医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第1回

新ミレニアムの医師憲章-連載再開にあたって

李 啓充 医師/作家


新時代における医師の責務とは何か?

 医療を取り巻く経済的・社会的環境が厳しくなっていることは,日本に限ったことではない。本年2月初め,ランセット(359巻520頁)およびアナルズ・オブ・インターナル・メディスン(136巻243頁)両誌に,米国・欧州の内科4学会が共同で作成した「新ミレニアムにおける医療プロフェッショナリズム:医師憲章」という題名の文書が同時掲載された。この憲章は,「医療を取り巻く社会・経済環境がきわめて厳しいという認識の下に,では新時代における医師の責務とは何か」ということを謳い上げた宣言書である。
 いわば,「ヒポクラテスの誓い」の新ミレニアム版と言ってよい。この憲章が従前の医師憲章と根本的に違う点は,医療における社会正義を実現するために,医師は積極的な活動をしなければならないと,医師の「社会的責任」を強調していることである。

新時代の「医師憲章」

 以下,この憲章について簡単に紹介する。

<3つの根本原則>
(1)患者の利益追求:医師は,患者の利益を守ることを何よりも優先し,市場・社会・管理者からの圧力に屈してはならない
(2)患者の自律性:医師は,患者の自己決定権を尊重し,「インフォームド・ディシジョン」が下せるように,患者をempowerしなければならない。
(3)社会正義:医師には,医療における不平等や差別を排除するために積極的に活動する社会的責任がある。

<プロフェッショナルとしての10の責務>
(1)プロとしての能力についての責務:個々の医師が生涯学習に励み,その能力・技能を維持するだけでなく,医師団体はすべての医師が例外なくその能力・適性を維持するための仕組みを作らなければならない。
(2)患者に対して正直である責務:治療上の意思決定ができるように,患者をempowerするために,情報を正直に伝えなければならない。特に医療過誤については,患者に速やかに情報開示することが重要であるだけでなく,過誤の報告・分析体制についても整備しなければならない。
(3)患者の秘密を守る責任:医療情報の電子化の進展,遺伝子診断の技術進歩が進む中,患者の秘密の厳守は特に重要である。
(4)患者との適切な関係を維持する責務:患者の弱い立場を悪用することがあってはならない。特に,性的・財政的に患者を搾取してはならない。
(5)医療の質を向上させる義務:医師および医師団体は医療の質を恒常的に向上させる義務を負う。医療の質には,医療過誤防止・過剰診療抑制・アウトカムの最適化が含まれる。
(6)医療へのアクセスを向上させる責務:医師および医師団体は医療へのアクセスの平等性を確保することに努めなければならない。患者の教育程度,法体制,財政状態,地理的条件,社会的差別などが,医療へのアクセスに影響してはならない。
(7)医療資源の適正配置についての責務:医師には,限られた医療資源を,「コスト・エフェクティブネス」に配慮して,適正配置する義務がある()。過剰診療は医療資源の無駄使いとなるだけでなく,患者を無用な危険にさらすことになる。
(8)科学的知識への責務:医師には,科学的知識を適切に使用するとともに,科学としての医学を進歩させる義務がある。
(9)「利害衝突」に適正に対処し信頼を維持する責務:保険会社や製薬・医療機器企業などの営利企業との関係が,本来の職業的責務に影響する恐れがあることを認識するだけでなく,「利害衝突」に関する情報を開示する義務がある。
(10)専門職に伴う責任を果たす責務:専門職に従事するものの責任として,職業全体の信頼を傷つけてはならない。お互いに協力することはもとより,専門職としての信頼を傷つけた医師には懲戒を加えることも必要である。

 以上,「アメリカ医療の光と影」の連載再開にあたって,新ミレニアムの医師憲章を紹介させていただいた。日本の医療改革論議は,とかく,矮小な「銭勘定」の議論に終始しているが,筆者は,「医のあるべき姿」を追求するという医療改革の本来の目的に立ち返った議論が高まることを期待してやまない。連載再開に当たって,「医のあるべき姿」を高らかに謳い上げた憲章を紹介した理由も,改革論議の舵を「真っ当な」方向に切り直してほしいと願うからである。
 再開前の「アメリカ医療の光と影」(同連載をまとめた,同名の単行本が医学書院より発行されている)では,筆者は,アメリカの事情や問題は紹介しても日本の改革の方向性に対して直接の言及は控えるというスタイルを守った。しかし,昨年来の医療改革論議で,医療の市場化,DRG/PPSの導入,保険者機能の強化など,アメリカでとうに失敗した施策を日本に入れたいという主張が声高に唱えられてきたことに,強い危機感を抱かざるを得なかった。再開後のこの連載では,日本の医療改革の方向性に対して,もっと踏み込んだスタンスを取りたいと思っている。「医師は,医療における社会正義の実現のための活動に努めなければならない」と,今回紹介した憲章にも書かれているように……。

(註)「コスト」そのものではなく,「コスト・エフェクティブネス」に配慮することに注意されたい。




李 啓充氏
1980年京大医学部卒。天理よろづ相談所病院,京大大学院,マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学医学部助教授を経て,文筆業に。今後の医療の行方に警鐘を鳴らす著書『市場原理に揺れるアメリカの医療』,『アメリカ医療の光と影』(いずれも医学書院刊)が話題となっている