が完成してしばらくすると、新聞で訃報に接したり、SNSを通じて筆者が亡くなった情報が流れてきたりする。
 ぼくが罹った病気は膀胱がんである。膀胱の内側を覆う尿路上皮という粘膜にがんができたものだ。毎年、中高年の男性を中心におよそ2万人がこの病気に罹る。そして約8千人が亡くなっていく。およそ40%が死亡するというのは何とも微妙な数字だ。でもぼくは、死の領域を突き抜けたと今は思っている。
 闘病を通じて、ぼくは何度もくり返し「痛い目」にあった。がんと闘うとはこんなに痛いものなのかと思い知らされた。ぼくは痛みに弱く、すぐに痛みから逃げ出そうとする。実際に逃げた。だが、闘病しながら仕事だけは可能なかぎりやった。仕事まで休んだら心が折れてしまうと思ったからだ。 合併症を何度も経験し、妻にも泣きつくような情けない闘病だったけど、その間、学ぶことは多かった。患者というのは弱き者で、すぐに冷静さを失い、論理だって物事を考えることができない。医師だった自分が患者という立場に逆転してしまうと、ぼくは自分でもあきれるくらい理性的な判断が下せなかった。そして相次ぐ痛みに心まで蝕まれたときでも、簡単に仕事を休まないことも大切だと学んだ。
 そしていろいろなことを考えた。がん患者は悩める存在だが、その悩みにどう対処していいか分からず、もがき苦しんだ。悩みが高じてうつみたいな状態になったとき、それに向かい合う方法を懸命に模索した。死についてはくり返し考え、あるときは恐怖の中で死を思い、またあるときは、冷静に死を見つめた。また、患者と医療スッタッフの関係性についても改めてじっくりと考えてみた。
 こうしたことが、がんと闘う読者に参考になるのではないかと期待したい。特にがんを患ったときに生じる悩みにどう対処するかのヒントになってくれればうれしい。また医療従事者に対しても、患者とどう接し、どういう関係性を築けばいいのかを考えるヒントになってくれればいい。

 本書を読んでいただく前に、ぼくの職歴と病歴を簡単に書いておく。ぼくは1987年に千葉大学医学部を卒業し、小児外科医になった。小児外科という領域は聞き慣れないと思うが、生後0日の赤ちゃんから中学3年生までを対象とし、胸や腹を開いて外科治療を行うのが小児外科医である。
 治療における最も大きな課題は、新生児外科疾患の治療成績を上げることと、がんの子どもの救命率を少しでも上げることである。ぼくの専門は小児がんで、基礎研究・臨床・教育を担当した。小児がん医療に関して当時のぼくは、日本で最も名の通った医者の一人だった。
 ところが40歳のときに、解離性脳動脈瘤でぶっ倒れた。そして44歳で、19年所属した千葉大学小児外科教室をやめて開業医になった。
 現在は、手術をしていないので、小児外科医と小児科医の中間のような医者である。開業してからも最初の5年くらいは全国からセカンドオピニオンを求めてがんの子どもの家族が来た。今はもう後輩の小児外科の教授に任せている。なお、診療の合間を縫ってときどき本を書いている。売れない物書きでもある。

 さっそく、ぼくの闘病について語ろう。それはクリニックを開設して9年目のことだった。

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はじめに

第一章 医師、患者になる
 血尿が出た日
 がんとどう向き合うか?
 粘膜の内か外か?
 手術までが長い
 入院の日

第二章 痛みと合併症の日々
 術後に刺すような腹痛
 このままだと透析?
 今度は頭痛がやってきた
 何かあったらまたおいで

第三章 再発、そして死の受容について
 再び血尿
 恐怖がつのる
 魂の痛み
 2回目の手術
 術後化学療法へ
 BCG膀胱内注入療法には不安がいっぱい

第四章 関わりあって生きること
 燃える尿道
 湿布だらけの毎日
 悩めるがん患者
 軟性鏡の導入
 3回目の手術
 がんが消えて考えた

あとがき――がんになってよかったか

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これはもはや「読書」ではなく「体験」である
書評者:市原 真(札幌厚生病院病理診断科)

 小児がんに長年取り組んでこられた松永正訓医師による,自らのがん体験記。表紙や帯を見ればそのことはすぐにわかる。したがって,少なくとも書店で本書を手に取る人の一部は,本書に対してプロの目線から得られる学びを期待してしまうかもしれない。あるいは,がん患者が明日からすぐにでも使えるような,さすが医者の書いた本だ! と言えるような論旨明晰なアドバイスを求めてしまうかもしれない。「ハッとして」,「グッときて」,「明日からの参考になるようなプチ・ヒント」……。

 でも,違うのだ。本書はそのようなアンチョコ系の売りやすい本(?)ではない。得られるものは,学びや気付きよりももっとエグい。書かれているのは,あなたにとっての「他者の経験」ではなく,読むことで「あなたの体験」になるようなもの。寝技をずっとかけられているような,じわじわ,ぐいぐいくるような,厳しい「体験」。

 〈ぼくは自分のことをアホかと思った。これでも医者と言えるのか? まったく合理的な考え方をしていない〉

 闘病モノは,あくまで他人に起こった出来事にすぎない,いつしかそう悟っていたオトナの私が,この本を読み何度も「ううッ……」とうなりながら「体験」をした。

 最初に読み始めたのは深夜だった,たしかに面白い本だけど,半分くらいでやめにして寝ようかなと思っていたが,残念,やめられない。医療業界にいれば何度も耳にするような,どこにでもある(はずの)話が,質量をもって次々飛びかかってくるので本を閉じられない。それでもさすがに眠い,このへんにしておこう,と思った矢先の170ページの小見出しが「燃える尿道」なので完全に観念した。ここでやめてもどうせ気になって眠れない。朝までかかって完読。飲み干すように読み干した。

 「医者ってのは,患者のことを本当にわかってないんだな!」

 今までシロートがこれを言ったら鼻で笑ってきた。は? おめーらだって医者のこと何にも知らないんだが? でも,本書を読み終わった今は,印象が変わった。そうだね,医者ってのは患者のことを何にもわかっていないまま診療をしていたんだね。「体験」は人を変える。立ち位置,視座,ものの考え方,全てが変わる。

 本書にはTipsは書いていない。ライフはハックできない。だったらどうしたらいい? に対する答えは書いていない。何を学んで誰に寄り添ったらいい? そんな質問をする気にもならない。それでも,厚みのある「体験」が心に積もる。

 一度治療したがんが再発することに対する恐怖,さまざまな処置や治療につきまとう副作用や合併症の数々,スピリチュアルペインをいかに緩和するか……。医師が患者側に回るとき,あらためて見えてくる数々の難敵が本当に憎らしい。個人的にうなったのは「フォローアップ中,外来と外来の合間に,患者が自宅でどういう気分になるか」の部分。これに関する描き方は本当に秀逸である。一流の映画に比肩する解像度……いや,「解情度」だ。

 さてもまったく困った「体験」である。これからずっと本書を引きずって思い煩うだろう。そして,おそらく私たちにはその必要がある。


患者の病を「対岸の火事」にしないために
書評者:山本 健人(田附興風会医学研究所北野病院消化器外科)

 医師になって8年目の夏,私は初めて全身麻酔手術を体験した。病名は,右肩の腱板断裂。4本のうち2本が断裂し,上腕二頭筋腱も損傷しているという,ひどい状態だった。整形外科で手術を受け,入院は3週間,通院でのリハビリは1年にわたった。

 その時の経験は,今でも自分の肥やしになっている。治療の副作用や合併症への不安,検査のつらさ,全身麻酔に対する恐怖。患者に対してなら「大したことはありませんよ」と笑顔で話せたことの数々が,当事者にすればあまりに重かった。患者の立場になり,見えなかったものが見えたのだ。

 『ぼくとがんの7年』では,ベテラン医師である著者ががんと診断され,繰り返し手術を受け,再発を経験する中で,目まぐるしく変化する心の有様が克明に描かれる。私よりはるかに心理的にこたえるであろうと思うのは,病名が「がん」であり,それが紛れもなく死を連想させるからだ。

 小児外科医として数々の患者や家族と向き合い,厳しい世界で戦い抜いてきた著者が,当事者になって冷静さを失い,時にふさぎ込み,自己と葛藤する様子は胸に迫るものがあった。そして,そうした「弱い自分」を客観視し,淡々と,時にユーモラスに言語化する様には,強く感銘を受けた。真に強い人間こそが,自分の弱さをありのままに受容できるのだろう。

 当事者になった途端に合理的な考えができなくなる自分に対し,

 <ぼくは医者の中でも,大学時代に熱心に研究をやって業績を上げてきた学究肌なのに,患者になると途端に理論だった思考から逸脱してしまうと思い知った。>

 と語る著者の言葉は重い。医師として患者と相対すると,「合理的に考えれば自ずと患者がとるべき選択肢は明らかだ」と考える場面はしばしばある。しかし,「合理的に考えることのできない心理状態」に陥った患者に対し,どのように接するべきか,という思考は案外忘れがちで,患者の病気は容易に「対岸の火事」になってしまう。本書で描き出される当事者心理は,患者をドライに扱いがちな医師にとって,頭を殴られたような衝撃があるだろう。

 代替療法に関しても,その科学的根拠の乏しさを重々理解しながら,しかし強い関心を抱く自分を抑えきれない様子が描かれる。

 <〇〇はがんにいいという記事をネットで見つけたりすると,思わず読んでしまう。読んでがっかりするのだが,それでもまた読む。がん患者は悩める患者だ。>

 合理的に考えれば,代替療法は時間的にも金銭的にも,メリットは少ない。だが,そうした思考ができるのは,「対岸」にいる人だけだ。患者と同じ立場で一緒に「悩める」かどうか。がんを診療する医師として,本書からそう問われていると感じた。

 なお,詳細は書けないが,本書の最後には一つの大きな仕掛けがある。そこには天地がひっくり返るような一文があり,読者は思わず冒頭から読み直すことになるだろう。そして,著者が「ぼくももう少しよく生きて,生き切ったら,よく死のうと思っている」という境地にたどり着いた理由も,クリアな輪郭をもって見えてくるはずだ。


マッチョ系(?)医師の正しき患者道
書評者:仲野 徹(阪大大学院教授・病理学)

 闘病記というものは,どのような人がどのような気持ちで読むのだろう。自分が,あるいは親戚や友人が病気になったときに参考にする,あるいは共感を得たいがためにといったところだろうか。しかし,『ぼくとがんの7年』はよくある闘病記とは少し違う。より幅広い人たちにとって読む価値のある<闘病記>!に仕上がっている。

 数年前に上梓した『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社,2017)という本でいろいろと書いたためか,がんについての講演を依頼されることがよくある。その終わりには,本にも書いた次の二点を伝えることにしている。がんと診断されてから考えると,妙に悲観的に,あるいは楽観的になりすぎてしまう可能性があるから,そうなる前にきちんとした知識を頭に入れておいてほしい。その上で,いざとなったらどうするかを考え,周囲の人と相談して,ある程度の覚悟を持って決めておいてほしい。そして,必ずもう一つ付け加える。

 ただし,そうしていても,いざというときには考え方が変わるかもしれません。それはそれでかまいませんから,と。だが,この本を読んで,どうやら思い違いをしていたことがわかった。考え方が「変わるかもしれません」ではなくて,「きっと変わるに違いありません」が正しそうだ。

 著者である松永正訓(ただし)先生は千葉市で小児科・小児外科のクリニックを開業しておられる小児外科出身の医師である。同時に,小学館ノンフィクション大賞を2013年に受賞した『運命の子 トリソミー:短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館,2013)をはじめ,これまでに10冊以上の本を出しておられる文筆家でもある。その何冊かを読ませてもらったが,どれもすごく面白い。

 医学生から大学院生時代を描いた『どんじり医』(CCCメディアハウス,2020)は,私の方が少し年長だが同世代としてすごく懐かしく,ある雑誌で簡単に紹介させてもらった。そんなこんなでFacebookでのつながりもある。お目にかかったことはないのだが,ラグビー部のご出身とかクリニックのHPでのお写真から,マッチョ系の印象を持っている。間違えていたら叱られそうだが,いまでも,基本的にはそのイメージは変わっていない。しかし,おそらく,この闘病記だけを読んでそう思われる人は少ないだろう。

 血尿を初期症状に膀胱がん(尿路上皮がん)と診断され,治療を受け続けられた7年間の記録である。経過は思い通りではなかったが,最悪でもなかった。その間,一喜一憂し,考えては悩んでを繰り返す。治療による体の苦痛だけでなく,再発時に襲ってきた死の恐怖や魂の痛みなど,患者にならなければわかりえなかったことがたくさんあった。

 もともと小児がんの専門家なのだから,がんについての知識は十分にある。それに,これまでの著書からうかがえるように患者さんやご家族の内面を深く理解してこられた先生だ。そんな先生ですら,がんになる前の経験と思索では不十分だった。考えてみれば,人間というのはその程度のものなのだろう。前もって頭だけで全てがわかれば苦労はしない。

 この本の何より素晴らしいのは,客観的だけでなく主観的にも,患者として経験したことが極めて詳細に,そして正確に記述されているところだ。もちろん医師としての知識と経験のなせる技ではあるが,それはあくまでも背景にすぎない。弱音や医療に対する不満もたっぷり書いてある。それに,家では看護師である妻に泣きを入れる夫であるけれど,病院では主治医に対して臆せずしっかり物申す患者でもある。感情と理性,両者の軌跡が人間的ですごくいい。<これぞ正しい患者道>とでも呼ぶべきものではないかという気すらした。

 闘病についてだけではなく,死の受容や医療における意志決定など,いろいろなことを考えさせられた。医師は言うに及ばず一般の方にとっても間違いなく有益な一冊,書店で闘病記の棚や医療のコーナーに押し込めておくにはもったいなさすぎる。

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