「脳コワさん」支援ガイド

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会話がうまくできない、雑踏が歩けない、突然キレる、すぐに疲れる……。病名や受傷経緯は違っていても、結局みんな「脳の情報処理」で苦しんでいる。高次脳機能障害の人も、発達障害の人も、認知症の人も、うつの人も、脳が「楽」になれば見えている世界が変わる。それが最高の治療であり、ケアであり、リハビリだ。疾患ごとの〈違い〉に着目する医学+〈同じ〉困りごとに着目する当事者学=「楽になる」を支える超実践的ガイド!

*「ケアをひらく」は株式会社医学書院の登録商標です。
シリーズ シリーズ ケアをひらく
鈴木 大介
発行 2020年05月判型:A5頁:226
ISBN 978-4-260-04234-5
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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●本書が日本医学ジャーナリスト協会賞大賞を受賞!
第9回日本医学ジャーナリスト協会賞(日本医学ジャーナリスト協会主催)が2020年11月13日に発表となり、大賞に本書が選出されました。 詳細はこちら(日本医学ジャーナリスト協会ウェブサイトへ)

●『シリーズ ケアをひらく』が第73回毎日出版文化賞(企画部門)受賞!
第73回毎日出版文化賞(主催:毎日新聞社)が2019年11月3日に発表となり、『シリーズ ケアをひらく』が「企画部門」に選出されました。同賞は1947年に創設され、毎年優れた著作物や出版活動を顕彰するもので、「文学・芸術部門」「人文・社会部門」「自然科学部門」「企画部門」の4部門ごとに選出されます。同賞の詳細情報はこちら(毎日新聞社ウェブサイトへ)

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「脳がコワれた」僕らから、すべての援助者へ

1 脳コワさんってなんだろう

■当たり前のことができなくなる
 タイトルにある「脳コワさん」。聞き慣れない言葉だと思いますが、本書では脳外傷や脳卒中による高次脳機能障害に加え、うつ病・双極性障害・統合失調症などのあらゆる精神疾患、認知症、発達障害等々、「病名や受傷経緯などが異なっていても、脳に何らかのトラブルを抱えた当事者」のことと定義します。

 僕自身は2015年に右脳にアテローム型脳梗塞を起こして高次脳機能障害となった当事者です。今でも記憶面や感覚過敏などで多少の障害が残ってしまっていますが、発症からしばらくは、本当に信じられないほど当たり前のことができなくなってしまいました。

3行以上の文章が読めないし、漫画も読んだコマの次にどこのコマを読めばいいのか分からない。
注意を引く人や物に視線が固定してしまい、その凝視をやめられなかったり、感情が過剰に表情に出そうなのを制御しきれずにグシャグシャの変顔になる。それが「異様な人」だと自分でも分かるのにやめられない。
四六時中胸の中が「感情でいっぱいいっぱい」で、きれいな景色や音楽の旋律などにいちいち「号泣」「嗚咽」というレベルの涙があふれてしまう。
日本語は分かるのに人の話の意味が理解できない。言いたい言葉がなかなか出てこないのに、話し出すと止まらなくなり、まるで上手に話せない。
売店のレジで会計をすると店員の言う額が出せずパニックになる。
人混みを歩くとすべての人が自分に向かってくるようで座り込んでしまう。

■あの人たちと同じだ!
 上記の症状は、脳梗塞後の急性期から1か月ほどのあいだに僕に起こったことです。それはまさに「自分をとりまくすべての世界が壊滅する」というような異様な感覚で、ときに大きな身体的外傷よりもリアルな苦しさを伴い、そこからどう逃れればいいのかも分からないものでした。

 けれど混乱と絶望のさなかで、僕の中には強い既視感が立ち上がりました。
「あれ?なんだか不自由で苦しくて仕方ないけど、僕は同じような不自由を抱えた人に会ったことがあるぞ」と。

 たとえば、もともと高度な専門職で働いていたのに簡単な文章が読めなくなってしまったあの人――。
 僕の目の前で、レジ会計中にパニックを起こして飛び出していってしまった彼女――。
 表情や言葉や気持ちが自分の思い通りにコントロールできず、他者から誤解されることに苦しんでいた彼――。

 それは病前、取材記者をしていた僕が出会ってきた取材対象者たちです。記者時代の僕の専門は、「子どもと女性や若者の貧困問題」。取材対象のなかには、さまざまな生きづらさを抱えて精神科に通院していたり、自傷癖や激しい希死念慮を抱えて生きてきたり、未診断でも強い発達障害特性を持つ方々がいました。

 彼らから聞いていた「やれないんです。苦しいんです」と、僕のやれなくなったことや苦しいことはどうやら同じか、とても近い感じがする。これが既視感の正体でした。

 なんてことだろう、ごめんなさい。

 こんなに苦しいものだとは正直想像もできなかった。けれども、彼らの苦しさを知ってなんとか社会に伝えたいと願っていた僕が、「あの彼ら」がどんな気持ちでいたのかをようやく我が身をもって理解することができたのか……。

 そんなことを言う僕に、妻が返したのが「なんだ、それじゃみんな『脳コワさん』仲間じゃん」という一言だったのでした。

■妻も脳コワさん仲間
 脳コワさん=脳が壊れた当事者。

 ちょっとふざけているようにも不謹慎にも感じるこの言葉がストンと腑に落ちたのは、妻自身がその脳コワさんの当事者であり、大先輩だったからです。

 妻の頭部をMRIで撮ると、右前頭葉に黒々とした巨大な穴が映し出されます。かつて33歳の若さで膠芽腫という悪性脳腫瘍を発症し、その際の手術で直径60mm以上の組織をゴッソリ切除したためです。しかも彼女は病前から発達障害(ADD:注意欠陥障害)の特性が強く、たくさんの「やれないこと」を抱えて育った結果、二十代前半で激しくメンタルを病んで精神科に通い続けた過去もありました。

 なるほど、かつての取材対象者たちもそうだけど、妻の「やれないこと」も病後の僕とあまりにも重なっているように思える。
 すなわち、彼らも妻も僕も、みんな脳コワさん仲間!

■見過ごされる当事者たち
 そんなテーマも含めつつ1冊目の闘病記『脳が壊れた』(新潮新書)を出版したところ、高次脳機能障害以外の脳コワさん仲間からもたくさんの声をいただきました。

〈この本には、自分のことが書いてある。不自由なことも苦しさも、鈴木さんと同じ感じで苦しんでます。めっちゃ苦しいです〉

 脳コワさん=脳にトラブルを抱えた当事者は、病名や発症経緯や障害の機序が異なっていても「共通するお困りごと」を抱えているという気づきは、確信に変わっていきました。

 けれど、お困りごとが同じならその不自由や苦しさを緩和するライフハック(対処法)も共有できるのでは?そんな観点で、僕自身の障害解釈、困りごと緩和の工夫、障害緩和(機能回復)の経緯を書いた2冊目の闘病記『脳は回復する』(新潮新書)に対する読者からの感想に、僕は深々とためいきをつくことになりました。

 特に僕の気持ちを真っ暗にさせたのは、僕と同じ高次脳機能障害の当事者からのこんな言葉です。

〈鈴木さんの書く苦しさとまったく同じように私も苦しんでいます。でも私は高次脳機能障害の診断を受けていません〉

〈失語など重い高次脳機能障害の診断とリハビリを受けていますが、本に書かれているような苦しさについて、それが障害によるものとは聞いてないし、なんのケアも説明も受けていません〉

〈身体の麻痺が重くて身体障害者手帳は取得していますが、高次脳機能障害の診断やリハビリは受けていません。でもやっぱり鈴木さんと同じように苦しいんです〉

〈脳卒中後、身体の麻痺もなく特に障害も残っていないと言われてリハビリも受けませんでしたが、どうにも鈴木さん同様の不自由があって、失職して精神科にかかり、うつ病の治療を受けています〉

 これはつまり、障害が残っているにもかかわらず、ご本人も周囲のご家族や医療者も、そのことに気づいていない。そんな「見過ごされた当事者」からの声だったのです。

一方、高次脳機能障害以外の脳コワさん仲間からも、こんな言葉がありました。

〈鈴木さんと同じ苦しさがあります。うつと診断され、十年来、薬をもらうだけのために精神科に通っていますが、いっこうに楽になれません。心の病気と脳が壊れることは同じなのですか?同じならばどうして鈴木さんのように楽になることができないのでしょうか〉

 お手紙やSNSなどを通じて次々届くそんな読者の声に、言葉を失いました。

■「どうしたらこの苦しさを分かってもらえますか?」
 高次脳機能障害をはじめとする脳コワさんの症状は、外からはなかなか見えづらいものです。けれども、見た目は五体満足であったとしても、そこには七転八倒するような「リアルな苦しみ」が伴います。

 僕自身、高次脳機能障害としては軽度の部類で、身体の麻痺も早期に回復に向かいましたが、何度もこんなことを思いました。
「脳梗塞を起こした時点でポックリ死ねていたら、どれほど楽だったろう」
「死んで楽になれるなら、いっそのこと死んでしまったほうがいいのかな?」

 同じ障害なら、少々重くてもいいからもっと分かりやすく、誰にでも配慮してもらえる障害を負ったほうがよかったと、心の中で呟いたことは数限りなくあります。
「どうしたらこの苦しさを周囲に分かってもらえますか。どうしたら楽になれるんですか」という悲鳴のにじむ手紙を読んで、あまりの残酷さに泣きたくなりました。

 繰り返しますが、脳コワさんはたとえ周囲から見て五体満足に見えても、大きな苦しさを抱えています。その状況を可視化できたら、きっとこんなことだと思うんです。

 両足を骨折してる人がいるが、本人も周囲もその骨折に気づいていない。本人は骨が折れていることを理解していないので、激痛のなか、なんとか歩けると信じて必死にもがく。ついには折れた骨が皮膚を貫くが、流れ出した血に絆創膏を貼るぐらいで、まだ骨折そのものには気づかない。ずっと痛くて、ずっとずっと歩けない。

 本人は、怪我をしていないはずなのに歩けないのは自分の根性や努力が足りないからと、自身を責めたりもします。

 周囲も「なんで怪我もしてないのにもがいてるの?いいかげん歩いてくれないと困るんだけどな」ぐらい言うこともあるでしょう。

 脳コワさん当事者たちの悲鳴から思い浮かんだのは、そんな目をそむけたくなるような絵面でした。

2 脳コワさん支援の難しさ

■4つの壁がある
 ではなぜ障害を見逃され、適切なケアを受けずに苦しみ続けている脳コワさんたちがこんなにもいるのでしょうか?

 自身のケースと読者のケースを比較して見えてきたのは、脳コワさんが適切なケアにたどり着くのを邪魔する「4つの大きな壁」があるのではないかということでした。

1 聞き取りの壁
 援助職側が、当事者の訴えを聞き取ることの難しさ。その不自由がどんな障害から発生しているか正しく判断することの困難。
2 受容の壁
 当事者自身が、自分の不自由がどんな障害から起きているものなのかを認識・理解することの難しさ。
3 言語化の壁
 当事者がその不自由や苦しさを正しく言語化し、援助職に訴えることの難しさ。
4 自己開示の壁
 家族や職場など、医療以外の日常生活で接する人々へ、関係性を保ちつつ配慮をお願いすることの難しさ。


 これらすべてが、じつはとってもとっても大きな壁です。そして、自分自身が当事者となって4年半が経ち、ようやく当事者としての自分と援助職の方々の状況を俯瞰できるようにもなった今、心の底に湧き上がるのは、こんな本音です。

「こんな分かりづらい障害は、当事者の側がよっぽど言葉を尽くさない限り、周囲の健常な脳の人間に理解してもらえるはずがない。決して、脳コワさんに接する援助職のレベルが低いといった単純な話ではない

 そう。たとえば「注意障害」という聞き慣れた障害名について。このたった4文字の障害によって日常生活でやれなくなることはあまりに膨大です。そして、どんな場面でどんな不自由が起きて、それがどんな問題と苦しさを生み出すものなのかは、当事者の置かれた環境、本人の性格、それまでの人生や経験や知識などによって大きく変わってきます。

 一時は僕も、こんな分かりづらい当事者をきちんと理解できる援助者は「出産育児と結婚と離婚と就労と失職等々、あらゆる人生の成功と挫折を経験した中高年の女性ぐらいだ」なんて気が遠くなるようなことを思った時期もありますが、今はそう思っていません。

■今こそ当事者と援助職が協力するとき
 脳コワさんの苦しさや不自由は、本当に可視化も理解も難しいものです。しかも表出されるお困りごとの種類も数限りなくあります。援助職がそれらすべてを力技で覚えたり、超能力者みたいに気持ちを読み取ってくれなんて無理難題は、とても言えません。

 けれど、援助職だけでは無理だとしても、そこに当事者自身が協力したらどうでしょうか。援助職と当事者がきちんとコミュニケーションをとり、信頼関係を築き、双方の協力体制のなかで障害をスクリーニングし、その障害から起きるお困りごとの解消にともに取り組んでいく。

 自身が当事者になって強く思うのは、脳コワさんの苦しさの解消は、「援助職だけ」「当事者だけ」のようなバラバラの努力では決して実現できないものだということです。そして基本的に脳コワさん当事者は、もうひとりでは生きられない存在だということです。

■脳コワさんから歩み寄りの第一歩、これが本書です
 2冊の闘病記を出版した後、当事者のみならず、援助職の方々からもたくさんの「苦しい」の声を聞きました。当事者の気持ちや苦しさをうまく理解できないことや、どう支援すればいいのか分からないことに苦しんでいる……。真剣に当事者の苦しさに立ち向かいたいと思っている援助職ほど、そこには大きな無力感や苦しさが生まれることでしょう。

 脳コワさんにとっては、医師よりもリハ職や心理職をはじめとする援助職の人々のほうがはるかに重要な存在だと僕は考えています。たしかに脳卒中を起こした僕の命を救ったのは、急性期や再発抑止の医療でした。けれども僕らにとって、その後の人生を「生きていても仕方がないと思いながら生きる」のは、ときには死ぬよりもつらいことです。援助職とは、その「今後の生命」に直結する、きわめて重要な職業なのです。

 だからこそ本書を、僕ら脳コワさん当事者から援助職への「歩み寄りの一歩目」にしたいと思っています。

 僕自身は高次脳機能障害の一当事者にすぎません。しかし高次脳機能障害は、多くの脳コワさん仲間の抱える不自由や苦しさを内包する、「脳に起きうる不自由の百貨店」のような障害だと考えています。

 本書では、「脳コワさん仲間」から共感の多かったお困りごとを中心に、僕らがどう苦しいのか、どんな不自由が僕らに起こっているのか、苦しさの緩和や回復のためにどんな配慮がほしくて、どんな工夫が考えられるのか、そして僕ら当事者が手を取り合える援助職とはどんな存在で、その関係性の構築にはどんなコツがあるのかまでを、展開していこうと思います。

■一緒に「楽」になりましょう!
 そして願わくは本書を、援助職を超えた援助「者」全般=ご家族や仕事仲間やご友人などにも届く一冊にしたいと願っています。

 なぜならプロの援助職に加えて僕たち脳コワさんを救ってくれるのが、こうした周囲の味方だから。そして真摯な援助職と同様に、脳コワさんの苦しさに寄り添えないことに自身を責めている周囲の方々もまた多いからです。大事な人が苦しんでいるときに、その苦しさを分かってやれないこともまた、非常につらいことです(僕自身もかつてそうでした)。

 僕たちは、ひとりでは生きていけない存在です。どうかこの本を僕たち脳コワ当事者からの請願書としてとらえ、あらゆる脳コワさんに横断的に使用できる援助メソッドや支援姿勢を一緒に考えていただけないでしょうか。

 そして当事者とともに、支えるサイドも楽になってくださることを願います。

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プロローグ
 1 脳コワさんってなんだろう
 2 脳コワさん支援の難しさ

第1章 病名は違えど困りごとは同じ
 1 「脳コワさん」なんて、まとめちゃっていいの?
 2 相手の話が聞き取れないのはなぜか
 3 自分の意思を伝えられないのはなぜか
 4 言葉のキャッチボールができないのはなぜか
 5 原因は何であれ対処法は同じ

第2章 「楽」になるまでの8つのステージ
 1 僕のプロセスを振り返ってみる
 2 早期復帰を支えた5つのアドバンテージ
 3 病前の日常が最良のリハビリ課題だ
 4 「二次障害としてのうつ」という最悪シナリオ

第3章 「4つの壁」に援助職ができること
 1 聞き取りの壁「苦しい」の声を受け止めてもらえない
 2 受容の壁「何が不自由か」が分からない
 3 言語化の壁「言葉にする」の途方もない困難
 4 自己開示の壁社会に出ると「助けて」が言えなくなる

第4章 脳コワさんの生きる世界
 1 破局反応(パニック)
 2 情報処理速度の低下
 3 感情をコントロールできない
 4 ひとつのことに固執する
 5 易疲労
 6 非現実感
 7 脳コワ症状をどう考えたらよいか

第5章 全援助職に望む支援姿勢
 1 社会的困窮リスクを理解する
 2 当事者を破局に追い込まない
 3 援助職のみなさんへ
 4 キャリア形成後の就労支援
 5 キャリア形成前の就労支援
 6 高齢者への支援
 7 あらゆる「あなた」が援助者に

あとがき

Column
 「死んだほうが楽かも」と「死にたい」は違う
 唐揚げの肉を信じること
 「支援の引き継ぎ」という大峡谷
 どうすれば心理的破局から抜け出せるか?
 不定愁訴の正体
 自転車から降りられない!

Graphic Recording
 ワーキングメモリとは?
 感情の脱抑制とは?
 8つのステージ
 4つの壁
 小さな失敗でソフトランディング
 言葉にできない
 情報処理から破局まで
 固執に見える理由
 認知資源とは?
 聞きとれない…

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高次脳機能障害当事者の内的世界への招待──『「脳コワさん」支援ガイド』を読む
書評者:上田敏(日本障害者リハビリテーション協会顧問/元東京大学教授)

 「脳コワさん」とは耳慣れない言葉であるが,「脳がこわれた人」の略で,もともとは著者の奥さんの造語だという。

 『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院)の著者である鈴木大介氏は「社会派」のルポライターで……[続きを読む]


全ての対人援助職が読むべき“明日から生かせる技術”が詰まった一冊
書評者:峯尾 舞(北原国際病院リハビリテーション科・就労支援室/作業療法士)

 私が鈴木大介氏に初めてお目にかかったのは2016年9月だった。『脳が壊れた』(新潮新書,2016)に描かれている高次脳機能障害の描写に感激し,出版社に問い合わせ,実現した。

 その後,何度か対談をさせていただき,鈴木氏のお話が非常に具体的であり,なおかつ豊富な工夫や対応策にあふれる実行可能な内容であることがわかった。私は,鈴木氏の経験や工夫を多くの「脳コワさん」本人や家族,リハビリテーションスタッフなどに伝えたいとかねてから思っていたため,本書の出版は,心から待ちわびたものだった。

「脳コワさん」とは
 本書では,「病名や受傷経緯などが異なっていても,脳に何らかのトラブルを抱えた当事者」を「脳コワさん」と定義している。

 私は作業療法士として医療機関に勤務しており,主に脳血管疾患や頭部外傷受傷後等の方々の就労支援を担当していることから,日々,多くの「脳コワさん(高次脳機能障害者)」に出会う。彼らから,退院後に,障害名として定義されていない多くの困難があることを聴くと,「脳コワさんのお困りごとは,ハード面・ソフト面共に整備された医療機関内での生活では露呈しないのだ」との思いを深くする。そして「私たちは脳コワさんの高次脳機能障害を見落としていないか」と自らを振り返らざるを得ない。

「脳コワさん」の生きる世界が見える
 鈴木氏は以前から「自分は奇跡のスーパー当事者ではない」と語っている通り,本書でも「わかりやすさ」と「再現性」に重点を置いている。特に高次脳機能障害を説明する豊富な比喩は,医療者が患者や家族に病状や退院後の生活について説明する際にも活用可能である。その一例を以下に抜粋する。

*なぜ相手の話が聞き取れないのか?
《「水を筆につけて,白い半紙に字を書いたらどうなるか」を想像してもらえたら分かりやすいです。どんどん乾いて,何を書いたかすぐに分からなくなってしまいますよね。》(p.21)

*なぜ退院後に町を歩けないのか?
《病院を一歩出た外に広がる当たり前の日常生活は,膨大な情報や雑音,予測しない突発事態が入り乱れる「情報の乱気流」環境でした。》(p.64)

コミュニケーションの手がかりに
 このように「脳コワさん」には,診断名・障害名では表現されていない困りごとがある。私たち医療・福祉に携わる者はこのことを認識し,丁寧に聴き取り,全肯定した上で「脳コワさん」と共に対処方法を検討する必要がある。ぜひ本書を,目の前の「脳コワさん」とのコミュニケーション,在宅生活や就労場面に関するアドバイスを行う際の手がかりにしていただきたい。

 いつ,だれが「脳コワさん」になってもおかしくない。本書は「脳コワさん」と,医療職を含めた対人援助職,そしてすべての人の相互理解を促そうとしており,少しでも生きやすい社会をつくるための“道しるべ”にもなると思う。


今までの書物にはない感動を覚えた
書評者:稲川 利光(原宿リハビリテーション病院筆頭副院長)

 本書は,2015年,41歳の時に右脳の脳梗塞を発症し,高次脳機能障害が残った著者が,人に支えられ,そして人を支え,共に進化しているそのありさまを描いている。著者は自らの体験をリアルに描きながら,「脳がコワ」れ,高次脳機能障害のダメージが残った当事者たちの思いと切なる願いを代弁し,彼らにかかわる全ての支援者に向けて大切なメッセージを投げかけている。

叫び声が聞こえる
 本業がライターであった著者は,発症以前の自分と,できなくなった自分とを対比しながら,心の在り様を言語化する。それに合わせて,グラフィックレコーディングの第一人者がこれを視覚化する。この作業が繰り返され本書は作られている。障害を持つ当事者の心の動きが,「読んで,そして見て」具体的に感じ取ることができるようになっている。当事者たちの叫び声が聞こえる迫力のある内容である。

 著者には今なお障害が残っているが,病後,信じられないくらい簡単なことが自分一人ではできなくなった。そして,必要に駆られて他者に依存していく中で,いくつもの気付きを得ていく。

大切なことが思い出せない切ない障害について
 「障害を持ったことで,記憶しておきたいエピソードは何度も思い起こしたり,メモに残したり,人に話して共有する習慣がつきました」と彼は言う。そして“思い出とは,記憶を大切に扱うことで生まれるものだった”と気付き,“記憶を大切にする”ことを心がけていくと,そのときの微細な感情まできちんと覚えておくことができ,むしろ病前より思い出が鮮明になったようだと,本書のあとがきに記している。

苦しさを感じる言葉かけの大切さについて
 「元気そうだね」「上手に話されていますよ」「身体の麻痺が軽くてよかった」「大丈夫,そのようなミスは私もする」「いつかはいい思い出になりますよ」……。

 相手は自分を思ってのことであろうが,このような励ましの言葉は,「自分はそうではない!」と思っている当事者にとっては非常につらいものなのである。また,必死で耐えているにもかかわらず,「ぼんやりしている」「すぐ怒り,すぐ泣く」「我慢ができない」「やる気がないのか」などと,見た目だけで判断されるような対応にさらされることも,耐え難い苦痛となる。

 当事者には当事者しかわからない,深い心の傷がある。当事者の心の状況をイメージすることなく,傷の表面を撫でるような薄っぺらないたわりの言葉,本人の存在を排除するような辛辣な物言いは当事者をどん底まで苦しめ,心を閉ざす状況へと追い込んでしまう。

 本書には障害を持って生きる著者ならではの強いメッセージが込められ,私は読みながら随所で「うーん,そうか!」と強く諭された。そして私自身,自分の「人としてのかかわり」をあらためて問うた。今まで読んだ書物からは得られなかった感動を得ながら,温かな心で人にかかわれる支援者でありたいと思った次第である。


「上手に話されていますよ」のすれ違い
書評者:竹林 崇(大阪府立大教授・作業療法学)

相手側はどう捉えているか,という視点
 「医療はサービス業なのか?」という論点は長年にわたって議論されています。実際にサービス業なのかどうかはさておき,われわれとのインタラクションにおいて当事者の方々が「どのように捉え,どのように感じておられるか?」といった“消費者目線”はいつでも持ち続ける必要があります。「対象者の本来あるべき姿への回帰」を目的とするリハビリテーションにかかわる職種においては,なおさらでしょう。

 本書では,脳卒中後に高次脳機能障害となったライターの鈴木大介氏が,当事者と医療従事者がより適切な関係を保つにはどうしたらよいかを,ご自身の体験を通して詳細に語られています。

傾聴・共感は言われているが……
 例えば本書において,医療従事者と当事者の間におけるコミュニケーションとして,「傾聴」「共感」が重要な因子として紹介されています。しかしこれらのフレーズは,医療従事者側が執筆する書籍の中でも必ず出てくる単語でもあります。

 つまり,多くの医療従事者が重要と考え,常に実施していると自負している内容であるにもかかわらず,実は多くの当事者は,真の意味での「傾聴」「共感」がなされていないと感じている。つまり2者間に大きな齟齬が存在している証拠なのです。

 鈴木氏は「(他の人と比べて)上手に話されていますよ」という医療従事者の言葉を例に挙げ,この齟齬について具体的に解説しています。

良かれと思って言ったのに
 多くの当事者とかかわる医療従事者は,無意識のうちに他の当事者と比較し,相対的に「上手に話されていますよ」と賞賛することがあるかもしれません。しかしながら本書で鈴木氏は,自身の疾患罹患という唯一の体験を通じた絶対的な現実の中で,「(以前の自分と比べ)うまくしゃべれない」と感じていたことを吐露しています。そして,良かれと思って発せられた賞賛が,逆に当事者を苦しめる毒となる可能性について言及しています。

 この例に代表されるように,当事者の抱える背景は千差万別であり,その背景にどれだけ想いをはせ,寄り添い,適切なコミュニケーションの手法を選択するのか――これらを医療従事者に気付かせてくれる文章が,わかりやすい比喩とともに随所にちりばめられています。

 こういった内容は,医療従事者からすると心が痛く,中には「そこまでは私たちの仕事ではない」と感じる方もいるかもしれません。しかし,あまり面と向かっては言われない心の声に触れることによって初めて,「適切な医療において可能な範囲」でどのような行動をとるのかという問題に真剣に向かい合えるのだと私は思います。

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