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大人の発達障害ってそういうことだったのか その後

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好評書『大人の発達障害ってそういうことだったのか』の続編企画。今回も一般精神科医と児童精神科医が、大人の発達障害(自閉症スペクトラム・ADHDなど)をテーマに忌憚のない意見をぶつけ合った。過剰診断や過少診断、安易な薬物投与、支援を巡る混乱など、疾患概念が浸透してきたからこそ浮き彫りになってきた新たな問題点についても深く斬り込んだ。
宮岡 等 / 内山 登紀夫
発行 2018年07月判型:A5頁:330
ISBN 978-4-260-03616-0
定価 3,300円 (本体3,000円+税)

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まえがき―宮岡 等

 前著『大人の発達障害ってそういうことだったのか』が発刊されてから約5年経ちました。この間、大人の発達障害を精神医学がさらに整理して、社会に広めないといけないと私が考えた理由が主に三つあります。
 第一に、私は地域の精神科中核病院として機能している大学病院に勤務する精神科医です。前著の頃にも感じていたことですが、当時も現在も、治りにくいうつ病や統合失調症が疑われるが確定診断できない症例、典型例とはやや異なる症状特徴をもつ強迫性障害や不安障害、依存や嗜癖などで病院に紹介される患者さんの中に、発達障害、特に自閉症スペクトラムという観点をもちこめば理解しやすく、対応や治療も考えやすい方がいるという点でした。しかし紹介した一般医だけでなく、精神科医すらもそれに気付いていないことが少なくありません。
 第二に、私は企業の産業医を担当したり、地域で小・中学校教員や学校カウンセラーとの議論の場をもったりする機会が多いのですが、彼らが接する職員や学生の中に自閉症スペクトラムや注意欠如・多動性障害として、多少なりとも医療のアドバイスを受けたほうがいい方がいるのではないかという点です。しかしそれに気付かず、うつ病、適応障害、単なる不登校、なまけなどとして対応されていることが少なくありません。一方、精神科医が自閉症スペクトラムや注意欠如・多動性障害と診断し、医療の問題として重視して、仕事や生活面への対応を軽視する場面にもよく出会いました。それは学校や職場にも影響しているように思えます。
 第三に、大人の発達障害に関連した一般書が非常に売れていることです。筆者らは前著で相当慎重に議論したつもりでしたが、その後の各出版社から出される関連書籍の売り上げは大変なものです。これには二つの問題があり、一つ目は、子どもの頃に発達障害と診断される方への診断や治療は、精神医学の中である程度、まとまった教科書が書けると思います。しかし大人になってから発達障害と診断される場合、精神科医の中にコンセンサスはありません。それを専門家内での十分な議論もないままに書籍などにまとめている専門家がいるということです。二つ目は、そのような曖昧な議論をそのまま精神科医や心理職向けの専門書ではなく、一般書として出版する著者や出版社があることです。もちろん言論の自由は妨げられるべきではありませんからやむを得ないのですが、もう少し専門家間での議論を経た後でも遅くはないと思います。
 このようなことを前著で編集の労をとってくれた医学書院の松本哲さんに話していたら、「前著のその後を対談で話してみたら」という話になりました。私の中でも「大人の発達障害はこのままでは精神医学の中で位置づけられないし、適切に社会で活用できる概念にはならない」という強い思いがありますので、再度内山登紀夫先生と話の場をもつことにしました。前著以降の流れや問題点が山積していることをご理解いただき、少しでも適切な理解の一助になれば幸いです。

 2018年5月

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第1章 少し長めのイントロダクション
 【発達障害の現状(1)】
  今や発達障害は”ブーム“ 過剰診断と過少診断という裏表の問題も
 【発達障害の現状(2)】
  虐待を受けている子どもの母親が発達障害というケースも
 【過剰と過少の両立という混乱】
  外在的な行動だけで判断され、内在的な問題は無視されてしまう
 【2つの過剰診断】
  便宜的診断と本当に誤まった過剰診断
  社会的な要請で診断される大人が増えた?
 【デイケア・リワーク】
  「やるべきことはやっている」と主張できる企業
  不適応なのに元の職場に戻しては意味がない
 【広がる薬物療法】
  ADHDには3剤が使用可能 本人の訴えだけで安易に処方しがち
 【高齢者にみる発達障害(1)】
  熟年離婚、孤独死、溜めこみ、心気的訴え…
  ヘルプを求めるのが苦手な人が多い
 【高齢者にみる発達障害(2)】
  ターニングポイントは”定年後“
  診察中に老親と遺産の係争を始める人も
 【用語の弊害(1)】
  ASDとADHDは個別概念 一括りにすると本質が見えなくなる

第2章 診断・治療総論
 【診断総論(1)】
  ASDに似ている疾患は認知症!?
  BPSDへの対応に共通する部分も
 【診断総論(2)】
  発達障害のヒエラルキーはどこなのか?
 【診断総論(3)】
  全体的に遅れているのが知的障害 デコボコが目立つのが発達障害
 【診断総論(4)】
  きちんと発達歴を聴くと主訴や症状の背景が見えてくる
  いい医療=いい医師を選ぶこと
 【診断の効用】
  発達障害はあくまでも「かもしれない診断」
  現在と過去は連続しているという視点が重要
 【診断のスタンス】
  除外ではなく、積極的に「発達障害がある」という目で見ていったほうがいい
 【評価尺度】
  傾向を捉えることはできるが、診断ツールとして使うことはできない
 【診断の必要性】
  合理的配慮が必要かどうか 社会的な背景も考慮すべき
 【診断の副作用】
  本人の主体性を認めなくなるケースも
  告知した医師が対応まですべき
 【操作的診断基準】
  簡単に診断できるだろうという錯覚
  精神科医以外でも診断できるはずという誤解
 【大人になって診断された人】
  子どもの頃から何らかの特性があるはず
  学生時代の欠席日数は所見になる
 【ADHDの薬物療法】
  行動が治まるという意味で効果あり 本質的に効いているかは疑問
 【用語の弊害(2)】
  「発達障害」は認知症より大きな括りのカテゴリー
  診断名ではないので対応プランが立てられない
 【発達の視点】
  生活史にあやしい点がないか聞く
  発達障害に見えたらその支援をすればいい
 【神経症とDSM】
  評価者間一致度を高めるために犠牲にしているもの

第3章 ADHDの話
 【診断(1)】
  大人になって初めて発症するADHDはあり得るか?
 【診断(2)】
  多動性は弱まっていくが、不注意は連続しているはず
 【問診と鑑別】
  なくしものや宿題忘れが多かったか
  きちんと話を聞けば鑑別はあまり迷わない
 【ASDとの関係】
  ASDの約半分はADHDとの合併?
  緊急性がなければ診察を複数回に分けて話を聞いてもよい
 【ASDとの合併】
  大人で初めて診断される場合も合併の視点を持つべき
  自己評価が低く抑うつになりやすい傾向も
 【その他の疾患の合併】
  薬物やアルコールなどの依存症は多い
  不安障害には生活のアドバイスを
 【薬物療法】
  やめる時期を考えない投薬はありえない
  効果をみながら「土日休薬」などの試みも
 【非薬物的なアプローチ】
  まずは患者さんへの共感・理解が大切
  メモ代わりにスマホのカメラ機能もオススメ

第4章 自閉症スペクトラムの話
 【症状(1)】
  大人になっても残る感覚過敏
  空腹や口渇、尿意がわからないケースも
 【症状(2)】
  ストレス状況下での数日間の幻覚妄想 日常の雑談は苦手な人が多い
 【診察の流れ(1)】
  友人・異性関係は必ず確認 質問紙を面接の資料として活用
 【診察の流れ(2)】
  幼稚園や小学校低学年の頃の行動をできるだけ具体的に聞く
 【問診】
  その症状が「どんな場面で出るか」を聞くことが大切
  あまりにもピッタリの症状を訴える人はあやしい?
 【診断・合併・鑑別】
  適応障害やPTSDの背景にある脆弱性にASDを疑え
 【薬物療法】
  小児期の易刺激性には薬が使える
  適応拡大により医師が診断をしなくなる?
 【非薬物療法】
  「何があっても味方でいる」という姿勢
  スキルアップよりその人の特性に合った調整を
 【リハビリテーション】
  社会化するのが必ずしもよいとは限らない
  画一的に行うと副作用が出る場合も
 【虐待】
  ASDの子どもは一般的に育てにくい
  親もその傾向を持つことが多く上手に育てられない
 【引きこもり(1) 原因】
  感覚過敏が原因になることも多い
  電車の加速度がつらくて急行に乗れないという人も
 【引きこもり(2) 支援】
  無理やり外に出すのは破壊的
  一見普通に見えるがゆえの社会からの強迫
 【引きこもり(3) 医療化】
  医療化の半分くらいは社会化?
  どこまでが治療対象かを考えることも大切

第5章 ケースから考える大人の発達障害
 【ケース(1) 職場で適応しているASD患者】
  親が悲観的になりすぎず、子どもの個性を認めるほうがうまくいく
 【ケース(2) 心気的な訴えをする患者】
  嫌な素振りを見せず話を聞くことが大切
  他科の先生にフォローしてもらうほうが経過はいい
 【ケース(3) 退職後に仲が悪くなる夫婦】
  大事なのは「意味のある時間」を共有すること
  別々に過ごしたっていい
 【ケース(4) 自分の死を心配する高齢者】
  孤独感や不安感などが入り混じった状態
  認知機能の低下でこだわりが消えることも
 【ケース(5) 昇進後に不適応となった会社員】
  管理職になることで抑うつや不安が強まる場合も
  特性を理解し、働きやすい職場を探す
 【ケース(6) 人から見たら少し違って見える大学生】
  当日の休講や抜き打ちテストなど急な変化に弱い
  感情的にならず論理的に伝える
 【ケース(7) 失敗すると落ち込みが激しいADHD患者】
  注意力や集中力の障害で不安や憂うつ感を呈する人に薬は必要か
 【ケース(8) 抗不安薬を処方されていたADHD患者】
  薬でもっと不注意になる可能性も
  併用禁忌や併用注意薬も知っておくべき

第6章 大人の発達障害にまつわるエトセトラ
 【精神科医間の不一致】
  学派や考え方の違いにより診断が異なる
  発達期の症状が確認できないゆえのばらつきも
 【発達障害に関する書籍や講演】
  精神分析か行動科学か、関係性をどの程度重視するか
  著者や演者の考え方の違いは理解しておくべき
 【診断の不一致】
  明らかにASDと思われるケースを愛着障害やPTSDという先生も
 【診療の責任の所在】
  診断をした医師は治療もする医師であるべき
 【医療化にまつわる諸問題(1) 薬物療法化】
  ADHDは治療薬が増え診断閾値が下がった?
  副作用の少ない薬を漫然と使い続ける危うさ
 【医療化にまつわる諸問題(2) 薬の適正使用】
  子どもの場合は成長に影響も?
  長期的な副作用の可能性も考慮すべき
 【就労支援やデイケア】
  民間参入が活発化 手厚い支援が自立の妨げになる場合も
 【社会とのかかわり(1) 職域】
  デコボコの”デコ“を上手に使うべき
  医師と会社が連携して合理的配慮を
 【社会とのかかわり(2) 教育現場】
  生徒に発達障害の診断がつくと教師が努力を放棄してしまう?
 【社会とのかかわり(3) 司法】
  興味の追求が犯罪につながることも
  動機が理解しにくく同情を得られにくい
 【コメディカルへのtake home message(1)】
  精神科医の診断を鵜【呑】みにしすぎない
  心理職も診断の視点を持って対応を
 【コメディカルへのtake home message(2)】
  特定の精神科医に心酔しないほうがよい
  心理テストへの過度な信頼も禁物
 【おわりに】
  大人の発達障害は精神科医につきつけられた大きな試練
 【文献】

対談を終えて―内山登紀夫
対談を終えて―宮岡 等

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社会現象としての発達障害を正しく理解するために
書評者: 宮子 あずさ (看護師)
 「あの人,発達障害もあるんだよね」「そうそう,確かそう」
 精神科領域では最近よくある看護師同士の会話。多くの場合,話題になっているのは,人とのコミュニケーションがうまくできず,環境変化に弱く,引きこもりがちな人たちです。

 この本は発達障害に詳しい精神科医の対談をもとに作られました。実際の診断,治療に当たる精神科医の話は,「なるほど,わかった」と得心がいきます。私は特に発達障害について正しく診断する意義が,よくわかりました。やはり,冒頭のような曖昧な理解では,とてもまずいのですね。

 前提として,発達障害は,自閉症スペクトラム(ASD),注意欠如・多動性障害(ADHD),学習障害などを含めた大きな枠組みであり,それぞれの障害によって治療やとるべき対応が異なっています。
 これを「一緒にしてしまうと本質が見えなくなる」と内山登紀夫氏。氏の経験では,その人がASDの場合,決められた役割だけは果たせるが,それを広げようとすると破綻しやすい傾向があります。この点はADHDの人とは異なる点。ASDとわかっていれば,他の支援者に対して役割の範囲を広げないよう進言することが大事だそうです。

 こう書きながら,私の頭には,すでに何人かの人の顔が浮かんでいます。高校までは一流の進学校に進んだものの,対人関係がうまくいかず不登校へ一直線。その後は引きこもり,親ともめ,精神科医療とつながり……。結局生活保護を受けながら,基本は無為自閉の生活です。
 見ているとどうしても「もう少しできるはず」と思い,強くプッシュしたくなってしまいます。この人が仮にASDだとしたら? 行動を拡大する大変さを理解し,焦らぬ努力ができるのではないでしょうか。

 本の初めには,発達障害と診断されるメリットにも触れられています。対応困難な子どもが診断されれば,親や教師など周囲の大人は「自分のかかわりではなく,発達障害のせいだ」と安心できますからね。
 読後,私が考えたのは,個人の責任が過剰に問われる社会のこと。その中で,発達障害は数少ない免責の切り札になっているのではないでしょうか。自分が職場でうまくいかない理由を,「発達障害」と説明されるとほっとする。そんな心情はとてもわかりますね。

 とはいえ,こうした「社会現象としての発達障害」があるからこそ,正しく理解するのが大切。「発達障害」との診断を受けた人をみる時は,さらにその先の診断に関心を寄せ,かかわりを検討したいと思いました。
「精神医学の十字軍」の書
書評者: 松本 俊彦 (国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所部長)
 まずは謝罪しなければならない。当初,好評だった前著に味をしめ,「さてはお手軽に柳の下のドジョウを狙ったな」などと勘ぐってしまったからだ。

 しかし読了した今,その考えを全面撤回し,非礼をわびたいと思う。評者は,大人の発達障害に関してこれほど実践的な本は読んだことがない。読みやすいにもかかわらず,多くの発見がある。何よりも,同じ主題の本でよく経験させられる,読後の心理的残尿感(「お考えはわかったが,ではどうすればいいのだ?」という感覚)がない。

 対談なればこその成果だ。一人の著者による書き下ろしであれば,明快さや整合性を優先し,強引な単純化や枝葉の切り捨ては避け難く,それが例の残尿感を引き起こす。ところが,対談はそうはいかない。語りは聞き手によって遮られ,反証をぶつけられ,きれいごとや一般論で終わらせてもらえない。案外,そのほうが,読む者にとって臨床にすぐに役立つヒントが多い気がする。

 加えて,本書は聞き手と語り手の組み合わせが絶妙だ。聞き手としての宮岡等は,発想の原点が常に精神科診察室にあるがゆえに,臨床医が「本当に知りたい」と思う情報を引き出す力に長け,「3分間で聞ける生活史聴取法を教えてほしい」といった,回答者泣かせの質問をためらわない。一方の内山登紀夫には,そうした問いかけを真正面から受け止める誠実さと,豊富な経験に裏打ちされたワザやコツを惜しまずに開陳する気前の良さがある。もちろん,それは同じ対談形式の前著にも当てはまるが,最近数年間における臨床経験の蓄積がある分,情報の量と深さにおいて前著を凌駕している。

 個人的にイチオシなのは診断をめぐる対話だ。宮岡が,ろくに発達歴も聴取しないまま,横断的な行動特性やWAIS下位尺度のバラツキだけを根拠になされる,安易な「大人の発達障害」診断を憂慮してみせると,内山は,宮岡に同意しつつ,それでもなお,「発達障害は積極的に診断すべき」と主張する。決して安易なアトモキセチンの処方を正当化しているのではない。どの患者に対しても生活史と発達歴を聴取し,どんな要因がどれくらい絡み合っているのかを考えよ,さらには,発達障害は,「0/1」診断できない,正常と連続した状態であり,うつ病の症状を修飾し,適応障害やPTSD,依存症などへの罹患脆弱性を準備する要因であることを忘れるな,という意味なのだ。

 ここにおいて内山と宮岡の見解は止揚される。発達障害を評価する作業とは,かつて精神医学的診断において重視されてきた「病前性格」の評価に代わるものなのだ。そして,とどめに宮岡はこう断言する。「大人の精神科医にとって発達障害はマストだ」と。この言葉に,評者は思わず居住まいを正さずにはいられなかった。

 ここまでいえばもうおわかりだろう。本書は発達障害に限定した本ではない。操作的診断に毒された精神医学を蘇生させる,「精神医学の十字軍」の書なのだ。
発達障害から考える「診断の意味」
書評者: 兼本 浩祐 (愛知医大教授・精神科学)
 読んで多くの項目にいちいちそうだそうだとうなずくことが多く,一気に最後まで読み進むことができた。大人の発達障害は今や精神科の臨床の中で常に意識をせざるを得ない事項であり,どうやってこの概念なしにわれわれが二十世紀には臨床をやっていたのかがわからないほど今やわれわれの臨床に溶け込んでいる。先日の日本精神神経学会でも本書は売上一位を連日続けていた。いくつか激しく点頭したい項目を抜き書きしてみた。

 まずは,診断だけを告知して送りつけてくるのはやめて欲しいという件だろうか。そもそも発達障害というのは,統合失調症やうつ病,いわんやてんかんなどとは診断の意味が異なっていて,同じ診断という名前を冠にしていてもその実態は大きく違う。例えばわれわれ誰もが自閉症スペクトラムの傾向性はあって,違うのはそれが1なのか5なのか9なのかという程度の問題であり,その傾向性を念頭に置いて診療をすると,中には随分治療的介入のフォーカスを絞ることができる人がいる。したがって,自閉症スペクトラムという特性を念頭に置いて,それをいかに臨床の中に組み入れていくのか,あるいはいかないのかは,来院して来られる家族・本人とのやり取りの中で個別に,オーダーメイドで一人ひとり考えなければならず,そこには診断をどのように告知し,どのように治療に組み込むか,あるいは事例化して医療が引き受けるかどうかまでの幅広い選択肢がある。あらかじめ,本当かどうかもわからない自閉症スペクトラムの診断を付けられての来院ということになると,こうした枠組み作りの大きな妨げになるのは間違いない。大人の発達障害のための専門施設を対外的に喧伝し膨大な公的予算を消費しているような場合は別であるが,診断をした医師が治療も行う,治療を行わないなら診断はしないというのは,確かに意識化しておいてよい重要な指摘だと大いに得心するところがあった。

 次に挙げるとしたら,発達障害を診断名として使わないことであろうか。自閉症スペクトラム自体が非常に幅広くかなりヘテロな傾向性の集合体であるが,注意欠如・多動性障害はそれとは独立した傾向性であり,さらにいえば発達性協調運動障害とか,読字困難を始めとする学習障害など,脳機能の数だけ発達障害も種類があるのは間違いない。これを全部一くくりにして取り扱うのは当然乱暴この上ない話であり,少なくとも診断という名には値しないことは著者らの言う通りであろう。発達障害といえば自閉症スペクトラムのことを指すことが多いが,花は桜といった用語法であり,医学的な診断名にはなじまない。

 いずれにせよ本書を通して強く感じられるのは,診断ということの意味を発達障害ほど私たちに突き付ける状況は他にはないということである。最近は,「発達障害かどうかを判定して欲しい」という主訴で来院される方が少なからずある。本来は主訴があり,主訴をどう治療するかということを考えるための手段として診断はあるはずなのだが,AQとか知能テストなど目に見えるもので診断の白黒が付かないと納得できない方もいる。自閉症スペクトラムの診断は,あくまでも人生をよりよく過ごす手助けをするためのツールであることを考えれば,診断で終わりではなく,診断してそれからどうするのかが問題となるはずだが,現状ではしばしば診断それ自体が社会的・心理的に大きな影響を与えてしまう。著者らの言うように大人の発達障害は,精神科医に突き付けられた大きな試練であることは間違いない。

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