著:浦河べてるの家
今回取り上げる『べてるの家の「当事者研究」』は、べてるの家に関する多くの出版物の中でも特に、べてるの家のスピリットの核心をつく本ではないかと思う。それは「当事者研究」というところに、真正面から光を当てているからである。
たとえば、山本賀代さん(自己病名=依存系自分のコントロール障害)と下野勉さん(自己病名=依存系爆発型統合失調症)のカップルは、同居生活の中でケンカがどんどん過激さを増し傷つけ合ってしまうことにとまどい、自分たちのケンカのメカニズムを明らかにする当事者研究を始める。
はじめは研究自体が新たなケンカのきっかけになってしまうくらいだったが、徐々にケンカに「一貫性」と「法則性」があることが分析の中で見えてくる。もちろん、だからといってケンカが収まるわけではなく、それぞれの生育歴をふりかえったり、新たな事件を引き起こしながら、やがて「前向きな別居」という方向性を見出していく。
そういったプロセスがていねいに山本さん自身の手で記され、文章の横には何枚か二人の写真が添えられている。べてるの家の総会でパンチング・グローブを賞品にもらい、二人のユニット名が「パンチン'グローブ」になった時の写真。雪景色を背景に、それぞれが別方向を向きながらタバコを吸っている写真。どちらも味がある。
ほかにも、本書にはあちこちに当事者たちの写真が散りばめられていて、それらはあけっぴろげで、暖かい。写真の中で当事者たちは、等身大の姿をさらけ出し、自分たちの正直な思いをのぞかせている。個々人がバラバラに立ちながらも、同時にゆるやかにつながっている。
「精神障害」という領域においては、当事者が実名を出し、写真を出すだけで画期的なこととも言える。生育歴などもかなり詳しく書かれてあり、親族縁者から文句がでないのか、こちらが心配になるくらいである。けれどもそのように精神障害を恥ずかしいこと、隠すべきことと捉えるありようから、まず自分たちが解放されなければ何も始まらない。その認識が当事者とスタッフ間で共有されているから、これほど血の通った写真になっているのだろう。
写真以外に、まんがや図解、挿絵などの「絵解き」も本書にはふんだんに挿入されており、生き生きさを増している。これらの「絵解き」はべてるの家の日常でも活用されているようだ。
当事者研究から生まれた《臼田周一の体感幻覚ボディマップ》や、林園子さん(自己病名=統合失調症・九官鳥型)の研究における《くどうくどき》キャラ、その反対の《あっさりほめお》キャラ、スタッフと仲間が作ってくれた《くどうくどきがやってきた!それはきっと暇なのよスゴロク》などからは、ヒーリング・コミュニティの力が深く感じられる。
そして、言葉である。例えば、上記の《くどうくどき》は、《幻聴さん》や否定的認知によってくどくなってしまう症状に林さん自身がつけたニックネームであり、どんなときに《くどうくどき》が騒ぐのかを仲間と分析する中で、悩み・疲れ・暇・寂しさ・お金お腹お薬(の不足)という《なつひさお》自己チェック法を見出す。そして《なつひさお》への自己対処法は、食べる、仲間、語る・体を動かす、休む、すぐ相談・すぐ受診、おろす・送ってもらうという《たなかやすお》にまとめられる。
このほかにも紹介したい言葉は限りないほどだ。こういった名付けは、もちろん心理学的手法としての「外在化」ともいえるし、グラウンディッド・セオリー法という質的研究法の基本分析プロセス、「コーディング」とも重なるものがある。けれども、なんだかそういった説明の仕方がばからしくなるほど、言葉そのものが楽しくて、生き生きしていて、力を与えてくれるように思う。
べてるの家の日常はこういったユーモアや笑顔に彩られているが、実際にはトラブルだらけでもあるという。
予測可能であることが重視され、組織が責任をとらずにすむよう、リスク・マネージメントという言葉が幅をきかせるようになった今の日本社会において、べてるの家のような、試行錯誤が重視される空間が存続し続け、広がっていくことは容易ではないだろう。けれども人が生きていくということは――生きていく価値があるのは――まさに人生が予測不可能だからでもある。
べてるの家の哲学的深さはまさにそこにあって、精神医療専門家の役割が、国家に任命されたゲートキーパーでも、組織の中間管理職でもなく、個々の予測不可能な人生をサポートすることであることを当たり前のように思いおこさせてくれる。わたしもべてるの家を訪問したくなってきた。そこに行けば魔法があるわけではないことは知りながらも。
本書が入っている医学書院の「ケアをひらく」シリーズは、編集がいいせいか良書が並び(本書の前には2002年に『べてるの家の「非」援助論』もでている)、急性疾患のキュア(治癒)モデル中心、還元主義的で自然科学モデル中心の医療界に風穴を開け、涼風を吹かせているように思う。今後、ますますの発展を期待したい。