第2568号 2004年1月19日



名郷直樹の研修センター長日記

7R

眼にて云う

名郷直樹  (地域医療振興協会 地域医療研修センター長,
横須賀市立うわまち病院 臨床研修センター長)


前回2563号

□月△日
 明日から実質的な研修医オリエンテーションがはじまる。最初のセッションはとっておきのネタだ。どこかの大学で,試験問題として採用してくれないだろうか?
 問題。下記は,宮沢賢治の「眼にて云う」という詩の一節である。この詩は,死に瀕した患者が,目に入る景色を描写したものである。自分自身が血を吐きながら死に瀕している状況を想像しながら,カッコの中に適切な言葉を入れなさい。

眼にて云う

 だめでしょう
 とまりませんな

 <中略>

 そこらは青くしんしんとして
 どうもまもなく死にそうです
 (   )なんと(   )風でしょう
 もう清明が近いので
 あんなに青空がもりあがって湧くように
 (   )な風がくるですな

 <中略>

 血が出ているにかかわらず
 こんなに(   )で(   )のは
 魂魄なかばからだをはなれたのですかな

 <中略>

 あなた方から見たらずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
 わたくしから見えるのは
 やっぱり(   )青ぞらと
 (   )風ばかりです

 何で宮沢賢治なのか。今はもう高校2年生の上の息子が小学生の時,「雨ニモマケズ」を習って,うちに宮沢賢治の本がないかと言う。書棚の奥をひっくり返したら,ありました。宮沢賢治詩集角川文庫版。日焼けして紙は茶色(ほんとに茶色だ)に変色,表紙には宮沢賢治の顔写真入り,定価220円,昭和56年発行とある。多分大学入学直後に買ったのだろう。読んだのか,読まなかったのか,それすら記憶にない。それから20年近くを経て,一体何年ぶりに開かれたのだろう。
 まず「雨ニモマケズ」を探してみる。あったあった。243ページ。しかし雨ニモマケズはいいとして,その隣の詩を読んでみた。するとこの「眼にて云う」。いきなり「だめでしょう,とまりませんな」である。これは読むしかない。読んでみて,まいった。本当に。
 自分自身が,血を吐きながら死に瀕して,一体どんなけしきを見るだろうか。たぶん悲惨なけしきを見るような気がする。けしきどころじゃない。血の赤しか目に入らないかもしれない。その悲惨なけしきから,患者を救い出すために医者がある。そうじゃないか。しかし,そんな考えが実は大間違いかもしれない,たぶん大間違いだ,そう気づかせる。そう思いはじめると,思い当たることは山ほどある。
 「恵まれない人に愛の手を」,確かに大事なことだ。しかし問題はそれほど単純じゃない。恵まれないと思われている彼らは,実はそんなふうに思っていないかもしれない。「私があなたより恵まれていないなんて,勝手に決めつけないで」,そう思っているかもしれないのだ。彼らが見る青ぞらと,私が見る青ぞらと,一体どちらがどうなんだ。彼らが感じる風と,私が感じる風と,どちらが心地よいと感じているのか。
 自分自身がめざした僻地医療だって,これと同じだ。そのものだ。「医療に恵まれない僻地で」,偉そうに言う自分だってそんなつもりだった。しかし現実はどうか。自分に僻地で何ができたか。こっちが教わることばかりじゃないか。勉強させてもらうばかりで,借りを返すどころか,自分の都合でいつの間にかの都会暮らし。そんな自分が,カッコの中に埋める言葉は,真赤に染まった青ぞらと,血のにおいのする風ばかり,それが関の山だ。
 あす,このカッコの中に,研修医のみんなが,どんな言葉を埋めてくれるのか。今日はもう寝ることにする。

□月×日
 あなた方から見たらずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
 わたくしから見えるのは
 やっぱりこのまちの青ぞらと
 澄んだしおかぜばかりです

 少し平凡だ。今一歩盛り上がりに欠けたかな。もっと自分自身が血を吐いている場面を想像して,と強調すればよかったかもしれない。多分この解答は,自分が血を吐きながら死にかけている時の状態というより,この詩の作者の気持ちになって答えてしまったのだろう。
 これから病棟で向き合う患者さんが,医者の目からどんなに悲惨な状況に見えようとも,澄んだしおかぜを感じているかもしれない。そんなばかな,そう思うかもしれない。自分だってそう思う。しかしそんなばかな,そんなわけはないと思うからこそ,ひょっとして澄んだしおかぜを感じているかもしれないと考えることに,意味があるのではないか。救っているのが患者さんで,救われているのが医者だったりする。

 朝から晩までお仕事ご苦労さんです
 でもたまにはちょっとゆっくりして
 あなたもこのしおかぜを感じてみてはどうですか

 死に物狂いで夜も寝ないで働けば,幻聴でそんな患者さんの声が聞えてくるかもしれない。幻聴じゃ困るんだけど,そんな声が聞こえるまでには,寝る間を惜しんで患者さんと向き合う必要がある。めざすは気楽なようでシビアな研修,澄んだしおかぜを感じながらの。それでは,研修医の皆さんよろしくね。

名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。