第2599号 2004年9月6日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第45回

シンデレラ・メディシン(7)
シンデレラになれなかった患者たち:
苛酷な医療負債取り立て(2)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2597号よりつづく

 前回に続き,米国の医療負債の取り立てがいかに苛酷であるかについて述べる。

 通常,債権の取り立て業務が取り立て会社の手に移るのは,病院への未支払い期間が100日を越えた場合である。債権取り立て会社が,家屋に対する抵当権設定,銀行口座の差し押さえなど,取り立てのためにありとあらゆる手段を講じることは,前回も述べたとおりであるが,取り立て会社のこういった取り立て手法に何ら違法性はない。違法性はないどころか,弁護士を立て,法廷を通じてきちんとした手続きを踏んだうえでの取り立てであるから,何から何まで「法に則った」処置である。

 しかし,すべて合法とはいっても,債務者にはもともと弁護士を雇う財力などないので,法廷に呼び出されても取り立て会社が雇った弁護士に太刀打ちできるはずもない。対等な立場で交渉することなどはじめから不可能なので,債権者が提案する「返済プラン」に一方的に合意させられてしまうことがほとんどである。「とても返せそうにない」とは思っていても,債権者側の弁護士の言いなりになるしかないのである(おまけに,弁護士と法廷の費用が債務に加算される)。

 しかし,「返済プラン」に合意させられたとはいっても,もともと返済能力に見合ったプランではないので,やがて返済は滞る。滞ると,また,法廷から呼び出しを受けるのだが,呼び出しに応じて出廷したところで相手方の弁護士の言いなりにさせられて同じことの繰り返しになるだけだと思うと,出廷する気にもなれない。出廷するためにわざわざ仕事を休めばその分収入も減ってしまうと,呼び出しを無視するということが往々にして起こることになる。

医療界にのみ残る苛酷で非人道的な「肉体差し押さえ」

 こういった事情で,法廷への呼び出しを「無視」してしまった債務者には,さらに苛酷な運命が待っている。ある日突然,戸口に警察官が現れ,「法廷への呼び出しをすっぽかしたのはけしからん」と,手錠をかけられ,逮捕されてしまうのである。通常,こういった事情で逮捕状が行使されるのは,債権者が逮捕状を請求した場合に限られるが,取り立て業界では,債務者を逮捕してしまうことを「肉体差し押さえ(body attachment)」と呼んでいる。「肉体差し押さえ」は,債務返済の心理的圧力をかける有効な手段の一つとされているので,運悪く病気になった無保険者が,やがて「犯罪者」として警察に逮捕されてしまうということが日常茶飯に起こっているのである。

 しかし,ここで問題なのは,「肉体差し押さえ」という手法はあまりに苛酷で非人道的であると,最近は取り立て業界でも使われることがなくなっていることである。たとえば,総合百貨店のシアーズ・ローバックや,自動車メーカーのフォードでは,社の規則で「肉体差し押さえ」をしてはならないと,明瞭に禁止している。借金を払えないがために警察に逮捕されてしまうという,ディケンズの小説に描かれたような非情な債権取り立てが行われているのは,なぜか医療の世界に限られているのである(冷蔵庫や車ならば支払いの滞った人から「現物」を取り上げることができるが,医療の場合は,「心臓に入れた人工弁を返せ」というわけにはいかないので,「肉体差し押さえ」という手段に訴えるのだろうか?)。

 さらに問題なのは,無保険者に対する医療提供など,慈善活動を行うことを条件に税法上の特典を受けている非営利病院までもが,無保険者の医療債務に対し,「肉体差し押さえ」という苛酷な取り立てを実施していることである。たとえば,名門イェール大学のイェール・ニュー・ヘブン病院では,2003年までの3年間に,少なくとも65件の逮捕状を請求したことがわかっている。

医療保険制度を市場原理に委ねたアメリカの凄惨な現状

 しかし,なぜ,非営利の病院がどこかの国の消費者金融まがいの非情な債権取り立てをしなければならないのか,そして,そもそも,なぜ,不幸にして病気になったがために借金地獄に陥らなければならない患者が多いのかといえば,その大本の原因は,「米国では医療における平等が保障されていない」ことに尽きる。平等を保障するどころか,医療保険制度を市場原理に委ねた結果,実に,国民の7人に1人が無保険者という悲惨な状況が現出し,多くの国民が医療債務に喘いでいるのである。しかも,表に示したとおり,無保険者だけでなく,最近は,有保険者にまで医療債務が深刻にのしかかり,市場原理の失敗はいよいよ明らかとなっている。

 米国における個人医療負債の現況(成人3508人での調査結果)
 無保険者有保険者
医療費の支払いが困難であった,あるいは不可能であった50%17%
医療費の支払いについて債権取り立て会社から連絡を受けた36%15%
医療費支払いのせいで生活が変わった27%9%
(コモンウェルス・ファンド 2001年医療保険調査)

 こういった状況の下で,安全網(セーフティ・ネット)病院として無保険者・低所得者の医療を担う責務が負わされている非営利病院に,無保険者医療の過重な財政負担がのしかかったのであり,非営利病院が「肉体差し押さえ」という苛酷な手段を行使してまで債権を回収しなければならない根本の原因も,医療を市場原理に委ねてしまったことにあるのである。

 日本で,市場原理論者が「医療保険の『公』の部分を減らし,『民』の部分を増やせ」と,アメリカを真似て所得格差に基づく医療差別を制度化することを強硬に主張しているが,アメリカの凄惨な現状を見るにつけ「正気の沙汰とは思えない」主張としか言いようがない。

■李啓充氏待望の新作,10月中旬発売

 待望の李啓充氏の新刊『市場原理が医療を亡ぼす──アメリカの失敗』が10月中旬,弊社より刊行される。

 頻発する株式会社病院の「犯罪」,財力に基づく凄惨な医療差別……,市場原理の下で,米国医療はどう歪められてきたか?! 米国の事例を紹介しつつ,「混合診療解禁」,「医療機関経営への株式会社の参入容認」など,市場原理主義者らが声高に唱える改革論議を正面から斬る,著者入魂の一冊。

 好評だった弊紙連載記事を,日本での規制改革の動きをにらみながら,大幅に加筆・修正。さらに「混合診療厳禁論」など,新たな書き下ろし作品を加えた。これを読まずして医療改革は語れない!!

(四六判並製・約280頁 予価2100円)