腹痛の「なぜ?」がわかる本
痛みのメカニズムがみえれば診療が変わる!

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謎多き腹痛のメカニズムをわかりやすく説き起こし、その診かた・考え方を解説する画期的な診療本。まるでお腹の中が見えているかのようにリアルな病態解説と、それに基づく論理的かつ説得力のある診断推論は感動すら覚えるほど。持続痛・間欠痛・消長痛といった痛みの種類による主訴の違いや陥りやすいピットフォールなど、“今日の臨床”で役立つポイントも盛りだくさん。腹痛を診る機会のある医師にとって必読の1冊。

腹痛を「考える」会
発行 2020年04月判型:A5頁:266
ISBN 978-4-260-03836-2
定価 4,400円 (本体4,000円+税)

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巻頭言(はじめに)/旧・巻頭言(「腹痛を『考える』」から転載)


巻頭言(はじめに)

 約3年前に恩師の退官記念として,勢いで「寺澤秀一教授 退官記念便乗出版 腹痛を『考える』」という単行本(非売品)を筆名で書いた.
 通常,大学教授が定年退官すると,ホテルの大広間で医局員を総動員して派手な祝賀会を開催し,記念品(金品)と花束を贈呈するのであろうが,生憎と筆者の恩師はそういう行事を好まない方であった.毎年,全国で数多くの講演を行っているので各地の美味は食べ尽くしている.酒は飲まない.金品を贈っても「医局の埋蔵金として使いなさい」と返されるかもしれない.では自分に「恩返し」として何ができるだろうかと考えてみた.
 寺澤教授は現場主義の臨床家であられた.「この検査や治療に関するエビダンスは未だ無いんだけれど,僕はこう思うんだよね」と経験に基付く仮説を若手に述べられるのが常であった.不肖の直弟子の一人として,診療を通して思い浮かんだ「何処にも書かれていない,自分なりの仮説」を本として纏めることで,恩師の背中を見て育ったことが伝わるのではないかと考えた.
 この「個人的な仮説」に対して,このたび御縁があり,医学書院医学雑誌部の杉本佳子様から出版の御話を頂いた.製本した後に加筆・修正したいところが色々と見つかっていたが,何せ退官記念として作った本なので改訂版を出すタイミングも難しく,一体どうしたものかと悩んでいたので僥倖であった.
 ここでちょっとした裏話を.退官記念本の表紙には出来れば恩師の全身写真を載せたいと思ったが,手持ちに良い写真がない.さて…
 「教授,遺影に使う写真は御持ちですか」
 『遺影用の写真? そんなの,あるわけないじゃないか』
 「宜しいですか.不幸があると,家族が慌てて写真を探しますが,大抵は今とかけ離れた若い頃の写真とか,最近の写真だけど横顔だとか,病気で辛そうにしている写真とか,そういうものが出てくるんです.遺影は人生最後の肖像なんですから,いい笑顔でないと」
 『そう言うけど,遺影用の写真を撮ってから長生きしたらどうするのさ』
 「免許証やパスポートと同じで,5年経ったら更新ですよ.近所の写真館を手配しておきますから,ちゃちゃっと撮ってきてください」
 暫くして写真が届いた.流石はプロの手によるものであり,自然な感じに見えるよう僅かに顔面加工が施されていたが,非常に見栄えのするものであった.恩師もこの写真を気に入られ,『話すことあり,聞くことあり 研修医当直御法度外伝』(シービーアール,2018)の著者近影にも使われた.
 動物行動学者の日髙敏隆と竹内久美子は対談集『もっとウソを!』(文藝春秋, 1997)の中で,「どんな大理論でも必ず修正されたり覆されたり,もっといい見方が出てきて『ウソ』になる可能性がある.しかし,その理論が出された時点では正しかった.したがって科学とは,その時点におけるもっともレヴェルの高いウソである」と述べている.
 医学も科学の一分野であるならば,畢竟,「医学的に正しい」と思われている学説も(新しい学説によって覆されるまでの時限的な)魅力的な仮説に過ぎないことになる.それならば,一笑に付されるかもしれないが,筆者の今までの経験から得られた仮説を披露してみようという気分になった.この本の一部でも読者諸兄にとって「魅力的」であれば幸甚である.
 本書の所々に挿入してある病理画像は,標本を福井大学医学部附属病院病理診断科/病理部 今村好章先生から御借りして筆者自身で撮影した.浅学ではあるが,筆者は死体解剖資格を取得する際に病理の勉強をしたので,自分なりに観察した所見を本文・図説に記載した.本書内の病理所見はあくまで筆者個人の見解であり,仮に誤りがあれば,その責は全て筆者に帰することをここに明記しておく.
 最後に,担当の松本哲様には定期的な進捗状況確認とレイアウトについての御助言を頂いた.当初の予定よりも加筆・修正に大幅な時間を要したが,辛抱強く支えてくださった.制作部の川口純子様には丁寧に校正して頂いた.この場を借りて御礼を申し上げたい.

 2020年 白梅が香る頃に
 著者 記す


旧・巻頭言(「腹痛を『考える』」から転載)

 筆者の恩師である寺澤秀一教授は「自分なりの仮説」を持っている人であった.救急の世界に入ったばかりの,まだ若かりし頃.「技術は及ばなくとも,せめて知識だけでも指導医に追い付きたい」と思い,有名雑誌を片っ端から読み漁った.その結果,メジャーな話題に関しては「最近,そのトピックについてレビューが載ってましたね」という会話くらいはできるようになった.
 文献を大量に読むことで理論武装したつもりになっていたのだろう.「ちゃんと最新の文献は読んでるぞ,ドヤァ」と鼻息を荒げる筆者の横で恩師は「でも僕はこう思うんだよね」と静かに笑っていた.当時,今以上に浅はかだった筆者は「有名雑誌に載っている論文を読んでないの? この人,大丈夫かな?」と失礼極まりない事を考えていた.寺澤教授は勿論,論文には目を通した上で自分の見解を述べていたのだが.その時は,日々の症例の1つ1つに真摯に向き合い,気が遠くなるような長い時間をかけて経験を積み重ねていくことでしか得られない 「ベテランの知恵」を軽視したことに気付いていなかった.思い返しても汗顔の至りである.

 さて,医学は3人の天才により大きく変わった.
 1人目はBill Gatesである.1995年にWindows 95 を販売してインターネットを世の中に普及させた.これにより世界中から情報を集められるようになったが,大きな問題が残っていた.見たいサイトがあっても,そのアドレスが分からないと見ることができないのだ.そこでまず,雑誌や人伝てに得た手頃なサイトに行き,貼られているリンクから別のサイトへ移動し,有用な情報が載っていなければまた別のサイトに…というのを繰り返していた.論文の孫引きを繰り返すのに似ているかもしれない.インターネットは役に立つけど手間がかかる,そんな印象だった.その頃も検索エンジンはあったと思うが,使い勝手が悪かったせいか余り記憶にない.
 しかし1998年に残り2人の天才であるLarry Page と Sergey BrinがGoogleを創業したことにより状況は大きく変わった.Googleにキーワードを入力するだけで,瞬時に有力なサイトの一覧が提示されるようになったのだ.この「インターネット」と「検索エンジン」の組み合わせによって日本のどこに居ても最新の情報を本当に簡単に入手できるようになった.以前は情報を手に入れるのさえ一苦労で,人が知らない情報を知っているだけで優位に立つことができたが今は違う.大抵のことはインターネットで検索すれば何らかの情報が得られる.都市も田舎も全く関係ない.そんな時代に知識だけをいくら溜め込んでも大したアドバンテージはない.New England Journal of Medicine にGoogleで難病を診断した記事が掲載され(2005年11月10日号),British Medical Journal の表紙をGoogleの検索画面が飾った(2006年12月2日号)こともある.Googleが得意なことはGoogleを頼ればよいのだ.では現在のGoogleに出来ないことは何か?

 その1つは仮説を立てることだと思う.

 寺澤教授と一緒に救急で働くうちに,「卒後10年目までは文献を読んで知識をつければ良い.しかしそれ以降は自分の経験から自分なりの仮説を持てなくては1人前とはいえない」と思うようになった.そのうち,解剖学・発生学・生理学といった基礎医学を土台にして腹痛をできるだけ科学的に捉えて仮説をたててみたら面白そうだと考えるようになり本書の執筆を勝手に始めた.尚,イラストは筆者自身で描いたが,小学校の図画工作から大学の組織学・病理学のスケッチに至るまで昔からイラストを描くのが苦手な筆者にとっては「罰ゲーム」としか思えない作業であった.我ながら何度見ても酷い絵で,絶望でソウルジェムが穢れた気もするが画力の無さは如何ともし難いので諦めた.

 ここで「医学書は実名記載をすべきだ」という意見もあると思うので一言.
 この本は筆者の勤務する病院で実際にあった症例を基に書いている.「誤診症例」は非常に教育的な内容を含むことが多いので,これらを中心に腹痛の考え方を述べてみたが,実名と所属を記載すると「いつ・どこで・誰が」担当した症例なのかが特定できてしまう.誤診された患者や家族が偶然この本を手にとったときの心情に配慮し,また誤診した診療医の古傷をえぐらないように敢えて匿名での執筆とした.また,本の価値は「誰が書いたか」ではなく「何が書かれているか」で決まるべきだと考えているので,医学書としては今のところ例外的な匿名本となった.この点,聡明な読者諸兄には御理解いただきたい.

 ところで,筆者は医学生や初期研修医にはこの本を勧めない.ここに書かれていることは「あくまで個人的な仮説」である.「何故そう考えるか」という根拠は出来るだけ提示するようにしたが,今まで誰も書いていない内容が多々含まれており,これが正しいという保証は無い.読者諸兄は個々の経験からこの本の仮説に納得がいくかどうかを自身で考えて欲しい.臨床経験の少ない医学生や初期研修医にはこの作業は困難だろう.もし筆者の仮説に納得がいかなくても,それはそれで構わない.是非,この本を踏み台にして更に新しい仮説を立てて頂きたいと思う.

 柳田国男は『木綿以前の事』の女性史学の章に「学問というものは,私などの解しているところでは,その利得が自分の一身に止まらず,社会を今までよりも賢くすることでなければならぬ.すなわち弘く人間の智慧の水準を高めることを目的とすべきものである」と書いている.この本が読者諸兄の今後の腹痛診療に多少なりとも貢献できるのであれば,筆者にとって望外の喜びである.

 2016年 晩秋の夜にアレルヤを聴きながら
 著者 記す

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chapter 01 まずは準備運動
 1 腹痛を考える
 2 消化管の発生を考える
 3 虫垂炎の関連痛を考える
 4 虫垂炎は「心窩部痛」か「臍周囲痛」か
 5 虫垂炎の体性痛を考える
 6 管腔臓器が閉塞すると最初に腹痛を生じる

chapter 02 便秘症とは(哲学)
 1 便秘症の腹痛を考える
 2 恐るべき先達の慧眼
 3 精索捻転のタイムリミットは6時間
 4 精索捻転は持続痛?
 5 精索捻転の痛みを考える
 6 浣腸して腹痛が改善したら便秘症?
 7 便秘なのに軟便?
 8 「便秘症」と「胃腸炎」は誤診の第一歩

chapter 03 胃腸炎という幻想
 1 救急診療はバイタルサインの評価から
 2 消化管の蠕動痛を考える
 3 圧痛を考える
 4 腹膜刺激徴候を考える
 5 症例3-1を振り返る
 6 急性胃腸炎を考える

chapter 04 虫垂炎と一緒?
 1 虫垂炎と憩室炎の腹痛を考える
 2 腸間膜リンパ節炎の腹痛を考える

chapter 05 イレウス≠腸閉塞
 1 「腸閉塞」と「イレウス」を意識して区別しよう
 2 癒着性腸閉塞の腹痛を考える

chapter 06 駆血帯を巻き続けると
 1 索状物による絞扼性腸閉塞の腹痛を考える
 2 閉塞部周辺の血流を意識しよう
 3 絞扼性腸閉塞は持続性の腹痛で発症?

chapter 07 穴があったら入りたい
 1 高齢者の腎機能を血清Crの値で判断しない
 2 閉鎖孔ヘルニアの腹痛を考える

chapter 08 腹痛∝密度×表面積
 1 急性腸管虚血の腹痛を考える

chapter 09 類似品に御注意
 1 泌尿器科領域の神経分布を考える
 2 尿路結石症の関連痛を考える
 3 抗コリン薬処方は「日本の文化」である(お察しください)
 4 妊婦の尿路結石症は泣き所
 5 尿路結石症の意外な治療法
 6 指圧はナゼ効くのか
 7 尿路結石症のその他の圧痛点を考える
 8 尿路結石症で腹壁緊張?
 9 尿路と胆道の疝痛パターン
 10 水腎症があれば尿路結石症で決まり?
 11 便秘のエコー画像
 12 精巣腫瘍の腹痛を考える

chapter 10 右季肋部痛は体性痛か関連痛か
 1 胆囊炎の腹痛を考える
 2 胆石症の右肩への放散痛を考える
 3 胃潰瘍と胆石症の圧痛点
 4 Murphy徴候を考える
 5 胆石症で多彩な圧痛点を生じるのはなぜか
 6 早期の「胆石発作」診断に役立つ徴候はあるか
 7 胆石発作と胃潰瘍を発症早期に鑑別できるか

chapter 11 臍左側痛は(以下略)
 1 脾梗塞の腹痛を考える

chapter 12 光る壁画
 1 胃潰瘍と十二指腸潰瘍の相違点
 2 胃アニサキス症の腹痛を考える

chapter 13 見えない熱傷
 1 急性膵炎の腹痛を考える
 2 心窩部痛→右下腹部痛となる疾患には何があるか

chapter 14 出戻りに要注意!
 1 膀胱破裂の腹痛を考える

chapter 15 トリプルアクセル
 1 卵巣茎捻転の腹痛を考える
 2 「現実は常に想像の少し斜め上を行く」
 3 卵巣の発生学

chapter 16 女性を見たら…
 1 生殖期の女性に特有の疾患を見逃さない
 2 尿中hCG検査ができないときの裏技
 3 バイタルサインから出血量を予測する
 4 異所正所同時妊娠破裂の腹痛を考える

chapter 17 無石性胆囊炎?
 1 Fitz-Hugh-Curtis症候群の腹痛を考える
 2 脾周囲炎は起きにくいのか

chapter 18 袋の中には
 1 高齢者の腹痛は難しい
 2 子宮留膿腫の腹痛を考える

症例一覧
索引

column 「豆より小さな粒知識」
 「ショウガイ」
 Appendicitis normalis
 下行結腸の痛み
 CopeとMurphy(前編)
 CopeとMurphy(後編)
 Ars longa
 内圧と管腔の形状
 膠様質細胞(SG細胞)とは
 混ぜるな危険
 Boasの邦訳
 体温と心拍数の関係
 新人は手技を好む
 反対側移動の法則
 関連痛の中枢説と末梢説
 Okapia johnstoni
 循環血液量の評価
 『圧診と撮診』
 Thomas Fitz-Hugh, Jr と Arthur Hale Curtis
 プロスタグランジン(PG)
 慢心は芸の行き止まり

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いつも一番前に座っていた茶髪ロンゲの人
書評者: 國松 淳和 (永生会南多摩病院総合内科・膠原病内科)
 私の,この本の「中の人」との最初の出会い……というか最初の衝撃についてまずは話したい。

 2017年の春,私が亀井道場[亀井三博先生(亀井内科・呼吸器科)主催による勉強会]に初めて講師として招かれた時のことだった。お決まりで前夜に亀井先生とお食事をするのだが,そこに「その人」は同席していた。初めましてと言って自分の茶色のボストンバッグを置こうと思ったその時であった。

 「土屋鞄……ですね」

 人は本当に驚くと声が出ないか,ありえない声をあげるかどちらかだと私は思っているが,後者だった。奇声に近かったかもしれない。

 「なんでわかるんですか!?」

 もうその後の食事会はソワソワしていた。さっきの衝撃もそうだが,何だこの違和感は。こういう時,臨床医はその違和感に正直になった方がいい。考えるな。考えると大概わからなくなる。頭に引っ掛けておくんだ。

 わかった。

 私は「この人」と会っている。過去に。厳密に言えば,見ている。私は思い切って聞いた。

 「先生って,あの,15年近く前にいろんな臨床の勉強会に参加してた人ですか? あの,いっつも一番前の真ん中の席にいて,茶髪・ロンゲの」

 「あ,そうです」

 がーん,である。15年近くの時を経てつながったのだった。

 「わぁ!! 当時は“ただ者じゃないな”って思ってましたし,そもそも性別もわからなかったんですよ! 先生だったんですね?」

 「あ,そうです」

 もはや性別などどうでも良かった。

 臨床家というのは,相手が臨床家だということが一瞬でわかり,そしてすごい臨床家をみるとゾクゾクして身動きが取れなくなるとともになぜだかとてもうれしくなるのだ。私は本当にうれしかった。

 この本が,「あの人」が書いたのだということもすぐわかった。頻繁に講演して回っているわけでもない,そもそも名乗ってもいない「あの人」が,こうやって“腹痛の科学”を文字にまとめたことは大きい。ゆっくり読める。

 この本の「中の人」は今は病理医をしているそうだが,この本を読んでわかるのは「解剖学に極めて精通している」ということである。帯というのは大抵出版社の考えた誇大広告だが,「まるでお腹の中が見えているかのようだ!」はまったく誇張ではない。

 そしてこの本のエッセンスを40字以内で述べよ。という国語の問題があったとすれば,模範解答はこうなる。

 腹痛には内臓痛・体性痛・関連痛があり,これらを区別するのが診断上大切である。(38文字)

 全ての腹痛に体性痛・関連痛を検討する姿勢は,もはや常軌を逸したこだわりでもある。

 この本は,じっくり通読するタイプの書だが非常にタフであり,通読しきるのは苦しいという感覚に陥る。ただ,頭から読まないとだめだと思う。「まずは準備運動」などという初章の謙遜したタイトルにだまされてはいけない。この章をきちんと読み,折をみて振り返り,じっくり読み進めることを勧める。

 研修医時代に休みを惜しんで参加した勉強会にいつもいた,“茶髪ロンゲ”のあの人の脳と立ち居振る舞いが,見えてくるかのような本だった。人のかばんを一目見てブランドを言い当てるような医者の書いた本なんて,どんなに高くても買う価値があるに決まってるじゃないか。
腹痛への哲学書――今求められる医師の資質
書評者: 平島 修 (徳洲会奄美ブロック総合診療研修センター)
 3年前のある勉強会で著者と初めてお会いし,懇親会で「腹痛」の話で盛り上がった。腹痛診療で最も有名な教科書『Cope’s Early Diagnosis of the Acute Abdomen』の最新版は22版で,現在は弟子に引き継がれて出版されているが,初期の版でCope自身が書いたある疾患の所見に対する考察が興味深く,身体診察を深めようとすると自然に古文書探しが必要となり,それが楽しいと著者はお話しされていた。医学が大きく進歩したのは1900年前後で,死後の解剖によってしか原因がわからなかった時代から技術革新により画像診断が可能となり診断技術は大幅に向上した。今のような検査機器がなかった時代は,病歴・身体診察のみから病態を考え,悩み,決断せざるを得なかった。医師の仕事とは,考えることだったのである。

 さて,誰しも便意を催したときに,脂汗をかくほど強い腹痛を感じた経験をしたことがあるのではないだろうか。実際排便に伴う腹痛で救急外来を受診する患者も決して少なくはない。激しい腹痛であっても,その原因は便秘症から消化管穿孔や大動脈解離まで重症度の幅は広い。またその診断は,画像検査を行っても容易でない場合もある。病歴・診察所見から十分に検討されないまま,腹痛の原因を腹痛+下痢+発熱は感染性腸炎,心窩部から右下腹部痛+McBurney点の圧痛は虫垂炎と短絡的な一発鑑別診断を行うと落とし穴にはまりかねない。本書は種々の腹痛の原因に対して,なぜ,どのような経過で生じるかを,診察所見の基となった1900年前後の文献から最新の文献まで,救急の第一線での筆者自身の経験を基に考察し,まとめられた本である。診断フローチャートなどを駆使した診断学の書籍とは違った内容で,考察の細かさは腹痛診療のアート本と言っても過言ではない。これほど知識に対して興味をそそられる内容は先述のCopeの教科書にもなかった。胃腸炎,便秘,虫垂炎,腸閉塞,胃・十二指腸潰瘍,胆嚢・胆管炎など腹痛を生じるあらゆる疾患に対して,生理学・発生学・解剖学的,症候学的な観点から問診・身体診察所見にどのような意味があるのか,仮説とそれに基づいた考察がなされている。特にそれぞれの疾患ごとに,「内臓痛」「体性痛」「関連痛」の痛みを丁寧に分けて考察されているのが面白い。また,症例を提示しつつその曖昧さに至るまで,持論が述べられているところが超実践的である。

 現代の医学教育においては,残念ながら医学の学びの大半が暗記という名のパターン認識となっている。医師国家試験や種々の専門医試験も暗記から導き出される予定された答えがほとんどである。臨床現場においても診断マニュアル・診療ガイドラインをいかに適応するべきかが論じられやすいが,マニュアル通りに行かないことこそ日常診療である。しかし,医師の仕事は昔も今も変わらず,患者の傍らで共に考えることではないだろうか。患者が訴える腹痛を本書の仮説を基に病名診断だけではなく,痛みの源に迫ることこそ臨床医の醍醐味なのである。

 著者は言う,「プロフェッショナルとは,何度も何度も同じことを繰り返し,気が遠くなるような時間をかけ,それでも自分の技術に満足いかず精進を続けられる人(p.241)」と。

 腹痛にかかわる全ての医師に本書をお薦めしたい。

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