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死を前にした人に あなたは何ができますか?

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看取りの現場では、答えることのできない問いを突き付けられる。「下の世話になるくらいなら、いっそ死にたい」「どうしてこんな目に合うの?」。そこでは説明も励ましも通用しない。私たちにできるのは、相手の話を聴き、支えを見つけること。言葉を反復し、次の言葉を待つこと。それは誠実に看取りと向き合ってきた在宅医がたどりついた、穏やかに看取るための方法。死を前にした人に、私たちにはできることがある!
死を前にした人にあなたは何ができますか?PV
小澤 竹俊
発行 2017年08月判型:A5頁:168
ISBN 978-4-260-03208-7
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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はじめに


 超高齢少子化多死時代を目前にして,国の方針は急性期の病院から,自宅や介護施設での看取り対応を促進しています。では,死を前にした人がいたら,あなたは何ができるのでしょう?
 安易な励ましは通じません。どれほど明るい言葉でその場をつくろっても,苦しむ人の援助にはなりません。どれほど医学が進歩しても,すべての病気を治すことはできません。では,何をしたらよいのでしょうか?
 私は,緩和ケアに従事して23年目を迎えます。この間に,死を前にして絶望と思える苦しみや,解決できない困難を抱えた患者さん,ご家族と向き合ってきました。そこで学んだことは,苦しみの中でも,幸せは見つかるということでした。
 病気を通して,健康な時には気づかなかった大切なことが見えてきます。家族がそばにいるだけで嬉しい,何気ない友人の一言が暖かい,見過ごしていた庭の花に心打たれ,当たり前に家で過ごせることがいかに素晴らしいかに気づいたりします。

 死を前にした人に,私たちができることがあります!

 それは,その人の顔の表情を大切にすることです。たとえ人は死を前にしても,穏やかな表情で過ごせる可能性があります。
 穏やかだと思える理由は人によって異なるでしょう。こちらの世界観で一方的に決めつけずに,1人の人間として,その人の生き方を尊重しながら,穏やかになれる条件を探してみましょう。
 痛みが少ないこと,希望の場所で過ごせること,なるべく家族に迷惑をかけないこと,お風呂に入れること,ふるさとの話をすること…これらの条件を援助できるのは,一部の医療職だけではありません。関わるすべての人ができることです。
 この本では,これからの時代に必要とされる看取り対応について,具体的な関わり方を紹介しました。今まで看取りに苦手意識を持っていた人が,自信を持って関わることができるようになり,超高齢少子化多死時代を迎える中,誠実に対応できる人が増えていくことを夢見ています。

 2017年6月
 小澤竹俊

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はじめに

序章 苦しむ人への援助と5つの課題
 第1の課題 援助的コミュニケーション
 第2の課題 相手の苦しみをキャッチする
 第3の課題 相手の支えをキャッチする
 第4の課題 相手の支えを強める
 第5の課題 自らの支えを知る

第1章 援助的コミュニケーション
 相手の苦しみをわかること,理解することはできるのか?
 わかってくれる人になるための聴き方
 聴き方の技法 反復
 聴き方の技法 沈黙
 聴き方の技法 問いかけ

第2章 相手の苦しみをキャッチする
 相手の苦しみに気づく感性を養う
 苦しみは,希望と現実の開きである
 苦しみを2つに分けて考える
 すべての苦しみをゼロにすることはできない

第3章 相手の支えをキャッチする,強める
 それはゴミか,宝物か
 “死”を穏やかなものと見る人がいる
 苦しみを通して気づく“支え”
 3つの支え
 将来の夢
 支えとなる関係
 選ぶことができる自由
 支えを見つける9つの視点

第4章 自らの支えを知る
 自分自身を認めることができる時
 自分自身を認めることができない時
 自分に「よくできました」と言えない時
 自分を認めることの大切さ-「これで良い」という言葉

第5章 援助を言葉にする-事例で学ぶ援助の実際
 事例紹介の文章から,苦しみと支えをキャッチする
 事例検討シートを活用する
 事例検討の実際
  事例1 病状を認めようとしないOさん
  事例2 1人暮らしで自宅での生活を希望するUさん
  事例3 「もう死んでしまいたい」と訴えるTさん

おわりに

Column
 Column 1 本を読んでも泳げない
       -エンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座の勧め
 Column 2 意思決定支援
       -本人が最も大切にしてきたことは何でしょうか?
 Column 3 人生の最終段階に共通する自然経過
 Column 4 ディグニティセラピー
       -「これまで」と「これから」をつなぐグリーフケア

Episode
 Episode 1 「反復」の難しさ
 Episode 2 まさかの“全権掌握宣言”
 Episode 3 お母さんを一文字で表すとしたら?

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「積極的治療がなくなっても,できることがある」
書評者: 勝俣 範之 (日本医科大武蔵小杉病院教授・腫瘍内科)
 進行がん患者さんに携わるがん治療医にとって,どのような治療薬を使い,より延命させるか?ということはもちろん重要なことであるが,治療ばかりに気をとられていると,何のために治療をしているのか,治療医も,患者さんもわからなくなることがある。積極的治療はいつまでも続くわけではない。進行がんの場合には,必ず限界が来る。その際に,治療医は,「もうやることがありません」と言ってしまうと,患者さんは,絶望に陥ってしまう。「もうやることがない」というのは,“積極的治療が難しい”ということであって,“やることがなくなった”という意味ではない。“人生が終わった”という意味でもない。

 何のために治療をしているのか? それは,患者さんが“自分らしく,より良い人生を生きる”ためである。治療が中心になってしまうと,まるで,“治療をするために人生がある”ように医師も,患者さんも錯覚してしまうのではないだろうか。患者さんは,自分の生活の質をも犠牲にして,積極的治療を優先していないだろうか? 優先すべきは,積極的治療なのか,患者さんの生活の質なのか,よく考える必要がある。

 たとえ,積極的治療がなくなっても,患者さんが,“より良く生きる”を支えるために,われわれにできることはたくさんある。この本は,それに気づかせてくれる。われわれ,がん治療医は,患者さんの苦しみから目を背けていないだろうか? 苦しみを抱える目の前の患者さんから逃げてしまっていないか? 治療医が目を背けたら,逃げてしまったら,患者さんは絶望に陥る。積極的治療だけをするのが,治療医の役割ではない。がん患者さんの苦しみに気づき,“より良く人生を生きる”ことを支えることが,本当の主治医の役割である。われわれは,死を前にした患者さんに何もできないかもしれない。“何もできなくてもよい,それを認めることが大切”と小澤先生は教えてくれる。

 この本は,苦しむ患者さんにどのように向き合っていけばよいか,具体的な事例をあげて,丁寧に解説してくれる。事例検討シートなどは,すぐに現場でも使えるであろう。援助的コミュニケーションは一朝一夕にできるものではないが,この本は多くの“気づき”を与えてくれる。がん治療に携わる全ての医療者に手に取って読んでほしい。
患者の「わかってほしい」気持ちに焦点をあてる
書評者: 柏木 哲夫 (淀川キリスト教病院・理事長)
 本書の著者,小澤竹俊先生が「お願いしたいことがある」とのことで,淀川キリスト教病院に来られたのは,現在先生が理事をしておられる「エンドオブライフ・ケア協会」の設立(2015年)少し前のことであった。高齢化時代,多死時代において,人生の最終段階に対応できる人材の育成を目的とした「エンドオブライフ・ケア協会」を立ち上げるに際し,「顧問」になってほしいとの熱心なご依頼であった。小澤先生とは「日本死の臨床研究会」や「日本ホスピス緩和ケア協会」でご一緒することもあり,先生のお人柄やお仕事の内容もよく存じ上げていたので「私で良ければ」ということで,お引き受けした。

 その後協会は順調に発展し,メディアも好意的に働きを報道してくれていることはご同慶の至りである。このたび,小澤先生が本書を出版されたことは,さらに協会の発展に大きく寄与することであろうと思う。本書の特徴を一言でまとめると「難しくなりがちな内容を,具体的にやさしく述べている」ということであろう。数多くの経験なしには具体性とやさしさは出てこない。

 私はホスピスという場で,約2,500名の患者さんを看取ったが,本書を通読して,小澤先生の経験と共通することが多かったことに気付いた。その一つは先生が第1章「援助的コミュニケーション」のところで書いておられることである。ミルトン・メイヤロフが『ケアの本質』(ゆみる出版,1987)で書いている「配慮的人間関係」(Caring Relationship)と一脈通じるところがある。この関係の特徴は「相互的成長」である。Caring Relationshipにおいてはケアを提供する側も受ける側も,ともに成長するということである。その意味では,ケアは双方向性なのである。

 本書では聴き方の技法として,反復,沈黙,問いかけ,の3つが挙げられているが,私の言葉で言えば,反復は理解的態度であり,問いかけは「受け身の踏み込み」と言えるであろう。理解的態度とは相手の言葉を自分の言葉に変えて,相手に返すことである。例えば「もうダメなのではないでしょうか」との患者さんの言葉に対して,「もう治らないのではないか……とそんな気がするのですね」と返すことである。「受け身の踏み込み」とは,しっかり受け身で聴いて信頼感を作り,その上で,踏み込んで質問をすることである。

 末期患者の共通の願いは「苦痛の緩和」と「気持ちをわかってほしい」である。前者に関しては多くの書物が世に出ている。残念ながら,後者に関する好著が少ない。本書は「患者の気持ち」に焦点をあてているという点でユニークである。ケアの提供者のみならず,一般の方々にも読んでいただきたい好書である。
苦しむ人に何ができるか,求め続けた先に見えた道筋
書評者: 河 正子 (NPO法人緩和ケアサポートグループ)
 小澤竹俊先生は,求道者であると思う。緩和ケア医師として長い年月を終末期の方とその家族の傍らで過ごし,本人や家族とともに苦しみながら,援助者として何ができるだろうかと問い続け,探求し続けた。そして到達したことを平易な言葉で書き表してくださった。感謝しつつ読了した。

 本書の流れは序章で明快に示され,各章が続く。第1章「援助的コミュニケーション」では,苦しんでいる人から「この人は私のことをわかってくれる人だ」と認めてもらえるための「聴き方」を学ぶ。第2章「相手の苦しみをキャッチする」では,「苦しみは希望と現実の開き」と捉え,その苦しみに答えがある(解決できる)のか否かを見極める必要を知る。全ての苦しみをゼロにすることはできないと認めることも必要なのだ。第3章「相手の支えをキャッチする,強める」では,解決できない苦しみの中でも自分にとっての大切な支えに気付くとき人は穏やかでいられると示される。そして第4章「自らの支えを知る」では,苦しむ人の力になれずに苦しむ援助者が逃げないでかかわり続けるための支えを考える。
 全体を通して,意外にもスピリチュアルペイン,スピリチュアルケアという言葉はほとんど表れない。実は小澤先生には,10年ほど前にスピリチュアルケアについてお考えを聞かせていただいたことがある。緩和ケア病棟から在宅診療に転身された頃であった。尊敬し師事してこられた村田久行先生の考え方を基盤として,死を前にした人のスピリチュアルケアに取り組んでおられた。しかし,本書では「苦しむ人に何ができるか」をスピリチュアルケア論として展開してはいない。看取りを幾千と重ねた中から道筋を探索し,誰でも実践できるように具体的なステップを組み上げている。

 筆者もスピリチュアルケアをどう実践するのか考え続けているが,本書は新鮮であった。苦しみを「希望と現実の開き」として捉え,答えることのできない苦しみの本質がスピリチュアルな苦しみであるとすれば,スピリチュアルペインを特定する精度は低くてもよいのではないか。答えることのできない苦しみを持ちながらも穏やかでいられるには大切な自らの支えに気付けばよいのであれば,援助者が意識すべきは苦しむ人の支えは何かということなのだと考えさせられた。

 個人の支えは大きく分けると「将来の夢」「支えとなる関係」「選ぶことができる自由」だと小澤先生は語っている。これは村田先生の説く人間存在の「時間性」「関係性」「自律性」を実践の日々に咀嚼し,「支え」の視点で捉え直したものであろうか。あえて「スピリチュアル」を封印された潔さに驚きつつ,看取りが誰にとっても身近な課題として迫っている現実への先生の危機感を感じる。
 本書を片手に,私たちそれぞれも何ができるか,求道の歩みを早めていかなくてはならないだろう。

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