医学界新聞

 


名郷直樹の研修センター長日記

6R

ひとつのお願い

名郷直樹  (地域医療振興協会 地域医療研修センター長,
横須賀市立うわまち病院 臨床研修センター長)


前回2560号

□月○日
 研修医を待つ身としてはとてつもなく長く,準備のための期間としてはあまりにも短いこの1か月だった。とうとう,そして,もう研修医がやってきた。5名の新卒の研修医だ。ある者は第一志望の研修病院の試験に落ち,ある者は別の研修病院にも合格し,どちらにするか散々迷った挙句の選択で,ある者は僻地医療がやりたくて,ある者は大学で研修するつもりが,そんな馬鹿なことはやめろといわれて,あわてて近場で研修病院を探してわけもわからず,そんなメンバー。それで私自身はといえば,第一志望の僻地医療の実践に疲れ果て,別の病院の誘いとの間で揺れ動き,それでもやはり僻地医療以外に自分の道はないと,結局は母校の関連の身近な病院で,と似たようなもんだ。
 僻地医療の実践から僻地医療の教育へと身を移しつつ,いまだ僻地診療所の外来はよかったなあなどとセンチになりながら,今から元の診療所に戻るわけにもいかず,教育こそが私の仕事だと,日々自分自身に言い聞かせ,誰かの何かのお役に立てればなどと不遜なことを考えつつ,と書きながらやたら読点の多い,読みにくい文章に自分でも嫌気がさしてくるが,それでも句点が打てない自分を正直に語る形式として,これ以外の方法はないと言い聞かせ,どこまで句点を打たずに我慢できるのか,そんなことに挑戦して,相変わらず書くのは自分自身のことばかり(言い訳すればいいというもんじゃないが)。
 やたら読点で区切りながら,箇条書きで書くように,これまでを振り返り,自分自身に細かく指示を出しながら,箇条書きの行間にこそ,本当に書くべきことがあるのではないかと自問しつつ,そうした自問自答を,カッコでくくった妙な突っ込みでしか書くことができず,あやふやな句点,改行で思考が停止する。私の心の師匠,かの偉大なる消しゴム版画家は,生涯初の原稿を一切改行することなしに書いたという。なんかわかる気がする。
 なんてことを考え,5人の研修医と向き合いながら,最初の挨拶をした。1人ひとりとまず握手をして,「国家試験合格おめでとう」,「引越しは無事すみましたか」,そんな声をかけながら,「よろしくお願いします」と。しかし,自分自身がどんな顔をして,どんな格好で,研修医たちと握手をし,話をしているのか,不安になる。笑い顔が引きつっていないだろうか。手がひどく汗ばんでいるのを変に思われないだろうか。声の調子がなんかウソ臭いと思われていないだろうか。死んだようなまなざしでみんなを見てはいないだろうか。
 握手をした時に,1人の研修医が他の研修医より少し力を入れて握手をしたような気がした。その研修医が誰であったか,もう思い出せないのだけれど,そうすると不思議に自分の手の力がすっと抜けて,自分がどんな顔をしているかでなく,研修医たちがどんな顔をしているのか,どんな様子でいるのか,そんなことを気にする余裕が出てきた。
 僻地診療所で勤務する10年以上の間で徐々に私自身に起こった変化を,今,このほんの一瞬の間に,再び復習する。自分はどんな医師なのか,これからどんな医師になりたいのか,最初はそんなことばかりに気をとられていた。そんなふうに考えていた時にはさっぱりうまくいかなかった。それが10年の時間を経るなかで,自分自身の将来に対する関心が薄れ,目の前の患者さんたちに関心が移っていった。そこからはじまったことが,今の自分のすべてにつながっている。重要なことは,自分がどんな医師になりたいかではない,目の前の患者さんにどのような医師になることを望まれているのかだ,そうはっきり意識した時,自分の中で何かがうまくかみ合いだした。
 今,新しい研修医と向き合う中で,またそれと同じことをはっきりと自覚する。なーんだ,僻地診療所と同じにやればいいじゃないか。自分自身がどんな指導医になるかではなく,目の前にいる研修医たちにどのようにお役に立てるか,大事なのはそっちだ。
 昨日の夜は,最初の挨拶で何を話そうかと考えあぐねて,寝つきが悪かった。結局はぐっすり眠ってしまったのだけれども。今は何を話すか,はっきりしている。多くを語る必要はない。おはようと,天気の話と,そしてもう1つ,それだけ。

 「みなさん,おはようございます。今日は皆さんの門出を飾るには最高の天気となりました。このような好天に恵まれ,今日,皆さんもさまざまな夢,希望に思いをはせていることと思います。私自身もほんの1か月前,ここしおかぜ病院に,多くの希望を持ってやってきました。でも今日お話しすることはたった1つです。お話というより,お願いと言ったほうがいいかもしれません。これから医師としての研修がはじまるわけですが,こんな研修じゃだめだ,こんな患者を受け持っても勉強にならない,そんなふうに思うかもしれません。そんな時は遠慮なく何でも私に言ってください。何でも聞く準備があります。しかし,その研修に対するいろいろを私に言う代わりに,1つお願いがあるのです。これから受け持ちになる患者さんの話を,患者さん自身がもう言うことがない,というまで聞いてあげてください。研修医として,受け持っている患者さんから何を学ぶかでなく,受け持っている患者さんに対して研修医として何ができるかを,常に優先させてください。お願いはそれだけです。よろしくお願いします」

 希望は多いほうがいいが,お願いは少ないほうがいい

 ちょっと格好つけすぎか? 研修医たちはこちらが力を入れて話したことは覚えていないくせに,何気なく言ったことをよく覚えたりするのだ。しかし大事なことは,覚えていることではない。この1つのことが,これからの研修の中で本当に実現されるかどうか,そのために,自分がどう教えたいかではなく,研修医がどのような研修を望んでいるか,そんな視点でかれらと向き合っていくこと。
 といいつつも,今日も登場人物は自分だけ。現実は厳しいのである。ガチョーン。



名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。