医学界新聞

 

<新春インタビュー>

2004年 日本の医療は守れるか?

李 啓充 氏(医師/作家)に聞く

聞き手:本田 宏氏(埼玉県済生会栗橋病院副院長・外科部長)


 2004年の春を迎えた。経済情勢が改善されない中,医療を取り巻く環境もまた厳しい。しかし,医療に透明性や質の確保を求める国民の声や医療に「市場の開放」を求める経済・産業界の声は日に日に高まり,その中には,日本の医療のあり方を根底から揺さぶるような主張も含まれるようになってきた。医療者は,突きつけられた問題にどう答え,社会から支持される医療をどう実現していくべきなのだろうか?
 本紙連載をはじめ,鋭い医事評論で知られる李啓充氏(医師/作家 ボストン在住)に,本田宏氏(埼玉県済生会栗橋病院副院長・外科部長)がインタビューした。


本田 私は,地域の中核病院で外科部長をしておりますが,年々,医療をめぐる情勢が厳しくなってきていると感じています。より質の高い医療を提供することをめざして,若手の医師たちにはインフォームド・コンセントや安全対策を含めた指導をしています。しかし実際には,マンパワー不足から現場に余裕がなく,それを適切に行なえているかというと難しいと思います。「これでは本当に患者さんが安心できる医療は提供できない」,そんな思いを日々強くしています。
 一方で近年,現在の医療の状況に対し,例えば,株式会社や混合診療を導入すれば日本の医療問題は解決するというようなことが,政府機関やマスコミからも喧伝されるようになり,医療に関する新たな問題が突きつけられています。
 そこで,本日は著書や講演活動を通して,日本の医療に警鐘を鳴らし続けている李啓充先生に,日本の医療はどうしたらよいのか,お話をいただきたいと思います。

■筋違いの改革議論

 いまおっしゃったことの中には,医療の質の問題,コストとマンパワーの問題,そして医療制度改革におけるアメリカ型医療導入の問題,さらにその中に株式会社や混合診療の導入という,複数の問題があるわけです。しかし,これらの中には,関連しているようで関連していないものがあります。例えば,株式会社や混合診療を入れたところで,日本の医療が抱えている問題が解決されるとは思えず,むしろ,まったく筋違いの方向から問題がふりかけられていると言えます。

規制改革と利害の抵触

 はじめに株式会社の医療への参入の問題ですが,これを一番強く主張しているのは総合規制改革会議(註1)です。ここはビジネスチャンスの拡大という観点からものを言っています。混合診療についても同様です。総合規制改革会議の議長は,宮内義彦氏(オリックス会長)です。オリックスは医療分野に積極的に進出している企業であり,今後,医療におけるビジネスを拡大することをめざしています。また,前議長代理は飯田亮氏(セコム最高顧問)ですが,株式会社による病院経営の解禁を長年主張されていて,医療機関の買収や経営参加を行なっています。
 そうした直接の利害関係を持った方が国の政策を動かそうとしている。これは大きな問題です。「conflict of interest(利害の抵触)」(註2)ということを考えた場合に,本来利害関係を考えれば公に主張する立場にあるべきでない人が,自分をもうけさせろという主張しているわけです。しかも,「勧告権」というような言葉まで振り回して,自分たちが潤うような政策を権力を使って実現しようとしています。それだけでなく,大新聞の社説は,総合規制改革会議の政策があたかも正義であるかのように扱っています。日本の医療の問題が,特定企業のビジネスチャンスを拡大することで解決されるかのように唱えられている現状は,非常に嘆かわしく思います。

註1)総合規制改革会議は昨(2003)年12月22日に最終答申を行ない,「株式会社による病院経営」や「混合診療」については検討が先送りされた。同会議の設置期間は今年3月で終わるが,小泉政権は今後も規制改革を重要課題の1つに位置付けていく方針で,「体制の強化」など,早くも後継組織のあり方が焦点となっている。
註2)「利害の抵触」とは一般に,「ある役職に就く人が,その立場や権限を利用することで,その人自身や近しい人の個人的利得を得ることが可能となる状況」を言う。<中略>私情が入り得る状況では客観的かつ公正な判断を下すことができない危険があるし,仮に客観的かつ公正な判断を下すことが可能であったとしてもその意図が疑われることになるからである。換言すれば,「利害の抵触」に対する正しい対処は「利害が抵触する状況をつくらない」ことに尽きる(本紙連載「続・アメリカ医療の光と影」第18回より抜粋)。

■株式会社を入れた時に何が起こるか?

 株式会社の病院経営を大々的に展開しているのは,世界でアメリカだけです。アメリカで,株式会社の病院チェーンが何をしているか,してきたかということについては,これまで何度も書いてきましたが,はっきり言って,株式会社病院のほうが非営利の病院よりもコストが高くて質が劣ります。しかも,大チェーンの株式会社病院の多くには,その過去に「組織ぐるみの診療報酬不正請求」などの犯罪歴があり,中には凶悪な犯罪もあります。

株式会社病院はなぜ危険か?

 テネット社のレディング医療センターでは,必要もない心臓外科手術を患者さんに施していて,その地域の心臓外科手術の施行率は飛び抜けて高くなっています。また,テネット社の前身であるナショナル・メディカル・エンタープライズ社は,本来精神科医療の必要のない方を強制収容に近い形で入院させて,医療保険の限度いっぱいまでお金をちょうだいするというあこぎな犯罪を行なっていました。
 また,株式会社というのは,毎年,利益を上げることはもちろんですが,同時に株価も維持し,バランスシートをバラ色に見せることが非常に重要です。そのことから,時として無理が生じ,いろいろなスキャンダルが出てくるわけです。
 日本の企業がどこまでやる気かは存じませんが,基本的には医療とは利益がべらぼうにあがるようなビジネスではないわけで,そこへ,利益をあげなければいけないというインセンティブを持った方が入ってきた場合に,間違ったことが起こる危険性があります。そしてアメリカでは実際にそれが起こっているのです。

もっと他にやるべきことがある

 第二には,日本で株式会社による病院経営が認められた場合,アメリカの大病院チェーンが参入してきたらどうするのか。おいしいマーケットをアメリカの病院チェーンが寡占化する,したい放題をするということが起こるやもしれない。それをどう防ぐのか。その心配をしなければいけません。
 翻って,株式会社の導入が医療にとって本当に必要かどうかを考えた時,何か切迫した理由が見当たるでしょうか? もっとやるべきことがあるのに,なぜ株式会社が最優先で議論されなければならないのか?非常に疑問であり,危険だと思っています。もし株式会社の問題を議論したいというのであれば,公正な立場の方がすべきであって,自分のビジネスチャンスを増やすことをめざしている方が,「勧告権」など公権力を付与された立場で議論するのは間違っていると思います。

■医療を市場に任せたら社会自体が潰れる

本来あるべき社会保障の姿

本田 宇沢弘文先生(東大名誉教授・経済学)は医療は「社会的共通資本」であると言っています。人間が生をまっとうするために必要なものが医療なのですから,株式会社の参入など,本来おかしな話です。
 これまではお役所の規制でがんじがらめになっていて,社会が不自由だった。そこで規制を取っ払い,市場経済を入れることが正義であるという議論が勢いづいているのが,いまの日本の状況ではないかと思います。
 私は,市場経済のすべてが悪だとは申しません。しかし,田中滋先生(慶大・経済学)もおっしゃっていることですが,市場経済だけで社会は運営できないわけです。市場経済からこぼれ落ちるものは必ずあり,それをカヴァーするために医療保険制度をはじめとする社会保障制度があるのです。もし,医療を市場経済に任せて,本来あるべき社会保障の姿から遠いものにしてしまったら,社会そのものが潰れてしまいます。

混合診療の導入は医療保険制度の否定

 市場経済が入っていない分野は後れている,という短絡なものの見方がいま横行しています。大新聞の論説なども,医療のことを何もご存じない方が書かれているのか,医療に市場経済を入れたら自動的によくなる,と信じているような論調が少なくありません。
 混合診療の問題にしても,本当に必要な医療であれば保険診療に加えるのが筋です。本当に必要な医療を混合診療でやるということは,お金を払える人だけが必要な医療にアクセスできる,ということを認めることになります。お金がない人はアクセスできない。これは,現在の医療保険制度を根底から否定するものです。
 ビジネスチャンスの拡大を求め,自由化がすべていい,正義だという短絡した思考がまかりとおっているのは非常に嘆かわしい状況だと思っています。もし混合診療などを解禁したら,似非医療をやっている人が儲けるだけだと私は思うのですが……。

■いまこそ医療のルールの確立を

忘れてはならない医療の側の責任

本田 医療のことを知らない人たちに医療の政策を決められようとしているのが,いまの状況ですが,現場を知るわれわれ日本の医師が,やるべきこと,考えるべきことがあるのではないかと思うのですが?
 医療をめぐる今日の状況を招いた責任は,医療の側にもあると思います。医療の側が,国民の不信を買うようなことをしてきてしまった。それは認めなければいけません。例えばカルテ開示の問題にしても,国民の支持と理解が得られないようなことをいまだに言っている。
 日本の医療政策を決めるに当たって中心となるべき団体が「権益団体」としてしか国民に思われていないだけでなく,そのことが医療に対する国民の不信を煽り立ててきたということを忘れてはいけないと思います。しかも,その不信を払拭するための取り組みを十分に行なわなかったことにも問題があったのではないでしょうか。
 もう1つの大きな問題は,日本の医療には基本的なルールがないということです。夏目漱石に『私の個人主義』という作品があります。もともとは,学習院大学の卒業式での講演ですが,卒業生に向けて「あなた方は,これから金力と権力を握って,指導的立場に立つエリートになる。そういった立場に立つのだから,しっかりとした人格を涵養して立派に振る舞わなければいけない」という趣旨のことを言っています。日本の制度は,エリートの人格を信じてつくられてきたのです。
 しかし,いまやエリートたちの人格なんてどんなに信じられないことか(笑)。エリートの人格が信用できず,任せることができない以上,そこには必然的にルールが必要になりますが,基本は「checks & balances(権力の抑制と均衡)」を機能させることにあります。日本では,権力や金力を握っている人たちがたまたま悪いことをして見つかると,とっちめられるということだけで,checks & balancesというシステムを入れてこなかった。これが問題です。
 医療の世界も同様です。「知らしむべからず,よらしむべし」という発想で,ずっとやってきた。そして,いまだにそういった認識でものを言ったり,考えたりしている人が少なくないわけです。

医療のあるべき姿示さずして,信頼の回復はない

 ですから,まず行なうべきことは医療のルールを確立することです。これが医療の透明性にもつながります。私は,本紙連載『続・アメリカ医療の光と影』第1回に,アメリカ・ヨーロッパの内科4学会が共同で作成した「新ミレニアムにおける医療プロフェッショナリズム:医師憲章」(別掲;以下,「新ミレニアムの医師憲章」)を紹介させていただきました。いま,まさに日本の医療を取り巻く環境は厳しい情勢にあるわけですが,それはアメリカもヨーロッパも一緒です。「ではどうすべきか?」ということで,この医師憲章が作成されたわけです。「情勢が厳しいからこそ,医療のあるべき姿に立ち返り,医師は社会に対してそれを訴え,守らなければいけない」と,医師が守るべきルールを明確に打ち出したわけです。
 ここに謳われているような医療のルール,医師の責務といったことを明確にしないまま,いくら「株式会社反対,混合診療反対」と言っても,そのこと自体は正論であったとしても説得力を持ちません。
本田 私も,それを心配しています。
 医療を守りたいと思うのであれば,もっとも大切なことは,「患者の権利」を明確にすること,あるいはインフォームド・コンセントをはじめとする「医療のルール」を確立することです。医療が守るべき最低限のルールを社会にわかりやすく示すことが必要です。
 これから社会がどう動くかはわかりませんが,仮に株式会社や混合診療というようなものが入ってきたとしても,これを決めておかないと何が起こるかわかりません。医療の必要な人に,「あなたはお金が払えないのね」といって,門前で診療を断るようなことが起こってはいけませんので,ルールを明瞭にしておく必要があると思います。
本田 医療者が立ち上がって社会とともに医療を守っていくためには,その軸となるべき医師会も変わっていかなければならないと思います。率直に言って,いま世間で「医師会」のイメージはよいとはいえません。しかし,医師会を中心にまとまっていかないと,日本の政策が決定される場で何も発言できないという現実もあります。むしろ医師会を応援し,社会に支持されるような医師会に変革していくことが必要ではないかと感じています。
 医師会の中に,非常に先進的な意見を持ち熱心に活動されている先生方が数多くいらっしゃることは,私もよく知っています。ただ,市民の側から見てはっきりとわかるような変革の動きがないと,社会の信頼を取り戻すのは難しいのではないでしょうか。

■厳しい時代にこそ医療者がなすべきこと

医療者が拠って立つべきところとは?

本田 いま,日本の医療関係者はもっと社会に目を向ける必要があるのではないかと感じています。社会の中における医療のあり方,役割というものを,医療者自身がもっと考え,訴えていく必要があると思うのです。
 先ほどお話した「新ミレニアムの医師憲章」では,医師の社会的責任,社会とのかかわりということを非常に強く強調しています。それだけいま,先進諸国の医療をめぐる環境は厳しいわけです。1つは,医療を舞台にお金を儲けようとする勢力,それから保険者や政府など,医療にかかるお金を闇雲に削減しようとする勢力,この2つが圧力,あるいは時として攻撃をかけてきています。これらに対して,私たちは,医療のあるべき姿を明確に示し,そこを原点にして行動しなければなりません。われわれが拠って立つべきところは,ここしかないのです。
 「新ミレニアムの医師憲章」はまさにその拠って立つべき原則を再確認したものです。この憲章が発表されてから,15か月後に,世界での反響が「アナルズ・オブ・インターナル・メディスン」(138巻839頁,2003年)に載りました。世界中のさまざまな国の学会や医師会が,「新医師憲章を支持する」という声明を出していますが,残念ながら日本からは1つも出ていません。日本に関する言及は,あの宣言の発表のあと,京都で開かれた国際内科学会でレクチャーが行なわれた,とそれだけでした。これではいけないのではないでしょうか。
本田 私も,これは素晴らしい憲章だと思っています。ぜひ,多くの日本の医療者にこの憲章の存在を知っていただきたいものです。
 本日はこれからの医療のあり方を考えるうえで,示唆に富んだお話をありがとうございました。
(おわり)

新ミレニアムにおける医療プロフェッショナリズム:医師憲章

 ――アメリカ・ヨーロッパ内科4学会共同作成(李 啓充 訳)

*本医師憲章は2002年2月,「ランセット」(359巻520頁)および「アナルズ・オブ・インターナル・メディスン」(136巻243頁)両誌に同時掲載された。

<3つの根本原則>
(1)患者の利益追求:医師は,患者の利益を守ることを何よりも優先し,市場・社会・ 管理者からの圧力に屈してはならない。
(2)患者の自律性:医師は,患者の自己決定権を尊重し,「インフォームド・ディシジ ョン」が下せるように,患者をempowerしなければならない。
(3)社会正義:医師には,医療における不平等や差別を排除するために積極的に活動 する社会的責任がある。

<プロフェッショナルとしての10の責務>
(1)プロとしての能力についての責務:個々の医師が生涯学習に励み,その能力・技能を維持するだけでなく,医師団体はすべての医師が例外なくその能力・適性を維持するための仕組みを作らなければならない。
(2)患者に対して正直である責務:治療上の意思決定ができるように,患者をempowerするために,情報を正直に伝えなければならない。特に医療過誤については,患者に速やかに情報開示することが重要であるだけでなく,過誤の報告・分析体制についても整備しなければならない。
(3)患者の秘密を守る責任:医療情報の電子化の進展,遺伝子診断の技術進歩が進む中,患者の秘密の厳守は特に重要である。
(4)患者との適切な関係を維持する責務:患者の弱い立場を悪用することがあってはならない。特に,性的・財政的に患者を搾取してはならない。
(5)医療の質を向上させる義務:医師および医師団体は医療の質を恒常的に向上させる義務を負う。医療の質には,医療過誤防止・過剰診療抑制・アウトカムの最適化が含まれる。
(6)医療へのアクセスを向上させる責務:医師および医師団体は医療へのアクセスの平等性を確保することに努めなければならない。患者の教育程度,法体制,財政状態,地理的条件,社会的差別などが,医療へのアクセスに影響してはならない。
(7)医療資源の適正配置についての責務:医師には,限られた医療資源を,「コスト・エフェクティブネス」に配慮して,適正配置する義務がある(註)。過剰診療は医療資源の無駄使いとなるだけでなく,患者を無用な危険にさらすことになる。
(8)科学的知識への責務:医師には,科学的知識を適切に使用するとともに,科学としての医学を進歩させる義務がある。
(9)「利害衝突」に適正に対処し信頼を維持する責務:保険会社や製薬・医療機器企業などの営利企業との関係が,本来の職業的責務に影響する恐れがあることを認識するだけでなく,「利害衝突」に関する情報を開示する義務がある。
(10)専門職に伴う責任を果たす責務:専門職に従事するものの責任として,職業全体の信頼を傷つけてはならない。お互いに協力することはもとより,専門職としての信頼を傷つけた医師には懲戒を加えることも必要である。
)「コスト」そのものではなく,「コスト・エフェクティブネス」に配慮することに注意されたい(訳者)。




李 啓充氏
 1980年京大卒。天理よろづ相談所病院,京大大学院を経て,90年よりマサチューセッツ総合病院(ハーバード大学医学部)で骨代謝研究に従事,ハーバード大学医学部助教授を経て,2002年より文筆業に専念。著書に『市場原理に揺れるアメリカの医療』『アメリカ医療の光と影』,訳書に『医者が心をひらくとき』(いずれも医学書院刊)他。本紙で「続・アメリカ医療の光と影」(隔週の掲載),週刊文春で「大リーグファン養成コラム」を連載中。ボストン在住。



本田 宏氏
 1979年弘前大卒。同第一外科,東京女子医大腎臓病総合医療センター外科を経て,89年より済生会栗橋病院外科部長。98年より「医療制度研究会」幹事として活動開始。医療を改善すべく,各種学会をはじめマスメディアや政治家,一般国民に対し説明責任を果たすよう努めている。医療制度研究会HP=http://www008.upp.so-net.ne.jp/isei/top2.html